ライオンズゲート効果

 7月4日の『青葉城恋唄~時空交錯する旅』投稿が、気づいたら、予想外にたくさんの方々に読まれていたようだ。どこかの文章の一行が、誰かの人生をほんの少し、明るく照らしてくれていたらいいなあと思う。

昨日、8月8日は、ライオンズゲートが開いて、宇宙エネルギーが最高に降り注ぐ一日だったらしい。あまりのエネルギーの強さに、体調を崩されたり、メンタルがザワザワする方も多いようだ。

私は、この10日くらい、身体がだるくて、昼間はとても眠かった。予定の無い日は、昼間から横になって、のんびり過ごしていた。

ライオンズゲートが開くと、何が起きるのか。手放すべきネガティブな感情が湧きあがってきて浄化が促される。そして、もう、嘘や誤魔化しが効かなくなる。

私も、今までは、「これが世間の常識だから。こうするのが、いい人のやることだから。こうしないと、非難されそうだから。」と、外側に判断基準を置いていたことを、初めて自然な流れで、「私は、それはやりたくない。だから、やりません。」と選択することが出来た。

もちろん多少は揺れ動く。私って、非情なんじゃない?我儘なんじゃない?と。

でも、やらなかったことで、内面が、すっかりリラックスできているのも感じていた。ほっとしていて、嫌な現実から逃げたというより、もう不要な修行はしなくてもいいんだ。という気持ちが強く感じられた。

これが、風の時代の流れなのかもしれない。

二極化という言葉はあまり好きではないが、多極と捉えるなら、スッキリするかも。

多種多様なエネルギーが混在する中で、魂を磨いていたのが、土の時代。戦いのエネルギーの弱い人々は、強いエネルギーの人々の前では、小さくなるしかなかった。何事も起きませんようにと、身を縮め、自分を圧し殺し、本音をうっかり出さないように、仮面を被って細々と生き抜いて来た。

天外伺朗さんの新刊によると、鬱病になる人々は、戦うエネルギーが弱い人だとか。土の時代は戦うエネルギーを活性化することで、成長の原動力に変換してきた。何でもかんでも、比較と競争であった。その流れに乗り切れない人々は、脱落し、メンタルを病んだり、引きこもったり、時に死を選んだ。

風の時代は、個性が輝く時代。もう比較したり、違うものを排除することは無い。一人ひとり、やりたいことをやり、それが調和を生み、戦いは消えていく。それは、正義と悪という幻想を手放した、一段階成熟した世界を意味するように思う。

多種多様なエネルギーを持つ人々が混在していた世界は、これから、ある程度、似たようなエネルギーを持つ人々ごとに集まり分かれていくようだ。パラレルが分かれるイメージなのだろうか。

確かに、二年前(奇しくもコロナ発生の時期!)から、人間関係は見事に整理整頓された。顕在意識で判断し、会おうと画策しても、もう会えなくなった知人は多い。嫌いなわけではない。尊敬しているしどちらかと言うと、好きな方々だ。ただ、目に見えない世界について、あるいは覚醒について語り合うことができない。不思議と寂しさもあまり無い。相手の幸せは祈るが、直接関わる必要が無くなった。単にそれだけのことと割りきれる。これは、ごく近しい関係も含む。

その代わり、新たな出会いにより、話の通じる方々ばかりご縁をいただいた。

今まで、話の通じる人々と、ほとんど出会えていなかったのも不思議だが、「あなた、今まで、どこに隠れていたの?」と驚くくらいに、新たな出会いは、魂の再会ではないかと感動を伴う。

エネルギーが似ている方々は、多くを語らずとも共有できることがたくさんあり、何より、とても楽。自分を隠さなくていい。悔しくて泣くのではなく、感動で涙することしか起きない。

土の時代の人間関係は、ありのまま受け入れられた実感が無い。私がその都度、必要とされる人物像を無意識に受けとり、忠実に演じるか、出来なければ無言の否定を針のムシロのように感じて、自己嫌悪に陥った。「私なんか、存在することが既に誰かの迷惑になっている。私はここに居てはいけないんだ。何て駄目な人間なんだ。」と本気で思って生きてきた。

