空のエネルギー高まる リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 08, 2023 ※写真2枚目は、気づいたら、スマホが勝手に異次元ぽく加工?してくれたもの。私だけでなく、宇宙友四人とも感じたこと。確かに、8月8日前後シリウスにつながるエネルギーが降り注ぐからなのか空のエネルギーが明らかに高まっている。N県に出かけた友人は、宇宙船にまで遭遇。私のアルバイト先には天使がいっぱい遊びに来た(笑)8月9日ザーっと降ってばぁっと晴れた空の変遷闇も学びにきたことのひとつ学びだと思えば達観できる リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
透明になっていく 8月 03, 2021 毎日暑い。 皆さん、体調は如何だろうか。 私は、熱中症には気をつけているつもりだが、昨日朝、職場である図書館へ歩いて向かう際に、(徒歩2分の近さ!)太陽光線の強力さに、微かな吐き気を感じ、ヤバイと思った。水をガブ飲みし、直ぐ様排出されてしまう。水は常温でチビチビ飲むのが鉄則。分かっちゃいるが、冷たいミネラルウォーターを一気飲みする爽快感から抜けられない。いつまでも若者気分では身体はついていかない。自分のことは棚に上げて、何だが、暑さ本番、気をつけてください。 今朝は、野菜たっぷり、鶏肉トマト味スープをコトコト煮込んだ。冷蔵庫にある野菜類を適当に切り分け、チキンコンソメとトマトの缶詰で味付けしたシンプルなスープ。 弱火でコトコト煮ながら、際限なく出現するアクをひたすらすくっていく。すくってもすくっても、アクは漂う。 若い時は、料理が嫌いだった。アクをすくった試しはなかった。煮込み料理は、アクまみれのまま食卓に。理由は、面倒だから。別に、アクを食べたって、病気になるわけじゃないし。面倒くさがりながら、やっとの思いで作ったカレーやスープを何も言わずにモリモリ食べてくれていた夫には、感謝しかない。味は、濁っていたんだろうなあ。雑味まみれの料理は、私の精神そのものだったろう。 定職を離れ、二年近く静養し、最近始めたアルバイト。昔の自分の未熟さを思い知らされ赤面することが多い。図書館の指導役の方を見るにつけ、目に見えるほんの一部の狭い狭い世界だけを見てそれが全てだと疑わなかった自分と今、現実を通して対面している。当事、私がいかに周りに許されていたのか、痛感しすぎて胸が痛い。あれもこれも、昔の私、そのものだ。片寄った正義感で断じていく危うさ。これが因果応報なのだろうか。私が発したエネルギーは、やがて確実に自分に還ってくる。自分が過去してきたことなので、都度、反省とともに体験する。その度に、当時の相手に向かい、心の中で謝罪する。「あなたを受け入れなくて、許せなくて、信じなくて、ごめんなさい。」と。謝る相手は山ほどいる。いつ尽きるかわからない。 そんなことを思いながら、今朝のスープ作り。アクを根気よくすくう。少しでも透き通った味になりますように。濁りを発見し、一匙一匙、取り出していくのみ。アクも、人生には大切な醍醐味だ。雑味があったからこそ、人生は彩り豊かになった。苦味、苦... 続きを読む
和解〜そして次なる冒険へ 10月 05, 2024 私は、とある人物へ向けて、報告のつもりでこのブログを書いている。 殆どの方々にとっては、一個人の取るに足らない日常の記録である。 しかし、一個人ではあるが、魂の成長のささやかな記録でもあり、宇宙全体を織りなす一筋の糸であることも確かだ。 もし同じように人生の駒を進めている方がいるのなら、答え合わせの意味もあるのかもしれないので、そっとここに書き綴っておこう。 ご縁は人知を超えて紡がれているものだから。 ☆母と義父の和解 10月5日 母と姉が我が家に、四十九日前のお参りに来てくれた。 夫の父親が9月20日に群馬県の病院で息を引き取った。その日のうちに御遺体を東京へ搬送し、三日後には滞りなく荼毘に付すことが出来た。義父の表情は清らかで、満足そうに微笑んでいた。