豊かさの循環

 この数日、お金の問題について、向き合わされていた。

あらためて、私はお金について、どのような観念を持っているのかを考えてみた。

お金とは

私の働きの対価として得たもの

私(または家族)個人のもの

生きて行くために必要

私のために使ってもいい

将来の不安解消のために、出来れば貯めておくべきもの

お金がたくさん手元にあるほど安心する

入ってきた分だけ使える

質素倹約が何より

この物質次元では、お金が一番、豊かさの象徴

ざっと、こんな感じだろうか。


さて、私が現在、お金に関してどのような現実化を起こしているかというと、父の施設入所が切っ掛けだった。昨日、母と姉と三人で、とある施設に赴き、契約を済ませてきた。

施設に出かける前に、実家に寄り、ディサービスの車に車椅子で乗り込む直前の父に「おはよう!」と声をかけた。父と顔を合わせるのは久しぶりだった。父はポカ~ンとして、訳が分からない様子だったので、「私、娘、〇〇(私の名)。」と明るく大きな声で名乗った。父は、よく理解できていない様子であったが、おずおずと私の手を握ってくれた。「お父さん、行ってらっしゃい。楽しんできてね!」私は大きく手を振って、父の乗る車を見送った。この日、ちらっとだけど、父に会えて良かったと心から思った。父の認知症が進み、もう孫や娘の名前は忘れてしまった。5月に入ってからは、自分の力で、食事を口元に運ぶことも歩くことも出来ない。いつも世話をしてくれる母のことは認識しており、会話はまだ成立しているようだ。

父は今までも、何度も入院をしたり、一時的に施設に入所したりを繰り返してきた。母はその度に奔走し、父を自宅に取り戻してきた。周りが、母の体調を気遣って手配をしても、母は強引に施設の契約を解消してしまうのだった。母は、父と約束をしたのだと言う。最期まで、自宅で面倒を見ると。

その二人の絆は素晴らしいが、今回は母の方から音を上げたのだった。もう腹をくくると。父との別れは断腸の思いだろうが、既に父の容体は、介護のプロに頼らなければならないところまで進んでいた。母の体力が既に限界を超えていた。よくぞここまで父をお世話してくれたものだと、母には感謝の気持ちでいっぱいである。

母は、抜け殻になりそうな気持を奮い立たせ、昨日、姉と私に付き添われて実家から車で15分ほどの距離にある特別養護老人ホームへ出向いたのであった。

このように、母と姉と私でひとつの事務手続きを体験するのは初めての事であった。打ち合わせをしていたわけではないが、いつの間にか、得意分野に応じ、役割分担がなされていた。一番頭脳派の姉が、施設の職員へ細かな質問をする。私がその回答をメモに記録する。母は、膨大な量の書類に署名捺印をしていく。さりげなく分担し、サポートし合い、1時間30分かけて、無事手続きを終えたのであった。このように、仲良く、息を合わせて何らかの共同作業を行うのは、人生初だと思う。とても感慨深かった。私たち、ようやく受け入れ合えたのかもしれないなあと、ちょっぴり泣けてくる思いとなった。

この母とは、私が14歳の時からのご縁であるが、常時いがみ合っていたことしか記憶が無い。あまりにもその関係性が辛くて、高校生からは距離を置いて暮らしてきた。母娘なのに、同居できないのだ。1年365日のうち、母の機嫌が良い日は一週間あったかどうか。ほとんどの日は、何かに怒っているか、怒りのあまり無視されているか、どちらかであった。姉と私は、物理的に母と離れることで、心の平安を保とうとしてきた。

姉は、社会人になって、早い時期から、そんな母を全面的に受け入れ、年老いていく父母のサポートを引き受けてくれていた。父母への恨みを手放せない私は、よく姉に質問したものだった。「どうして母を許せるの?あんなことされたのに。」と。姉はその度に笑って答えた。「私、忘れっぽいのよ。覚えていられないの。というか、忘れないと生きてこられなかった。」そんな姉が眩しかった。

