春の宇宙会議
久々に宇宙会議を開催した。おなじみのYさん登場である。
2月3月と、Yさんの親しい方々も含め、エネルギー的大転換期を迎えていたようだ。もしかしたら、このブログを読んでくださっているあなたも、そうだったかかもしれない。私も宇宙から、「動くな!静かにしていろ!なんなら瞑想でもしていろ!」というメッセージが、叱られるぐらいの勢いで届いていて、「今は、咀嚼しろ!」と明確に指示を出されていたため、否応なしに過去の不要なエネルギー浄化に勤しんでいた。浄化の模様はブログに記録していた。
Yさんも、感情の嵐の中で、大変な状況の中過ごされていたようである。エネルギー的に少し楽になられてから、私の投稿を読んで、「同じように過ごしていた!」とおっしゃっていて、相変わらず安定のシンクロぶりである。
自分の内側で起こっていることは、周りの親しい人に降りかかっている出来事を通して見せられるということが起こるものだ。客観視できるため、気付きに誘われやすくなる。家族や友人のトラブルは、鏡に映し出された自身の姿であり、実は宇宙からの恩寵とも言える。複雑怪奇な内面世界を実写映像化してくれており、家族友人は、その辛い配役を買って出てくれている。心かき乱されるトラブルも、外側の混乱も、魂の学びという明確な目的の元で繰り広げられている。最終的には、関わってくれた多くのご縁に感謝の気持ちしか湧いてこないと言う心境に行き着く。
ここで、本日初めてこちらのブログを読まれた方のために、Yさんのことをあらためて、説明しておきたい。Yさんと私は、過去の細かなプロフィールから、人生課題まで似たところが多く、「同じ人生課題を男性と女性に分けて体験しているのではないか?」と互いに感じている。ごく近しいソウルメイトであることは確かなようだ。複数の前世もご一緒しているので、魂レベルで約束をした上で、転生時期を合わせ地上に降りてきたようだ。私はYさんのことを「魂の兄」と呼ばせてもらっている。
人は、魂の目的に沿って生きるステージに移行すると、感性が似て居る魂仲間に出逢うようだ。ようやく自分を理解してくれる人に出逢えたと、心から安堵することになる。人生の修行と言う観点から人の一生を蓮の花になぞらえてみよう。清濁合わせ持つヘドロのような泥の中で格闘する段階を経て、やがて茎を伸ばし、水面から顔を出す蓮の花をイメージしていただきたい。泥の中でしっかり栄養を蓄えた(一定の学びを経た)魂は、花開いた時に、周りに沢山の美しい蓮の花(魂仲間)が咲き誇っていることに気づくことになる。濁った水面下では決して気づくことが出来なかった光景を見ることになる。そして、自分自身が尊い光であったことを思い出す。水面の上の世界こそがニルバーナ(涅槃)と言えるかもしれない。お釈迦様は悟りの象徴として、蓮の花を使われている。
私にとって、Yさんとの出逢いは、宇宙からの贈り物である。おかげで、2021年に知り合ってから、私の魂の成長がぐんぐん加速している。数か月おきにスカイプで宇宙会議と称して平均6時間ほどおしゃべりをするのだが、夢中になりすぎて、時空間が消えてしまうような感覚になる。お互いの体験をシェアし合い、気付きを深めていく。まるで禅の問答をしているようでもある。今回は、悟りのその先の世界まで言及するような、大いなるテーマに誘われた。
どうやら、龍神と鳳凰、金星人と大天使ガブリエルもこの宇宙会議に同席してくれていたようである。(笑)目に見えない領域からのエネルギーサポートをひしひし感じつつ、6時間を縦横無尽に語り合った、全容の片鱗であるが、メモを残しておこうと思う。
☆マ行の音について
名前が魂の使命を宿しているのでは?ということで、Yさんのお子さんの名前の由来をお聴きした。Yさんは、音を重視したのだそうだ。お子様の名はマ行の音なのだが、全世界で母を表す言葉は、「マ」で始まっている。「ママ」「マリア」など。マ行の音は大地とつながる音でもある。マザーアースやレディガイアのエネルギーも感じさせる。Mは、基本の音となっている。「アーメン」「オーム」「あ・うん」もMの音が入っている。それらは、始まりと終わりを表す。そもそも音は宇宙音である。サンスクリット語の真言は、音の振動にこそ意味がある。例えば、「AUM」あ・う・む(発音的に)+静寂(無・空)と正しく発音すれば、宇宙音オーム(オーン)となり、人体の眉間あたりに響くことが誰でも体感できる。眉間には第六チャクラがあり、宇宙の叡智を受け取る器官でもある。始まり⇒終わり⇒静寂⇒始まり⇒終わり⇒静寂・・・のサイクルを永遠に繰り返しているのが、この宇宙の仕組みであり、その動きは円になる。地球も球体であり、空気や水が循環して多様な生命を育んでいる。違いを超えてすべてを受容する地球のエネルギーこそがM音の表す特性となっている。宇宙のフラクタルが地球であり、またそのフラクタルが森である。このような円の動きにより調和がなされていく。
