宇宙会議~マリア様のエネルギーとともに

 本日、恒例の宇宙会議を開催。

午前中は、スカイプでソマティック・ヒーリング(体細胞療法)の練習会をした。そのセッションが本当に素晴らしかった。

クライアントとリードセラピストとアシストセラピストの計3名でのセッションだった。

催眠療法セッションでは、あるあるの現象なのだが、クライアントの課題が、参加者全員の今まさに直面している課題と全く同じであり、共に気づき、共に癒されていった。素晴らしい相乗効果だったのだ。催眠療法は、宇宙の采配でご縁結びがなされているとしか思えない。どうして、こうもピッタリの人選で出会わされたのだろう。しかもまさにこのタイミングで!人知を超えた采配に、ただ驚くしかない。

午後は、セッションにアシストとして参加してくださった、Yさん(魂の兄。宇宙会議ではお馴染み)と二人で、急遽宇宙会議をする流れとなった。

私もYさんも、今年に入ってから、ジェットコースターのように、光と闇体験を繰り返しており、心身ヘトヘトでもあった。数日前は、二人とも絶不調であったため、本日ちゃんとスカイプで顔を合わせられるかどうか、正直分からなかった。しかしそこは宇宙の采配である。ちゃんと浮上して、ギリギリセーフで気力回復し、奇跡のセッションを体験することとなったのだ。クライアント役のMさん、ありがとうございました!

☆議題1「宇宙からの応援エネルギーを受け取る人、受け取らない人」

人間には背骨に添ってエネルギーの通り道がある。その軸を通り、宇宙からエネルギーが注がれている。この本質からのエネルギーを頭頂あるいは眉間から受け取るのだが、マインドがそれを邪魔してしまい、蓋をしてしまう(フィルターをつけてしまう)人もいる。

万人に平等に宇宙エネルギーは注がれている。そのエネルギーを受け取り、宇宙とひとつになる段階の人は、転生(人生)経験の総和の段階にある。宇宙から、「もう物質次元での二極体験はいいんじゃない?」とサインを送られている。

そのサインを無視していたり、聞く耳を持たない人もいる。人生では、その時その人に必要な事が起きている。どんな出来事もありのままに受け入れるのか、ネガティブな事として抵抗するのか。受け取るのか受け取らないのかの違い。受け取る人は、直観を大事にして、大元の声を感じ取っている。全ては宇宙の采配でしかない。

☆議題2

一切皆苦、諸法無我、天上天下唯我独尊、東西南北七歩

仏陀は「あなたは宇宙なんです」というのを生まれた段階で言った。

仏陀の「行為者はいない」

神は愛である。あなたは愛である。

あなたが思っている私はいない。

状態を味わう。恐怖は味わい尽くすと消える。

等について。語り合った。

☆議題3「オールドソウルについて」

今回クライアント役で雪国から参加してくださった、Mさんもそうだし、前回の宇宙会議に参加してくださった光おむすびのEさんもそう。偉大な魂を感じた。ご一緒させていただくだけで、癒され浄化された感覚がある。学びも多かった。

オールドソウルとは、その転生回数で、より豊富な経験を持つ大きな魂の持ち主のこと。

肉体年齢は一切関係ない。例えば生まれたばかりの赤ん坊でも、母親より転生回数が多く、思慮深い魂であったりする。魂視点から見ると、年齢が上だからとか、下だからとか関係なくなってくる。つまり、相手が何歳であろうと、尊敬すべきところがあるということだ。

このように、宇宙の采配(プロデュース)により用意されたステージで、オールドソウル達と共演できるなんて、なかなか無い素晴らしい体験だ。魂の世界に帰ってしまったら、波動同調の法則により、自分が発している波動と同じ魂仲間の世界にしか居られないようになる。だから、様々な異なる波動を発する存在達と交流できる地球体験は、魂にとって大いに学びになるのである。「今日は本当に良かったね~。」とYさんと喜び合ったのだった。