反対に私は、恨みを忘れないことで生きて来た。そのネガティブ感情を手放せるようになったのが、2021年以降、催眠療法を学び始めてからである。一回施術を受けたから、全てが解決するわけではない。潜在意識の奥深くまで染み込んだ重いエネルギーは、頑固な汚れのようにこびりついている。私の潜在意識は、段階を経て、その時期に手放せる分だけを浮き上がらせてくる。ネガティブな記憶はあまりに多すぎて、いちいち記憶を甦らせているとキリがない。掘れば掘るほど、無尽蔵に出てくる。

ある程度、退行催眠療法や体細胞療法で浄化した後は、自分の意識の持ち方で、自力解決をしていくしかない。顕在意識と潜在意識、超意識。自我と真我。宇宙と魂。現実化の仕組み。これらを学ぶことで、魂に自由を取り戻してく。幻想ドラマを見破り、自我の働きを客観視し、聖なる催眠状態から目を覚ましていく。現実を内面の鏡と位置づけ、起こる出来事を魂の学びと捉えて、すべての体験をありのままに受け入れて行く。このような姿勢で日々を過ごしていく。

・・・という、長い長~い前置きになってしまったが。

いよいよ、本題である。お待たせしました!

お金の問題だった。

私は、未だにお金に対して、古い価値観を抱いていたようだ。それが、今回の一件で浮き彫りになったように思う。

昨日、母から、月々の支援金の増額を求められた。〇万円。まずは、気持ちよく出してあげたいと思った。そして、現状を踏まえ、そろばんをはじく。

私の月々のアルバイト代が、だいたい〇万円だった。それをそのまま支援金に回すことにする。そうなると、今までの使途をストップしなければならない。お金は入ってきた分しか使えない。(アルバイトを増やすことを姉から打診されたが、体力的理由で遠慮した)

昨夜、私は夫に向かって「本とビールを買うのを止める。」と宣言した。使わなければ余る。それを父母の支援金に当てる。私たち夫婦の生活を一馬力で担ってくれている夫に迷惑もかからない。これがベストな収支の在り方だろうと考えた。その後、またまた夫とひと悶着あったのだが、先日の投稿の焼き直しになるので、省略する。(笑)

私の潜在意識の頑固な汚れが、これでもか、これでもか、と現実化され、夫という鏡を通して突きつけられる。この立て続けの現実化から、魂からの煽りすら感じる。「もう足踏みしている猶予はないよ。早い所、不要な観念を手放して、次に進むよ!さあさあさあ。」

そんなこんなもあり、頭が興奮していたからだろうか。夜中に目が覚めて眠れなくなった。

仕方なく、YouTubeの音声をイヤホンで聴きながら、時間をやり過ごすことにした。

何と、おすすめに、タイムリーな話題が流れて来た。宇宙くんの手紙という番組で、お金と豊かさについて取り上げられていたのだった。

宇宙くんによると

今までの古い時代は、豊かさ=お金であり、お金は個人のものであり、沢山貯めるほど良いという価値観だった。

新しい時代は、循環がキーワードとなる。

お金は豊かさの中のほんの一部。豊かさの価値観が広がっていく。そして、お金は体内を巡る血液と同じであり、循環させるものであると。

ふと、夕方食事をしながら観ていた旅番組を思い出した。

茨城の実家に脱サラして戻ってきた若者が、自宅の倉庫を改造し、焙煎珈琲の店をオープンさせた。彼は地元の方々に無料で珈琲を飲ませることもあるそうだ。そうすると、玄関先に大根などが置かれるようになった。彼は言う。「ここでは、お金が無くても、生きていける。気が付くと生かされている。そんな安心感がある。」最近の若者は、既に、豊かさの本質を体現している人が多いように思う。もう、都会に縛られて、お金に最大限の価値を置いて生きて行くことに魅力を感じなくなった。自然や気の合う人々との交流に豊かさを見出して、軽やかに古い時代の価値観から自由になっているようだ。

私は、資本主義世界の申し子であり、昭和の価値観にどっぷり浸かって生きて来た。豊かさをお金や物で計ることにあまりに慣れてしまった。豊かさの循環というフレーズに、戸惑いを隠せない。正直、どうしたらよいのか分かっていない。