☆シュタイナーのアントロポゾフィー医学について
全身の細胞は振動しており、その振動にアプローチする医学について語り合った。波動の伝え方として、医療芸術がある。OSHOが、既にアシュラムで実践していた。特にダンスを重要視されていたらしい。音も色も波動であるから、音楽やアートなどは心身の調整に大いに役立っている。ザックリ説明すると、病は波動の乱れであり、波動を整えて本来の振動に戻せば病は消えるという考え方である。本来の振動とは、陰陽のバランスの取れた、中庸のエネルギーだ。生まれたばかりの赤ちゃんの波動を測定すると、右でも左でもなくちょうど真ん中の数値を指すそうだ。この波動状態が、理想的健康な状態である。本来の波動を取り戻すことが鍵となる。
とある方が、宇宙船に乗せられて、科学の発達した他の星を訪問したそうだ。その星の治療は棒一本を使うだけで、波動を整えて終わりだった。どうやら未来の医療はちょちょいのちょいで、波動にアプローチするだけで簡単に治療できるらしい。もう病を体験する必要のない次元が存在するわけである。その方は、宇宙人に「その棒を地球に持って帰りたい。」とお願いしたそうだ。宇宙人は、「それはダメだ。地球人は、まだこの棒を使いこなせない。悪用してしまうからこの棒は渡せない。」と断られてしまったそうだ。確かに、ウランを大量破壊兵器に利用してしまうような地球星人たちに波動スティック(?)を伝授したら、何をしでかすか分かったものではない。私たちは、まだまだ混沌を通して、魂が成熟するのを待たなければならないのだ。
ただ、昨今の医療も、西洋医学一辺倒ではなく、ホリスティック医療に目を向ける医師や患者も増えてきている。私は催眠療法に携わっているため、病は魂、心、体に等しくアプローチしなくては解決しないということを自然と理解できるようになった。ヒーリングの効果も数多く体験している。
私の二回の入院騒ぎも、Kさんの歌声や、Yさんの誘導瞑想と朗読音声により助けられている。回復のあまりの速さに、医師も家族もビックリ仰天であった。
ちなみに、Yさんの声は、天性のヒーリング効果があり、音が心身の波動を調整するという、分かりやすい見本だ。私はYさんの声を聴いて、全身の細胞の波動を中庸に戻した。おかげで自己治癒力が高まり、手術翌日から元気いっぱいに過ごしている。Yさんの声は、小川のせせらぎであり、小鳥のさえずりであり、花を揺らす風の音であり、天の恵みである雨だれであり、浜辺を洗う海の波であり、星々の瞬きであり・・・。おそらくYさんの声を波動測定器で計測すれば、科学的にヒーリング効果が発せられていることを立証できるはずだ。私は個人的に、Yさんの声のCD化(配信化?)を期待している。心身の不調に悩まされている多くの方々に届けばいいな~と勝手ながら夢を見ている。
近い未来に、波動医療は、もっと広まっていくだろう。家庭のお母さんがヒーリングボイスを発するようになれば、家族の不調は減るだろう。そう考えると、お母さんが太陽のように笑っている家庭が、どれだけ世界平和に貢献することか、波動の観点からも身に染みることだ。世界中の太陽お母さん、いつも本当にありがとう。
☆サイクリック宇宙論について
宇宙は無限の自律的な循環に従うという宇宙論のこと。宇宙は10の500乗個ある。ほぼ無限。一人ひとり宇宙を持っているという説にもつながる。(詳細は省略)
☆「べき論」について
春分を過ぎたあたりから、〇〇すべき。と、人のために無理をしてきて、もう無理ができなくなった人が多くなったようだ。この時期、Yさんも含め、周りの知人たちも、同時並行で強制終了となっていたとか。「人のため」という言葉で、今までは、自分に無理を強いて承認欲求を満たそうとしてきた。強制終了とはデトックスのこと。魂が求めていることと違う生き方をしていると強制終了につながる現実が起きる。「この現実から離れなさい。」の合図であり、宇宙からの「その方向は違いますよ。本来に戻りましょう。」というメッセージだ。この二か月、心身の不調と感情の荒波に苦しんだが、おかげでデトックス(不要なエネルギーの解放)が済んだようで、今は、全てが有難いという気持ちに行き着いたとか。