以下は、会議終了後、あらためて私一人で考察した内容。

自分と似たような波動の相手には親しみを感じるし、あまりにも違いすぎる波動の相手には居心地悪さを感じるだろう。ただそれは魂の個性でもあるので、同調はできなくても「あなたはその波動なんですね。」と受け入れることが大切なんだろう。その違いから、何を学べるのかという視点になれば、この貴重な機会を活かせる。

例えば、親と折り合いが悪くて苦しんでいるとする。親子なのに価値観が全然違うため、対立してしまったりする。その原因は、もしかしたら魂経験から波動が違っているからかもしれない。ただ、わざわざ魂が、居心地の良い世界から雑多な波動入り混じるこの世界にやって来た意味を考えてみたい。嫌だからと、相手を拒絶したり、威圧したり、コントロールしたりするのは簡単だ。ここに魂の課題がある。

地球の惑星神霊としてのテーマは「どんな違いも受け入れる」ということだ。人間の肉体に宿る魂のルーツは、宇宙のあらゆる星からやってきている。次元も様々。光の極みから闇の極みまで。宇宙中から危険視されたルシファーですら、地球は「どうぞ、いらしてください。」と受け入れたのだ。地球でしか味わえない学びのテーマがある。違いを超えて、受け入れ合い調和を目指す。この宇宙では初めての試みなので、高次元の神霊達も試行錯誤しながら取り組んでいる。泣いたり笑ったり落ち込んだり希望を持ったりしながら、何度も転生して、愛の星地球を目指している。みんなが学んでいる途上なのだ。

地球の平和を望むなら、戦争の無い世界を思い描くなら、まずは目の前の人との課題に取り組むことだ。自分を押し殺したり、相手を否定したりするのではなく、受け入れ合うにはどうしたらよいのかを探っていく。とても難しい課題だと思うが、私たちの魂は、分かっていてここにやって来たのだ。それを学びたかったのだ。

私は、宇宙源の愛のエネルギー。条件付きの愛ではなく、無条件の愛を思い出すことがヒントになるのではないかと考えている。この物質次元で無条件の愛を顕現できたら、地球卒業単位取得となるだろう。

という設定の宇宙プロデュースドラマを演じさせられている「私」という分離意識は、実は存在せず、もともと全てはひとつ。自作自演の神遊び(リーラ)。ただただ、自分(宇宙)を知りたくて、幻を創出し、体験と感情を味わっている。とも言える。

せっかくなので、この設定を大いに味わっておこう。やりたくてやっているのだから。どんなハードな出来事も、こんな視点で眺めてみれば、きっと面白くなると思う。もっと肩の力抜いて、楽しんじゃったらいいよ。困難をギフトと捉えられたら、すごく楽しくなる。

Yさんは、「私」意識は、神様が動かす指人形の指のひとつと表現していた。分かりやすい~。神が指を動かして「俺はルシファー~~。」とかやってるわけだ。

☆議題4「闇にこそ愛がある」

人生には思いがけない出来事が起こる。本人にとって、とても辛くて苦しい事。胸がザワザワしてしまって、落ち込んでしまうようなこと。絶望してしまうようなこと。

今回集まった3名は、病、事故、怪我などの(一部命がけな)闇を味わっていた。

催眠下で得た気付きは、「それを無かったことにしない。生きていれば必ず闇はある。闇を丁寧に味わうことだ。そうすれば闇はより大きな光へと変化する。」だった。セラピスト役もクライアント役も、同じ気づきに誘われ解放された。

なぜ、この闇体験が人生に用意されているのか。それは「そろそろ不要な観念を手放してくださいね」というメッセージだ。手放さないと新しいエネルギーは入ってこられない。荷物でパンパンの部屋に新しい家具を搬入することは出来ないのと同じだ。出して受け入れる。このエネルギーの循環がトーラスであり、宇宙の流れに沿うものでもある。

