年齢退行療法体験~顔を失くした私を救出する

 インナーチャイルドワークを得意とするセラピストAさんにセッションをしていただいたので記録しておく。Aさんは、同じ催眠の学校の受講生同士であり、何度も練習でお世話になった。とても信頼しているので、今回はきちんとセッション代金をお支払いして、お願いしたもの。

☆テーマ

「顔を失くしてしまったインナーチャイルドがいる。その子を救出したい。」

10月に宮崎ますみさんの心身緩和ワークショップに参加。全体誘導のインナーチャイルドワークをした際に、クレヨン画で描かれた小さな私が現れた。全体的にグシャグシャに殴り書きされた姿で、顔は目が一本線で描かれているだけだった。「何が正解かわからない。どんな表情をして、何を着たらいいのか、誰かに言われないと分からない。」と言っていた。かなり深刻な状態のインナーチャイルドだと感じたので、Aさんを頼ることにしたもの。

☆安全地帯

小さなパンジー(白、紫、黄の花びら)がはかなげに風に揺れている花壇の前にいる。向こうはゆるやかな斜面になっていて、緑の丘が広がっている。数本の木が見える。モンシロチョウが飛んでいる。薄曇りの空。ピンク色の靴を履いている。小さい子の足のようだ。穏やかな気持ち。パンジーを見て、小さくてかわいいな~と感じている。

鉄製の赤錆だらけの螺旋階段を降りてテーマに関わる幼少期へ。

☆最初の場面

階段の下に髪を両側で縛っている小さい女の子を発見。顔が無い。私の小さい時だと思われる。小学校に入る前か入った直後くらいの年齢。

だんだん、場面がはっきりしてくる。

滑り台で遊んでいる。就学前の私だ。姉の友人たち数人が一緒に遊んでくれている。この日は、なぜか、皆にちやほやされて、「いつもと違う!」と喜んでいる私。でもどこかで何かひっかかっている。楽しかったけど、夕方になってみんな帰ってしまうと、またいつもの上手くいかない私に戻る。

姉は友達が沢山居るけれど、私は友達があまりいない。どうしてだろう?それを比較して悩んでいる。友達が欲しいけれどどう作っていいのか分からない。この日も、珍しく姉の友人たちが私に優しく接してくれて、熱心に相手をしてくれたのだが、心のどこかで、「友達の妹だから、遊んでくれただけ。本心から私を好きで、優しくしてくれたわけじゃない。皆、仮面をかぶっている。本心を隠している。」と言う。

セラピストから、どうして友達が出来ないのか質問される。

「人と遊ぶのがうまくできない。誰も、本当の私を好きになってくれない。」

セラピストから、家族に相談するように言われる。

姉に「友達が出来ない。さびしい。」と相談。姉は「私の友達と一緒に遊べばいいよ。」と悪気無く軽い感じで答えがくる。私はその回答が物足りないのだった。「本心から分かり合えない。そういう単純なことじゃないんだけど。でも、姉が悪いわけではない。この物足りなさは、どうにもならない。困らせるだけだ。」と言う。

父や母に相談。「姉と一緒に遊びなさい。」とにこやかに言われる。やはり、物足りなさを感じている。「なんだか言っている事が表面的なんだよね。何だか物足りない。それが悲しい。分かり合えない。」と言う。

セラピストから、相談相手は、どんな人ならいいのか質問される。

「この世界にはいない。あっちの世界になら沢山いるけど(転生前の魂の世界のことか)ここでは、本音を隠して、仮面をかぶって生きるしかない。そうしないとうまくいかない。」

悲しくなってきて、小さな私は泣き始める。

「なんかわからないけど、仮面をかぶらなくてもいい世界があるの。ここでは仮面をかぶらないとうまくいかない。でも仮面をかぶってもうまくいかないの。」とさめざめと泣く。

「だってみんな本音じゃないもん。私も本当の私なら好きになってもらえないし。本当の私が好きで遊んでくれてたわけじゃないし。みんながそうしてるから、そうしなきゃって気持ちが伝わってくるし。本当に私が好きでそばにいてくれる人っているの?うそじゃなくて本当に思ってくれる人がいるなら、一人居ればいいかも。今いる人の中にはいない。みんな本当のこと言わないから。」

