『ぼくたちの失敗』は優しいメロディーだった

 


言霊は大切

自分にも相手にも、日頃口にする言葉に気をつける。

言葉にはエネルギーがある。だから、エネルギーのよい言葉を使いましょう。

このことは、理解していたつもりだった。今回、私は自身の失敗を通して、そもそも前提を蔑ろにしていたことに気がついた。

言霊だけを意識すればよいという、単純なことではなかったのだ。現実を通して、目を開かされていった過程を記録しておこう。


☆ボランティア会議での出来事

ボランティアの活動をするに際し、役所に提出する書類に、「発達障害」というワードを書き入れる必要があった。一緒に活動中の仲間は、それは障害ではないので「発達凸凹」と表現したいと主張していた。「発達障害」には、差別のエネルギーが乗っている。言霊を大切にしていくことで、差別のない未来を作るのが私達の役割である。と彼女は考えてのことだった。

「発達凸凹」については、書類を作成しながら、サポートしてくれている市民活動の相談員から既に指摘を受けていた。一般的でない表現は役所に提出する書類には書かないで、ここは「発達障害」と書いてほしいと。役所を相手にするなら、目的を達成するためにはこだわりを捨てなさい。と。

私は、会議でそのことを仲間に報告した。冒頭は、その場面で起きていたやり取りだった。(書類作成や相談員への面談などの動きは私が担当していた。)

彼女は、言っていることと、やっていることに食い違いが出てしまうことに抵抗があると言った。簡単に大きな力に流されるのか。それは忖度ではないか。と言霊の大切さを熱く伝えてきた。

おそらく、その時の彼女の言霊論は素晴らしい内容であったろうし、口にするのも美しい言葉を選択して語ってくれたと思う。

しかし、その時の私は完全に心のシャッターを閉めていた。何を言われても、苦しくて悲しかった。正論に傷つけられるとは、こういう状況なのだなと実感していた。どんなにありがたい話であったとしても、私の耳には、上滑りな理想を語られているようにしか響かなかった。

私は「発達障害」という言葉に差別の気持ちなど乗せて使ったことはないし、医療現場や役所でも、そうだろう。書類上、法律にのっとってスムーズに事を進める方が急務だから、手続きに共通する言葉をラベルとして使用する。エネルギー的には中庸と言える。現場の作法に乗っ取るのが基本だ。

個人的には、美しい言霊あふれる、差別のない未来を創りたいと思う。しかし、こだわりを発揮するにも、TPOがある。言動を一致させたいと言われても、はて?何を言っているのか?と戸惑いしか感じなかった。

彼女は、役所が相手なのだから、書類に「発達障害」と書き入れても仕方ない。そこにこだわってはいない。せめて、全肯定の(障害ではなく個性と捉える)エネルギーを載せて書類作成をしてほしいと最後には言っていたが、私の心にしこりが残った。

そして、私はどうしたか。

不快や怒りという感情を選択した。

翌日、互いに冷静になってから、あの時お互いの内面で何が起きていたのか正直に意見交換をした。まだ、活動を始めたばかりであり、こんなことで喧嘩したくなかった。

私は、今までの書類作成の頑張りが全否定されたようで悲しかったこと。忖度という言葉に傷ついたこと。どんなに美しい言葉で高尚な話を語られたとしても、何も心に届かなかったし、どんどん苦しくなる一方だったことを告白した。

彼女は、私がいきなり怒り出した(言葉には出さずとも私のエネルギーで分かった)ので、何が原因なのか、さっぱり分からなかったそうだ。自分の考えをちゃんと理解してほしくて、焦ってしまい、さらに熱心に説明をしたのだと。そして今でも、私に真意を伝えたい思いでいる。なぜこうも伝えたいことが伝わらず、食い違いが出てしまうのか。話せば話すほど、違う捉え方をされてしまうのが不思議だったとおしえてくれた。

