海に沈んだブロークンハートを救え
この数日の投稿でもお分かりになるかと思うが
潜在意識の奥深くに沈んでいた、インナーチャイルドの大ボスが、ちらちら見え隠れしてきている。2年かけて、催眠療法などで癒やし続けてきた成果か、
頑固な汚れを漬け置き洗いするかのように、不要なネガティブエネルギーが浮き上がってきている。
さて、本日は、仲の良いセラピスト友と三人でランチ会を開催。彼女たちと会うと、いつもありのままで居られて、元気になれるので、ルンルン気分で出掛けた。
ところが、ところが・・・
待ち合わせ場所へ向かう電車の中で、どんどん気分は落ち込んできた。どうしても、父母の一件が頭を離れない。特にお金がらみで、私はモヤモヤしていた。父母から気を使われてはいるが、大切にはされていない。そんな気がして、悲しくなっていた。「仲良くしたい。大切にしたい。役に立ちたい。過去の埋め合わせをしたい。」そんな私の思いは一方通行であり、私の放った気持ちは、スカッと空をかすめ、父母にキャッチされずに、空き地の隅っこにでも見捨てられて放置されているかのような、肩透かしの気持ちが膨らんでいた。
これから、楽しいランチ会なのだから気分を切り替えようと、何度も父母とつなげてしまったエネルギーコードを切るイメージをしたのだが、気を抜くと、また嫌なイメージを沸き立たせてしまう。そのうち、私の心の奥深くから、強い怒りの感情が浮上してきた。「また、繰り返しているではないか。私の怒りを無視するな。彼らに関わると不幸になる。もうやめてくれ!」そして、「剣を抜け!」と言う。はっきりとした闘いモードの台詞に、我ながら驚いた。
この日会う友は、セラピストであり看護士でもある。このタイミングで彼女らに会うのは、宇宙の采配なのではないかと感じた。彼女たちに話を聴いてもらいたいと思った。
友の一人は、たまたまバッグの中に、インナーチャイルドワークのカウンセリングで使用するカードを二種類持参してきていた。そこで、カードを自分で引いて、出たカードについて友の質問に答えながら、インナーチャイルドの思いを感じ取っていった。
☆ナインバードカードセラピー
〇左:現在を表すカード
~母親との関係、母性、整理整頓、冷静、家庭、女性らしさ
〇右下:潜在意識を表すカード
~明るい未来へ向かっている。外交的
〇右上:顕在意識を表すカード
~自由に羽ばたいていきたい。自分らしくありたい。夢が叶う
〇真ん中:未来に向かって進むキーワード
~スピリチュアルな目覚め、第七チャクラの紫、気付き
↓
まだ、母親との関係により、束縛され、自由がうばわれているように感じている。ただ、潜在意識と顕在意識の望みは一致しており、心と頭は足並みをそろえて進んでいる。魂の望みをうまく顕在意識でキャッチできている様子。現状解決のキーワードは、霊的目覚め。頭で考えない領域で、何かに気づき、開放されていくこと。潜在意識の中に潜んでいたもの(ネガティブエネルギー)を、取り出して、それがあってもいいと認めることが大切。
☆インナーチャイルドカード
問いを発すると、カードがちゃんと必要な答えを示してくれる。
以下は、カードの絵を見ながら、友の質問に答えているうちに、心の奥深くに潜んでいた思いが明らかになってくる。私のイメージと友の解釈も交え、意味を書いておく。インナーチャイルドの本音が、カード一枚でこんなにハッキリするものかと、大いに驚いた。絵を通して、本音が言葉となって、スルスルと私の中から引き出されてくる。絵を使うと潜在意識につながりやすくなるため、おそらく軽い催眠状態となっているからではないかと思う。このように、カードを利用することで、自覚しにくい本音に気づく手法がある。
剣を持った男性は、私自身。
剣は、正義を表す。正義を振りかざし、善悪を判断する傾向がある。
遠くに馬車に乗った二人の人物と御者の姿が見えている。
私は、義憤にかられ、衝動的に剣を振りかざし、あの二人を切り殺そうとしている。「めった刺しにしてやる!」という台詞が出てくるくらい、激しい怒りに燃えている。
馬車に乗っている人物のイメージは、弱くて、まだまだ人間修行が足りないので、利己的になりがちであり、私腹を肥やすことに付随してまわりを傷つけていたとしても、頓着しない鈍感さがある。ただ、彼らは自身を善良だと思っている。ある意味弱さを武器にするしたたかさもある。彼らの狭い価値観に振り回されて、私は大いに傷つけられてきた過去があり、正義の剣で成敗しようとしている。
木の傍らにそっと隠れるように、鹿がいる。(私の良心の象徴か)
鹿は私に「まあまあ、そこまでしなくてもいいんじゃない?」と静かに語りかけている。私は剣をふりかざし、今まさに彼らを切り殺そうと、茂みから躍り出ようとしていた瞬間に、鹿に声をかけられて、一瞬、その衝動を抑えている。良心と衝動の葛藤が起こってフリーズしている。
