空に虹〜一水四見

 今朝のこと。

9月7日早朝の空を眺め

あまりの美しさに、心がシンと澄み渡る感覚となる。

気づくと、車や電車の走行音や街の喧騒が、パッタリ止んでいる。

秋の虫たちがリリリ…と静かに鳴いている、その音だけに包まれる。

何と美しい処に、私は生きているのだろう。

長年、ここではない何処かを求めてばかりいたけれど、探していた場所は、今、私が立っている、まさに此処にあった。今、生きているまさに此処に。

静かさ、穏やかさ、美しさに意識を向けるだけで良かった。私はいったい何を見て、聴いて、感じてきたのだろう?同じもののはずなのに、捉え方がまったく違っている。

ふと、昨日のことを思い出した。偶然耳に入ってきた仏教の教えのこと。

タロットカードリーディングのYou Tube動画を視聴していたのだが、「甘露」というカードが出てきて、リーディングされている方が、「川の水を火と見るか、ただの水と見るか、甘露と捉えるか…」と、サラッと仏教の教えに触れてくださった。

一水四見の教え。

その話が、ジワジワと実感を伴って、心を震わせてきた。

水を空に置き換えることもできる。

私が朝、撮影した空の画像を紹介したい。

私は、あまりの美しさに息を呑んだのだが、見る人によっては、いつもの空だよ。と笑うだろう。または、台風が近づいているから、曇空で気持ちが重くなるよ。と暗い気持ちになる人もいるのかもしれない。

見上げる空は、同じではない。何を感じて、そこから何に気づいて、どう生きていくのかは、人それぞれだ。

人の数だけ宇宙があるとも表現できる。

水も空も、感じ取るすべては、

あなたは、どう生きていきたい?と問うてくる。

自身の内奥が、投影されている世界だと気がつけば、きっと世界は輝き始める。

私たちの本質は、静かさと美しさの中にあるのだから。

今朝の空は、そんなことに気づかせてくれた。

いつも、溢れんばかりの恵みとメッセージをありがとうございます。



と、ここまで書いてから

何の気無しに窓の外を眺めたところ、

虹!



うわぁ!

何だ、あれ!?



日暈(ハロ)が、輪の一部だけ姿を現した?アークか?

神々しい…


ちなみに

この日の夕方も、空に虹が出た。

流石に目を疑った。

吉兆のオンパレード。

エンジェルナンバー101010も目にした。


夕方の空は、まことに美しく、私の友人たちも、それぞれの地で撮影していた様子。同じ時間帯に、同じように空を眺めていたんだなあと思うと、なんだか嬉しい。

空も、みんなの心も繋がっている。


☆一水四見について

仏教用語に「一水四見」との言葉があります。「一つの水を、四つに見る」と書きまして、簡単に言いますと、同じものを見ていても、人それぞれ境界の違いによって、見える姿はマチマチである、ということです。これについて御書には 「此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏な り。然れども我等は肉眼なれば文字と見る なり。例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は 水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれ ども果報に随って別々なり。」(平成新編御書 794) とあります。すなわち、法華経の文字は、一つひとつが皆、仏様である。しかし我々凡夫の肉眼には単に文字としてしか映らない。たとえば餓鬼道に堕ちた者は、ガンジス川の水を、我が身を焼き尽くす苦しみの炎と見るし、人間は普通の水と見る。天人は、ガンジス河の水を、尊い生命を養う甘露と見る。同じ水であっても、見る人の果報によって、それぞれ違う、ということです。

※妙通寺ホームページ 法話より抜粋


☆虹の輪の正体

太陽の周りに現れる、虹のような光の輪のことをハロ・日暈(ひがさ)ともいいます。 ハロは、雲の中にある氷の粒に太陽の光が屈折してできる現象。うす~い雲が太陽にかかった時に見えます。 ハロが見られるときは、実は天気下り坂のサインといわれており、低気圧や前線が接近して天気が崩れる前触れといわれているのです。低気圧や前線が接近してくると、空高い所から空気が湿ってきて薄い雲ができますが、そこでハロ(日暈)が発生するのです。 また、他にも様々な虹色現象があります。 

【アーク】 高層の雲(氷の粒で構成)の氷の結晶がプリズムの役割をして、太陽の光が屈折して色が分かれて、虹色の輝きが現われるのです。 太陽を中心とし、できる位置で名前が変わります。 

【幻日と幻日環】 太陽の横で、薄雲の中に現われる虹色に輝く現象。これを幻日(ゲンジツ)といいます。また、太陽の両端に出来た幻日を通る輪のことを幻日環といいます。

※ウェザーニュースホームページより抜粋

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