配役を楽しむ
この数日、目まぐるしかった。
催眠療法のセッションをさせてもらったり、知人の講演会スタッフとして、話し合いに参加したりする過程で、やっぱりそうだよな~と、確信に近い思いを抱いた。
気づきを得たことを記録しておこう。友には心から感謝している。いつも、魂レベルの学びをありがとう!
「私」について、自身が把握しているあらゆること。
性格、生い立ち、職業、好み、主義主張、信念…
あなたは、どんな人?と誠実に、誰かに質問されたとして、自分について真摯に説明したとする。こんな傾向があり、今はこんな困難を抱えています。と自己開示して、相手に語り尽くしたと想定してみる。
「語り尽くしたとしても、すべて設定でしかない。」
これが気づきだ。
「私」は、幻想ドラマ(いわゆる現実)の配役。不満だらけだとしても、自身がやりたいキャラクターを演じている。ということ。
その不満不足だらけの人生だとしても、自分で選んで、今まさに舞台上(物質次元・地球)で演じている。
…ちなみに、五感は幻発生装置だ。無いを有ると勘違いさせ、肉体や感情の反応に働きかけることで、ドラマを創り出す。想像すら、脳に働きかけ、肉体が反応するという簡単な実験がある。単に、梅干しやレモンをかじるイメージをするだけ。ほら、唾が出たり、口をすぼめたりしたでしょ?脳は現実もイメージも違いが分からない。(その特性を活かしたのが催眠療法だ。)…
ええっ?そんなはず無いよ。好んで困難な配役をやるわけないでしょ。本当に選べるなら、美人で、賢くて、裕福で、皆から愛されて、才能豊かで、南の島でバカンス三昧な楽ちん人生を選ぶよ!と、反論したくなったかもしれないが、今一度、胸に手を当てて、自身に問うてほしい。その理想、頭で考えている?ハートの奥は、何て感じてる?
ハートは、今がベストだと、満足気に合図を送ってくるだろう。トクントクンという、あたたかな鼓動と共に。
そもそも、私という意識存在の正体は、望めば何でも当たり前に叶ってしまう完璧な創造主だ。何でも叶ってしまうことが続くとどうなるか?容易に想像つくだろう。
そう。飽きてしまうのだ。
つまらないから、なんか面白いことないかな~?と、あなたは思う。
そして、何でも出来てしまう自分を忘れることにした。不自由で不完全な、本質とは真反対の設定をして、楽しむことにした。創造主なんだもの。そんな設定だって出来てしまう。自分で創っているのだから。
この話を聴いて、いやいや、そんなはず無い。私が創造主?こんな無力で問題だらけなのに?あり得ない!と、眉間に皺を寄せたあなた。そう。それが楽しんでいる創造主の目論見通りなのだ。本当のあなたを忘れなければ、配役を心底味わえない。今まさに、配役に没頭し、メチャクチャ楽しんでいる。あなたは既に成功している。この次元の成立目的を果たしている。パーフェクトでベストで最高なのだ。イイネ100連打するくらいのお楽しみ段階なのだ。
先日の催眠療法で、友は高次元存在に質問した。催眠下では、あらゆる次元にアクセスすることが叶う。友は悩ましい自分の性格について、原因を知りたいと願っていた。
高次元存在の回答は、次のようなものだった。
「それは、設定にすぎない。
性格の原因となれば、いくつもある。掘れば掘るほど出てくる。原因を探ることはあまり意味が無い。設定なのだから。
それよりも、ならば、どうする?という方向へ意識を向かわせるといい。その方向へ向かい行動することを大切にしたらよい。
今、原因を知ったところで、知ったらつまらなくなる。いずれ分かることだ。知らない方が人生を楽しめる。」
なるほどな〜。
セラピスト役として、高次元からの回答をクライアントが言葉にしてくれるのをメモしつつ、人としても学ばせてもらった。
私が誰かの役に立つとか、助けるとか、導くとか、そんな関係は幻にすぎないと、さらに確信に至った。
そもそも、助ける側も助けられる側も無い。
どんな関係も、切磋琢磨して学び合う魂仲間だ。
私はこの日、友の悩みを解決したいと願い、催眠療法の施術をしたが、私が友を助けるわけではない。友が、その配役をこなしてくれたから、私は必要な気づきに至った。実は私が導かれ、学ばされている。目に見える関係性は実は現実と逆転している。
どんな困難な関係性にも、目に見える姿は、配役でしかない。
あなたが、その体験から得る気づきが必要で、創造したドラマだ。
講演会準備で少し不安げになっていた知人と話すうちに、緊張をほぐしたい気持ちもあり、私はこんなことを無意識に話していた。
講演会で、生きることに悩む参加者たちに、必要なメッセージを届ける役割を担われるのだけど、
そもそも、助ける側も助けられる側も無い。
自分が、何を体験したいか。その配役をこなしているにすぎない。
意識大変革という宇宙規模の祭の時期に地球にやってきた私たちは、この変動を肌でしっかり感じたいんだ。傍観者ではなく、当事者になりたかった。だからこそ、制限だらけの地球へやってきた。
どうせ配役をやるなら、楽しみたい。意識変革の導き手はカッコいいし、何ならセリフも多い方がいいし、スポットライトも浴びてみたい。通行人よりは主役の方がやり甲斐ある。
せっかくのお祭りだ。思い切り楽しんでから帰りたい。
どうする?何する?何して楽しむ?