私の場合は、母を通してその気付きをブログに投稿していたのだが、Yさんは、それを読んで、同じことが起きていると感じた。宇宙の流れは、多くの人々に、本来の生き方に戻るよう、信念の浄化を促していたようだ。それぞれに貴重な体験をされたようで、興味深い。
もう自由になっていい。苦しまなくていい。自分の幸せに生きていい。魂のチャレンジは次の段階へ移行した。ここから始めることで、私たちの世界は変化していく。よりクリエイティブに、軽やかに、新たな宇宙が創造されていく。誰もが創造主となる時代の幕開けだ。
ちなみに、苦しんでいた時代を、冒頭の蓮の花の話に例えると、泥の中で栄養を蓄えていたと捉えていただきたい。苦しみが無かった方がいいとは思わない。それも必要だった。泥の中からどれだけ美しい蓮の花を咲かすことができるのか。この地球に来ている魂は、泥の体験込みで、それすら楽しみとして学んできたわけだ。魂目線から見れば、すべて了解済みであることを付け加えておきたい。
☆現実化について
想念が現実を創ることは今までもblogの中で書いてきた。最近、現実化のスピードが速まっている。Yさんも、旅先で知人のことを考えていたら、居るはずのない知人と偶然再会するという奇跡を体験したばかりだ。あまりのドラマティックなストーリー展開に、顎がはずれるほど大興奮する私だった。これをYさんが想念で現実化したとすれば、Yさんはアカデミー賞受賞に値する天才脚本家だ。今までならあり得なかったことが、簡単に起こるようになってきた。私も、この数週間のシンクロについて、嬉々として語らせていただいた。
全て、思っていることが現実化している。自分が自分を追い込んでいた人は、それを明確に理解させられるような現実が起こってくる。我慢できないくらい辛い出来事が起きて、仕事を辞める決心をした方もいたらしい。仕事を辞めることに不安はあったのだろうが、いざその決心をすると、次なる展開があまりのスムーズさで進んでいき、新たな発想による事業につながっていったそうだ。人生を魂の求める方向に舵切りした途端、宇宙からの応援がどしどし届くようになるから分かりやすい。個人的な例なので、ここに紹介することは出来ないのだが、魂の喜びに沿って生きることの大切さを伝えられた。素晴らしい体験談をお聴きすることが出来てとても感動した。その方を、私もずっと応援していきたいな~と思った。
我慢してきたことを解消しつつ、やりたかったことをやっていくために何を心がければよいのか。いかに自分を大切にしていなかったかに気づくことがポイントだろう。例えば、インナーチャイルドを癒やすことで、あらためて、自分が何が好きで何が嫌いだったかを確認してみるのも一つの方法だろう。本来の自分の生き方を築く時期が到来している。宇宙の流れを見ると、全ての人に等しく、揺さぶりをかけていると感じられる。催眠療法もひとつの有効な手段なので、ぜひ、この機会に自分の内面と向き合う時間を作ってみてはどうだろう。
☆使命について
使命とは、自分の命をどう使うかということ。運命は運ばれてくるもののこと。天命に気づけば自分の使命が分かる。使命を知るには、自分の体験を大切にしていくこと。答えは人生の中にある。真理は、体験を持って語ると人に伝わりやすい。ちなみにOSHOは、メタファー、アナロジーを使って真理を語っている。
Yさんは、話したい事が相手に伝わらなかった時、自分の体験を語ってみた。そうしたところ、相手は感動して、とても分かりやすかったと言ってくれた。自分の体験など、たいしたものでもないのに、こんな話でもいいの?と思ったが、意外と、体験を語ると伝えたいことが伝わりやすいことが理解できた。自分の体験を補完するために誰かの言葉を使うこともある。体験を語ることは自分の宇宙を語ることになる。自分の感じた事や体験をそのまま語ることで、その場に共振が起こるのだろう。
☆私たちは皆五百羅漢
目黒区にある五百羅漢寺発行『らかんさんのことば』について、Yさんに聴いてもらう。
私がふと思ったこと。
