宇宙的「あきらめ」とは
昨日は、ランチ会だった。
集ったのは総勢六名。初対面がほとんど。そのうち半数はZOOMでお話したことがあった。そして、初対面なのに、何の気負いも緊張もなく、楽しく時を共にすることができた。
職業は様々、ヒプノセラピスト、看護士、整体師、カフェ店員、ホメオパシー施術者等。ヒプノ友の紹介でこの会に参加する運びとなった。会の趣旨は互いに応援し合うというもの。
やはり、時代が変化しているのだなと感じる。
世の中は二極化を通り過ぎ、今は多極化してきているとか。
同じようなエネルギーの人々が集まり、心地よく過ごすことが出来るようになってきた。エネルギーがあまりにも違う人とは、意図していないのだが、まったく接点が無くなってきた。
エネルギーの違いに良い悪いはない。ただ、違うというだけ。
今までは違いから学んできた。強引なエネルギーのコントロールを受け、もう一方のエネルギーは封印されてきた。(例:男性性優位・女性性抑圧など)これからの時代は、その学びを踏まえ、融合し、中庸に戻る。心地よいということは、両極を知り、ほどよいエネルギーになれたからこそ、ジャッジなく互いが受け入れ合うことが出来るようになったのではないだろうか。片方しか知らなければ、もう一方を理解できず、拒絶するエネルギーが生じてしまうのは仕方ない。人間は知らないことが一番怖いのだ。
まだ、学びの段階は人それぞれなので、それが多極化として現実に現れているのではないかと感じる。
この集いで心地よさを感じるのは、大前提として、受け入れられているという空気感だ。皆、ある程度統合されているので、誰か一人が仕切ることもないし、自己主張することもない。それぞれ個性は豊かだ。でもその個性が誰かを抑圧するわけではない。誰かの発言が誰かの気づきとなり、全体のエネルギーが高まっていく。ひとつの輪になっていく。「ああ、このテーマのために、今日私たちは出会わされたんだね。」という気持ちになっていく。誰もが宇宙の采配に思いを馳せることになる。このような感覚を共有できることが、とても嬉しいのだった。どんなご縁も宇宙の采配がある。
さて、今回、その采配を感じさせてくれる方が、まず口火を切った。
彼女は、一週間後にひかえた、あるイベントの主催者なのだが、つい先日、会場があまりに狭いことが判明したと言う。彼女が一番心にひっかかったのが、「お客様が居心地よく過ごすことが出来ない」という点だった。自分の中では、その狭い会場をキャンセルし、イベントを延期するしかないと、決断は出ていた。お客様や出演者にご迷惑をかけることは分かっている。でも、何のためにやるのかを考えたら、どうしても会場の条件は譲れなかったそうだ。しかし、共同主催者のもう一名が、真っ向から反対。今、とてもモヤモヤしていて、自分の決断がブレているという。このまま共同主催者の言うままに進んだら、きっと私は当日泣いてしまうと語った。とても辛そうに表情を歪め、緊張しこわばったエネルギーを発していた。
そこに集っていた、別の方が、「延期する前に、公共の会議室とか調べてみたら?」とアドバイス。つまり、日程はそのままで会場だけを変更すればよいということだ。「それは無理。だって後一週間しかないもの。調べてはいないけど、きっと開いてないよ。祝日だもん。無理。」と彼女。「後、一週間・も・ある!間に合う!」その方の一言で、場のエネルギーががらっと変化するのが分かった。私も、胸の奥底から希望の光が立ち上ってくるのが分かった。その場に集っていた方々が、それぞれ、地元の公的施設の名を上げ、一週間後の空き情報をスマホで調べたり、電話をかけて確認したりし始めたのだった。そのうち一名が、「〇△市の施設なら、空いてるよ!」と朗報をもたらしてくれた。
彼女は仕事の都合で一足先に帰ることになったのだが、席を立つ頃にはすっかり明るくやわらかな表情に変化していた。まだ出来ることがあると、希望を胸に抱いた様子だった。まわりの応援するエネルギーが前向きなエネルギーを循環させ、その場の波動が一気に高まっていた。これは、現実を動かす力になるなと私も確信した。
彼女が、皆に挨拶をし、一足先に帰るのを、残りの5名が見送りつつエールを送った。
