リラックス星人歌う
3か月ほどかけて、渦中を抜けて、ひとつの到達点にたどり着いた。
様々な気づきがあり、自分自身がとても軽くなった実感がある。
その経過は前回投稿させていただいた。
ステージが切り替わったタイミングで、ご褒美のような一日が待っていた。
不思議な流れを感じるので、ここに記録しておきたい。
その友人は、まだ知り合って1年もたたないのだが、深いご縁を感じる不思議な人物だ。知り合って間もない頃、印象的な時間を過ごした際に、夜空に金星が美しく輝いていたこと。その金星に向かって「私はあの星に向かって歌っているの!」と私の奥深い領域から言葉が発せられたこと。彼女と話をしていると、なぜだか涙が出てきてしまうこと。前世の中にはお互いに修道女の人生があるらしいこと。などなどのエピソードから、彼女は、数ある転生のどこかで、金星の女神だったんじゃないか?と勝手にイメージしている。金星の女神といえばヴィーナスなので、ここではⅤちゃんと呼ぶこととする。Ⅴちゃんは、声楽を習っていて、その歌声はとても美しい。
昨日は、音楽スタジオの一室を借りて、Ⅴちゃんに90分の歌のレッスンをしていただいた。私は、シューベルトの『アヴェ・マリア』が大好きなので、イタリア語歌詞のその歌を教えてもらっている。今回は2回目である。
Ⅴちゃんの教えは、彼女の師匠(プロの声楽家)のメソッドを基本としている。その歌い方には特徴がある。
リラックスすること。最高に嬉しくて楽しい気持ちになって声を出すこと。自分ではなく、自分の中にいるリラックス星人に歌わせること。
このリラックス星人に歌わせるというイメージが、なかなか衝撃的だった。こんな教えに触れたことがないので、なんだか体も心もふわっと和んでしまう。
そして、声に喜びを乗せるというところも面白かった。私たちはつい、「音程をはずさないように。正確に。上手く歌わなきゃ!」と思ってしまいがちである。目標を定め、いつまでにこれだけ上達しようと、キリキリしてしまう。彼女の師匠に言わせれば、リラックスして楽しむことが何より大切なので、「大丈夫!時間はいくらでもある。」と反対におっしゃるのだそう。なんて素敵な師匠!
そのメソッドを聞いていて、ふと、とあるお話とリンクしたのだった。
それは、ユーチューブの動画で知ることとなった、ペンキ画家のショーゲンさんのお話である。彼はアフリカに絵の修行に行き、滞在した村の村長から、縄文人の生き方を学ぶのである。これはこれで、とっても面白い話なので、ぜひ、ユーチューブで検索してご覧いただけたらと思う。
竪穴式住居に住み、蟻の目線の高さで生活をしていた日本人は、1万年以上、だれも傷つけず殺さず、平和な時代を続けていた稀有な民族である。アフリカの村長の祖先はシャーマンで、縄文時代の日本人の意識とつながり、みんなで仲良く幸せに生きる秘訣を教えてもらっていた。そして、縄文人の生き方を村づくりに役立ててきた。そのお話のタイムカプセルを渡されたのが、日本人のショーゲンさんであった。ショーゲンさんのお話は、全て、村長さんから聞いてきたことである。
話を聞いてると、なぜだか涙が出てきてしまう。懐かしい思いとなる。おそらく、日本人のDNAに平和に生きていた祖先の記憶が刻まれているからだろう。お話に込められた波動を感じ取るだけで、DNAの記憶が揺さぶられるのだろうと思う。(私の友人たちは、ほとんど、泣いたと言っている。)
語れば長くなってしまうので、ここでは、歌のメソッドとの共通点だけをあげておく。
縄文人は、自分が自分の一番のフアンであることを何より大切にしていた。いつも自分の中の喜びにフォーカスしていた。自分を愛で満たしてはじめて、周りに愛を分け与えることができると知っていた。例えば、足を一歩踏み出すその動き、指の動き、手に触れた感触、一つひとつ丁寧に感じて、小さな喜びの数々を味わって生きていたそうだ。日常にちりばめられた当たり前に幸せを感じとるのがとても上手な人々だったのだ。
歌う声に喜びを乗せるという教えは、巡り巡って、みんなが幸せに生きるヒントに通じるように感じた。歌は、自分の体を楽器にして、音を出す行為である。「あ~」という声帯を震わせる音が自身から発せられるとき、無上の喜びが湧き上がる。(とても気持ちの良いお花畑にいるイメージをしてもよい)自身の体を通して発せられる音、そのものを、その行為を純粋に喜ぶ。音を喜ぶとき、私の意識は今にある。もし過去や未来を考えていたり、「上手く歌わなきゃ」と比較判断しているなら、意識は思考(自我)にあり、私は今ここにいないことになる。今にあるとき、意識は愛へ向かう。今に無いとき、意識は分離へ向かう。もう既にここから、未来に創造される世界が分かれていく。
