間違うことが出来る凄さ
「昔あるところに木こりがいて、山で働いていると、そこに天邪鬼が現れた。天邪鬼は人間が考えたことや、こころの中で思ったことがすぐに分かる。人間が、いやな野郎が来やがった。と思えば、声に出さなくても天邪鬼は分かってしまう。
ある日、木こりが、まさかりで木を伐採していたら、突然、まさかりの柄が折れて、まさかりのりの刃が天邪鬼に突き刺さってしまった。その時、天邪鬼は、
人間とは怖い。考えもしないことが出来るんだ。俺は考えたことしかできない。
といって死んだ。
だからAIはたいしたことないよね。考えないことはできないんだもの。人間は考えてもいないことを思わずやってしまう。
女房の友達が癌の末期で余命いくばくもなくて入院していたら友達が来て、こう言った。
あんた、何やってんの、ここで?いいの?あんたがここで死んだら、葬式でみんながあんたのうちに行くんだよ。あのキッタナイうちへ。
それを聞いた友人は、死んでいる場合じゃない!退院します
と言って家に戻り、片付けているうちに、癌が治ってしまった。そんなもんだよ。人間て。
人間は思いもよらないことができるし、間違うこともできるしさ、間違いをただすこともできる。」
『わたしにうれしいことが起こる~ゆるんだ人から、叶っていく』植原紘治、服部みれい 徳間書店 253~254頁より
間違うって、凄いことなんだと気づいた。なぜなら、意図せずとも学びに導かれるから。
魂の学びへ。
私の今日の体験を記録しておきたい。
東京は、お盆期間である。徒歩20分くらいの所に夫の父親が住んでいる。二十数年前に夫の母親が亡くなり、仏壇があるので、通常は、手を合わせに行くのだが。
こちらのblogを読んでくださっている方々は理解していらっしゃると思うが、私は義理の父が苦手なのだ。優しい人柄であり、嫌う理由が全く分からない。なのに、義父に会おうとすると、とても嫌な気分になり、まるで会うと命を取られてしまうくらいの恐怖心がわき起こり、精神的に荒んでしまうのだ。毎回、勇気を振り絞り、何とか会いに行く。会ったところで、何かされるわけでもない。本当に不思議。
さて、今日も、朝から荒んでいた。義父の所に行くと考えただけで、どんどん周波数が重くなる。行きたくない。会いたくない。こんなに嫌なんだから、出かけない方がいいんだ。何度も、逃げようとする自分と戦う。
このまま、また逃げるのか?いつまで経っても解決しない。まず、行動してみようよ。催眠療法でたくさんのネガティブを手放してきた。もう大丈夫かもしれないじゃないか。私はそんなに弱い人間だろうか。勇気ある人間じゃないのか。行動せよ。
「行くのを止める。」と、何度も口に出かかるが、力を振り絞り、夫と共に外に出る。気分が落ちて、とてもひどい状態になっている。具合が悪くて、エネルギーが枯渇していく。何でこんなに、義父がからむと、私は幸せな気持ちから遠ざかってしまうのか。嫌いなのだ。でも、理性的な理由が分からない。
義父は、何らかのネガティブな感情を想起させる象徴であるようだ。過去世で、殺されたとか、親の敵だったとか、複数の要因で何かあるのかもしれない。以前、このテーマで催眠療法をやった時は、戦時中の上官が義父に似ていたからという気付きを得たが、問題解決には至らなかった。よく分からないまま、鬱々として、義父の家に辿り着いた。
私も大人なので、義父には、明るく挨拶をする。大切にしたいし親切にしたい。ただ、わき起こるネガティブな感情を持て甘しつつ、そこは仮面を被る。話しかける時の私は仕事モードに近い。上手くやるために、偽りの自分を演じるわけだ。そして、仏壇に向かう。
いつも通り、ロウソクに火を灯し、線香に火をつけようとしたところ
ロウソクの火が、近くにあった造花に移り、メラメラと燃え始めた。
呆然とその様子を見つめる私。造花の花びらが何枚か燃えながら下に落ちていく様子がスローモーションで見えている。
その瞬間、「ああ、こうやって、偽りは炙り出され、焼き尽くされてしまう。もう誤魔化しが効かない世界になったのだ。」とゾッとした。
あわてて、夫を呼んだ。不思議と、炎は消え、大事には至らなかったが、焦げた跡が小さく花瓶の下あたりに残された。
何をやってるんだ。私は。
罪の無い義父を理由なく嫌うばかりか、危うく、火事まで起こしてしまうところだった。一歩間違えば大惨事だ。