豊かさは有限。使えば減る。貯めておけば安心。お金も土地も物も私が所有している。ピラミッド型社会システム

豊かさは無限。出せば入ってくる。循環させるとどんどん豊かさが増す。誰の所有もない。私たちは地球に活かされている。すべては借り物。横につながり輪になる社会システム

このように観念を変換させたとして、さて、父の施設代という、生々しい現実にどう向き合えば良いのだろう。

これが答えになっているかどうか分からないが、私は、昨日、下記のような行動に出ていた。

普段の私は、家族に誕生日や母の日などのカレンダーのイベントに乗って、贈り物をすることはほとんど無い。その気になった時に、気ままなタイミングで贈り物をすることはある。〇〇の日だから、贈り物しなくちゃ。という強制されるような縛られた意識が好きではないのだ。自分の中から自然に湧き出してきた思いなら、やりたい時にすればいいと思っている。

たまたま、二日前が母の日だった。家を出る直前に、ふと思いついたのだった。母にマリア様のストラップと手紙を持って行こうと。

マリア様のストラップは、今年に入ってから、私が憑りつかれたようにビーズを組み合わせて作り続けてきた手作りアイテムだ。1月以降、私の大好きな方全員に贈り物として届けてきていた。私の一方的な思いであるが、私はこのタイミングで、「あなたと出会えて嬉しかった。ありがとう!」とお礼を伝えたかったのだと思う。アントニオ猪木さんは、お礼行脚の旅に出たが、私は、お礼のストラップを手紙とともに送り届けた。きっと猪木さんと同じような気持ちで行動していたのだと思う。

確か、母は、聖母子像が好きだったなあと、微かな記憶がよみがえったのだった。その日その時まで、私は母にマリア様のストラップを贈る気持ちは一切無かった。母に私の気持ちは通じないだろうと思っていたし、母が魂ごとを理解するとも思っていなかった。それが、直観を通じて「母に、あのストラップを贈るといいよ。」とメッセージが届けられたのだった。私は、母がマリア様の愛のエネルギーに抱かれて、いつも安心していられるように願いを込めて、手紙を書いた。そして、マリア様の青い衣をイメージしたメダイ付きストラップを封筒に同封した。

今朝、LINEに母からメッセージが届いていた。

「今お手紙見ました。ありがとう。お母さんが写真のような親子の写真が好きです。何故か分からないんですが気持ちが落ち着くと言うかホッとするんです。マリア像が好きです。お父さんもお仲間と旅行に行くと必ず壁掛け飾り物を買ってきてくれました。今回の絵 だいすきで・・・・」「また居眠りしてしまいました。今回の写真大好きなひとつです。」

疲れて半分居眠りしながら、一生懸命ラインを送ってくれていた。

予想に反し、贈り物のメイン、天然石ストラップについて一切触れられていなかったが(笑)同封したおまけのマリア様の小さな絵(聖イグナチオ教会の売店で購入したもの)が大層気に入った様子だ。人の好みは分からないものだ。まあ、絵だけでも、気に入ってくれたようでほっとした。

マリア像が好きだという母の返信に、思わずうるっときてしまった。私は、このような母の聖なる愛の部分を知ろうとしてこなかった。母の内面を知ることが出来て良かったと、あたたかい気持ちになった。それもこれも、私が、エネルギーを出したから、戻ってきたわけだ。

豊かさの循環って、こういう感じのことなのかな?と微かに理解できたような気持ちになったのだった。

今回、父の施設入所という現実化を通し、私の魂が何を学ぼうとしているのかを考えてみる。

施設から帰る道すがら、姉の運転する車の中で、「気を抜くと抜け殻になりそうだ。」という母を励まそうと、私はこんな言葉を口にしていた。

「どんな現実もマイナス面ばかりではない。必ず同じ量のプラス面が隠されている。この現実は確かに辛いだろう。でも、どうせなら、プラスの面も眺めるようにすれば、きっと心安らかに生きていける。」と。

そして、三人で話しているうちに、「今回、父のことが無ければ、こうやって三人で会うことも無かった。ある意味、お父さんに感謝だよね。」と言う気付きに至ったのだ。「これから、好きな事、楽しい事、いっぱいやっていこう!三人で温泉とかも行ってみよう!」と女三人で笑い合った。それぞれに、過酷な人生を乗り越えてきたからこその、連帯感のようなものを感じていた。きっと母の魂も、あちらの世界へ戻れば、大親友なのだろうと思った。


母に贈った同じ絵『聖母子』

ドン・ボスコ社のサイトから借用しました。

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