結局は、言葉に宿るエネルギーに頼る以前に、言葉を使う人間側の意識が一番大切なのだと、私は気がついた。「発達障害」を「◯◯◯」という差別的でない表現に変えましょうと、世の中が同意して使われはじめたとしても、次には、例えば「離婚」というワードに傷つけられる女性が出てきて、では、「再出発」と書類に表記しましょう。次は…とイタチごっこになるだろう。ターゲットとされる言葉が次々出現し、いつまでも苦しい現象のループだ。果たして、言霊=言葉自体のエネルギーの問題だろうか。

なぜ、差別する心が生まれるのか。その心情にかられる人々にはどんな信念や過去の背景や今の環境があるのか。大きな社会構造そのものに抑圧されて、悲鳴を上げていると考えられないだろうか。傷つけられる側はどうだろう。現象を捉える視点をもっと高くしなければ、同じような課題が延々と創り出されるだろう。だから、言霊論は素晴らしいけれど、論点がズレているような気がしていた。もっと違う場面で彼女から言霊論をお聞きすれば素直に聞けたろうと思った。

現に、言霊を大切にしているはずの彼女の言葉に、私は傷つけられていた。彼女からすれば、中立のエネルギーで悪意の欠片もなく放った言葉でも、私にはネガティブなエネルギーとして胸に刺さった。私の過剰反応にも原因があるようだった。そんな私に言霊の大切さを説かれても、正直反発しか感じなかった。


☆内面と向き合ってみる

そこで、私のこの不快感や、怒りの気持ちの原因が外側にあると捉えるのではなく、私の内面に何があるのか探ってみたい、魂視点で眺めてみたいと思った。外側に起きている出来事は、全て私の内面の現れであるからだ。

彼女は鏡役を担ってくれたのであり、私は鏡に映された自分の内面に不快感を顕にしたにすぎない。なぜ、人はこのようなややこしい体験をするのか。「私」とは何かを知りたいというのが、魂の究極の願いである。自身を知るには、「私」と「私ではない何か(誰か)」と「それらを俯瞰して眺める意識」の三つの存在を必要とする。元々、この三者は一つである。「私とは何か?」を知りたいという願いのために自らを分離したに過ぎない。

私も彼女も、世の中で「障害」という言葉を差別的に使う人も、全ては、「私」が創り出している。全ての外側の現れは、私の内面に存在している。差別する私も、不快な私も、この私なのだ。これは私ではない。私はそんなことしない!と拒絶している限り、相手は次々配役を変えて、また私の前に登場する。私が自らの内面を受け入れて、このドラマを手放すまで延々と同じテーマのドラマを映し出すことになる。

そんな訳で、腹を立てつつも、一連の出来事を冷静に眺めてみることにした。時々、腹の底から、相手を批判したいというネガティブな感情が何度も沸き上がってきた。自己憐憫も。その都度、その重苦しい感情を味わいつつ、感情そのものに飲み込まれないように、意識は「ただ、ありのままを眺める」位置に置くようにした。苦しさは、生じては消え、またしばらくしてから、再び生じては消えてを繰り返した。やがてそのエネルギーは弱々しく変化していき、気がつくと姿を消していた。

重苦しい感情を暴れまわるドラゴンに例えれば、刃を振り回して戦うのではなく、ドラゴンの頭を撫で撫でして、受け入れることでドラゴンを安心させた。と表現できるかもしれない。二極ドラマからの卒業。ああ、全ては自分だった。という気づきに至る過程のことだ。この気づきに至ると、体験のあらゆることに、ただ、ありがとうという言葉しか出てこなくなる。刺激的だからこそ、気づきも大きかったわけだ。


☆私のやらかした失敗

上述のプロセスに並行し、私は母を通してもう一つのドラマを対比させて体験していた。こちらは私の大失敗の告白である。人間をやっている限り、失敗をやらかすのだ。一回気づきに至ったから聖人になれるわけではない。あくまで泥くさい人間なのだ。何度も何度も、失敗を通して、「私」を知っていく。不完全な私という設定は、魂的には面白く、それが人間の醍醐味なのかもしれない。ちなみに蓮の花は泥の中から立ち上がり美しく開花する。泥には成長のための滋養がたっぷりある。という意味も付け加えておく。