「あきらめてもいい。でも、あきらめたら、そこでストップする。あなたがあきらめなければ、必ず道は拓ける。」「きっと、丁度いい施設が見つかるよ!いいタイミングでキャンセルが出たりするもんだよ。皆で施設調べて情報を送るから。」「一人で抱えなくていいんだよ。人に助けを求めたっていい。」
⇒(翌日に追記。無事本日、最高の会場が見つかりました。愛の連携は奇跡を起こす。)
彼女をあたたかく応援し、見送った後、今度は、参加者の男性の身の上話になった。彼は、高校生の時に難病にかかり、深い絶望を味わった。しかし、それがあったからこそ、まるで導かれるように今の職業を得て、今は大成功。本も出版した。彼は、自分の実体験から得たメソッドを伝えることで、世の中に恩返しがしたいと、本業の傍ら、仲間をサポートする活動もされている。彼の行動の根底には感謝のエネルギーが流れている。
私は、どん底の時期に、あきらめずに進めた原動力は何だったのかを彼に質問した。乗り越える秘訣は何だったのだろうか。
彼は、母親の応援が励みになったと語った。母親は、あきらめずに、彼の病を治すための方法を求め奔走してくれたらしい。結局治る事は無かったのだが、母親の一生懸命な姿を見て、彼は前向きな気持ちになれたのだそうだ。だから彼は、「秘訣は、一言で言えば、前向きな気持ちかな。」と答えてくれた。
そこで、ふと、先述の(先に帰った)彼女とのリンクに気づいたのだった。
「この話、さっきの彼女の体験とテーマが同じですね!」私は興奮してしまった。
次に、最初に彼女にアドバイスをした方(公共の施設を借りる提案した方)が、静かに語った。
「彼女はね、殻を破ろうとしている。もうひとまわり大きく成長するために、今試練が起きている。その現実を作っているのは彼女自身。変化するのは怖いから、今の現実を作って、今までの世界に安住しようとしてしまう。もちろん、あきらめてもいい。結果ではなく、プロセスが大事だから。そこから何かを学んでいくのだから。でもね、今回彼女があきらめず行動すれば、殻が破れるかもしれないと思った。だからさっきアドバイスしたの。」と。
現実は、自分が発するエネルギーが創り出す。彼女が自分を信じ切れず、不安があれば、その通りの現実が立ち現れる。(イベントを主催するにあたって、様々なハードルを自分で創って、自分への不信を再確認する)
しかし、不遇はチャンス。魂からの応援ギフトでもある。一気に成長への階段を駆け上るチャンスに利用することも出来る。そのキーワードが今回は、「あきらめない」「前向き」だったのかもしれないと思う。
「諦めない」と書くと、ちょっとエネルギーが強張る(閉じる)感じがするので、あえて、ひらがなにして書いてみた。
もちろん「あきらめ」が大事なこともある。あきらめ=明らめ と変換することも出来る。
起きている出来事から、自分の内側の反映と解釈する勇気があるのなら、自分はここから何を学ぶのかという視点で物事を客観視することが出来る。そのうえで「あきらめる」のなら、肩の力が抜け、宇宙の采配に身を委ねることになる。
しかし、「あきらめない」は、ちょっとニュアンスが違うことにも表現できると思うのだ。まだ出来ることがあるなら、ベストを尽くす。人事を尽くし天命を待つということ。はなから諦めるのと、やるだけやって、その上での結果を受け入れ、「あきらめる」のでは全然魂の成長は違うと思うのだ。何となく、その違いを二名の体験から、物理次元視点と宇宙視点から見せられたように私は感じたのだった。
例えば、難病の彼は、病の自分を「あきらめ」ることで受け入れた。それは、どうあがいても変えられない宿命だったからだ。何を明らめられたのか?その障害があったからこそ、天職に導かれ、結果的に「あきらめずに取り組んだ数々の行動」がメソッドとして花開いたわけだ。彼の地球でのお役目が病のおかげで明らかになった。そして、自分だけが成功するという事にとどまらず、彼は誰かの役に立つことに喜びを感じ、愛の源泉となって周囲に影響を与えている。「あきらめ」ても「あきらめなく」ても、そのプロセスは、どちらも大切。簡単に天職が分かって(明らめて)しまったら、彼の人生は大地にしっかり根を張ることは出来なかっただろう。人を受容する大きな器とも言える。必要なプロセス(魂の器作り)として「明らめない」段階も体験する必要があるのだ。
