映画『海獣の子供』を観て宇宙源を知る

 映画『海獣の子供』DVDを宇宙友のYさんと観た。

丁度、私が、映画『愛の地球へⅡ』海響監督の予告編をたまたま観て、クジラの唄を耳にし、宇宙源に還ったような安堵感を味わい胸がいっぱいになったことをYさんに伝えたところ、私にお勧めしてくれたアニメだった。Yさんとはシンクロニシティが日常茶飯事なので、私がクジラの唄に惹かれていた瞬間、既にYさんは、『海獣の子供』を私におすすめしたいという思いになっていたという。またまた面白い展開が起きていた。

早速DVDを購入し、まずは独りで視聴した。前半は美しい映像に感嘆しつつ楽しく拝見した。しかし後半(1時間20分以降)から、世界観が一気に高次元化!もう頭の理解が追い付かない。言語化できない宇宙真理を何とかアニメ映像で表現しようとしているのは分かる。凄まじいエネルギーと壮大な宇宙循環のドラマが雪崩れ込んでくる。伝わってきたものを、この情報量をどう整理したらよいのか分からず、呆然とするしかなかった。言語にしても最大限表現できてわずか10パーセントの世界に私たちは生きている。90%は暗黒物質(何だか分かっていないもの)で宇宙は構成されているのだから。

『海獣の子供』DVDには、次のようなキャッチコピーがついていた。

「一番大切な約束は言葉では交わさない」

「あなたは〈生命誕生の物語〉を目の当たりにする」

う~む。謎が山盛りで、独りでは解釈が追い付かないぞ。

これは、Yさんと共に視聴させていただき、Yさんの解釈をお聴きしながら楽しみたいな~と切に感じた。そして、お忙しい中、時間をつくっていただき、二人でのDVD鑑賞会を開催することが叶ったのだった。

以下はメモなので、うまく文章に出来ないことをここでお断りしておきたい。もしご興味ある方にはネタバレになってしまうので、ご注意を。

気になった台詞や場面、私たちの所感などのメモ。

☆Yさんの始めの言葉

「10月14日、今日は、36年前に事故に合った転機の日。自分には命に関わる人との出会いが多い。何かを知らされているのかもしれない。この映画は、一段上の命の見方が出来ると思っている。肉体の死を超えた魂の転生など。この映画の登場人物は、ライトワーカー、スターシードなのだろうと思う。命や地球環境を守っていく役割を担っているのではないだろうか。」

~そう。今日は、ある意味、Yさんの人生の転機(生き直し、リバース)記念日。いわゆる祝福すべき誕生日、「祝い」「命の祭り」の日なのであった。この記念すべき日付に、この映画を観ることになった意味は何だろうか。謎は深まる。さて、視聴を開始しよう。

☆ヒトダマ(隕石)について

「光るものは、見つけてほしいから光るんだ。見つけてもらって嬉しかった。私は誰かに見つけてほしかった。」

~この台詞は、初っ端からグッときた。人は誰もが、このような根源的な欲求を持っていると思う。私は、宇宙根源の欲求そのものではないかと感じた。宇宙根源は光であり愛そのもののエネルギー。しかし、ひとつであれば、光も愛も認識できない。自分が分からない。「私って何?」これが根源の唯一最大の問いである。根源は、自分を知るために分離した。意識を分けて、観察できるようにした。どんどん分けて、光と闇を対比させ、より輝きを浮かび上がらせていった。根源は、愛から離れた意識を体験することで、愛を知ろうとしたのだ。宇宙源(ひとつ)から飛び出したのが、今「私」と認識しているこの意識である。宇宙源は大いなる神のように表現されることもあるが、私たち自身のことであり、本質であり、私たちの内側にいつも存在している。この映画では、源から分離した意識(私)を隕石=星のカケラ=光る石と表現していたのではないかと考える。

☆「クジラは海の中で唄う。何キロ離れても水中では伝わる。それは複雑な情報の波となり、見た事感じた事をそのままの形で伝え合う。言葉にしなくても伝わる。」

~クジラやイルカはそもそも高次元存在が受肉したものであり、シリウス存在だと言う。海の中で高い波動を発することで、地球を守っていると聞いたことがある。人間はその能力が退化してしまったが、そもその宇宙存在はテレパシーで情報交換ができるので、言葉は必要ない。言葉でコミュニケーションを取ろうとすることに限界がある。ほんの一面を切り取るだけの不自由なツールだ。だからこそ、表現者はその制限の中で真実を追求したくなるのだろう。