(ちなみに、過去世では、正義の剣により衝動的に切り殺してきた体験がいくつもあるように思う。自分の狭量な価値観である善悪の判断を使って、悪を抹殺するステージから、正義の剣そのものを手放すステージへの移行を目指したのが今世ではないかと感じた)
私がフリーズしている間に、彼らはそんなことが起きているとは露知らず、丘の上の屋敷へ帰って行く。彼らだけの安全な、彼らの価値観で飾り立てられた見栄の殿堂である。彼らは、この屋敷を飾り立てる度に、何かを踏みにじったり傷つけたりしているのだが、気づくことはないので、罪悪感を一切感じていない。彼らはその意味では確かに善良な市民なのである。世の中はこのような市民であふれかえっている。
私は、ようやく剣を鞘におさめ、その屋敷に話し合いに出向く。闘いではなく、鹿の忠告を受け入れ、平和的に自分の気持ちを伝えに行ったわけだ。話す事は話したのだが、彼らとカチっと噛み合わない。私の伝えたい大切な肝の部分は、彼らに受け取られることなく、そのあたりにゴミのように打ち捨てられてしまう。あまりの噛み合わなさに、力が萎えてしまうような、寂しさを感じているのだが、「自分の思いを話すことが出来たので、それでもう良しとする。」と私は語る。心から和解することを諦めた。ただ、自分の心を安らかにすることに、これからは意識を向けて行こうと思っている。最後までかみ合わない人はいるのだと覚る。そのことを受け入れる。
そんな私の姿を、周りで冷静に見ている存在がいる。ハイアーセルフとか、神とか、高次元存在と言えるかもしれない。彼らは、どの瞬間のどの場面でも、私を見守って、私がどんな選択をし、どんな言動を取るのかをチェックしている。自由意思があるので、手を出すことはないのだが、魂の学びに応じ、インスピレーションを通してアドバイスを送ってくれることはある。
真ん中に描かれたハートは傷ついた私のハート
私は、困難と言う名の海(潜在意識)の奥底に、自らのハートをドボンと沈めたのだった。それは魂が選択した人生の課題であり、困難が大きいほど魂の成長が望めるので、私はどうやら欲張って、海のかなり奥深くまで沈めてしまった。(深いほど、ハートは傷つく体験をするということ)
私のブロークンハートは、今まさに、人魚たち(催眠療法や、魂友の存在など)に少しずつ引き上げられ、ようやく海面まで上昇。足元に水がかかっている程度まで浮上してきている。羽まで生えているので、もうすぐ自由に飛び立つまで軽くなっている。
これからは、宇宙の至高の愛のエネルギーにつながる、ハートの声を聴きながら、魂の学び総仕上げに入る段階。ハイアーセルフとの共同作業に入る段階とも言えるだろうか。ハートに正直に生きることが何より大切になってくる。
二人の人物が剣を交えて戦っている。私には、右側の男性がやや優勢に見えている。
実は、左側(赤いマント)は現実を象徴し、右側(紫)は精神性を象徴するとか。私の未来は、これからも現実と精神性のせめぎ合いが続くようだ。まだまだ葛藤という現実を通し、学ぶ過程が残されているようである。
友は、最後に私にアドバイスをくれた。
「あなたは、それだけ深く傷ついていたのだということを、しっかり受け入れて。」と。
もう地の時代は終わった。外側の価値観(虚飾)に重きを置く時代は通り過ぎたのだ。そこでの学びは、既に卒業しているのに、ついつい馴染深いために、そちらに流されそうになってしまう。いわゆる、父母世代の昭和の価値観からの卒業である。
これからの風の時代は、本音で生きていい。軽やかに自由に羽ばたいていい。本音は既に本質の思いに直結している。そこを信じる。本質は、調和のエネルギーであるから、もう誰かを傷つけるものではない。誰もが個性を発揮し、抑圧されることなく、輝いて生きることのできる次のステージへ誘われている。束縛を感じ、自由を奪われる重いエネルギーの世界から、私は離れて行こうと思う。
思えば、私の本音は、あの大喧嘩の日、夫がしっかり語ってくれていた。私はそれを批判して、夫を責め立てたけれど、私は私自身からの声を遮断しようとしていたのだ。
いい娘になろうとすればするほど、私の精神状態は悪化していった。父母に関わる前までは、あんなに軽やかで自由だったエネルギーが、どんどん重くなり心は荒んでいった。「剣を抜け!」という内側からのメッセージは、「ちゃんと怒りを受け入れて、感じ切ってくれ!私が傷ついたことを認めてくれ。私の声を聴いてくれ。」という悲痛な叫びだったのだ。
私は、こんなに怒っていたんだ。気が付かない振りをしようとして、本当にごめんなさい。ごめんなさい。
帰宅途中、私は、花屋に寄って、ピンクのバラを奮発して買った。おそらく生まれて初めて自分のために、自分への感謝のために買った一本である。
