大爆発
土曜日は、催眠療法トレーニングの日だった。
私のセラピスト業の有料セッションはストップしているので、参加するのも、あまり気が進まなかったのだが、なんとなく、流れでZoom参加することにした。
催眠療法トレーニングは、基礎コースを習った受講生同士、練習をする場となっている。ちゃんと講師もついて下さるので、しっかりとアドバイスがいただける。独り立ちしたセラピストも、定期的に参加して、疑問を解決する場としている。このようにアフターフォローが整っているので、ありがたい限りだ。
トレーニングでは、セラピスト役 もクライアント役もこなすことになる。
毎回、催眠療法は、宇宙の采配でご縁が既に決まっていると思わされる。
というのは、セッションの前日あたりから、体の浄化が起こり始めるからだ。酷い時には下痢にもなる。お通じがとてもよくなるのだ。この仕組みはよく分からない。どんな関係になっているのだろう?体と心と魂はつながっているというのは、統合医療の基本の考え方である。
○月○日に浄化するよ~!と私の魂が決めれば、セッションが現実化し、私に一番適したセラピストが采配され、体も前もって浄化モードに入るのだろう。そして、心も。
催眠療法のセッションを受ける日に限って、たまにだが、感情大爆発が起きる。セッション前から、準備段階に入り、浄化されたい感情が浮き上がってくるのだろう。そうとしか思えない。
夫と私は滅多に喧嘩はしない。一年に一回あるかどうかという頻度だ。そう言えば、前回大喧嘩したのも、私が催眠療法セッションを立て続けに受けていた期間だった。クリティカルファクターと呼ばれる判断の膜が、開きやすくなるので、圧し殺した感情が解放されたくて、つけ洗い中の洗濯物みたいに、汚れ(不要なネガティブエネルギー)が浮き上がってくるのだろう。これは、いい事なのだと思う。
感情大爆発も、相手が家族など、親しい間柄だから許し許されるのだろう。もし、私があまり親しくない方相手に、この感情大爆発を行ったら、今頃私は、留置場に入っているかもしれない。無意識に安全な相手を選んでいるようだ。
昨日の出来事。催眠療法トレーニング開始の一時間前だっただろうか。母からLINEで、父の施設について連絡が入っていた。私はそれに慌ただしく返信し、夫に来週施設側に手続きに行ってくると伝えた。その時の夫の反応に、私は、怒りマックスとなり、仁王の如く猛り狂ったのだった。詳細は、犬も食わない夫婦喧嘩のため省略するが、私は、普段絶対使わないであろう激しく汚い言葉を夫に投げつけた。
感情の奔流は止められなかった。理性は、止めたいと感じていたが、潜在意識がそれを受付なかった。私は、泥々エネルギーを嘔吐の如く吐き出し続けた。
最終的に、夫が私の背中を撫でてくれて、「俺がそう思うだけだから、あなたはそう思うならそうしたらいいよ。」と言ってくれた。私も少し冷静になり、「あなたがそんな気持ちでいたなんて、気がつかなくてごめんなさい。」と言うことが出来た。
前回、偉そうに、現実は自分が創るという投稿をしたが、
はい。私は、感情大爆発の現実も創造いたしました~!
怒りまくった?