☆「聴いたことのなかったソングが聴こえる。クジラ、流れ星、お祝い、赤ちゃん・・」

「あいつには確かに同じ匂いがする。」

~琉花(主人公の中学生の少女)は、自分の気持ちを言葉に表現するのが苦手。学校でも家庭でも居場所を失っている。不器用な女の子。思春期の私と重なる。私ごとだが、内面を言葉で表現できず、いつも内面はマグマのようにドロドロしていたことを思い出す。当時、人間関係も最悪だった。琉花は、スターシードだったのだろう。感性が豊かで敏感であるが故、周りとうまくいかなかったのだと思う。空と海もスターシードであり、運命的に引き合わされたのではないだろうか。

☆「俺たちはどこから来てどこへ行くのかそれを知りたくて・・」

~誰もが心の奥深くで、探し求めている問い、ベスト1ではないだろうか?あなたは明確に答えられるだろうか?探しているなら、どうやって?今までは、宗教や哲学の分野がその答えを人々に示してきた。しかし、この混沌とした時代、もはや既存の教えでは追い付かなくなってきている。例えば、3.11が起きた時、答えはどこにも無いことに愕然としなかっただろうか。だんだん、真実の答えは、外には無いこと。自分の内側にあることに気づき始めた人は多い。それは目覚めへの第一歩であるのだが。

☆「科学の目では本当に起きていることは見えない。」

「暗黒物質がある。90%以上を占めている。私たちは何も見えていない。」

~病気ひとつをとってみても、科学に限界があることは周知のことだ。こんなに医学が進歩しても、ガン患者は増え続けている。体、心、魂をトータルで見ていこうとする統合医療が注目され始め、魂の意図、使命に興味を持つ方もどんどん増えている。目に見えない世界は、感知できないので誰も証明できないのだが、確実に何かがある。

☆「宇宙はずっとひとつ」

~「UNIVERSE」ユニバース=宇宙、天地万有、万物、全人類

この英単語は、他の宇宙を表す単語との違いは、人間をも宇宙概念に包括しているところだろうか。この映画では、唄、ソングが頻繁に登場するが、うたは「詩」とも表現できる。Yさんは、ユニバースは「ひとつの詩」でもあるよね。とおっしゃった。とても深い解釈だなあと、しみじみ感動した。

☆「宇宙は人間に似て居る。何かの切っ掛けで記憶が結びつき大きくなっていく。これは、考える、思うということ、それは星の誕生、銀河の誕生にそっくり」

~まず、人の想念(信念)が、現実(ホログラム)を創るという前提があるだろう。人も星も、万物は意識が創り出した創造物であり、同じもので出来ている。意識していないと存在は無い。意識すると存在がある。私が見ていない領域、たとえば背後には、実は何も無いと考えることも出来る。そして、創造主は宇宙源(ひとつ)なので、全ての記憶がそこに集約されている。私の記憶が誰かの記憶となり、他の次元で別人物の人生を歩んでいるのかもしれない。時間は過去から未来へ一直線で進むわけではなく、今ここにすべてが存在する。全てが今起きている。だから、ヒプノセラピストとして、こう言うのも何なのだが、前世と思っていた記憶も、実は宇宙源の記憶の断片であり、私は誰かの夢の一部であると表現することも可能なのだ。Yさんと、この辺りを話し合い、「結局、前世があると信じる方が、ロマンティックだからじゃない?その方がう~んと楽しいから、そう解釈してもいいんじゃないかな?」という結論になった。地球体験そのものがイリュージョンなのである。だったら、前世で出会った〇さんに今世出会って恋愛が実ったとか、前世お姫様だったとか、そういうお遊びオプションがあったって当然じゃないかと思ったのだ。何のために?感情をより味わうため、感動するためだ。地球は様々なコントラストを通し、多彩な感情を味わうことが出来る遊び場だ。

☆「きれいな光はどこかさびしい。消えちゃうのに光るなんて。」

~私たちは、本質は宇宙源から分離した光であり意識エネルギーである。肉体は乗り物であり、私自身ではない。ひとつの分離体験を終了すると、意識体は肉体を脱ぎ、源へ帰還する。肉体は分解され大いなる自然へ戻る。形態が変化するだけであり、無くなるわけではないのだが、この目に見える世界の価値観で見ると、「消える=さびしい」となる。ただ、この制限された価値観の中で光を見るからこそ、儚いと実感するからこそ、美しいのである。

