近況

 


写真∶7月19日自宅付近の上空に現れた彩雲

しばらくブログを開かなかった。開かないうちに、各投稿へのアクセス数が記録されていて驚いた。どんな検索キーワードでここに辿り着くのだろう。毒にも薬にもならないブログだが、誰かのささやかな参考になっているなら幸いだ。

さて、以下に最近の出来事を記録しておく。淡々とした日常であり、ささやかな気づきでしかないのだが、見守ってくれている親しい知人へのお手紙のつもりで書いておく。


☆過去の私とは不思議な存在

ブログ開設以来、延べ13000件ほどアクセスがあった。昨日一日で50件近い閲覧があり、何からどうつながって読者を得ているのか。この一週間で読まれた各投稿をチェックしてみたが、「あれ?これを本当に私が書いたのかな?」と思う。違う人格がこのブログを書いてきたのではないだろうか?という感覚。

昨日の私と今日の私は別人である。ましてや、数か月数年前となると、本当に同じ人物なのか・・・。夜眠る時に毎回死んで、毎朝目覚める時に生まれ変わっているような感覚。もちろん記憶というものは脳に残っている。この肉体を使って体験してきた(とされる)様々な歴史は、脳内の電気信号でいつでも取り出せる。時間は連続しており、過去の積み重ねが今の私。という直線的な信念が無いと支障をきたしてしまうため、そう信じようとするのだけど…

私は多次元に同時存在していて、今ここで「私」として認識しているこの意識は、まっさらな「今」にしかいない?そんな感覚。つまり、毎瞬が新鮮。新鮮すぎて、鳥の鳴き声が聴こえてきただけで、しみじみ感動して涙ぐむ時もある。

☆義理の父の容体

5月23日以降、義理の父は意識不明のまま、6月下旬に救急病院から療養型病院へ転院した。点滴措置しか出来ないので、いつあちらの世界へ旅立ってもおかしくないということで、様々な手配でバタバタしていたが、今はすべてが落ち着いている。遠いので頻繁に訪問することは出来ないのだが、近々特急を乗り継いで訪問してみよう思っている。ちょっとした小旅行にもなるので楽しみ。

☆仕事

4月から転職した新しい仕事について。

行政機関のとある部署に委託スタッフとして入っている。書類の点検をしたり、計算をしたりする雑用的な業務なのだが、楽しい。没頭できる落ち着いた環境なので、ありがたい。私は事務仕事が好きなのだ。

世の中で特に目立つ業種ではないし、やっていたからと言って、誰かに褒められるとか、尊敬されるとかいうものでもない。しかし、事務という、目に見えない土台部分を整える人々がいるからこそ、世の中は滞りなくまわっているものだと思う。

スポットライトを浴びる人が一人いれば、その背後にどれだけのサポートがあることか。誰か一人が日本という国で生きているだけで、生まれてから死ぬまでに、数えきれない人々の助けを得ている。普段見落としがちな分野にも、その小さな働きがあるからこそ、この日常が成立している。すべて、すべて、どんなささやかな存在も必要があって、綿密に影響し合って誰かの命をつなぐことだってできている。駅伝だって、最終走者だけが頑張った結果ではない。

私は、そんなことは、どこか綺麗ごとのような気がしていて、自分ではない何者かになりたいと願って生きてきた。役立つ人間にならなくちゃと。それは、目立つ位置にいるとか、人前に立ってためになる話をするとか、分かりやすく尊敬されるようなことを手掛けるとか、スポットライトを浴びるようなことをしなければならないのだと、ずっと勘違いしていた。「○○をしていて、すごいね~。」「△△してくれてありがとう!」と直接誰かに言葉をかけてもらえるような事をしなくてはならないと思っていたのだ。でも、そんな氷山の一角の目に見えやすい部分だけ気にすることは、ほとんど意味がないのだと遅れ馳せながら目が覚めた。

スポットライトを浴びる役割を担っている人々と共に活動をしたからこそ、見えてきたのが今の私の役割だった。スポットライトの当たる場所に、ずっと違和感があって、とても苦しくなって、その場から離れた。

海面上に見えるたった10%の目に見える世界ではなく、海の下に隠れる90%を占める大きな塊を成立させるための大切な一成分。見ようとしなければ誰も気が付かない世界に、今の私の役割がある。

だからといって、毎日の仕事に「ああ、これで私は誰かの役に立っているんだな~」と、いちいち意識して過ごしているわけではない。ただ、ただ、やっていることをしみじみ楽しんでいる。この捉え方は、ものすごくシンプルだ。今、ここで、数字を足したり引いたり、文字を書いたり、書類を整えたりしている、その行為自体が純粋に、内奥から湧き上がる喜びとして感じられている。




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