そうは言いつつ、姉は本当の事を言っているとは思う。でも噛み合わないのだ。表面的にすら~っと交わされる感じで。悪気はないのだが。誰に何を言ってもどうしようもない。合わせていくしかない。

セラピストから、噛み合わない人に「噛み合わないんだよね。」と言うよう提案される。その事に躊躇する私。

しぶしぶ姉に言ってみる。姉は困った顔をして、私は胸が痛くなる。姉はどうしたらいいかは分からないが、私のことを大事に思ってくれていることは理解する。そんな深く考えていない感じもする。どうしようもない。何かが根本的に違う。言っても変えられない。私が受け入れるしかない。

「友達がたくさんいたらいいな~と思っていたけど、もしいたとしても友達が仮面をかぶっていたとしたら、本当の事を言わないのが伝わってくるし、嘘の友達だったらいても悲しいだけ。一人だとさびしい。本当の友達がほしいけど、この人と言える人はいない。ぴたっと来る人が居たらいい。話してて、がっかりする人は友達になっても意味がないかも。ただ遊べばいい、一緒にいればいいと言う人じゃなくて。たぶん、生まれる前の世界に戻ればいっぱいいる。

とりあえず、みんながやっているみたいに本当の事言わないで、仮面かぶって。失敗したらまた仮面を増やして、心の奥に、どんどん言葉をかくしてうまくやっていくの。うまくいった時はうれしいけど、その嬉しさってすごく表面的。だって嘘の私だもん。

さっきすごく悲しくなっちゃったんだけど、本当の自分って何?って言われたら分からなくなっちゃった。今の自分が嘘だって分かるけど、本当って何って言われたら、もう分からない。」

本当の自分を出していた時っていつだったんだろう。また、初めて仮面をかぶったスタートはいつなんだろう。

☆次の場面(本当の自分を表現していた頃)

テレビの前に座っている私。生後数か月くらいか。テレビの音がうるさい。母は、となりの部屋にいる様子。私は、びっくりした気持ちで座っている。

セラピストから、なぜびっくりしているのか質問される。

「初めて自分で座ることが出来た瞬間。見える目の高さが今までと違うので、急に世界が違ってしまった感じがして、驚いている。」

セラピストから、その気持ちを母に伝えたいか質問される。

「まだ、しゃべれないから、気持ちを伝えることが出来ないけど、声を出せばここに来てくれると思うのでやってみる」

私は、「あ~あ~」と声を出して母を呼んでみる。母は、となりの部屋から顔を出し、満面笑顔になる。「わあ~!!自分で座れたのね!」と喜ぶ。その母の気持ちがダイレクトに伝わってくる。私も全身で喜びを表現する。手を上下に振り、共にその喜びを味わう。お腹の底の方から、ぐわ~っと、何か大きなエネルギーが沸き起こり、ハート全体を温かく満たしていく。

「ママが喜ぶと私も嬉しい。誰かが喜ぶと私も嬉しい。

(感極まってきて、泣き始める)

初めて座った時、びっくりしただけだった。ママが喜んだから嬉しくなった。誰かが居ないと嬉しいって分からなかった。なんでだろう、それが分かっただけで涙が出て来た。

凄く大事な事気が付けた気がする。誰かが嬉しいと私も嬉しい。

(激しく泣く)

初めて嬉しいって思ったんだと思う。

私、これを味わいに来たんだ。(地球に転生した理由のこと)

ここに一体感がある。ここに仮面や嘘は無い。つながって互いに喜んでいる。一体になる喜びがある。私はこれが嬉しかった。

私が仮面をつけなかったら、皆もつける必要はなかったのかな?と今思った。」

感動で、涙がボトボト流れた。これは歓喜だ。魂の震え、根源的な喜びのエネルギーが噴出していた。

微かな顕在意識で、「この原初の体験は、ライトワーカー的な使命(ブループリント)に関わりそうだな」と思っている。

☆次の場面(初めて仮面を被った時)

