次なる展開
昨日の夕方、突然知らされた事。
予想外のことで、驚いた。
これからしっかり調べ、動かぬ結論が出たら、腰を据え対処していくことになる。
それまでは、本人も不安だろうし、私も気を抜くと、ネガティブな感情に浸りそうになる。
本当に、人生って、ドラマティックだ。しばらく平穏だと思って喜んでいたのだが、人生の脚本家は、見せ場を創ってくる。それが脚本家の役割なのだから、仕方ないのだけど、正直、しんどい。
今、出来ることは、先回りして余計な心配をしないこと。私が不安になって、どんよりしても、本人には何の役にも立たない。
昨夜、いつものオラクルカードリーディング動画を観ていた。
メッセージが胸に染みた。
「一見、悪いような出来事が起こるけれど、それは、あなたがより自由になるために、あなたの魂が引き起こしたこと。」
「物事は背中合わせになっている。喜びの出来事には悲しみ。幸せな出来事には不幸せ。私たちは、どちらか一方しか見えないから、反対の感情はずっと遠いところにあると感じるけど、実は一番近くにある。そのことを忘れないで。」
「あなたは、今までは、道を歩いてきた。分岐点があり、右に行こうか、左に行こうか、迷いながら進んできた。もう、次の段階に入りました。あなたは、これから橋を渡るところです。渡った先は光の国です。よくここまで来ました。後は真っ直ぐ進むだけ。もう迷うことはありません。橋を渡る時は、グラグラ揺れたりするかもしれないけれど、この先には光が待っています。これは、あなたが決めてきた人生です。」
「あなたのその能力、出さないで終わるつもり?」
そうか~
動揺してしまいそうな出来事が起きても、実は自分が経験したくて起こした出来事(幻)なのだと思うことが出来れば、少し客観的になれそうだ。感情に溺れ、幻に頭を突っ込んで、嵐に翻弄されオロオロするのではなく、一歩離れて、出来事を眺める。感情が出てきたら、これは私が体験したいこと?そう感じたいの?と問いかけてみる。どの感情を選択するかは、自由だ。味わうことも自分に許す。ただ、正反対の感情も選択できることは忘れないでおこう。
出来事は、背中合わせになっているというのは、陰陽図でも説明できるだろう。
例えばだが、
大好きな人と結婚して平穏に暮らしていたとする。とても幸せな気持ちで過ごしている。しかし、人間には寿命があり、いつかは、最愛の人とお別れのタイミングがやってくる。最愛であるほど、愛着が大きくなり、別れは大きな悲しみをもたらす。愛情が大きくなればなるほど、比例して苦しみも増す。正反対のエネルギーが、きっちり同量、背後に隠れている。
命にかかわる病気になったとする。闘病で苦しんだかもしれないが、家族の愛を実感するかもしれない。健康の有り難さを痛感するかもしれない。何気ない日常が一番幸せなのだと気づくかもしれない。苦しみが大きければ、同量の幸せを実感する。この人は、自宅で普通に生活できるだけで、感謝の涙を流す。空や花を見て、その美しさに感動する。闘病しなければ気づくことのなかった幸せ。周りは美しさと愛に溢れていると。今、存在することが既に至福なのだと。
残念だが、幸せの中にだけ居ては、幸せは分からない。比較が無いから、当たり前になってしまう。
あなたが光だったとして、光の世界に居ると想像してみよう。どんなに美しく輝いていても、周りが同様に光っていたら、あなたは、あなた自身を見いだせるだろうか。「私は光」だと気づくことが。
もし、暗闇の世界に、滞在してみたとする。「私、こんなに光っていたんた!美しい輝きだったんだ!」と、ようやく理解する。比較して、観測しないと、そのものを知ることはできない。
もし、人生が苦しかったなら
苦しみが大きいほど、あなたの輝きは実は力強い。あなた自身がどれほど美しい光であるか、それを確認するために、その人生が用意された。
いや、本当は、あなた自身が用意したのだ。あなたは、知りたかったのだ。
それは、あなたの正体。知りたがっている観測者の意識。
この宇宙を創り出した、ひとつの意識エネルギー。
うん。そうだな。
しっかり味わって、経験させてもらって、真っ直ぐ橋を渡って行こう。もう、進むしかない。この私の人生。後は、この橋を渡るだけだ。向こう岸の世界は、魂が慣れ親しんだ光の世界なのだから。
光りも闇も、同じだけ体験したかった。いっぱい体験させてもらった。たくさんの気付きがあった。両方分かるから、今の私がある。
橋を渡るというのは、きっと、二極の統合のことなんだろうな。
いよいよ
橋を渡り始めます。
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