魂たち(宇宙根源につながる個性意識たち)は、まさに今、目を輝かせ、お祭り会場(地球)を駆け回っている。不自由さは実はとてつもない自由の証だった。
だって
その方が楽しいんだもん!
ということだ。
☆ムカつく原因は外側で起きている?
今朝、ムカッとくることがあったので、原因である夫の発言にワーワー感情をぶつけた。
感情を荒げつつ、その不快感を眺めている自分の意識にも同時に気づいていた。
客観視できるということは、その感情そのものが私ではないという気づきにもなり、だんだん冷静になる。
ほほぉ〜。ここで私は腹を立てるという感情を出すのだな。私の内側にはどんな原因が潜んでいるんだろうか?
私たちは、勘違いをして生きている。
外側の出来事が原因で怒ったり悲しくなったりしていると。
外側で起きていることは、すべてが内側の投影だ。
鏡に自分の内面世界を映し出しているにすぎない。
鏡像を変えたいなら、内面を変えるしかない。
私が仏頂面をしているのに、鏡に映し出された姿は笑うだろうか?私が笑うから鏡像も笑うのだ。鏡像から変えようと頑張るから無理がある。
もし、もう感じたくない感情が湧き出してきたのなら、外側の人物や出来事を何とか変えようと努力するのではなく、内側に意識を向かわせる。
ムカッとした原因は、私の内側のどんな信念なんだろう?と、探ってみる。
私にはこんな思い込みがあるから、いつも同じようなパターンで腹を立てているなあと、気がつけば、次からは自分が楽になるような捉え方にチャレンジしてみる。どんな出来事も中立であり、いかようにも捉え方を変えられる。
もちろん、腹を立てたっていい。それも、大切な体験だ。そこから展開される外側世界を味わうことを選択することも有りだ。私たちは、あらゆる体験をしたくて、今この瞬間、「私」にフォーカスしている。
ただし、外側で起きていることや、味わっている感情は、自分が選択して創造したのだと、分かった上で体験すると、より面白くなるかもしれない。人間として不快な感情をトコトン、人生をかけて探究したい魂だって、有りじゃないか。それも貴重な体験だ。それも面白い。やりたいことをやってみたらいい。
私の場合は、今朝、ムカッときたけど、内面と向き合って、私の中にまだ潜んでいる傾向に気づき、それを毛嫌いするのではなく、こういうところ私にはあるよね。あってもいいよね。と自分を優しく受け入れてみた。
鏡像も、優しく変化した。
すごいな~。
本当に鏡なんだなあ。
これは面白い。
心乱される出来事が起きた時こそ、チャンスだ。普段は意識しない内面世界を知る機会になるからだ。それは、もう不要な信念を手放しなさいという、魂からのメッセージでもある。
不要な信念を手放せば、今まで眼の前に展開していた現実の質が変わっていく。ステージが変わるので、次なる体験もレベルアップしていく。
という風に、この宇宙の仕組みはうまく出来ている。
このような仕組みをリーラ(神の遊び)とも言う。
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