ごはんが食べられる幸せ、「おはよう」と誰かに言える幸せ。「おかえり」と誰かに言ってもらえる幸せ。おひさまの光を浴びる幸せ。一杯の水を得られる幸せ・・・幸せはフォーカスすればいくらでも出てくる。その瞬間瞬間の幸せを喜んでいると、今という幸せが連続するので、ず~っと幸せなのである。幸せに満たされた人は、こぼれる愛を他の人に分け与えることになる。幸せ波動が生み出され続けるので、やがて世界中が平和であたたかい集合意識に染まっていく。
このお話も、思考で聴いてしまうと、「でも〇〇もあるし、✖✖も、そんな単純な話ではないよ~。」と意識は過去や未来、今ここではない情報に、不安や不満へと誘われていく。もちろん私もそうである。
歌ったり踊ったり、絵を描いたり、何かに集中して楽しんでいると、どうやら人の意識は今にいられるようである。もちろん、思考と行ったり来たりするのだろうが、気が付くと、「あ!こんなに時間がたっている!夢中になってた~。」と後で気づいたりする。時間を忘れていた間、無我になっている。無我は、思考が働いていないので、本質の自分(魂・宇宙)とつながっている境地である。
本質の自分をのびのびさせて、楽しませることを、歌の師匠は「リラックス星人に歌わせる」と表現されたのではないかと思う。「あなた(思考・分離)が歌うんじゃないよ。リラックス星人(魂・宇宙)が歌うんだよ。」と。こう考えていくと、歌のメソッドそのものが、幸せに生きるための人生指南であり、さかのぼれば、縄文まで行きついてしまうのだ。ああ、歌うことって、なんて意味深い行為なんだろう・・・・。歌うだけで、世界に幸せの循環を生み出せるのだ。
幸せになるためには、世界を平和にするためには、どうしたらいいのか?と眉間にしわを寄せて、うんうん思考を働かせても、本当の幸せは見つからない。幸せのヒントは、とっても身近で、単純で、分かりやすかった。誰でも今から実行できる簡単さである。あまりにシンプルなので、かえって見えなくなっているのが現代人である。考えすぎなのだ。宇宙真理は子どもでも理解できるシンプルな言葉で表現できるという特徴がある。
「自分が最高に楽しむこと」を、私たちが小さい頃、自然にやっていた。誰にも教わらずとも。蟻の行列をひたすら眺めていたり、空の雲の動きに目をみはっていたり、他人からは、ぼ~っとしているように見えても、誰かに「そんなこと無駄だからやめたほうがいいよ」と注意されるような行為の中に、実は喜びがあった。
寄り道、回り道、遠回りは、最短経路では得られない豊かさに彩られる。人生のハプニングなどは、魂からすれば、垂涎ものだ。私たちはそこで、様々な体験を通し、あらゆる感情を味わっている。感情を色彩に例えれば、どれだけ魂のパレットに色を増やせるのかが、この地球で得られる醍醐味である。効率的に生きてしまうと、色彩グラデーションは乏しくなってしまう。(せっかくそれを体験しに地球に来ているのに。。。byあなたの魂さん)
話がだんだん広がってきてしまったので、話を戻そう。
そう、Ⅴちゃんとの歌の練習である。
まずは、発声から。のどが締め付けられ、なんだか緊張している。頭の中は、「はて?前回はああだったのになあ。今回はこうだなあ。」と目まぐるしく比較判断をしている。ピアノを弾いてくれているⅤちゃんから、「今、何か考えている?声を出すのはあなたじゃないよ。中にいるリラックス星人だよ。」とアドバイスされる。遠くに目線をやり、香しい花の匂いを吸い込んでいる気持ちになって、ああ~気持ちいいな~と。喜びがお腹の底から登ってくるタイミングで声を発するのだと。
とある瞬間に、のびのびとした声が出てくる。「そう、それ!出ているよ。大丈夫。自分を信じて。考えないで。」Ⅴちゃんからのあたたかい応援を受けながら、見え隠れするリラックス星人を何とか表舞台に出そうと奮闘。どうしても、心配性で面倒見の良い思考(自我)が、しゃしゃり出てくる。「まあ、ここは慣れている私に任せなさい。」と。リラックス星人は、表に出ることに慣れていないので、「え?いいの??」と、出たり引っ込んだりを繰り返している。