私は母と一日に二回ほど短いLINEのやり取りをしている。朝と夜の挨拶を送りつつ、体調はどうか、困っていることはないか、さり気なく確認している。私も母も電話は好きではなかった。それぞれに夢中になって家事をしている時に電話は束縛になるので、LINEがほどよい距離感だった。

ちょうど、上述のボランティア会議で不快感を味わった翌日のこと。〜相手は鏡だった。私の内面を知るために必要な出来事だった〜と覚り、相手にも謝罪と感謝のメッセージを送った数時間後にそれは起きた。

母から、「◯◯さんは、何も話してくれない。お母さんは何でも話してくれると嬉しいのだけど。とても寂しい。」とLINEが届いた。

◯◯さんが、母に何でも話せないのは、理由があった。母は何でもと言いつつも、自分が受け入れられない話には感情を荒げるので、結局は話題を選ぶしかなかった。さらに、何がトリガーになるのか予想もつかなかった。◯◯さんは、母に振り回されてきた長年の経過があり、最近特に心に傷を負わせられていた。おそらくその一件があって、心が疲弊して距離を取るようになったのだろう。

それをストレートに母に伝えても母は過剰に傷つくだけなので、母が自然に自分の力で覚るのを見守ろうと思っていた。「お母さんにも責任があるのだろうと思うので…」と書いてあったので、お?これは…と、母の内面の変化の兆しを感じた。そこで、つい、余計なことをしてしまったのだ。何か気づきのヒントになる話を伝えてみたい衝動にかられ、少しだけ長めのメッセージを返した。

内容は、仏教的な教えを私なりに噛み砕いて、母に伝わるように、さらに単純化して書いたものだ。


私から母へ

「何も話してくれないのは、お母さんの責任ばかりとは限らないかもです。それぞれに事情があり、価値観もあり、性格も違います。

何でも話し合えるのがよいとは限らないです。

相手を思いやるが故、話すことを吟味するような優しい性格の人もいていいし、誰もが心の中に聖域を持っています。踏み込まれたくないこともきっとあります。

お母さんが相手を好きだと思って、大切に思えば、それでよいと思いました。何か見返りを期待するのは、条件付きの好きになります。

たまに何か話してくれた時に

嬉しい気持ちになったと、伝えてみてはどうでしょうか。

相手には相手の事情があり、それを全部把握しなくても、その人を大切にはできます。好きだと思うことも。別に片思いでもいいじゃないですか。

大切に思える人が人生に何人できるか。その存在だけで、特に何かしてもらわなくても、居てくれることに、ありがとうという気持ちになります。

私はそう考えてます。」


私は、母を責める気持ちもなく、ただ、寂しさの奥にある原因に向き合うことで、少し客観視できて、寂しさが和らげばと願って書いた。もちろんお釈迦様の教えを深く理解しているわけではないから、琴線に触れるような文章になっていなかったろう。今読み返しても、何だか事務的である。

母からすぐに返信がきて、失敗した!と反省した。

母から返信

「今まで    誰に対しても全てにおいて見返りを期待して行動して来たことはないです。お友達でもそういう方はいません。中には全てソロバンをはじく方もおりますが寂しい事です。ただお母さんは寂しいだけで余計な事言ってごめんなさいね。貴女方に甘え過ぎて。」


慌てて私からメッセージを返した。

見返りとは、何でも話してほしい。◯◯してほしい。〇〇と期待すること。の意味で書いたこと。そして、

「私は癌に二回かかりました。死が身近にありました。残りの人生をどう生きていきたいか、真剣に考えました

いつも、今、ここにあるものに感謝して、笑顔で、周りにも気持ちよく接して明るく生きたいと思い、悩みや苦しみを少しずつ、克服してきました。その中にお釈迦様の教えもありました

私が楽になった考え方をお母さんにも伝えたら、同じように楽になるんじゃないかな?と思ったのでお伝えしてきました。私には役に立たったこともお母さんには、そうでないこともあるでしょう。思うようなメッセージではなく、落胆したり、責められたような気持ちになることもあるのでしょう。