仮面をかぶってしまった最初の場面へと声掛けされ、時を移行する。

なかなか場面が出て来ない。しばらく時間がかかる。

やっと、ここかな?という場面が出てくる。幼稚園の入園試験会場。

地元の幼稚園に入るには、テストがあったのだ。園長先生が一対一で試験をしてくれる。パズルをやったり、園長先生のタンバリンの音に合わせ、部屋中を行進したりする。

私は、パズルは得意で、スイスイ作り上げてしまったのだが、行進は嫌だった。

「だって、タンバリンに合わせて行進するんだよ。すごく恥ずかしい。こんなことやりたくないよ。」と言う。

セラピストから、「嫌です。って言っていいんだよ。」と言われる。

「でも、テストに受からないと幼稚園に入れない。ママが困ってしまう。幼稚園に入るために我慢する。」と私は答える。

「ここで嘘ついたんだよね私。試験に受かりたいから、やりたくないという自分を隠したんだ。自分の本音を無理やり隠した。でも幼稚園に受からなきゃって気持ちが大きかったから、折り合いをつけた。」

セラピストから、「では、その嫌だって気持ち、どうしたい?」と質問される。

私は、テストをしなくても、恥ずかしい事をしなくても、誰でも入りたい人は入れる幼稚園を作ると宣言する。そして、イメージの中で、自由にありのままで遊べる自然の中の幼稚園を想像する。「これやりたくないです」と言っても大丈夫な幼稚園を創った。

「誰かに助けてもらう発想はない。自分が我慢する方がうまくいくと思っている。誰も悲しまないし困らない。私一人我慢すれば悲しくなる人が少なくなるかなと思っている。あの時人が喜んだのがうれしくて、これが体験したかったと思った。あれから一体感を感じる喜びは、なかなか感じないけど、ずっとそれを探していたんだと思う。ここで我慢すればその人が嬉しくなってくれるかなと思ったかも。

だから、入園試験でタンバリンに合わせて行進するのが恥ずかしくても、母がほっとするなら、(私が嫌な事でも我慢して試験を受けること)そうしようと思う。ママが困る方が嫌。こんな小さなことで困らせたくない。大きなことなら分からないけど小さいことだから我慢する。恥ずかしいと感じた思いは出来るだけ奥に仕舞いこむ。そうするとうまくいく気がするから。」

☆お腹の底に閉じ込めたインナーチャイルドたち

セラピストから、「その閉じ込めた気持ちは体のどこに感じるか」質問される。お腹の底のほうに溜まっているような気がする。それをじっくり感じるように誘導される。

感じていると、ビックリするような光景がビジョンとして見えてくる。

小さな私に退行したままの意識なので、4歳の私が悲鳴を上げる。

「血の池地獄だ!閉じ込めた私(インナーチャイルド)がいっぱいいて、アップアップしてる。すごく沢山いる。どうしよう・・・・・」そう言って、泣き始める。

セラピストから提案される。「光のエネルギーで全体を癒やしてもいいし、一人ひとり救い出してもいい。どうしたい?」

「無理無理、だって、すごいたくさんいるんだよ。一人ひとりなんて、とても無理だよ。」

セラピスト「出来るよ。ちゃんと一人ひとり、救える。どうしたらいいと思う?」

小さな私はしばらく考える。ふとした思いつきを口にする。

「そうか、蜘蛛の糸だ。蜘蛛の糸をたらして、皆に上ってきてもらえばいいかも。」

血の池地獄の上空の雲から、蜘蛛の糸がするする降りてくる。インナーチャイルドたちは、順番に、糸を登り始める。

セラピストから、「そのインナーチャイルドたちの中で、特に気になる子はいますか?」と質問

「あ!一人います。糸が切れちゃうからお前ら登ってくるなって言う嫌な子。糸の上の方から、威張って他の子を威嚇している。『みんな、どんくさいし、登って来なくていいよ。』とか言っている。」