闇はインパクトがあり、本人にとっては嫌で辛いものなので、否応なしに直面させられる。ビーズの例で言えば、ふと手にしたビーズが平凡なものであれば、あまり見ることなく紐に通すだけだろうが、個性的な形や色(トゲトゲがついていたり、派手な色)だったら、「何だこれ?」とまじまじと見つめてしまうだろう。これが闇の本来の働きだ。「丁寧に見る。じっくりしっかり味わう。」ことで、私たちは自身の内面と対話することになる。そこで、不要な観念や魂の癖(数ある転生で身に着けてしまったもの)に気づく。「これ、もういらないんじゃない?」と気づく。それを手放すと、新しいエネルギーが宇宙から注がれ、入ってくる。魂は次の学びへ移行することが出来る。つまり闇を味わうと光に変化するというのは、次のステージへの誘いであり、これこそ、地球で学びたい魂にとっては昇級試験をパスする喜びになるわけだ。

闇は様々な装いで、現実化されて展開する。もし人間がその役割を担うなら、よっぽど深い愛が無いと出来ないと思うのだ。宇宙源のエネルギーは至高の愛だ。闇はそこから究極に離れたエネルギーとなる。魂からすれば、どれだけ苦しく辛い役割になることか。光の役割を演じているほうがよっぽど気楽だし、皆に感謝されるし、楽しいはずだ。誰も嫌われ者なんか演じたくない。相手には恨まれるし、孤独だ。でも、その相手の学びのために「よし、一肌脱いでやろう!」と演じてくれている。インパクトある悪役を演じ、その人が気付きを得て昇級していけば、報われるわけだ。よっぽどの大きな愛が根底になければ出来ないことだ。だから光と闇の構造は、元々はひとつという視点に立って観ると、愛と感謝しか無い事に気づく。だから、辛い出来事が起きたら、目をそらさず、味わい尽くすことだ。苦しいけど、味わい尽くせば光になる。必ず。そこから目をそらすと、闇は消えない。魂の昇級試験を受けるも受けないも、自由だが。せっかくだからお誘いに乗ってみてはどうだろう。

☆オラクルカードリーディング

毎度ながら、本日のメッセージを宇宙からもらうためカードを引く。

二人で、感じたことを自由に語りつつ、解釈を試みる。

適当に引いた二枚なのだが、今日のテーマに通じるもので、おかげで理解が深まった。やっぱり、行為者はいないのだな。すべては宇宙の采配なのだなと思わされた。


フェニックスか龍神のように見える。宇宙からの光がそそがれている。その宇宙エネルギーが中心線(軸)を通り抜けている。宇宙からの光は放射状に発せられており、全ての存在にあまねく降り注いでいる。それを受け取るも受け取らないも自由。フェニックスは両手を広げ、その光を受け取ろうとしている。手を広げた様子は、同時に手放しをしている。もう不要なものを手放して自分の中に空きスペースを用意しないと、新しいエネルギーを受け取ることが出来ない。手放してから受け取ることが大事。今日の議題に通じる1枚だった。



カードをさかさまにして、さらに読み解いていく。女性の子宮と男性器に見える。

男性性と女性性の統合を表しているのではないだろうか。男性は与える役割。女性は受容する役割。肉体は性別が分かれているが、魂存在としては、男性性も女性性も内在している。私の中にも女性性だけでなく男性性も確かにある。例えば、社会の第一線で働く場合など、男性性を優位にして活動する。Yさんは肉体は男性であるが、メチャクチャ受容度が高い。女性性を優位にして頑張られていたのだろう。このように、どちらかの性に偏り過ぎると、バランスを崩し、肉体レベルに不都合(痛みや病等)として表現されてくる。エネルギーは、中庸に戻ろうとする。右に偏り過ぎれば左に戻ろうとする。女性性と男性性のバランスを取り統合しなさい。真ん中に戻りなさい。というメッセージと解釈した。現代社会は、男性性原理に傾きすぎているので、これからは女性性(受容する社会)を取り戻していく必要があるのだろう。いずれにしても行きすぎず、どちらも程よく発揮できたらよいのだろう。


聖なる女性のカード。

本日の午前中は、マリア様のエネルギーに満ち溢れていたため、まさにぴったりのカードが出て、驚きのあまり悲鳴を上げてしまう私。本当に、マリア様がそばにいてくれたようだ。催眠を通し、3人とも、マリア様のメッセージをしっかり受け取っていたため、このささやかな宇宙会議への参列に、深く感謝であった。メッセージはここに書くことは出来ないが、宇宙と一体となる大切さを伝えられた。人生の次のステージへの誘いでもあった。