いいではないか。
怒りのエネルギーがたまっていたのなら、もしエネルギーを軽くしたいなら、手放すしかない。○○療法やカウンセリングなどで手放してもいいし、こうやって、親しい方に協力いただくこともあるだろう。家族ならお互い様だ。喧嘩の最後に、ちゃんと仲直りの言葉を掛け合うなら、喧嘩大いに結構。と、私は思う。喧嘩するほど仲がいいのだ。魂的には大親友だからこそ喧嘩できるのだ。
ネガティブな感情を誰かにぶつけてしまうのも、人間だもの。きっとある。
普段から、一生懸命感情を押さえて、いい人であろうとしてきた人ほど、心の中の堪忍袋はバンパンに膨れ上がっていることだろう。皿を割ったり、自棄食いしたり、カラオケで大声出したり、バッティングセンターでホームランかっ飛ばしたり、感情解放の方法は人それぞれだろうが、それが喧嘩だって、いいじゃないか。
大喧嘩したけど、私は、夫が大好きだし、変わらず尊敬している。喧嘩したことで、より、相手の内面が知れて良かったなあという気持ちだ。
静かで穏やかで美しい現実ばかりを創造する訳じゃない。
たまには、激しいハードな現実も創るのさ。
だって、人間だもの。
☆グーグルアース撮影隊にありがとう
喧嘩翌日の夜、夫がスマホで何気なくグーグルアースを見ていたらしい。
突然夫が叫んだ
「これ、もしかして、お母さんじゃないの?!」
私も驚いて、画面を見せてもらった。その画像は確かに私の実家の前の通りであり、実家の建物が写っていた。そして、門扉の前に小さく人も写っていた。
よ~く見てみると、何と!確かに母の姿である。
背を屈めて、門扉前の歩道を箒で掃いている姿だった。
思わず、夫と二人で大爆笑してしまった。
愉快で愉快で仕方なくなり、とにかく笑えてならなかった。
上述に大喧嘩について書いた。実は、その原因は私の父母のことだった。
昔はいろいろなことがあった。私は20年間父母への恨み辛みで、二人を許せなかった。ようやく精神的に大人になり、怒りを抑えて、優しくなろう、仲良くしようと努力した。しかし、隠した感情は、消えたわけではないので、ささいな切っ掛けに乗じて、噴火した。
仲良くする。→怒り噴出→会えなくなる→歩み寄る→怒り噴出→会えなくなる→以下同文
こんなやり取りを十数年繰り返してきた。どうしたらよいのか、さっぱり分からなかった。大切にしたいのに、感謝をしているのに、愛したいのに。頭ではそうしたいのに、心が受け付けてくれないのだ。
ただし、そんな繰り返しの期間を無駄だったとは思わない。その都度繰り返された愛憎ドラマは、辛く悲しいほどに、私を目に見えない領域の学びへと誘ったからだ。父母との苦しい体験が無ければ、私は催眠も学んでいないし、宇宙の仕組みや、魂について知ることも無かった。そして、魂仲間達と今世で再会することも無かった。結果的に、私は楽しんで幸せに暮らしている。世界がぐんと広がっている。
夫は、私を散々傷つけてきた父母が許せないと言っていた。あんなこともこんなこともしてきたのに、自分たちが弱ってきたからと、経済的に頼ってくる。人は失敗したら許されてはならない。と。
夫は、表面的には父母に紳士的に接してくれていたから、実は本心はそんなに猛り狂っていたのかと、驚いた。私は反対に、父母を許したかったし、仲良くしたかったので、夫との大喧嘩に発展したのだった。売り言葉に買い言葉。導火線に火がついたら、もう止められない。夫が先に鞘に剣を収めてくれたので、ようやく鎮火したのだった。
夫は正義感が強いので、人は失敗したら、許されてはならないという信念に縛られていることがよく理解できた。反対に、夫自身が失敗することはないのか質問してみた。「俺は失敗しない!」と断言した。それは本当か?100%か?と質問を重ねたら、「10%くらいは、失敗する確率はあるかも、、、」と譲歩してくれた。雨の降水確率10%で、雨が降ったら、あなたは、天気の神様を一生許さないのか?と質問したら、夫は「それとこれは違うだろう!」と動揺していた。
そう、夫の言う通りなのだ。怒りは理屈ではない。それは、私が一番よく分かっている。夫は私の内面を映し出して見せてくれていたのだ。夫は鏡の役割を果たしてくれていた。私は、喧嘩をしながら、それに気づいていた。夫に有難うと感謝をしながら、理性でコントロール不能になったネガティブエネルギーを放出し尽くした。夫よ、本当にありがとう。
そんな経過があって、グーグルアースである。
世界のどこからでも、誰でも、この母の姿を見ることが出来るのだ。母は地球の歴史の1ページに、このように華々しく刻まれたのだ。
そんなことにも気づくことなく、無心に家の前の掃除をしている母の生真面目な姿を見て
ただ、ただ、愉快で、笑えてくるのだった。
母が、愛おしいと、微かに思った。
ちょっと泣けてくるようで、切なくて、とても重層的で複雑で、一言では表現できない感情だけど、決して悪い感じではなかった。
神様や天使は、愛おしいという感情を知らないらしい。
人間だけが、体験できる感情。
闇も光も両方を万遍なく体験したからこそ到達できる地球からの贈り物。
私は、この地球で、こうやって順調に学んでいる。
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