空に光
我が家は東に向いて建っている。おかげで、日の出を拝むことができる。
最近、特に、空を美しいと感じる。太陽の光が、以前より純粋になった。フィルターが取り去られたような、色彩が輝きを増したような気がしている。
今朝は、雲の多い朝だった。雲に隙間があるので、天使の梯子がいく本も、地上に達していた。
あの梯子を使い、天使のような魂が、地球に降りてくるのだろう。新しい命が、守られて愛されて、この美しい地球を楽しめますように。
そう祈る朝。
私たちは、至福の世界からやってきて、至福に戻っていく
旅人です。
☆『僕は、死なない。~全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』刀根 健 著
(帯: 「神様、降参です·····」すべてを手放したとき、その奇跡は起きた。323日間の奇跡の実話)
「世間の多くの人は病気とは敵であり、克服すべき対象だと考えています。そして、病気になったとき、ほとんどの人が自分を犠牲者の立場に置きます。何で病気になったんだ、なんて運が悪いんだという具合に。」
「その人の生活習慣や心の状態とは全く無関係の病気など存在しません。病気という結果から見れば、犠牲者の立場を取りたくなるかもしれませんが、病気の原因から見れば、多くの場合、自分が加害者であることに気づいていないんです。」
「自分の身体に痛みや病んだところがあるとき、そこに意識がいくことは自然なことですね。でも、そこからのアプローチの仕方は、2種類あるかもしれません。
一つは病みを問題視してそれと闘い、それのみを取り去ろうとするアプローチです。
もう一つは痛みや病みを意識しつつも、それを入り口にして魂の声を聞き、人生そのものに癒しをもたらそうというアプローチです。
前者が局所への直接的、直線的、二元的、分析的なものに対し、後者は全体的、球体的、多次元的、直感的なものです。」
「痛みや病気は本当の自分とつながるためのガイドなんですよ。魂とより深くつながり、本当の人生を歩むための最高のチャンスなのです。」
「全体の視点で局所の現象を捉えることは大切ですね。それには視界を高くする必要があります。」
「目の前の出来事で感情的に混乱した狭い視界の状態が1階です。目の前のことは少し横に置いて、2階に上がってみると、問題の向こう側が少し見えたりします。10階まで上がってみると、問題の向こう側がハッキリと見え、作り出している原因がわかったりします。30階まで上がってみると、そもそも、それが問題にすら見えなくなったりします。50階まで上がると、それは自分が成長するために、自分で作り出したものだということがわかったりするんです。」
「やはりがんは自分でこの壁を越えるために、自分で作り出したものだったんだ。間違いない。だからこそ、僕は越えられる。僕は50階の視界から全てが見えたような気がした。」
212~214頁より
☆先祖に感謝する
ずっと気にかかっていて、なかなか実行できなかったこと。今日ようやく実行することが出来た。
28日。官公署は仕事納めの日。
今日の午後、年内最後に、フードドライブ受付場所から社会福祉協議会へ食料が配達されると聞き、慌てて、我が家にある保存のきく食料をかき集めた。
もしかしたら、年末年始の、どこかの家庭に届けられるかもしれないから。
リュックと手提げに分けて、ズッシリした重量を腕と肩に感じながら、バス停まで歩いた。
何だか、戦時中の買い出し帰りのお母さんみたいだと思う。
70年以上も前、家族を食べさせるために、遠く田舎に足を伸ばし、リュックに米や野菜を詰め込んで、黙々と歩く女性を想像してみる。
大切な命を未来につなげるために、彼女たちは、肩に食い込むリュックの重さを、家族の命の重さとして背負いながら、一歩一歩、ひたすら歩いたのだ。
彼女たちの逞しさが、命の繋がりを実現し、昭和平成令和と、子孫が時代を辿ることが出来ている。
「私が守るんだ!」下腹に力が宿る。踏みしめる足にも力が漲る。
こうやって、私たちは、生かされてきたのだ。
おじいちゃん、おばあちゃん
そのまた、お父さん、お母さん
そのまた·····
たくさんのご先祖様
彼らが生きてくれたから、私がこうして生きることが出来ている。
奇跡的な繋がりの、果てしない鎖の果てに私が生かされている。
空には、冬には珍しい鱗雲が広がっている。
一つひとつの鱗は、金色に輝く先祖の魂の光だろうか。
「生きてくれて、ありがとう!」
私は、空に向かって頭を下げた。
今、私は生きている。
今、私は生かされている。
それがすべてだ。
☆佐野史郎さんのこと
5年生存率40%という重い病気にかかった佐野さん。医師の告知を冷静に見ながら
「今までの芝居は間違えていたな。」と感じていたとか。彼は根っからの俳優だ。
冷静でありながら、防衛本能でもあったかもと、語っている、
もし、我が身に、重い病気の告知がなされたとしたら、果たして自分はどうなるか。これは、実際にその立場にならないことには分からないだろう。取り乱したり泣いたりするんじゃないかと予想していたが、私も佐野さん同様、意外と冷静だった。
私の場合
二回目のがんの告知がなされた時
「やった!がん患者に寄り添うヒプノセラピストとして、なんて美味しい体験だ。」と、真っ先に感じていた。実体験に勝る学びは無いから。喜んでいる自分を心の奥に感じて、少しは戸惑った。私、意外と強いんだな。と見直した。
これから、治療はどうなるのか。どのくらい生きられるのか。夫はどう感じるだろうか。もし、そんなことを考えてしまったら、私は不安や恐怖で頭がいっぱいになり、自分を見失っただろう。
だから、佐野さんが語るように、これは私なりの防衛本能だったのかもしれない。言われてみれば·····。そうかも。咄嗟に、私を守ったのかも。
真っ先に、我が仕事(魂の使命)に、試練を結びつけたことで、私は瞬時に救われた。自分で、自分に助けられた。こつこつ取り組んできたことに、引き上げられ、光を見失わずに済んだ。自分への、絶対的信頼があったのだと思う。
佐野さんに、俳優という天職があったように、私には、ヒプノセラピストという、魂の役割があった。その役割を発見し、学びの道を歩んでいたことは、幸いだった。このタイミングで、魂の進む道を見つけていたことは、目に見えない世界からの導きがあったからこそだろう。
やっぱり、自分で脚本書いているよね。皆、きっとそう。
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