セラピスト「その子をどんな名前で呼んだらいいですか。どんな役に立っているの?」

私「天狗ちゃん。役割は自信と評価。(比較して見下す。人より優れていると思う。偉くなった気がすること。)」

天狗ちゃんは、何でもできる能力のある子。上手に何かをやって、誰かに褒められるとか、表彰されるとか、外側からの評価で、自信をつけていくことで役に立っている。しかし、度が過ぎてしまったのだ。皆に褒められると、どんどん天狗になっていった。まわりを見下すようになっていったのだ。「こんなことも出来ないの?」と出来ない子を馬鹿にするようになった。賞賛を集め認められること。比較することで、自分を優位に立たせ、天狗になっていく自分の性質を、私はどこかの段階で、血の池地獄に突き落とした(閉じ込めた)のだ。

天狗「何で、私はこんなに何でも出来るし誰よりも優れているのに。能力もあるのに落とされなきゃならなかったの?私がいればいいじゃん。みんなどんくさいやつらはあっちに行ってればいい。」

私「確かにそういうところあるよ私。でもね、度が過ぎるとね。私が私がって、どんどん天狗さんになっていく。ちょっとなら、嬉しいぐらいならいいけど、みんなを見下すようになっていく。あなたがいると、エスカレートしていく。もっともっとって。出来ても出来ないってした方がいいと思ったの。だから天狗さんを突き落とした。天狗さんの性質が、本当の自分でもエスカレートしたら、ここではうまくいかないよ。本当の自分って難しいね。本当って何だろう。本音と今私が落としたいろんな子たちは本当の私なんだろうか?後からくっつけた私?どれが本当の子か分からなくなった。」

さて、この子たちをどうしようか・・・・どう癒していくか。何しろ沢山いる。蜘蛛の糸は天狗ちゃんが独り占めしているし。混乱してくる。

「そうだ。きっと蜘蛛の糸を垂らしている存在が雲の上にいるはずだから、その存在に相談してみる」と私は思いつく。

上空に意識を向けてみる。雲の上に大仏が座っている。ただ、鼻のあたりがピンク色になっていて、少し不審に思う。

「天狗ちゃんは悪い子だから、良い子だけ上に上げたらどうでしょう?」と質問してみる。

大仏「蜘蛛の糸を創ったのはあなたです。蜘蛛の糸を垂らして選別しようとしましたね。引き上げるという発想そのものが選別しようとしている。蜘蛛の糸はまやかし。大仏が上にいて、引き上げる存在というのもまやかし。選んでいる。そんな物語信じるな!」

そう言っている大仏様の鼻が豚の鼻になってきた。

ここで、セラピストは大爆笑。私も愉快な気持ちになってくる。

豚鼻大仏「こんなお話し信じるな。地獄も自分が創った。これも、血の池地獄じゃないよ。」

そしてビジョンを見せられる。

血の池地獄だと思っていた場所は、心地よい露天風呂に変化した。さっき、アップアップしていたインナーチャイルドたちは、仲良く、気持ちよさそうに湯につかっている。

豚鼻大仏「自分の中も変われば地獄ではなくなる。全員リラックスして一緒にいられる。この子はいるとかいらないとかじゃないよね。」

私「本当は一緒なの。みんな。でも演じていた。役割を。私の体験のため。本当は元は一緒。」気付きが起こり始めていた。

また、一人、インナーチャイルドが、上空から飛んできて、その露天風呂に加わる時、先に湯に浸かっていた先輩インナーチャイルドたちは、こう声をかけている。「また、新たな体験をさせることができたね。お疲れ様。まあまあひと風呂あびて」そう言い、わいわい労い合っている。

私「そうか。私の体験のために必要だったんだ。みんな元は一緒なんだ。同じもので出来ているんだ。みんな元は愛のエネルギーなんだ!

