ジャッジしない
「魂の視点がないと、自分を愛することが難しくなります。
多くの人は毎晩、今日はあんなことしちゃった。と反省会をしていますが、客観的な視点を持てたら、それも必要なこと。だったら次はどうしたらいいか。という発想ができます。それができるようになると、もう自分を不要にジャッジすることはありません。
物事にいい悪いはありません。大切なのは、その要素を 何のために活用するか ではないでしょうか。
地球のルールに縛られずに、魂の視点で自分を見つめてあげてください。」
『宇宙感覚で生きる』サアラ 廣済堂出版
151~152頁 一部抜粋
昨日は、図書館のバイトだった。
連続講座を終えて、心身にエネルギーが漲って、たいそう気分が良かった。さらに、バイトのシフトに、私の超大好きな方が相棒で入っていたので、朝からテンションが上がっていた。素敵な人と好きな仕事が出来るなんて、幸せだなあ。とワクワクしていた。
テンション上がりすぎたのか?開館直前に、書架前で相棒と打ち合わせ的な会話をしていたら、職員が飛んできて、声のボリュームを下げてくれ。と注意を受けた。
ちょっとショックだった。
なぜなら、私は、過去に図書館職員として長年働いた経験があり、少なくとも、お客様の入るフロアーで、大声でしゃべるなんて、あり得なかったからだ。私、どうしちゃったの?世間の秩序や公共マナーを忘れちゃうほど、ボケちゃったの?緊張感は、どこに行った?
しばらく、シュンとしながら、一人黙々と書架の整理をした。館内はシンと静まりかえっている。過去のいろんな記憶がよみがえる。児童室で、はしゃぎ回る子どもたちに、走らないでね!声、小さくしてね!と注意したこと。書架の間で世間話に興じる主婦の皆様に、口に人差し指を当てて見せたこと。館長がフロアーで大声出して話してた時に、うるさいです。と突っ込みを入れたこと······
そして、強烈な記憶がよみがえってきた。
常連の酔っぱらいおじさんのこと。
彼は、いつも、酔っぱらってハイテンションでやってきた。暑い!暑いなあ!が口癖だった。閲覧席に直行して、イビキをかいて寝てしまう。図書館の静寂が破られるので、毎回苦労した。普通に注意しても、おじさんはへこたれない。閲覧席の周りのお客様たちからクレームが寄せられる度に、私たちは小さくなった。言うことを聞いてくれないので、どうしたらいいか分からなかった。
ある日、おじさんは、上半身裸で現れた。暑いなあ!を連呼しながら。さすがにそれはまずいでしょう。私は、勇気を振り絞り、おじさんに立ち向かった。図書館には女性もいますから、裸は止めてくださいとお願いした。しかし、おじさんは、暑いんだから、仕方ないだろ!と言い張った。そんな攻防戦が何回か続いた。
そして、ある夏の日。おじさんが上半身裸で、酔っぱらい、閲覧席で、が~が~イビキをかいていた時。私は、いつもと違う心境になって、おじさんを揺り動かした。
「クーラー入ってますから、身体が冷えてしまいます。身体に障りますから、上着を着てきてください。」
いやいや、暑いんだから、大丈夫なんだから!放っておいてくれ!と言い張るおじさんに、私は半泣きになりながら食い下がった。
「お身体に障ります。心配なんです。」
その時のおじさんの、嫌そうな、それでいて、ちょっと寂しそうな苦痛の表情が忘れられない。
なぜだろう。それ以後、おじさんの上半身裸は見られなくなった。酔って登場も減り、はにかみながら、こざっぱりしたシャツを着て、閲覧席で静かに寛ぐようになった。
珍しく、おじさんがカウンターの私の側に寄ってきて、「俺の指、綺麗だろう。寿司握ってるんだ。」と、誇らしげに指を披露してくれたのを思い出す。静かにしろ!嫌だ!の攻防戦を数年繰り返し、いつの間にか、互いに認め合う空気が生まれていた。苦手なキャラクターのおじさんなのに、ちょっぴり好きになっていた。
図書館のルールは、皆が気持ちよく利用するためにお願いしているものだ。しかし、お客様のクレームにいちいち反応して、過剰なルールが加えられていったことも否定できない。話し声は基本ルールだとしても、書き物をする時のペンの音とかは、許してあげたい。たまに、気持ちよく鼻歌を歌っているお年寄りがいて、他のお客様からクレームが寄せられた時に、え~?なんだか、私はほっこりするけどなあ?なんて、苦笑しながら対応した。鼻歌は、リラックスしているからつい出てしまうもの。それだけ、この図書館が居心地いいって証拠だから、私は心の中では、ありがとう。と囁いた。これらは、10年近く前のお話だ。
ルールって、何だろう?
必要なのは理解している。しかし、私は、ルール違反している一人一人も、愛すべき素敵な個性を持っていることを知っている。魂の輝きの自然な発露が、常識を外れる行為として、表現される時、私はどうしたら良かったのだろうか。あなたは、素敵な人です。と認めた上で相手に接するように心がけると、例え、声がけのセリフは同じでも、伝わるものが違うんじゃないかな。と思った。
そして、今朝の私の失敗を思い返す。
図書館で、大きな声を出してしまったのは、気をつけていきたい。しかし、なぜ大きな声になってしまったかを考えてみると、私は、幸せで、その瞬間が楽しくて、魂がキラキラ輝いていたから、声にエネルギーが乗ってしまったのではと思う。
なかなか、いいじゃん、私。張りのある声を出せるようになって良かったね。ぐんぐん回復してきているね。おめでとう。
そして、この体験から得たこと。
一人一人、魂が輝く時代がやってきた。
常識やルールという、狭い檻に閉じ込めて、暗く精気を失っている魂たちが、あまりに多い。
せめて、自分だけは、自分の魂の輝きを認めよう。ルールを外してしまった自分を責め、小さく縮こまる習慣はもう時代遅れ。
これからの習慣は
開き直り(笑)
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