意識不明のままの四カ月、点滴だけで命をつないでいたのだが、やせ細ることもなく、まるで幼子が安眠しているかのようなスッキリしたお顔で、静かに逝ったのだった。 夫の両親と私の両親の確執は、30年ほど前に遡る。このブログの題材に取り上げたこともあるので詳細は省くが、要するに、私の両親は夫との結婚に大反対で、私はいわゆる勘当された娘であった。結婚前に、夫の両親が遠路はるばる私の実家へ挨拶に訪ねてくれたのだが、玄関先でけんもほろろに追い払われたのであった。義母はその時、たいそう傷ついた。その後、義母は癌を発病しこの世を去った。義父は大きな喪失感を抱えながらもその後30年、頑張って寿命を全うした。 玄関先で追い払われて以来、私の実家と夫の両親の交流は行われなかった。20年ほど前から、夫は私の両親に受け入れられ、何とか関係を修復してはいたのだが、義父と私の両親は顔を合わせることは無かった。 私の父は今年の1月に亡くなった。父が生前書きつけていた備忘録のようなレポート用紙に、「〇〇くんのお父さん」と、メモが残されていた。死ぬまでに、何とか縁をつなぎたいという思いを残したのだろう。父なりに、悩んでくれていたのだろうと思う。両親が義父に会いたいと申し出てくれたのを頑なに拒絶していたのは、私の方であった。もうこれ以上、夫の家族を傷つけたくないという思いもあったが、どちらかというと、自分の心の闇に向き合うのが怖かったのだろうと思う。この闇については、2021年秋以降、催眠療法を学ぶ過程で、少しずつ癒しを進めてきた。私は、心の奥底... 続きを読む
強固な観念の手放し 6月 12, 2022 私には珍しいのだが、大きな勘違いをして、あわや、大失敗という体験をした。 自分でも理解できないが、強固な観念(または思い込み)による、現実創造の示唆であった。 遡ること一か月ほど前。知人から、中部ジャワ地方に伝わるガムラン演奏会があると知らされた。 彼女は、演者として長年携わっており、定期演奏会があるからとちらしを見せてくれたのだ。 丁度、別の知人のオーケストラ演奏会に行ったばかりで感動冷めやらずの状況だったため、「音楽はいいな~。またコンサート行きたいな~。」と願っていたところだった。 早速、自分の意図が現実を引き寄せたかと、嬉しくなり、チケットを購入した。 楽しみにして過ごしていた一か月。何度もちらしを眺めていたはずなのに・・・・なぜだ? さて、演奏会当日、ウキウキしながら、早目に家を出た。 開場が14時15分で開演が15時。15時近くまでは、会場近所のショッピングセンターをウロウロすることにした。3時間近く、本、洋服、家庭雑貨などを眺めて周った。 本屋で、何気なく一冊の本を手にした。 ぱらっとめくったページに、著者が思い込みにより大失敗したエピソードが書かれていた。 あらたまった正式な場へはいていく靴下の色を、著者は「白い靴下」であると強く思いこんでいたそうだ。なので、まわりからさりげなく助言されても気づけなかった。実は、正式には「白」ではなかったと後で知ることとなり、思い込みをいかにはずしていくかという課題に気づいたそうだ。「こういう失敗した体験を通し、不要な思い込みを外していくことが大切。失敗も学び」という気づきを書かれていたかと思う。 あ~~~ 今思えば、私はここで、目に見えない存在から、「思い込みに、気づけ!気づけ!」とメッセージを受け取っていたのだ。それなのに、私はキャッチできなかった。 まあ、何気なく手にして、偶然パッと目にしたページである。ふ~ん。という感覚しかなかった。 さて、会場近所のショッピングセンターに居てうろうろしていたのだが、飽きてきてしまった。もう開場しているから、開演まで45分あるけど、席に座って読書でもしてようかな~。と考えをあらためて、Hホールへ向かった。 何やら様子がおかしい。Hホールの催し物の名称が全然違うし、人影も無い。 あれ? そこで初めて気づいた。慌てて、カバンからチラシを取り出して、会場の欄をまじまじと見... 続きを読む
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