観音意識に戻っていく
12月まるまる一ヶ月かけての怒涛の学びについては、こちらのブログに記録してきた。たどたどしい歩みであり、たいそう恥ずかしいが、出来るだけ正直に書いてきた。
それらを統括するような、分かりやすい雑誌記事があったので、以下に紹介したい。
私の個人的な学びであったが、いろいろ共通するところがあり、2023年の冬至までに、同じような気づきに至っている方も多いように感じる。
結局は、思考では感知できない大きな宇宙(自分の本質)の流れに、誰もが順調に導かれているのだろう。
☆【観音意識から観る世界とは】
◯感情と思考の統合
現実とは、出来事、感情、思考の三つから成り立つ。
悟りを得るには、体験経験を通して感情と思考を自身の中に統合していく。
統合により、物事を見る視点は多角的、多面的になり本質を捉え、悟りはステージを上げていく。
視点が上がると、出来事に対する他者の持つ感情、考え方が手に取るようにわかる。なぜそのように思い行動したのかが理解できる。
自身が出来事に対して意味づけをする感情、考え方を手放し統合することで、起こった出来事と他者を受け入れることができる。
◯観音意識の開花
ある時に本質の愛が開花する。
観音意識とは、人々の苦しみ、悲しみに寄り添い、手を差し伸べる、目覚めて生きる人として成熟した意識。
もともと、ワンネスを共有していた私達の中に観音意識は必ず存在。
◯根本は無条件の愛。
無条件の愛とは、悟りを得るある段階で芽生える慈悲と慈愛、この世界の全てを愛子のように腕の中で慈しむ心。
観音意識は統合を起こし無条件の愛という高い波動に心を整え続けることで至る。
◯今までは自己犠牲だった
歴史に残る偉人でさえ自分の身を犠牲にして人に尽くすことが精一杯だった。
まだ、地球の波動が重く、人のために生きる、人に尽くすことが自己犠牲ありきだった。
何も犠牲にせず、自分も他者も関わるすべてが愛で調和する方法がまだ宇宙から降りていなかった。
◯今は奇跡の時代に
今は無条件の愛を目的に、真っ直ぐな統合を起こすことで観音意識に到達できる。
相互扶助という地上の天国を私達自身で創ることができる奇跡の時代に。
◯無条件の愛の世界とは
どのようなことも、それはしてはいけないとは言われない。そうしたいのであれば、どうぞ、と、させていただける。
宇宙も、地球も、全てが無条件の愛という地場の中にある。
◯地球に独特のアイテムとは
被害者意識〜私は被害を受ける存在
無価値感〜私には価値がない
この特殊な感情は、地球で生きるために必要なもの。
輪廻転生は、被害者意識と無価値感で彩られる。
あらゆる出来事に味わいを付けてくれた。
観音意識はこの2つのアイテムが人間にどのように作用しているか仕組みを完全に理解している。
理解しているから人々の想いが手に取るようにわかる。
そのために、まるで子どもを慈しむ母親のような心になる。
可愛い幼子が声高に、頑なに、我々は正義であり、真実だ。悪は相手だと叫ぶ姿は悲しいけれど、その精一杯な姿にさえ心から愛しい。
◯出来事の意味
出来事は一人で起こすことは出来ない。必ずそこに関わる人が存在する。
お互いに無条件の愛の地場で出来事から魂の成長のために学び合いをしている。
誰かを憎む激しい感情も
自分の命に代えても惜しくないほど他の存在を愛する感情も
どのような感情もダメなものはなく自由に感じて良い。
だが、人間は、自身こそ無条件の愛の存在と知らずに自分たちを破滅に追いやることもある。
◯無条件の愛の存在である証
父と母
脈々とつながる血縁の中
母の子宮に宿る肉体に、宇宙で輪廻をする魂が宿り生まれ出る
私達そのものが無条件の愛の存在でなくしてなんだというのか。
◯可愛い幼子も生き方を変える時
現実と呼ばれる世界の仕組みを理解
無条件の愛に守られていた真実を知る
恩恵に溢れた世界を生きる時が来た。
◯観音意識を開花させたい方の特徴
本質の愛を知りたい
愛を生きたいと願う方
肉体を持ち観音意識を開花させることはこれまでの人類の歴史ではありえなかったこと。