全てはまやかしだったんだ。全ては体験のための愛だった。これをやりに来た。血の池地獄だと思うのも必要だった。」

この大勢のインナーチャイルドの中に「病気さん」がいるなら、話してみたいと思ったので、話しかけてみる。

病気さん「ちゃんと学んでいるから大丈夫」と和やかな回答。

すると、場面が急展開。露天風呂が、巨大な宇宙船に変身し、どんどん宇宙へ引き上げられていく。強烈な輝きを放つ光源が見える。そこへぐんぐん近づいていく。この光に露天風呂のインナーチャイルドたちを入れることで、光エネルギーで浄化できるんだなと意図をする。光の中にみんなを入れる。みんなにお疲れ様と声をかける。

☆次の場面へ

セラピスト「他にやっておきたいことはあるか」

私「最後に、園長先生に意見してくる。入園試験はやめてくれって。せめて、恥ずかしいことはやらせないでくれって。」

私は、園長にそう意見。園長から、なぜ入園試験をしなければならなかったか、選別しなければならない理由を聞かされた。そういう時代だったのだ。しかし、今、時代は変化した。「あなたの世代で、誰でも自由に好きな幼稚園に入れるように、そんな素敵な幼稚園を作ってくださいね。」と逆に激励された。私はふむふむと納得。

☆4歳の私と最後の会話

私「思い込みで我慢しているより、冷静にこうやって話すことができる。あの時はできなかったけど、今ならできるんだと思った。仮面をかぶって本音を隠して必死に生き抜いてきた。それはその時は必要だった。そうしないと生きてこれなかったから頑張ったと思う。それは間違えていなかったし、大切なことをやったと思う。でも、その時我慢した分これから私が大人になってから正直にのびのびと、しっかり生きるね。」

4歳の私も笑っている。「一緒に楽しもう」

私「大きくなったらちゃんと求めていた友達に会えるから。安心して。」と最後に伝える。

☆安全地帯へ戻る

スカ~っと抜けるような、真っ白な砂浜。広大で何もない。ただ、一面に白い砂。とてつもない解放感を味わう。

☆振り返り

いっぱいいた。私の中に癒されていない子たちが山ほどいた。一人一人の救出というと大変。こんなに閉じ込めて来たんだ。催眠で数人癒やしてきたけど、まだまだ、300人くらいいた。呆然とした。小さい頃から、恥ずかしいというのを閉じ込めたり。小さな出来事も数えれば、どれだけの数になるんだ。

とりあえずインナーチャイルド全員を温泉に入れ、浄化出来たかと思う。終わった後はスッキリ開放感も味わえた。全体的な癒しはできたんじゃないだろうか。

確かに今日催眠に入り、顔の無い私に対面した。「仮面をかぶらなきゃいけない。みんな嘘の自分だ」と言って泣いていた4歳くらいの私。

でも母や姉に物取りなさは感じつつも、大事にされているのも理解していた。物足りないんだよと訴えても、その人が深まるわけでもない。時代が創った強固な観念に皆縛られていたのだ。きっとその時は誰もが時代に合わせるしかなかった。それに対する怒りはなかった。

私の一部である天狗ちゃんは嫌だったけど、いい面もあるにはあったと思う。評価されたい、評価が嬉しいから頑張れる。でも皆に褒められたり、一等賞を続けて取ったりすると、私は下々の者と違うのよって、天狗になっていくわけで。それが嫌で突き落とした。バランスのとり方が分かれば良かった。自分の、もうこんなところ嫌だと思う面に気づいたら、バッサリ切ってしまう性質も、そういうところが極端だったと思う。

小さい頃に戻るとあまり怒りがない。諦めと悲しみがメインだった。「怒ってもどうしようもない。」とまず諦めている。そして悲しくなる。そのパターンばかりだったことにも気づけた。

自己犠牲の象徴のようなビジョンを先月のシャドウワークで(ベールの下のボディ)見ていたが、今日、セラピストにその話を指摘されると、感情が動いてどっと涙が出そうになった。理由は分からない。前世だろうか。怒りのブロックはもしかしたら今世ではないかもしれない。「怒り」「自己犠牲」というテーマがどこかの転生で潜んでいるようにも思う。

人が喜ぶのを見てあらためて自分の喜びを感じる。だから純粋に自分で何か行動し一人しみじみ喜びを味わうというのより、喜びが大きいというのも新たな気付きだった。「人が喜ぶのが嬉しい。これをやりたかった。」これは前の転生からの宿題だったんだろうか。