「五百羅漢は、お釈迦様の弟子であり、お釈迦様の言葉を後世に残そうとしてくれていた。お釈迦様は沢山の真理の言葉を残され、それは経典となったけれど、多くの庶民は難しい言葉の意味を理解しなかった。五百羅漢一人ひとりは、お釈迦様の教えをパーフェクトに体現できていたかというと、そうではないと思う。それぞれに得意分野があって、「私は人に笑顔で接することができます」「私はお話することが得意です」「私は謙虚です」など、それぞれに特性があったのだと思う。一人として見れば不完全だけど、全体として見れば補い合って完全。一人は不完全だからこそ、他の五百羅漢の特性から学び修行を深め、やる気につながったのだと思う。五百羅漢一人ひとりに付けられた名前と意味を読んでいると、そんな風に思う。そして、彼らは、お釈迦様の言葉を一言一句違わずに庶民に伝えたのではないと思う。お経の言葉は有難いけれど、とても難しいから。そこで、彼らが自らの体験を語り、「私はこんな辛い体験をしてね。そうしたらこういう気付きがあって。実はお釈迦様もこうおっしゃていますが・・」という話し方で、周りの人に伝えたのではないかな。」
Yさんには、お好きな数字をいくつか挙げてもらい、数秘術で運命数を算出し、Yさんにぴったりの五百羅漢を見つけてみた。
慧作尊者(えさそんじゃ):おだやかな顔とやさしい言葉
まさに、Yさんの特質そのものだな~と、思った。今度、五百羅漢寺に行ったら、慧作尊者の像をしっかり見てこようと思う。その姿もYさんに似て居たとしたら、と想像してニヤニヤしてしまう私であった。
☆不立文字(ふりゅうもんじ)
禅宗の教義を表す言葉。文字や言葉による教義の伝達の他に体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味。悟りは言葉で表せるものではない。お釈迦様は本質的に伝えたい事は言葉で伝えられないと知っていた。
拈華微笑の釈迦牟尼仏(五百羅漢寺の本尊)について、Yさんから説明を受ける。
その姿は、真理のメタファーである蓮の花をそのまま差し出している。蓮の花は悟りを表している。「これが私の伝えたいことです」と微笑しているところ。人は悟った時、ただ笑うしかないのだとか。教外別伝。禅で伝えたい大元を弟子の一人は受け取ってニッコリ笑った。
泥から生まれるのが蓮。泥(エゴ)の部分から出て波立つ水面から顔を出し花を咲かせる。それは悟りの説明によく使われている。悟りはエゴを否定しない。エゴから離れた時に悟ることが出来る。深いエゴ、三次元のゴタゴタをスピリチュアル的に体験した上で、初めて客観的に自我を眺めた時、蓮の花のような綺麗なニルバーナ(涅槃)を見ることになる。
この世は全てリーラ(神の遊び)。うつし絵。
全て私が創り上げている。現実は幻であると見抜いた瞬間、笑いしか起きない。悟りを求めるエゴを捨てた時に悟る。求めていたものは、すべて自分の内側にあったことが明らかになる。メーテルリンクの『青い鳥』がそのことを伝えている。
OSHOは悟りの瞬間を「千の太陽が爆発したような。千の蓮の花が開いたような。」と表現している。波立った水面を観照しているのは、神(大いなる存在)。客観視している状態、光明を得た状態のことを悟りと言う。
☆泥(ヘドロ)も大事
聖なるものだけを求めるのではなく清濁の濁の部分から悟りを得る。私たちは、わざと陰陽を体験しに三次元世界に来ている。
☆オンマニペメフムという真言
蓮華の中の宝玉。完全無欠の状態。
本質を思い出すこと。蓮の実。宇宙フラクタルの構造そのもの。瞑想をして宇宙とつながり色々分かった時フラクタルを見る。お釈迦さまは、蓮が宇宙の真理を表している事を知っていた。蓮を使うことが一番人に伝わりやすいと承知していたのだ。
☆何事も一点のみを見て判断しないこと
人に対しても一点だけを見て嫌いになるのではなく、立体で見るようにする。ここは嫌だけど、こんないい面もあるんだなという気づきに至る。すべては多面体である。
言葉は真理を伝えられない。限界があることに気づくこと。だから、お釈迦さまは蓮の花を手に、ただ微笑されたことですべてを伝えようとされたのだ。禅はこのエピソードから始まったとされる。
☆金星からのメッセージ
Yさんの体験談。
とある療法を受けていて、意識が金星を訪れた。Yさんは、金星人に、地球体験が辛いことを訴えた。金星人は、こう返したとか。
「行きたくて行ったんだべ。楽しめばいいべ。」
Yさんの話を聞いて、肩の力が抜けた。笑いつつ、この地球に生きている誰もが、そうなのだと思った。本質の高次元に居る限り、苦しむ事は無い。そこでゆっくり穏やかにゆらいでいればいいのだ。それなのに、私というこの意識を持つ個性魂は、聖なる世界だけに飽き足らず、わざわざ泥にまみれる体験をしたくて、重い振動を身に纏い地球に降りたのだ。おそらくその方が魂の学びが深まるから。(面白いから)
