「助けたい」に違和感を感じる

 数年前の体験だ。私は、うつ病で、プラス、がん患者だった。十数年関係のあった方(A氏とする)が、わざわざ入院先に見舞いに来てくれた。

A氏は、神様事のお仕事をされていて、私は、たまにボランティアでお手伝いをしていた。A氏を心の師匠ぐらいに尊敬していたし、神様事は、私の好きな分野だった。A氏と共に本腰を入れてその仕事に邁進するのもいいなあと思っていたが、踏ん切りがつかないまま、お手伝いの立場で付かず離れずのお付き合いをしていた。

A氏から、病室で諭された。今の仕事を辞めて、あなたの好きな事をしなさい。と。私は生活費を稼げなくなる心配を口にした。A氏は、生活の心配はしなくてよい。好きな事をしていれば、ちゃんと生かされる。と笑った。確かにA氏の人生はそのようになっていたから、本当なのだとは思った。

そして、A氏から、一緒に仕事をしようと誘われた。私も、今の仕事を辞めてから何をしたらよいか分からなかったので、共に何か出来たら嬉しいとは思っていた。でも、微かに違うような気持ちもあった。この時点では、気持ちの半分以上がA氏の会社の社員になる方に傾いていた。

A氏は言った。私は今までに何度もあなたに手を差し伸べてきた。何度も助けようとしてきた。あなたは、その都度、逃げてきた。これは、最後だからね。と。

私は、「助けようとしてきた」というA氏の言葉に、引っ掛かりを感じた。

結局は、助ける側、助けられる側という上下関係があり、私は使われる側であり、今の仕事の立場と何ら変わりが無いのだと目が覚めた。私はもう誰にも使われたくない。もっと自由になりたいと思った。

A氏が悪いわけではない。その方なりに、私に愛情を示してくれたのだ。私を助けようとしてくれた。素直に有り難く、心から感謝している。そして、誰かに寄りかかって生きていきたいという自分の弱さを、しっかり実感させてくれたことにも感謝している。もう、卑屈な自分を演じるのは止めたかった。A氏は、この日、鏡の役割をしてくれたのだ。

後日、私は、A氏にお断りのメッセージを送った。あれからもうお会いしていない。不思議と接点が奇麗に消えてしまった。お互いに魂の役割を果たしたので、会う必要が無くなったのだと思う。魂の関係性はあっさりしている。A氏は、結果的に私の精神的自立の切っ掛けになったのだ。

ここで、言いたいことは、「あなたを助けたい」のエネルギーが、いかに違和感があるかということだ。

助ける側は、良かれと思い、そのエネルギーで動くのだろうが、それは、依存のエネルギーを生む。エゴの領域の関係性になる。情のエネルギーは、重くズルズルと引きずるような感覚にもなる。助ける、助けられるドラマを成立させるため、無意識に次なる問題をせっせと創造していくから、キリがない。

本来、魂に上下はない。差も無い。それぞれが素晴らしく、尊厳に値する。元々ひとつであるから、助ける助けないもない。完璧な調和だ。

今までの時代は、助けたり助けられたり、上下や差を感じさせるところでドラマを演じてきた。必ず序列があり、貧富や精神の差があり、得意になったり、卑屈になったり、攻撃したり、優しくしたり。崇めたり、蔑んだり、それを楽しむ世界だった。自作自演ドラマに夢中になり、没頭してきた。刺激的な遊び場だった。

宇宙の流れは分離から統合へ向かっている。宇宙の流行が反対側に変化している。遊びの方向性が真逆になったとも言える。結局は、私たちは、大いなる流れに乗せられているに過ぎない。宇宙は何万年周期で、グルグル周る。(真実はこの瞬間に宇宙は破壊創造されている。人間が時空概念に縛られて、決して認識できないため、ここでは時間の流れがある前提で書いてみる。)

しかし、その大いなる何かの動きは、全体でもあり、私の本質でもある。


ノ•ジェスの美しい数式

0=∞=1


自我が仕掛けてくる幻ドラマから、抜け出す日は近い。大いなる流れはそのように流れている。

違和感に素直になり、インスピレーションを大切にして、思考から離れる時間を増やしていくと、きっと宇宙の流行(本質の意思)に乗れるだろう。

抵抗の無い、滑らかな流れのままに。


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