最近、それでも、まだ、土の時代の価値観に後ろ髪をひかれ、「私は○○という立場なんだから、無理してでも△△をしなきゃ。」と、気持ちを奮い立たせ、行動した日もある。自分の判断にまだ自信が持てなかったのだ。しかし、心から行動したわけではないので、結果は散々だった。普段しないような大失敗をしでかした。もっと相手から否定されるように、そうなるように、私が無意識に失敗する選択をしたとしか思えない。宇宙から、「こっちの流れじゃないよ。流れに逆らうから、苦しいんだよ。」と伝えられたように思う。

私がこの、所謂、倫理的?精神○○すべきという正しい姿に拘る限り、苦しみが延々繰り返されるのだなと理解できた。

本来の私でいられない人間関係の中に、なぜ敢えて飛び込むのだろう。飛んで火に入る夏の虫状態ではないか。

そして、勇気を出して止めてみた。それがライオンズゲートが開いていた時期だった。もう嘘をつくことは出来ず、偽りの行動は、簡単に炙り出される。

価値観の違いすぎる人間関係の中では、もう私は呼吸が出来ない。土の時代はその学びも必要だった。私はとことん自分を否定して生き抜いてきた。ご苦労様だった。もう、その苦労は終わった。次の学びのために、私は土の時代を抜けていく。

私のエネルギーを嫌いな人もいる。理屈ではなく、その人が本来持ち合わせたものなのだから、仕方ない。嫌いなエネルギーを力で抑えつけ、戦いのエネルギーの強い方々が世界を営んできた。それが集合的無意識となり、今、世界が現実化している。

嫌いなものを好きになれとは言わない。合う合わないは、自由だ。

ただし、「あなたはそのエネルギーなんですね。」と認めることは出来る。「そのエネルギーは正しくないから、出すな!」と、排斥してきた流れから、「お互いに違いがあるんですね。」と、認め合う。

無理に一緒にいるから、どちらかが我慢を重ね、ストレスにまみれ、病気になるか感情を爆発させ事件に発展することもある。

互いに認め合い、必要無いなら距離を置く。相手をコントロールすることではなく、お互いに心地よい距離を取る。

それでいいんじゃないかな。

宇宙は、戦いから、融和への流れにある。

ありのままのあなたでいることは、我儘ということではない。無理を通していいということでもない。自分が自分を受け入れると、他人も受け入れられるようになる。違う考えの人がいても、いちいち腹を立てるのではなく、「なるほど、そんな考えもあるのですね。私はこう考えます。」と穏やかに一旦受け入れることも出来る。そして、第二、第三の解決策を協力しながら探っていくことも出来る。

本当の自分を受け入れることなく、融和への流れに舵を切ることはできない。

自分の中の戦いを終わらせることから、次のステージが始まる。

ライオンズゲートが開いている間に、宇宙の強力なエネルギーの力を借りて、自分の中と対話してみてはどうだろう。もう嘘は通用しない流れに入っている。自分の本音にしっかり耳を傾け、「今まで、我慢させてごめんなさい。本音を言ってくれてありがとう。これからは、自分の気持ちを大切にしていくからね。」と優しく声をかけてあげてほしい。


本日のスイカ三兄弟

スクスク伸びている。

彼らの姿を見ると、穏やかな気持ちになる。


人参の水栽培も始めた。

葉っぱが出てきたら土に埋めよう。

最近、銀色夏生さんの『自然農1年生』というエッセイを少しずつ読んでいる。その日食べる分を自分の畑からちょっとだけ摘んで食べる。献立は、畑のその日の収穫で決まる。一口一口、丁寧に味わうようになったそうだ。

家族が食べる分だけでいいから、小さな畑をやりたいなあ。

きっと、人間はそんなに量を食べなくても、ちょっとのお野菜とお米ぐらいあれば生きていけるはず。この飽食の時代は必ず終わりを迎える。もう先が見えている。早ければ来年あたりからか。より土と太陽からの恵みを実感し、感謝しながら生きるフェーズにはいるだろう。それにより病気も減る。良い方に向かっている変化だから、落ち着いて乗りきろう。

