歌を忘れたカナリヤは
何か大切なことを伝える役割の存在がいる。
危険を察知した時
大声で知らせる。
近い未来に起こりそうな時は
より多くの人に知らせようと工夫もする。
声を出すだけでなくて、文章で発信したり。様々な媒体を利用したり。
また、言葉を介さず、自らの体験を通して、その姿を見せることで、伝える存在もいる。ビジュアルで見せる方が、言葉より伝わる情報量が多いので、インパクトが増す。情報に感情が乗ると、さらに人の心を揺り動かす。
人は、危険を察知した時に、瞬時に逃げるか、固まるか。どちらかの選択をする。思考を介さない瞬時の反応が生死を分ける。太古の昔から生き延びてきた祖先の遺伝子に組み込まれ、現代の私たちに引き継がれている。では、目に見えないような変化に対して、私たちはどう危険を回避するのだろうか。
物質偏重主義に陥り、精神性や自然を大切にしなくなったこの文明は、行き詰まりを見せている。このまま進めばいずれ崩壊する。分かっちゃいるけど止められない。思考停止のまま、歩み続ける人々に、「止まれ!危ない!」と危険を知らせる存在がいる。
がんに罹患する人は、二人に一人という驚異の割合になった。30年ほど前は三人に一人と医師に言われたことがある。医学は進歩しているはずなのに、より困難さを増している。
ちなみに、やはり20年ほど前に私がうつ病になった時は、職場で責められた。「他の人はうつ病になってないだろう?ということは、お前の働き方が悪いんだ!普通に働けないなら辞めてもらう。」と、うつ病になったのは、自己責任とされていた。20年経過し、うつ病は珍しくなくなった。誰でもかかるポピュラーな病に変化した。
とても、心が痛くなる話だが、ずっと昔、機動隊捜査のニュースで、カナリアの鳥かごを持った捜査員の姿を見たことがある。当時、ショックで涙が出た。サリン事件に関連する捜査だったかと記憶している。カナリアは、敏感に無臭の毒ガスにも反応するから使われたらしい。
カナリアは、人間に、「危ない!」と知らせて、その役割を担ってくれた。
もし、カナリアが鳴き止んだら(倒れたら)、私たちには、目に見えない危険から遠くに離れる決断が出来る。少なくとも、歩みを止めることは出来る。
カナリアは、何が原因だとか、危険の詳細を語ることはない。その姿を見せて、訴えてくる。私たちには、それを見て、ようやく考える。行動を変える気持ちになる。悲しいけれど。それが人間だ。
真っ先にうつ病になった私は、職場のカナリアだったのではないかと、ずっと思ってきた。目に見えない不穏を敏感に感じ取り、身体の不調を見せることで、まわりに危険を訴えていた。「このままいくと、危ないよ。」と。特定の職場だけではなく、社会全体に警告を発する、鳴かなくなったカナリアの役割を無意識に担ったのだ。
当時、うつ病になった私を激しく責めた同僚は、数年後にうつ病になり、職場を去った。げっそり痩せた姿の写真を随分後になってから、彼の配偶者から見せられた。私はカナリア役としては、彼の役に立つことは出来なかった。彼の歩みは止められなかった。
しかし、続々と出現するカナリア達のおかげで、歩みの方向を変える仲間もきっと居たと思う。環境は改善した部分もあるが、社会の根本原因が変わらないので、焼け石に水だ。
先にそのシステムから脱した人は、試行錯誤しつつ、その先の世界を、健全な循環型のシステムを創ろうとしている。奪い合いではなく、分かち合い。殺し合いではなく生かし合いの世界へ。
昨日の投稿で、がん患者向けのヒプノチャネリングの話を書いた。
チャネリングしてくださったCさんは、催眠状態で、黒い雲が立ち込めてきて、雷が鳴っているビジョンを見て、全員におっしゃった。
「雷がなっている。みんなに伝えなきゃ。という気持ちになっている。」
「今日、ここに集まった方々は、自分が危険を察知したから、皆に伝えてあげたいというタイプなのではないか。他者に影響を与える役割なのではないか。」
私は、Cさんのこの言葉を聞いて、ハッとしたのだ。うつ病で感じていたカナリアの姿をよみがえらせた。ここに集まったのは、がん患者ばかりだ。そうか。危険を知らせる役割を私たちは担っているんだ。私たちは、単なる病人ではない。仲間に知らせる聖なる役割を担っているんだ。そう気づいたら、全ての謎が解けたような、スッキリとした気持ちになった。
がんの原因は様々だ。ストレスも、食べ物も、水も、土も、空気も。微生物や化学物質、現代の生活には欠かせない電磁波まで複雑に関係してくる。なかなか目に見えないから、分かりにくい。
生活は便利になるのに病気が増える。私たちの病気を治す免疫力を下げるような仕組みが蔓延している。
酸素が無いと生物は死んでしまう。分かっているのに、森林を破壊し続ける。地球上から森は猛スピードで姿を消していく。自分達が死ぬと分かっていても、大量破壊兵器を造り続ける。「でも、私には関係ないから。私にはどうしようもないから。そうかもしれないけど、目に見えないから分からない。」と。その歩みを止められない。
危ないよ。止まれ!
そのまま、食べ続けると危ないよ。野菜が、水が、土が、空気も。私たちの命は、みんな繋がっている。みんなで繋がって循環して、生きている。誰もが生かされている。みんなで生きていこうよ。みんなで大切にしようよ。自分を大切にしようよ。本質の姿に戻ろうよ。
がんになった人は、おそらく、生き方を見直すだろう。痛みを知っているから、苦しんだから、誰かに伝えたいと思うようになるだろう。私たちの次の世代が苦しまなくてよいような世界を創りたいと願うだろう。
伝え方は様々だ。
私は私に出来ることをする。私は聖なるカナリアだ。
あなたは、美しい光。愛のエネルギー。そろそろ思い出して。一緒に思い出していこう。みんなが実はひとつだってこと。あなたの痛みは私の痛み。私の痛みはあなたの痛み。地球の痛みはみんなの痛み。痛みは宇宙全体で感じるのだから。
この宇宙を愛で満たしていこう。出来るよ。私たちは、みんな光なんだから。思い出すだけで、いいんだよ。
催眠療法で、本質の光につながるお手伝いをしていきたい。一人でも、思い出すきっかけになれますように。
私ががんになった意味。痛みを体験したいという魂の意志。
こういうことだった。
だから、私は痛みをしっかり体験する。伝えるために。
歌を忘れたカナリヤは
後ろのお山に棄てましょか
いえいえそれはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは
背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか
いえいえそれもなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは
柳の鞭でぶちましょか
いえいえそれは可哀相
歌を忘れたカナリヤは
象牙の舟に 銀の櫂
月夜の海に 浮かべれば
忘れた歌を 思い出す
どうか、鳴かなくなったカナリアの、無言の歌に耳を傾けてほしい。本当に私はそのまま進んでいいのかな?そう思うきっかけにしてほしい。
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