Yさんは、イキイキしたものと、朽ちていくものをひとつの画面に描くヴァニタス(人生の空しさの寓意を表す静物画)について説明してくれた。「作られた完璧さではなく、あらゆるものを含んだ美しさ。生と死の間全部を合わせて生の美しさ、死と向き合いながら人生の深みを文章で表現」した宮沢賢治作品への言及もあり、さらに解釈が深まった。「消えちゃうのに光る」からこそ感じる美。この感覚こそ、二元の世界感を存分に味わうからこそ得られる貴重で繊細な意識なのだろうと思う。賢治童話「オキナグサ」のいろんな視点から見るからこそ浮かび上がる表現に、多次元宇宙意識、ライトワーカーの特質を感じた。

☆「何の音?698.45Hz 星が死ぬ時の音。空は死んだのだろうか。」

「これが祭り?結局我々は何もできなかったということか。でも僕らはずっと空を感じている。見なくては、空のその先を」

~死は目に見える世界から見ると終わりである。大変ショッキングな出来事であり、多くは悲しみの感情を抱くだろう。眼の前から消えてしまうのだから、そう思うのは当然。しかし、宇宙は同じ材料で出来ており、増えも減りもしない。形態を変え循環していると知っていたらどうだろう?

☆「身体の奥の方に渦巻きがある。」

~以前、Yさんとの宇宙会議で出て来た左巻きエネルギーが、ここで映像表現されていて、思わず「あ!」となった。万物を生み出すエネルギーの流れ。創造の流れである。つまり、死は、扉の通過点でしかなく、扉の向こうは即、誕生なのである。目に見えない世界側では、「誕生おめでとう!」の祭り気分なのである。

☆「星の星々の海は産み親、風はあらゆる海の記憶をはらんでいる。風のほんの一部、海の記憶たちと過去や未来の誰かの記憶にふとした瞬間に出会うのだ。」

~この台詞は、とても意味深く、美しく、しみじみ味わいたい一節だ。そもそも万物はワンネスで繋がっている。樹や岩や魚の記憶は私の一部にもなるのだ。

☆「この人、とても長い間ここに一人で見ていたの?」

~巨大な深海魚の化石のような魚が泳いでいくシーン。宇宙源の目を表現したのだろうか?宇宙開闢からずっと、観察しているのは、たったひとつの目であるとも言えるだろう。

☆「君の役割はここで終わり。隕石は目覚めた。巨大な渦の中心になる。」

~隕石の目覚めとは、もしかしたら人類の覚醒のことではないだろうか?とふと思いついた。琉花は、隕石という宇宙の精子を受け止める女性性の働きを担ったからこそ、渦(誕生)を発生させた。つまり、ひとつの産み出しを終えたとの宣言だったのではないだろうか。

☆「隕石は記憶を混ぜる。誰かの記憶は君の一部でもある。」

「空と海が重なり祭りが始まる。宇宙の全部が声を合わせて歌い始める」

「海は子宮、隕石は精子、人は乳房、天は遊び場」

~このあたりの台詞が、キャッチコピーでもある「生命誕生の物語」のヒントになっているのだろう。大事なキーワードが続く。が、なかなか解釈が難しい。このあたりは、映像と共に味わい、感覚で受け取った方が良いだろう。言葉にしようとすると思考を使ってしまうため、90%の目に見えない領域に到達できなくなってしまうからだ。だから、小説でもなく、詩でもなく、アニメーションで挑戦したのだろう。

☆「見たい!見える、私が宇宙?」

「お母さんが私の中にある。」

~この辺りの映像表現が素晴らしい!何度も見直したい。星々が、体内を巡る血管の中の血液細胞にも見えるし、体は小宇宙(フラクタル)でもある。よくぞ映像化したなと感心した。

☆「宇宙と人は似ている。すべて同じ。太陽も海も人間も他の誰かとも。」

「宇宙に行ってみると、きっと海に似て居いると思うよ。」

~この映画エンディング近くの場面である。きっと、うまく説明できないけれど感覚として捉えられる人は多いのではないかと思う。

☆「あんたでいいんだよ。信じておやり。海、空、自分自身を。」

~この台詞は泣いた。何だかふと緩んで、涙が流れた。今、私たちが格闘しているこの人生、丸ごと、これでいいんだ。宇宙源の愛にすっぽり包まれているかのような気持ちになった。私たちは、自分で自分自身にこの言葉をかけてあげる必要があるのだろう。あなたの宇宙はあなた自身なのだから。あなたが受容しなければ誰が受け入れるというのか。「私は私でいいんだ!」「この人生で良かったんだ!」そこから全てが始まる。新たな一歩となる。