寂しい気持ちが、少しでも晴れますよう、穏やかにお過ごしください。お母さんの幸せと笑顔をいつも願っています。」と結んだ。

ああ、これで、また母は不貞腐れてしまい、しばらくそっとしておくことになるのだろうなあ。と、自分のやらかしたことを反省するしかなかった。

真意が伝わらない

という体験を、被害者側と加害者側(という表現も変だが…)から一気に体験できたシンクロに驚いた。母の心情はまさに前日の会議での私そのものである。中立であるはずの言葉に、自身の内面のエネルギーによりフィルターをかけて、勝手に解釈をして、どんどん傷ついてしまうのだ。

私が仏教的話を母に伝えたいという思いの裏には、認めたくないが、見下すようなエネルギーもあった。母は未熟で可愛そうな存在である。救ってやらなければ。変えてやらなければ。私が教えてやらなければ。そんな傲慢な想いで発した言葉だったから、例え素晴らしい教えだったとしても、母は敏感にエネルギーを感じ取った。私は母の姿を通して、私の内面の闇を見破ることが出来るのだ。

そう考えると、母は、私の魂の要請に応じて、すぐ感情を荒げるという配役を担ってくれているにすぎない。私が助けなければならない相手など、そもそも一人もいないのだ。私が反対に学びをいただいて魂の成長させることができている。教えてやらねば、という欲望は、結局はエゴを満たしたいだけであり、有り難いお釈迦様の教えを口にしたとて、発している私のエネルギーそのものが傲慢であれば、言霊のエネルギーは掻き消えてしまう。

どの瞬間も、私そのもののあり方が問われている。私の内面が、現実に忠実に現れる。私が気づきに至るまで。これでもか、これでもか、と。私が私に至るまで繰り返されている。このように私は生かされている。

すっかり反省をして、母に深い感謝の気持ちを抱き、そのままアルバイトに出かけた。

夜、携帯を確認してみたら、母からLINEが届いていた。いつもなら機嫌を損ねてしばらく互いに音信不通になるのに、珍しいなと思って、メッセージを確認した。

母からメッセージ

「心から      愛してます。大好きです。貴女方のお母さんにしてくれた事感謝しています。ありがとうございます。」

ビックリして、携帯を落としそうになった。14歳の時に出会ってから、様々な葛藤を通し、主に否定し合いながら40年関わってきた。母から、愛していると言われたのは、初めてのことだった。母の心境にどんな変化が起きたのか?それでも素直に嬉しかった。私の傲慢さを許してくれた母の優しさを感じた。私も、「お母さんのこと、大好きです。愛しています。」と返信した。ちょっと感動して、涙が出そうだった。


☆ぼくたちの失敗

私の内面が愛であふれていれば、私が体験する世界も愛を見せてくれる。今、次元が変化してきているので、現実化のスピードが以前より早まっている。想えば即、現実に現れる。今回は6時間後に現実化された。

相手を変えなければ。世の中の不都合を変えなければ。救わなければ。よき言葉を使わなければ。〇〇しなければ…

そのような想いを胸に、正義感を掻き立てて、実直に行動に移し、外側に働きかけてきたのが、今までの生き方であり、そうやって現実を変えてきたのも確かだろう。

2023年中に、私の中にまだ残されている、〇〇しなければ…というエネルギーを手放して、次なるステージへ移行するように誘われているようだ。

私が私であること。本来の光に戻ること。

すべての現れは私であり、そもそもは光であり、一つひとつに感謝して、すべてのひとつへ。愛のエネルギーに帰ること。

体験に、学びに、ありがとう。もう光に戻っても大丈夫だよ。

そんな眼差しで、日々を過ごしていきたいと思った。怒涛の数日間だった。

失敗は、究極の学びにつながる。そんな嬉しい気付きがあった。

『ぼくたちの失敗』森田童子さんの歌をふと思い出した。あれは、優しいメロディーだったなあ。











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