ハートから放射している光は、縦と横に伸びている。通常宇宙エネルギーは縦の線で表現されるが、本来、宇宙は上下の概念は無い。そのため、もしエネルギーを三次元で無理矢理表現するなら、トーラスの動きとなる。二次元で表現すると縦と横になる。縦の流れは智慧を受け取るライン。横の流れは生命エネルギーを受け取るライン。トーラスは、受け入れる→出す→受け入れる→出す という流れになっている。この働きは上述した男性性と女性性の役割にも符号する。このカードも男性性と女性性の統合を伝えてきたのだと思われる。両方の働きが大切なんですよ~。ということだ。確かに、知恵ばかりつけても、生命エネルギーが枯渇したら、活動ができない。勉強ばかりして、外で遊ばない子供は、心身偏って成長してしまう。本も読むけど、太陽の下で思いっきり駆け回ることも大事。例えとしてはそんなイメージか。

偶然なのだが、実は今朝起きたら、第二チャクラの位置が活性化していたのだ。たまにこういうことがあるのだが、おへその下あたりが動くような感じで、エネルギーが満ちて熱くなっていく感覚だった。生命エネルギーを司るのが第二チャクラだ。睡眠中にどうやら宇宙からエネルギーを重点的に注入されたらしい。来月早々に手術があるので、必要な元気エネルギーをプレゼントしてもらえたようだ。私は、マリア様からの贈り物ではないかと感じている。

追記

これを書いた翌日に判明

北海道のセラピスト仲間が、私が手術することを知り、「大丈夫、大丈夫!」と愛を送ってくださっていた、丁度その日の夜に、私の生命エネルギーが活性化していた。人の祈りは、対象者が意識するしないに関わらず、必ず届いている。なんだか分からないけど元気になったなあと、感じるなら、もしかしたら、誰かが、祈ってくれたのかもしれない。

☆宇宙会議を終えて

1月に入ってから怒涛の日々であり、来月の不安から、落ち込んだりエネルギー不足に陥ったりしていた。しかし、宇宙のご縁結びのおかげで、素晴らしい一日を過ごすことが出来た。

人のためにと、何かをやって、もし疲労を感じるのなら、それはエゴからの行動だったかもしれない。

もし同じ行動をするのでも、楽しくて、ワクワクして、終わった後はさらに元気になっているようなら、それは宇宙(神)がこの肉体を通して行ったのかもしれない。

つまり、フローとか、夢中とか言われる状態。自我が消えている状態になること。

宇宙に委ねると、身体を通して、宇宙の意志が働き、そのエネルギーである愛が顕現される。自我を介さないため、調和した世界となる。

ゼロポイントエネルギーと言えるのかもしれない。

調和、中庸、真ん中、統合など、本日もたらされたキーワードを忘れないように。偏り過ぎずにほどほどに、楽しんでいきたいと思う。ちなみに頑張るはエゴの働きだ。

「もう頑張らなくていいんだよ。委ねなさい。」だ。

そして、ちらっと話題にした、ルシファーの真実の愛について、いつか書いてみたいと思う。闇にも闇の役割がある。やはり感謝しかない。宇宙は感謝と愛でできているという話。

体験した闇が暗いほど、明けた先の光の輝きに感動するのだねと

Yさんと、互いの実体験を振り返って、頷き合ったのだった。

☆人狼ゲームの思い出と源意識

上記体験の翌日

美容院へカットとカラーをしてもらいに行った。

いつもの仲良しスタッフさんに対応していただき、おしゃべりで盛り上がった。

彼女は最近ボードゲームカフェにはまっているそうで、その話を聞いていたら、過去の記憶がよみがえってきた。

10年近く前の記憶。知人のホームパーティーに参加した。15人くらいの参加者がいて、知り合いは2人くらいだった。ほとんど知らない人に交じり人狼ゲームを初体験したのだ。