私は私が信じられなく、自責の念で、自身を焼き尽くしてしまいたくなった。とことんダメな私。何かをやらかしてしまう私。いつも、誰かに迷惑をかけてしまう私。価値の無い私。せっかく勇気を振り絞り、出掛けて来たのに、上手くやれない私。こうやって、意図せず間違えてしまうのだ。だから私は、何も行動しない方がいいんだ。一生閉じ籠っていればいいんだ。
夫は、一切私を責めない。「これくらい大丈夫だよ。」と言う。義父と少し世間話をして、家を辞した。(義父は少し認知症があり、同居してお世話してくれる人が居る。)
帰り道、晴れていた空がにわかにかき曇り、土砂降りとなった。しばらく降った後、見事に青空が広がった。ぐんぐん流れていく雲が神秘的に輝き、天使の羽のようでもあった。空気は清々しく、雨は、路上の緑をイキイキとさせていた。
私は、押し潰されそうな心を抱え、近所の神社へ向かっていた。
美しく晴れていく空を見上げながら
「神様、助けて!助けてください。もう、たくさんです。加害者になったり、被害者になったり、この繰り返しはもう嫌です。私は、またエゴの力でカルマを作り出し、輪廻から抜けられなくなりそうになりました。もし、あれが火事になり、義父の家を燃やしてしまったなら、例え、義父が私を許してくれても、私は自分を許せなくなったでしょう。罪悪感に苛まれ、苦しんで死んでいったでしょう。もう、いい加減、この繰り返しは嫌です。」
神社で手を合わせ、親水公園沿いをゆっくり歩いた。突然の雨で濡れそぼってしまった鳩が、羽を乾かしていた。大きなカラス揚羽蝶が、飛び交っていた。
私の内面に反して、外界はどんどん輝きを増し、美しく変化していった。どう見ても天からの祝福なのである。
なぜ?責められてもいいはずなのに。私は、あんな間違いを犯してしまった、ダメな人間なのに。なぜ、目に映るもの、耳に聴こえるもの、肌に感じるものが、こんなにも美しく愛に満ち溢れているの?
帰宅して、風呂に浸かりながら、ハイアーセルフに交信してみた。私に分かりやすいように、今日の出来事について、意味を教えてほしいと頼んだ。
自分の思考も混ざっているかもしれないが、以下がメッセージである。
「今日は、いくつものパラレルの分岐点だった。
今日、嫌だからと、義父の所へ出かけない現実も、仏壇の造花が燃えて、大惨事になる現実も、大難が小難で済む現実も、平行世界に、いくつものパラレルが存在していた。
あなたは、気付きを得て、次に進む選択をした。大難により、目覚める方法ではなく、ちょっとした事故でも気付きを得られるくらいに、成長していた。だから、あの程度で済む現実を引き寄せた。
もちろん、今日、出かけない選択もあった。その場合は、気付きが先延ばしにされたか、重い周波数を手放せず、未来の次元上昇が実現できなかったろう。
あなたは、何を学びたかったか?
もう、分かっているね。
加害者意識、被害者意識、罪悪感という、重い重い周波数に気付き、感謝し、手放すこと。
これは、かなり困難だった。魂の奥深くにびっしり刻み込まれていたため、催眠療法でも容易に癒せる類いではなかった。何百とある過去世は、主に、加害者と被害者を繰り返し、カルマを解消するどころか、膨れ上がる一方だったからだ。輪廻は、更なるカルマを生む。キリがない。今世のあなたが輪廻のカラクリに気付き、勇気を持って終止符を打つしかなかった。
今朝、あなたは苦しかったね。訳も分からず、重く苦しい感情を味わい、何度もそこから逃げたいと願ったね。でも、最終的には、逃げない選択をした。あなたは、勇気ある選択をしたのだよ。
苦しい感情が浮かび上がってくるのは、浄化のためだった。あなたが、催眠療法や、ヒーリングや、魂の縁のある土地へ訪問したり、魂の仲間に再会しエネルギー交換をしたことの相乗効果で、手放して癒す準備が整っていた。あと一歩の勇気で次のステージに進むところまで到達していた。
義父が過去世で、あなたに何かをしたかどうかは、どうでもよいことだ。なぜなら、高次元から見れば、ソウルグループ内で、互いの学びのために、相手に役割をお願いし、ドラマを演じているだけだからだ。二元の世界の闇の役割は、実は愛なのだ。あなたが自身で選択した学びのために、一肌脱いでくれているのが、あなたにとっての嫌な相手なのだよ。あなたを愛しているから、嫌な役割をこなしてくれるのだよ。みんながその役割を断ってしまったら、あなたは学べなくなる。だから、起きた出来事は、すべて感謝しか無いのだ。