今日ランチ会をした二人の魂友とは、親しくなってまだ数か月である。会うたびに、共感し合うことが出来、話していると気付きが多く、学びにあふれている。何より、楽しくて、元気が出る。三人でスマホで自撮りした写真を見ると、私の表情がメチャクチャ自然で、10歳くらい若返っている。心から安心している素敵な笑顔。これからは、こんな笑顔で生きていく選択をしたいと思った。私を幸せにしていこう。
楽しかったな~と思いながら、自宅に戻り、マンションのエレベータに乗った。上層階へ向かうおじいさんが同乗した。「暑くなりましたね~。」なんて、軽い世間話を交わした。ふいに、おじいさんから「あなた、元気でいいね!」といきなり褒められた。見知らぬ人物から、このように褒められることは初めてだったので、ビックリした。本音に従って生きると、きっと内側からエネルギーが発せられ、目に見えない輝きが増すのだろうと思った。魂友たちのおかげである。
このご縁には心から感謝している。
☆roseさんのオラクルカードリーディング
YouTubeの番組を見ていたところ、「あなたの美しいところ」というお題で、roseさんがリーディングをしていた。選択カードの3枚の中に、今日私が自分のために購入したピンクのバラがあったので、そのシンクロに驚いた。
リーディングによると、私の美しいところは、「爽やかな風を吹かせることが出来る。必要なところに風を起こし、淀みを吹きとばしたりする。」とのこと。
そうか・・・・私は風。一か所に留まることなく、あらゆるところに自由に飛び回る性質なのだ。とてもしっくりきた。
私は、移り気の風体質であるから、一か所にじっくり留まって、何かを成し遂げることはないが、「爽やかな風を吹かせる」ことで、空気の淀みを解消することができるなら、それはそれで大切な役割である。
父母のことを思う。これからの関わり方が何となく見えたような気がする。
姉のように、じっくりと父母にエネルギーを注ぐことは出来ないが、たまに、停滞したエネルギーが発生したようなら、風を吹かせて、風のように去ればいい。その場に居ることに執着する必要はない。だって、風なんだもの。ずっとそこに留まったら、停滞する風圧は周りを破壊してしまうだろう。必要なことを必要なだけこなしたらいい。自分の性質でないものになろうとしたから(大地のようにじっくり育むなど)あんなに辛くなったのだ。植物には大地は必要不可欠だが、風の働きがなければ、種は飛ばないし、受粉もできない。自分の役割を正しく認識せずに、背伸びして、「大地みたいに、じっくり愛を育める存在になりたい・・」と、一か所に留まろうとしたから、調和が乱れてしまったのだ。風としての自由を奪われていたから、自分も周りも壊していったのだ。
そもそも、振りかざした正義の剣も、魂の学びを加速させるためのアイテムでしかない。結局は究極のRPG、ゲームを楽しむ源意識のお楽しみである。馬車に乗った怒りの原因である二人の人物も、ゲーム設定でしかない。ドラマを起こすためにアイテム(エゴ)をいくつか装着し、映像(現実という幻)を介して、私(勘違いしている分離意識)は、配役を演じている。導き(魂のブループリント)に沿って。
何度も何度も、この宇宙の仕組みを頭で反芻するのだが、やはり現実があまりにリアルすぎて、そして感情が味わい深すぎて、おそらく、魂はその体験が楽しすぎて、その幻映像に頭から突っ込んでしまう・・・。勘違いワールドを信じ切って没頭してしまう。
今、体験しているこの世界。五感で味わえる肉迫感は、本当に上手くできている。
結局は、起こる事全て、OKであり、大丈夫なのだ。やりたくてやっているのだから。
私たちは、それを純粋に、楽しめばいい。
楽しむ。それだけなんだ。
☆萩原優医師のブログより
今朝のブログ内容がドンピシャだったので、以下に紹介したい。萩原先生の軽やかなエネルギーが、朝から心地よい。
私たち、実はユニークな存在なんですよ。
なんと、一つの体に二つの人格が入っているんです!
その秘密は宇宙意識とエゴ意識にあるんです。
宇宙意識は超絶的な全体感を持ち、
エゴ意識は自己中心的な一面を担当しています。
宇宙意識は、一つの世界を見渡しているんです。
でもエゴ意識となると、ドラマが始まるんですよ!
笑劇と涙劇、両方が生まれちゃうんです。
それに、エゴは完全にコントロールできないんですよ。
自分の分身が何をしでかすか分からないんですから、
まるでサルのような暴れん坊です!
でもね、
それを受け入れて一緒に同居するしかないんですよ。
エゴを認めてバランスを取りながら生きていくんです。
まるで奇妙な共同生活みたいでしょう?
だからこそ、私たちの人生はこんなに面白くなるんですよ!
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