人狼ゲームのルールはあまり覚えていない。カードゲームで、嘘を上手くつきながら、周りを欺き勝利するような内容だった。

日常で嘘をつくことはあまり無いが、ゲームで嘘を付くのは遊びなので、楽しかった。上手く欺けたなあと、ワクワク遊んでいた。

ワンゲーム終わった時、一人の参加者が、涙を流しているのに周りは気がついて、ざわついた。彼女は、「だんだん、嘘をついているのが辛くなった。皆を騙しているのが悲しくなった。」と、泣いてしまったのだ。

私は、彼女の純粋さに心洗われつつ、「でも、これ、ゲームだし。楽しめばいいのに····」と感じた。彼女のピュアさが、眩しかった。私は嬉々として欺きゲームに興じていたから。

彼女は純粋すぎたのか。現実は彼女を苦しめたのか。数年後、自宅で脳梗塞で急死した。たくさんの地域の仲間が彼女の死を悼んだ。存在そのもので、天使のように周りを癒してくれた彼女は、とても愛されていたのに。彼女は汚れを知らなすぎた。

何年振りかに、その事を思い出して、何となく宇宙源(創造主)意識が分かるような気がした。

ゲームをして楽しんでいる私たちは、もちろん現実では、嘘はほとんど付かないし、人を騙すこともしない。しかし、ゲームだから、悪役も喜んで演じるし、欺いて誰かを出し抜ければ、やった~!と嬉しくなる。ゲームだと分かっているから。本当に誰かを傷つけるわけではないから安心して遊ぶ。こういう設定で、普段は出来ないキャラを演じて、楽しみましょうねと、全員が了解の上で、やりたいからやるのである。

これって、もしかしたら、創造主の視点に近いかも?と気づいたのだ。

因果律とか、波動同調とか、諸行無常とか、宇宙法則は、ゲームを楽しむためのルールにすぎない。ゲームで誰かが破産したり、殺されたりしても、本当にその人が傷つけられるわけではない。遊びで、傷ついたように感じるだけで、ゲームが終われば、勝者も敗者も「楽しかったね!」と笑い合う。負けた恨みを引き摺り、本気で勝者を殺してしまうようなことは無い。そういう体験をしたんだね、という遊びに過ぎないから。

人狼ゲームをして、本気で傷つき、涙を流した彼女は、ゲームと割りきって楽しんでいる参加者から見れば、「そんなにのめり込んだんだ。現実とごっこ遊びの違いすら分からなくなるほどに。」と、驚きの眼差しで眺められたかもしれない。私は彼女のピュアさが羨ましくもあり、生き辛いだろうなあと心配にもなった。

現実は幻であり、起こる出来事は、神のリーラ(遊び)と言われると、

私はこんなに現実に苦しめられているのに、神の遊びだと?いい加減なこと言うな!と腹を立てたくなるかもしれない。それほど、本質と幻(ゲーム)の境目が分からなくなっている。傷ついたと、涙を流すが、実はワンゲーム終われば、「あれ?ゲームだった。」と苦笑しているだろう。目覚めとか悟りとは、こういうことなのかもしれない。何があっても本質は、傷つけられることはない。ということ。

創造主は、現実(幻、ゲーム、遊び)で、本気で泣いたり笑ったり怒ったりしている私たちを、眩しい思いで眺めているかもしれない。そんなに体当たりで遊びに没頭できる私たちを、うらやましいと感じるかもしれない。

目覚めや悟りは、ゲームを心底楽しめなくなるということだ。ならば、ゲーム終了時間まで、目一杯楽しんだ方がいいんじゃない?やりたくて参加したのなら。

勝者も敗者も、目覚めれば和気あいあいと肩を組み笑い合う。和やかなホームパーティー(魂の故郷)に戻るのだから。

もし、遊びという表現が気になる方は、学びに置き換えてあらためて読み直してみてはどうだろう。

私は、自分の本質を感じる時、常にワクワクして、何事も楽しんでいる意識を感じ取るので、「遊び」という表現の方が近いように思うのだ。


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