幼稚園あたりから、対外界、対他人という学びを始めた。それまでは安全な家の中で、それなりに家族に我儘もぶつけていたはずだ。普通にしつけもあったけど、トラウマになるようなこともなく育っていたはずだ。幼稚園は社会人への第一歩。みんなとうまく生きていくことを段々学んでいく。外で我儘言って大暴れして、村八分にされたら生きていけない。具体的エピソードは覚えていないが、幼稚園あたりからいっぱい仮面をかぶり始めた。怒ったら嫌われたとか、友達がいなくなったとか、そんな体験があったのかもしれない。


☆私からAさんへお礼のメッセージ


本日はセッションをありがとうございました

面談では、いろいろ複合的なテーマになり、つい欲張ってしまいましたが、丁寧な解きほぐしに救われました。お声も安定の優しいトーンで、たえずニュートラルでいてくれて、心底安心でした。私には、セラピストとして、ニュートラルが課題なので、セッション受けながら、学びもさせてもらってました。

小さな私は、いろいろ気を使いすぎていて、何枚もマスクを使いこなし、本当の顔を忘れてしまってました。それが、ますみさんワークで出てきた、クレヨンの私。昭和平成を生き抜いたけど、本質を見事に忘れてしまった。そういう時代だった。よく乗り越えたなあと、私を褒めてあげたいです。

小さな私の少し生意気な言葉にも、「そうだよね。」と優しく肯定してくれた場面が何ヵ所かありましたが、小さな私はそれがすごく嬉しかったです。肯定してもらった経験なかったかも。家族や友達にそれは望めなかったので、(表面的にしか付き合えなかった)時空を超えて癒されたのは、このYESのおかげだったかもです。話の通じる人を私は50年、求めてきたようにも感じました。小さな私は生まれて数年ですでに諦めモードでしたが。風の時代に入り、ようやく魂の仲間たちに出会えるようになりました。

誰かが喜ぶことが、こんなに嬉しい。私はこれをやりに来た。

という、生後数ヶ月の私の感情は、予想外で、今日一番心が動いた場面でした。

チラッとですが、ライトワーカー的な使命を思わず連想しました。数ヶ月の赤ちゃんが、理解しているわけはないですが、人生のブループリントが垣間見えた気がして、ちょっと鳥肌でした。

行きすぎないバランス、いろんな私を調和させていく。

事後面談のアドバイスから、今世の宿題を明白にしてもらえた気がしました。

前世?の傷だらけ、自己犠牲の塊みたいな男性も、

蜘蛛の糸独り占め、天狗ちゃんも

正義感ムキムキの、幼稚園児も

私が、調和させ、取り入れ、いい塩梅で皆を活かしていけたらと思い至りました。

Aさんの言葉、「調和」が、まっすぐに胸に響きました。

これを学ぶ人生なんだなと、しみじみ思いました。

味わい深い、よいセッションでした。ありがとうございました


☆翌日の変化


Aさん、一昨日はありがとうございました‼️

その後のご報告です。

セッションのおかげか、潜在意識の奥深くに潜んでいたエネルギーが動きました。

怒りが無いと、話しておりましたが、ありました。正直、安心しました。

今日、○○に訳の分からないことを言われるという現実化を起し、日本橋の街中で、しっかり怒りを表現できました。

「人と人は分かりあえない」という怒りでした。

どんなに言葉を尽くしても、スルーされるので、「お前、聞いてんのか!」と、ブチギレました。

「私の気持ちなんて分からないくせに。」と○○に言われたので、「ああ、分からないよ。だから、言葉にしてちゃんと伝えてくれよ。」と、怒鳴って、ハッとしました。

「人と人は分かり合える。」という信念が小さい時から自分を苦しめてきたのではないかと気付きました。すぐ諦めて悲しんでいたけど、私は自分を伝えたり相手を理解しようと努力しただろうか?どこかでそれを面倒くさいと思っていました。悲しくなって誰かのせいにして、内向的になる戦略を選択していました。その方がエネルギー消費が少なくて楽だった。つまり省エネを選択したんでしょうね。