ふと、「あきらめ」に関して、私の脳裏をよぎった思いがあった。
この1~2か月の間に行われるであろう私の手術のことである。
今日、会ってくださった方の中に、「ミネラルを摂取すると、がんが良くなる人もいるよ。」とわざわざ、飲料ミネラルを持ってきてくださった方もいた。手術することをあっさり決めてしまった私なのだが、その後も、手術しないで病巣が退縮してしまった事例などが引き続き私の元にもたらされ続けるのだった。
手術をするという現実を創ろうとしている私に対し「私はあなたの身体の方が(魂のプランより)大事だ!」と本気で心配してくれる方もいた。そう。確かに病は利得が創る。今は、魂のプランに沿うためには、手術体験を選択したいという思いが強いため、私はこの現実をせっせと上映している。確かにしがみついている何かがある。
私はこの体験から、何を手放し、明らめるのだろう。もしかして、まだ出来ることがあるんだろうか。
今のところ、来月のバイオサンビーム(いわゆる波動エネルギーによる治療)体験と、食事療法と、ミネラル摂取という希望の灯りがともされている。完全に手放してはいない。私の中で揺れている。おそらく現実も揺れている。
さて、私はどんなパラレルを選択するのだろう。いずれにしても、しっかり大地に根を張り、どんな突風にも耐えられるように目に見えない領域も育てられたらいいなとは思っている。せっかく、それを学べる地球に来ているんだもの。
がんからもたらされた課題はあまりに学びが豊かで、絶望を感じる暇がない。そこには、愛のエネルギーが満ち満ちている。
ありがとう。たくさん学ばせてもらうね。
私は左胸に感謝とともに語り掛けたのだった。
☆食事療法経過
また、厳密に取り組んではいない。たまに、人付き合いでスイーツやパンを食べてしまったりする。ビールはまだ止められていない。
必ず実行しているのは、毎日、人参を1本は食べること。
本日は、皮つき人参、ゴボウを少量の水で蒸煮。味付けは、ニンニク、皮つきショウガ、醤油。直前に豆苗を入れ、粗熱がとれたらゴマ油をかける。なかなか美味しいので、毎日作っている。
できるだけ、野菜の栄養を余すところなく食べること、油を酸化させない工夫がされている。
また、豆苗は、我が家で栽培したもの。成長を日々目の当たりにしているので、ありがた味が増して、感謝が倍増する。食事は祈りと感謝。
日々の運動がなかなか難しい。また、早朝ウォーキングを再開したい。一週間に3時間以上運動した方が、免疫が上がるそうだ。食事、運動、睡眠は、健康への三本柱だ。大切にしたい。
睡眠だけは花丸だ。八時間しっかり眠れている。夜八時に布団に入り、朝四時に起きる生活。我が家の亀さんと一緒。
☆病と催眠
昨日の、訪問看護士さんとの会話。
私「○○さんは、看護士さんだから、訪問先でご病気の方に必ず会いますよね。互いに信頼関係が出来てきたら、病は魂からのメッセージという話をしたり、内面と向き合うきっかけづくりが出来ていいですね。」
私は、単純に考えていたのだ。もし、がん患者に頻繁に会えるようになれたら、わたしの催眠の技術を使って、どんどん役に立てられるのではないかと。出会えさえすれば、何とかなると。
○○さん「それがね。特にお年寄りは、現代医療一辺倒だから。そういうお話をしても聞いてもらえないのよ。例えば、肩が痛い方に、一人で重荷を背負いすぎていませんか?とか、指が痛かったら、細かいところに拘りすぎていませんか、とか。水を向けても、内面と向き合う人はほとんどいない。そんなことありません。で終わっちゃうの。催眠なんて、怪しいと思う人がまだまだ多いから。よほど向こうから興味を持ってもらえなければ、無理よ。」
だから、○○さんは、少しでも催眠療法や病からのメッセージを一般に広めたいと、慣れないSNSを利用して普及に努めている。
○○さん「だから、ヒプノは今、ブルーオーシャンなの。催眠が良いものと一般に広まれば、ヒプノセラピストもどんどん増える。現状はまだ催眠は世間に受け入れられていないから、セラピストもまだまだ少なくて済んでいる。」だから、遣り甲斐があるのよ。というニュアンスで語られていた。