あなたは、あの事故で、炎を目にした瞬間に、すべてが織り合い、活かし合う背後の関係性に気づいたのだ。そして、心底、このドラマを繰り返してしまう周波数を手放したいと祈ったね。あなたは、その瞬間に、手放したのだ。
浄化の雨で、洗い清められ、あなたの目に映る世界は輝きを増したように見えていた。
あなたが望むパラレルへ移行した証だ。
もう、大丈夫だ。
今後、義父に会っても、あなたは素直に振る舞えるだろう。大切にしたいと思い、心から親切に接するだろう。もう、ドラマを演じる必要は無くなったのだから。あの訳の分からない怖れの周波数は、宇宙の光に戻り、愛のエネルギーとなって、あなたのハートに還元された。
それを象徴する出来事が現実として、起きていたのだよ。
間違いを犯したとしても、自分を責めすぎてはならない。そこから学ぶことが、この人生ドラマの意味なのだから。二元の世界観で見るのではなく、俯瞰して、多面体として捉えるのだ。繋がりの中で生かし生かされていることに気付くだろう。
元はひとつであり、あなたという意識も消える。真ん中に戻る。至福へ戻っていく。
感謝して、学ばせてもらいなさい。」
そして、見せられたのが、冒頭の本の文章だった。
間違うことが出来るって
実は凄いことなんだ。
という気付きを得た。
何だかいろいろビックリした一日だった。
何が起きても私に寄り添ってくれる夫にあらためて感謝。ありがとうございます。
ちなみに、昨日スマホで撮影した夫の写真だが、顔の周りにオーラみたいのがはみ出していて、ピカピカに光っていた。
夫は既に、次なる次元へ片足を踏み入れているのかもしれないと思った。夫のように愛溢れる人間になりたい。
本当だ。
この世界は、ありがとうしか無いんだなあ。
間違いから学べて良かった。
世界のすべてが至福になりますように。
という意味のシャンティマントラを
昨夜、Yさんから教えてもらっていたのも良かったかも。と、今、ふと思った。
おかげで、今日勇気を出せたかもしれない。
いつも、タイミング良く、学びの道標となってくださるY さんにも、心から感謝。
ありがとうございます。
☆追記
さて、翌日の朝。
気付きを整理してみた。
文章にするのが難しいが、気付きの片鱗だけでもメモを残しておきたい。
きっと意図的に加害者になる人は少ない。
何か、思いがけない出来事が起きて、気づくと加害者になっていたりする。
きっかけは、小さな、何気ない選択だったりする。
小さな蝶々の微かな羽ばたきが、世界を揺るがす大きな出来事に発展するように。宇宙の流れとしか言いようが無いこともある。
あの時、ああしなければ、ここに行かなければと後から悔やんでも、意図していないのだからどうにもならない。
だからと言って、加害者が責任を負わなくていいのだと言いたいわけではない。
世間からバッシングを受け、自分を責めたり、自己弁護し開き直ったり、償いのために一生を捧げたり、内面を見ることなくやり過ごしたり、相手への恨みで身を焦がしたり、その後の選択は様々だろう。
大きなことは、戦争から
小さなことは、口喧嘩まで
加害者役と被害者役は、時々で、役割を交代し、経験を積んでいく。二元の世界で味わえる大切なテーマに添って。
今、地球上で「私」として生きている、この存在は、他者を創り出し、そこで演じられるドラマを通し、内面世界を炙り出している。
数え切れないほどの膨大なパターンによる気付きから、「私」は学んでいく。
宇宙真ん中に存在する、この意識が何ものであるのかを、知ろうとしている。
唯一無二の体験をしている「私」は、この宇宙を創り出す一員でもあり、全体でもある。
宇宙視点になり出来事を捉えると、二元論では見えてこない真実に誘われるだろう。
ロカーハ
サマスターハ
スキノー
バヴァントゥ
(世界のすべてが至福になりますよう:シャンティマントラ)
このマントラを知らされていたおかげかもしれない。スーッと引き上げられるような、次元を移行するかのような、不思議な体験をさせていただいた。
☆宇多未土さんの
〜手から感じるエンジェルタロットカード〜Facebook投稿より。
またまた、今朝の気付きがシンクロしていた。
「あなた
あなたは何者だろう?
何者かもしれないし
何者でもないかもしれない
でも
ここにいるもの
ここでなら できる
ここだから できる
ここ 個々
できることを
するだけのもの」
未土さん、いつもありがとうございます。
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