赤ちゃんの時は、母親と一体感を感じていたので、成長するに従い、分離していった過程で、このトラウマを抱えたかもです。だんだん相手と境界線がハッキリしてくることが、ストレスにもなった。相手も私のことを分かってくれないし、私も分からない。

インナーチャイルドは、分かりあえないことに怒っていたのかと、ようやくたどり着きました。怒りを封印していたので、今日、思いがけず解放できて、良かったです。街中で激しい口喧嘩にはなりましたが。

普段は、怒りはよくないものとして、感じないようにしてきたので、ずっと麻痺してたと思います。セッションのおかげで、エネルギーのカプセルをカパッと開くことが出来たようです。セッションの影響は、当日以降も続きますね~。凄いですね。

怒りを感じられて、今日は嬉しかったです。

ありがとうございました‼️

Aさんからアドバイス

「街中怒りちゃん、おめでとうございます。

今まで封印していた△さんもありがとうございます

両方、体験するから、いい塩梅がとれる

ありのままでいられる

ありのままの自分を好きになれる

怒りがわいて、ホッとしたと同時にびっくりもしたと思います

怒りをしったこれからの自分に戸惑うかもしれません

感じなかった自分を責めるかもしれません

びっくりも戸惑いも責めも

どんな気持ちも

ご自分で

そう感じていいんだよ

と受け止めて下さいね

わかりあえないと感じ怒るチャイルドちゃん

気付き、認め、感情解放、望み叶え、統合です」

☆分かりあえないことに対する怒りについて

小さい頃の私は、何となく、生まれる前の世界について感覚的に記憶を残していた。
すべて分かり合える世界にいたこと。ワンネスの感覚なのか、テレパシーでコミュニケーション取れていたのか、よく分からない。意志疎通についてギクシャクすることは無かった。だから、こちらの世界に居て、戸惑いや怒りを感じ、幼いながら上手くやっていくために、封印する戦略を選んできた。

この二年の間に、魂の仲間ではないかと思える方に次々出会った。エネルギーが馴染むので、一緒に居てとても楽。一つ話すと、相手が100ぐらい理解してくれたり、学びの相乗効果めざましい。共に居て、魂から喜ぶ。互いに元気になっていく。しょっちゅう会ったり、連絡を取り合わなくても大丈夫(繋がっている安心感がある)。分かりあえないというストレスが無い。魂の帰る世界は、こんな感じなのかもしれないと思った。そして、それを懐かしみ嘆くのではなく、分離を味わいにこの世界に来たわけだから、しっかり学んで、帰りたい。というか、楽しめばいいよね。

この、不協和音の世界で、どうハーモニーを奏でるのか。それが私の課題。
諦めず、工夫しながら私を伝えること(*)。相手もジャッジなく受け入れていくこと。
難しいけれど、取り組んでいきたい。

(*)
アイメッセージを使う。
感情の暴走に飲み込まれない。
冷静に言葉にする。
相手を批判しない。
事実だけを口にする。
起きたことをありのまま受け入れる。
場合によっては、「何もしない」選択もあり。

昨日、○○と口喧嘩になった時
「あなたは、やるか、やらないかしか無い。極端だ。」と言われ、その価値観に呆然とした。

え?生きるということは、やるかやらないか。行動するか、しないか。選択するかしないか。二択じゃないの?と、驚いた。
どうやら、第三の道があるらしい。深いなあ。まだよく分からないが、「やりすごす。放っておく。」ということかな。とらえどころのない曖昧さが、ヌルっと出来事をすり抜けていく秘訣かもしれない。これは、日本人の傾向でもある。白黒つけず、いつの間に調和しているという高度な知恵かもしれない。
私は、白黒つけるのが好きなので、曖昧さは心地よく無い。決断すれば、パッと行動するし、キッパリ止めることも出来る。
言葉にならない曖昧な世界も、学んでいかないとな。ここに調和へのヒントがあるのかもしれない。




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