私「そうか~。では、催眠療法にたどり着くクライアントさんは、内面と向き合う用意が出来た方ということなんですね。」
○○さん「そうとも言える。催眠のよいところは自分で気づくということ。いくら他人から✕✕は身体に悪いから止めなさい。とアドバイスしても、受け入れてもらえない。でも患者さんが自分の潜在意識からメッセージを受け取れば、深く納得できるし、変容が起きる。」
ホントにそうだ。催眠は、潜在意識から人知を超えた気付がもたらされる。なぜ自分がそこに依存(執着)してしまうのかの原因(幼少期、前世など)を他人から知らされるのではなく、自身で感じて再体験するわけだから、こんなに説得力のある療法はなかなか無い。
しかし、誰もがそのチャンスに恵まれるわけではないことも確か。
あなたは、自分と向き合う準備が出来ていますか?ということが問われて、初めて可能となる。私たちセラピストは、誰にも強制することはない。あくまでも患者さんの意思による。自分で自分を理解したい。変容したい。幸せになりたいと思わない限り、どんなメッセージを受け取ったとしても、患者さんは無意識に拒絶するだろう。
本当の自分と向き合うということは、勇気のいることでもある。
ブルーオーシャンである現状で、がんと向き合うヒプノセラピストとして、いったい何が出来るのだろう。
大きな課題を突き付けられたような気がした。
現実を分かっていなかったから、催眠仲間の看護士さんと知り合えて、本当にラッキーだった。必要があり、人と人は出会わされる。
ちなみに○○さんと、昨日、ツーショット写真を撮ったのだが、あまりに二人のエネルギーが穏やかに馴染みすぎていて、思わず笑ってしまった。「前世のどこかで姉妹だったかもね。」と、お互いに不思議なご縁を感じたのだった。
彼女とは、「出身星は、どこ?」という話を平気で出来るため、貴重な宇宙仲間でもある。
☆日常会話「次どうする?」
夫の職場(お堅い役所)、とある日の日常会話。
係長「△さん、次、どうするの?」
夫「え?次の異動先のことですか?」
係長「そうでなくて、転生先。」
夫「転生先ですか。そうですね~。人間はもういいかな。人間じゃない経験がいいかな。深海魚がいいかも。」
係長「私も、人間はもういいかな。ウィルスとかがいいかなぁ。コレラ菌とかになりたいなあ。」
これを聞いて、思わず笑ってしまった。日常会話に当たり前に、転生というワードが出てくる時代になったんだ。
人間は死んだら終わりではなく、永遠のエネルギー存在であるらしいと、感覚的に知る人々が増えてきた証拠かもしれない。
前世で知り合いだった二人。
今世の初対面での挨拶。
「はじめまして、今世では。
久しぶり~。300年振りだね。」
こんな挨拶が日常で交わされる日は、そんなに遠くないかもしれない。
☆食事療法について、さらに追記
実はこの二週間ほど、ひどい便秘に。
野菜中心の食事なのに、繊維は多いはずなのに不思議だった。
思い当たることと言えば、やはり、食事療法を始めたあたりからなのだった。
何が私には合わないのだろうか。
元元少食気味なので、ブランチに野菜煮を。夕飯も野菜中心で、お米は少し。というメニューが続いていた。
エドガーケイシー療法はいいはずなんだけどなあ。タモリさんなんかは、一日一食らしいし、少食も胃腸負担が減っていいはずなんだが。
なかなか、思い込み(外側情報)を手放せずにいた。
昨日、なんとなく、自分の大腸に話しかけてみた。原因は何?水分補給が足りない?運動?
答えは、「かさが足りない」だった。
半信半疑ながら、一昨日の朝食で、しっかり和食を食べてみた。昼も夜もいつもより多めに。我が家はまだ、玄米に移行できていないのだが、白米をありがたく、しっかり食べた。
何と、今朝、元気な「もの」がスッキリ排出された。
個人により、体調も、浄化力も違う。身体に良いと言われる療法がかえって別な面でマイナスになることもある。
やはり、自分の体内に聞くのがいちばんだ。答えは自分が知っている。
今後は、ほどほどに療法を取り入れながら、自分の体と相談していきたいと思った。
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