大丈夫。

宇宙の流れは、融和に向かっている。


☆「融和力」を推進力にしている「平和の守り手」の特徴

○むやみに戦いを仕掛けない。戦いは闘争だけでなく、立身出世、名誉、名声、お金を得るための戦いも含む。

○むやみに目標や夢を設定して、それを追いかけない。

○むやみに聖人にあこがれない。

○むやみに、いい人、強い人、立派な社会人のふりをしない。装わない。格好つけない。素の状態、裸で生きている。

○自分の弱さ、欠点をさらすことに抵抗感がない。ネガティブに見える側面も含めて自己受容。

○むやみに人を批判しない。

○むやみに、美しい物語にあこがれない。理想を追わない。

○混沌の中にいても居心地の悪さを感じない。むやみに整理された秩序を求めない。

○出来事、現象に、論理的で美しい説明や理由付けをむやみに求めない。ただ、ある  ことを認める。

○むやみに、いい、悪いの判断をしない。ありのままをカオスとして受け取り、判断を保留する。

○いかなる結果が出ようとも、それを淡々と受け入れる。

○正義と悪のパターンで読み解こうとしない。

○むやみに、善人と悪人を切り分けない。抱えている葛藤の重さが違うだけだと認識。

○むやみに、正、誤を判別しない。誤の中に潜む叡智を探す。

○むやみに自分と人、他人同士を比較しない。存在しているだけで十分に価値があると実感。

○むやみにコントロールしようとしない。社会を変えようとするインテンションは低い。

○恋愛は静か。独占、嫉妬心が希薄。

○あらゆる面で無条件の愛が発揮。

○自分とは異なる意見、思想、価値観、文化の人と一緒にいても居心地の悪さを感じない。

○他人の問題行為、我儘な行為、エゴ剥き出しの行為に対して、むやみに嫌悪感を抱かない。

○むやみに自己顕示欲むきだしの言動に走らない。自らの自己顕示欲の存在をしっかり把握。

○出来事、他人との関係などを客観的に遠くから見る視点を確保。

○他人や社会が自分をどう見るかをむやみに気にしない。自分をまげて、他人や社会に無理に合わせたり、おもねたりしない。常に自分自身であり続ける。

○むやみに過去を悔やまず、未来を思い煩わない。

○自らをあけわたし、宇宙の流れに乗ることができる。傍から見ると、やたら運が良いように見える。

○融和力が発揮されている。その人がいるだけで、安心、安全の場ができ、人々がなごむ。

『実存的変容』天外伺朗 著 内外出版社より


ううむ····

三つくらい、まだ身に付いていない項目がある。他人や社会の目がまだ気になる。自分を責める癖もある。エゴの強い人と一緒に居ると具合が悪くなる。それでも、一年前に比べたら、ずいぶん変容が進んだと思う。

時々、思い出して、今、自分はどのあたりにいるのかな?と確認してみたい。

数日前、駅前商店街へ買い物に出掛けたら、警察官三人が、男性二人の揉め事を仲裁していた。感情を荒げた外国の男性が大声を出していて、とても嫌な気持ちになった。警察官は辛抱強く話を聞いていたらしく、一時間後に、「もう、こんなことしたらダメだよ。」みたいな感じで、逮捕することなく場をおさめていた。喧嘩をしていた二人は西と東に分かれて帰っていった。

警察官の対応いかんでは、喧嘩がエスカレートし、感情を荒げた方が暴れたりして、逮捕劇に発展したかもしれない。

おそらく辛抱強く二人の言い分を聞いて、気持ちを発散させてあげたのだろう。後腐れなく左右に別れて帰って行く当事者二人を見送り、白黒つけない対応ができる日本のお巡りさんはいいなあと思った。お巡りさんは「次の現場があるので。」と、忙しく去って行った。お疲れ様です。また、揉め事かな。

ちなみに、私は、一時間ずっと野次馬をしていたわけではなく、その間カフェに入ったり本屋で立ち読みしたりしていたので、時々、当事者の怒声が耳に入る程度だった。お巡りさんには頭が下がる。

相手に腹を立てる時、正義は自分側にある。世の中や他人を正と悪に切り分けて対立すること。例えば肩がぶつかったのに相手が謝らない。なんて非常識なんだ。許せない。とことん分からせてやる。その怒りの源はじつは自分の内面に押し込めたシャドーである。相手をいくら責めても、土下座させたとしても、根本的解決には至らない。次は、誰かに足を踏まれる現実化をするかもしれない。相手をとっかえひっかえ、腹を立てる出来事が続く。戦争が無くならないのも、同じ仕組みだ。

次の段階へ、魂の成長を望むなら。戦争の無い世界を実現したいのなら、「平和の守り手」を意識して生活してみたいものだ。まずは自分の内面の平和から。



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