Yさんは、転生する際に、金星人から「何もそんな苦労しに、わざわざ行くこともないべ。」と止められたかもしれない。それでもYさんは、「いや、地球に行って、泥の中から蓮の花を咲かせるというカリキュラムに参加してみたい。面白そうだべ?」と豪快に笑って、地球にやってきたのだと想像する。誰もが、ワクワクして、このチャレンジに参加したのだ。全て了解の上で。そうでないと地球転生は出来ない。すべて自分の魂の選択だ。
俗世の方がよほどの修行場。よっぽどの上級コースということだ。
☆西に真理(経典)を探しに行く旅
私がチベット旅行記など、河口慧海の本にはまっているのはなぜだろう。どうやらDNAに、「西方に行けば真理を得られる」という刷り込みが刻まれているようだ。長い地球転生の間に、仏教徒だった時代も多く、漢訳された経典ではなく、お釈迦様の時代に近い原典を正しく世に広めたいという熱意が、どこかの時代に宿ってしまったようだ。だから、玄奘三蔵のストーリー同様に、真理を求める旅というものに、魂の憧憬を感じる。Yさんに、「西に旅してみたいという思いが湧いてこないですか?」と質問してみたところ、
「西に経典を探しに行かなくても自分の中を探求すればよい。答えはすべてここにある。」と自分のハートを指さされた。何だか、目の前の覆いが取り払われたような、スッキリとした気持ちになり、開放感を味わった。プチ覚醒体験だ。
そうだ。慧海みたいに、苦労して雪のヒマラヤ越えをしなくても、命の危険にさらされながら経典(真理と言う宝)を持ち帰ろうとしなくても、もういいんだ。時代は移り変わった。これからは、経典に書かれていること、またはそれ以上の真理を、一人ひとりが宇宙とつながりキャッチする時代に入った。悟ったその先へ進んで行く時代になったのだ。なんて面白い時代に私たちは生きているのだろう。
☆二極の融合
鳳凰と龍のような相反する強力なエネルギーも和すれば無限エネルギーになる。
パートナーシップの意味とは、陰陽が与え合うエネルギーのこと。お互いが影響し合い、魂の課題に気づかせていく存在。本質に戻って行くと、エネルギーが軽くなっていく。そうなると、自分の内側を表現していくようになっていく。肉体を通し、高次元の自分と三次元の自分との共同作業が始まる。可能性は無限大だ。
☆十牛図について
OSHOの本『究極の旅』について。悟りのその先のことが書いてある。無で終わらない。山から帰って来て人と交流する。
ネガティブを含めた自分に気づいていくことが悟り。苦を得てもなお幸せだ。悟りは段階がある。泥も含め全部本当の自分。本当の安心を得る。全部受け入れる状態が悟り。「生み出すものは子どもじゃなくてもいい。あなたにとっては、言葉かもしれない。」というYさんからいただいたメッセージがいつまでも心の中で陽だまりのぬくもりになっていた。
☆オラクルカードリーディング
宇宙会議恒例のオラクルカードリーディング。会議前に、「本日の会議の内容を補完するメッセージをお届けください。」と意図して、数枚引いておいたもの。会議の終盤に、Yさんと読み解きをしていくのも、気付きが深まって、楽しいひとときとなっている。毎回、会議の内容は、話してみないと分からないのだが、一通り話し終わってからカードを眺めてみると、まるで私たちが何を話し合うのか予測されていたかのようで、驚くのだった。すべて宇宙の采配なのだなあと思わざるを得ない。
カードに書かれているアインソフの意味とは。
「古代ヘブライ語に由来し、ユダヤ教神秘主義思想の一つであるカバラの宇宙観の中に登場。アインは「無」アインソフは「無限」を表す。旧約聖書では、アインは神による世界創造以前の世界を。アインソフは、神による世界創造、または世界創造を行う神そのものを指す。」
悟りのその先の世界について、会議の終盤にYさんとちらっと話題にしていたのだが、そのヒントになるような一枚だと思った。
悟った後は、寺や教会など神聖な場に籠るのではなく、里に下るのである。肉体を持って、宇宙本質の光とつながり、その魂固有のエネルギーを現実世界において表現して生きること。魂の表現のステージに移行するのではないかと感じた。
ふと、宇宙源の意識に触れたような気がした。「面白いじゃない?」と。
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