観音意識という言葉に心震える方は、未曾有の時代と言われる混沌の時代、泥の中から生まれ、泥に染まらず美しい睡蓮のような意識を開花させるために生まれてきたのでしょう。
◯世界を平和にするためには
まずはあなたが世界一幸せになる。
無条件の愛の世界を生きられますよう。
雑誌『岩戸開き 第10号』124〜126ページより要約
文∶衣那「観音意識から観る世界」
☆私の体験との共通点について
12月16日ブログ投稿
「はなされし かごの小鳥」より
私の文章を再掲してみる。
「昇殿参拝後、境内のおみくじを引いた。「世の為人の為に尽くしなさい」のところを読んで、私は感極まって、ボロボロ涙を流した。(中略)私は、「神様は優しい…」と言って、境内でわんわん泣いた。(中略) ただ、そばに居て見守ってくれる存在というのは、3次元的解釈では、「何もしてくれない」存在であり、無意味なように感じるかもしれないが、実は最も大切な働きとなっている。本人の中で起こっている変容プロセスを信頼して、大切に見守るエネルギーは、どれだけ渦中の人を支えることだろう。愛は、目に見える形の表現はたった5%。ほとんどは目に見えないエネルギーで、私達を包みこんでくれている。この分離という錯覚の中で、私達は一瞬たりと本当の意味で孤独になったことなど無い。呼吸一つが既に愛の証しである。 (中略)神様メッセージは多面体で伝わってくる。だから、この一つの言葉にも、いくつもの高次元メッセージが込められている。そのうちの一つが、地球的に表現すれば、親心であり、どっしりとした信頼「あなたは大丈夫。」という穏やかで、揺るぎない眼差しという感覚である。 「世の為人の為に尽くす」とは、よい人(誰かにとって都合のよい人)になれという、目に見える領域だけで語られる意味では、決して無い。 」
↓
この日、富士山本宮浅間大社の境内で、どっしりと揺るぎない優しさのエネルギーに感応し、私は滝のように涙を流していた。その時に何を感じていたのかを、まことに拙い文章で残していたのだが、あの感覚はまだ細胞に与えられた記憶にしっかりと残されている。今、再読しても、ちゃんと言葉に変換できていないのが明らかで、歯がゆい気持ちになる。
あの細胞が受け取ったエネルギーを言葉に翻訳すれば、上述の【観音意識】に通じる箇所がいくつも発見される。
宇宙情報は、感応する人(個性)により、翻訳は様々であろう。衣那さんも、「時代が変わった」と書いてくれているが、それを小山内洋子さんは「皇の時代(昼の時代)」で詳細に説明されている。
私は、神社で「世の為、人の為」のメッセージに魂を揺さぶられ、これが2024年の指針となるのだろうと感じてはいたのだが、その目的に付随する自己犠牲をどう解決していけばよいのが、その時点ではよく理解出来ていなかった。まだ、古い時代のエネルギーで動いていたため、仲間と始めたボランティア活動も、いつの間にか勝手に自己犠牲に走り、自らのエネルギーを重くしていった。まさに、被害者意識を拡大させ、無価値感に苛まれていた。原因は長年染みつけてしまった思考の癖にあった。
重いエネルギーに疲れ果て、所謂、燃え尽き症候群のようになった。12月後半はアルバイトも断り、この二週間は暇さえあれば寝て過ごしていた。父の入院による自宅待機が、結果的に自宅で休養する大義名分となってくれた。父の無意識に助けられていたとも言える。
今朝、目覚めた時に、頭の中が妙にスッキリと軽くなっていることに気がついた。そして、あらためて観音意識についての記事を読み直し、「あ!そういうことか!」と、納得したのだった。
もう、自己犠牲は不要なのだ。時代そのものが変化した。人々は、幼子意識から、観音意識に目覚め始めている。これは宇宙の流れに沿っている。
最後の最後に、喉の奥に引っ掛かっていた小魚の骨のような何かが、スウッと消えていった。
自己犠牲という執着を手放せた瞬間だった。
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