とっさに、頭をなでてみることとした。自分の頭をなでながら「大丈夫だよ。出ておいで。思考さんもありがとうね~。今日はリラックス星人に歌わせてあげようね。」と自分に声をかける。体を揺らして、少しでもゆるませる。スタジオ内を歩きながら声を出してみる。すると、「あ!それ!いいね!」とⅤさんから声がかかる。どうやら歩いていると、動きに気を取られるのか、思考が休まるようだ。それに乗じて、わくわくした気持ちがお腹のあたりからせりあがり、エネルギーの乗った声が発せられる。なんとなく感覚がつかめてくる。
自分をのびのびさせることがこんなに難しいなんて。どれだけ、普段から思考でがちがちに縛っているか痛感させられる。そもそも、自分にこんなにかまったことはあるだろうか。自分で自分に声をかけ、感覚に耳を澄ませることの大切さを教わったような気がした。エゴが感じる喜びと、内側の自分(魂)が感じる喜びの違いのようなものが体感できたように思う。声の響きそのものが全く違うのだから。どっちの領域から声を発しているか、明らかだ。
こうして、心が緩んだからだろう。発声もかねて、「翼をください」を歌ったところ、魂が激しく反応し、涙がぼろぼろこぼれた。「この大空に翼を広げ飛んでいきたいよ。悲しみの無い自由な空へ翼はためかせ行きたい。」ああ、これは魂の声を代弁した歌詞だなあ。なんていい歌なんだろう。本来自由なはずの魂は肉体に縛り付けられているわけだから。そりゃあ、飛んで行きたいよなあ。そんなことを思った。Ⅴさんは、「それでも、歌うときは自由だよ。」とおっしゃった。その一言に、また感動して滂沱の涙が流れた。ああ、感性の扉が開いてしまうと、やばい。小さな刺激にすぐ反応して、ただただ感動。涙が止まらない。箸が転がっても感動して泣いてしまいそうだ。
さすがⅤちゃん。冷静に、次なる『アヴェ・マリア』へ練習を進めていく。イタリア語の発音とリズムを教えてくださり、そのあとは、少しずつ繰り返し、メロディーに合わせる。暗譜をしないと思考が働いてしまって、リラックス星人が出てこれないので、数小節ずつ、目線を楽譜から遠ざけて、覚えたてのイタリア語で歌っていく。思考は「そんな難しいことできないよ~。」と騒ぎ立てるのだが、やってみたら大丈夫だった。思考は本当に心配性で不安が大好きだ。リラックス星人は、ただただ、音の響きに身をまかせ、楽しんでいる。イタリア語だろうがそんなんどうでもええわ~。という感じ。音の振動と一体となると、うっとりとしてくる。ああ、気持ちがよい。
あっという間に90分の練習が終了。
帰り道、私のハートのあたりが、ぽかぽかとあたたかく、なんだか、すれ違う人々すべてが愛おしく、とても幸せな気持ちにあふれていることに気が付いた。リラックス星人は愛の波動そのものなんだろう。だから、歌うことで、私はそのエネルギーに充たされるのだろうと思った。
このように、Ⅴちゃんの歌のレッスンは、だいぶ変わっている。楽譜通りに上手に歌わせることが目的ではない。リラックス星人に歌わせることが目的。つまり、歌うことの純粋な喜びに誘ってくれることで、結果的に、本当の私って?本当の幸せって?本当の生き方って何?というところまで、引き上げられていく。Ⅴちゃんに聞けば、おそらく「そんなこと全然意識してないよ。」と笑って答えるであろう。「ただ、一緒に歌って楽しんでいるだけだよ。」と。
たまたまであるが、縄文人の生き方と、Ⅴちゃんから教えてもらった歌の教えに、相通じるものを感じた次第である。不思議だ。
ふと思うこと。
宇宙にある愛のエネルギーは丸い光である。
丸は、どこからアクセスしても、全体性にいきつく。
角が無いから、どの情報もまるっと融合してしまう。
球体のどの面からでも、源に通じる。
批判。比較。排除が必要ない世界。
全ての存在が、ありのままで輝いて、全体を彩る光の世界。調和そのもののハーモニー。
その領域から届くメッセージは、どんなメッセージでも、行きつく先は同じなので、違う言葉で表現されていたとしても、つながっていくのである。これがワンネスの意識なのかもしれない。もともとはひとつであり、すべては根底でつながっているという意識。
すべての存在が共に幸せに生きることができる世界へ。確かに進んでいるんだなあと、喜びを嚙み締めた一日だった。
金星の女神Ⅴちゃん。大切なことを思い出させてくれて本当にありがとうございました。いつか、森の中や、清流のほとりで、二人でのびのび歌おうね。その日をわくわく想像しながら、今日という日を喜びで満たしていこうと思います。
皆様、リラックスして、楽しい一日を!
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