☆「思いがけず光るのは海の幽霊」

~ここはまだ謎のまま

☆「大切なことは言葉にならない」

~これは宇宙源と私との約束。ひたすら光を目指し生きること。宇宙源への帰還。光の約束のことだろう。

☆「命を断つ感触がした。」

~へその緒を切断した時の琉花の台詞。赤ちゃんの人間としてのスタートの瞬間であるが、目に見えない世界側からすると宇宙源(子宮でつながる世界)と切り離される瞬間、ひとときのお別れという意味ではないだろうか。死と誕生が同時に起こっている。

☆「いつも体の一番奥でいつもつながっている」

~それでも、心の目を澄ませていけば、浄化していけば、宇宙源と繋がる意識を体感することは出来る。私たちは忘れているだけで、実は今ここに全てと繋がる意識はある。ここに気づくことを悟り、覚醒と表現する。OSHOは「ひとつぶのしずくの中に大海が流れ込む」と表現したそうだ。


恒例の、オラクルカードリーディング

視聴前に引いておいたもの。

一枚目は無限の光(宇宙源)を

二枚目は、サイクル(宇宙循環)。光に向かいまっしぐらに進む魂の約束、源への帰還を

つまり、映画からのメッセージとバッチリリンクしていた。

Yさんにスターシードオラクルを引いていただいたところ

Your life is a canvas

「白いキャンバスにどう色をつけていくかあなた次第。自分で描く。描きなさい。描いていい。」というメッセージだそうだ。

心身緩和ワークショップで出て来た私のインナーチャイルド(人間ではなく二次元の絵の存在だった・・・)に対するメッセージのようにも感じた。

これからの私の体験は、きっと将来ヒプノセラピストとしてクライアントに向き合う際に役に立つだろう。もう扉は見えている。次のフェーズに入る入り口はもうすぐそこだ。

そんな気持ちになった。

yさんのおかげで、映画の未消化な部分がかなりスッキリできた。これで、栄養として取り込むことが出来る。

yさんとの会話は多岐に広がるので、いつも曼荼羅のようだと思う。その左巻きエネルギーがビックバンを起こし、超新星が誕生するように、混沌から新たな命が芽生えていくように、蛹が蝶へ変容するように

この宇宙の流れに乗っていきたいと思う。

学びと気付きの一日をありがとうございました。

☆追記

10月4日の投稿で書いたことについて。

思念は距離に関係なく飛ぶらしいことが判明。映画で、クジラの歌は水中を通し、広範囲に伝わると説明がされていたが、本来、人間の思念は宇宙までも飛ぶし、時空も超える。人間には、ものすごい力があるのだ。これもテレパシーだ。

10月4日、MRI検査中、造影剤が体内に入る瞬間に、本能的恐怖に襲われ、魂の兄に向かい「助けて!」と心の中で叫んだことは書いた。すぐに落ち着いたのだが、実は魂の兄であるYさんは、私のSOSをキャッチしていたそうだ。

時間帯は15時30分~16時の間辺り。だいたい検査時間とピッタリだ。

外食中だったYさんは、右耳に甲高い、キーンという音を聴いたそうだ。所謂耳鳴りだが、Yさんは日頃から耳鳴りがあるので、違いは分かる。これは家族に何かあったにちがいないと思い、外に出た。

空には、クジラやイルカの形をした雲が群れになり浮かんでいた。Yさんは、誰からの緊急メッセージかは分からなかったが、「落ち着くように。」と、空に向かい、祈ってくれたそうだ。

そして、後で私のblogを読み、時間帯もピッタリだったことから、私の「助けて!」の思念が、数十キロ離れた地点のYさんに瞬時に届いていたことが判明した。

また、Yさんの「落ち着きなさい。」という祈りが瞬時に私に届き、私はすぐに安心を取り戻していた。互いの思念が一瞬で行き交っていた。これをテレパシーのやり取りと言ってもよいのではないだろうか。

ちなみに、キーンという甲高い音というところから、もしやと思い、普段、部屋やパワーストーンなどの浄化に使っていた、音叉(クリスタルチューナー)を鳴らして、Yさんに聴いてもらったところ、「こんな音だった!」とのこと。この音叉は、天使の波動と言われている周波数だったため、ホッとした。私のSOS波動が、ドロドロドロという気味悪い音だったら嫌だなあ~と思ったので。(笑)

イルカも、甲高い声で周波数を発し、遠くにいる仲間と交信していると言う。Yさんが空に見たイルカ雲を私も後で拝見したが、何だか、自分の本性はイルカなんじゃないか?という気分になったのである。



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