心を澄ませると
谷川岳を臨む谷川温泉
水上山荘に来ている。
写真は、谷川岳ロープウェイで、天神平まで登り、一面の雪景色の中で作った雪だるま
誰一人居ない静かな山頂
適当に作ったのに、とても表情豊かになった。
夫は、「雪の精霊が宿ったんじゃないかな。」と言った。
普段は目に見えない自然の精霊さんたちと、しばし、雪だるまを通して交流。
お別れする時は、少し、寂しい気持ちになった。いつまでも手を振り、別れを惜しんだ。
精霊さんが側に居たんだなあと感じるのは、心身がとてもスッキリ晴れ晴れしたこと。
こういう時、人間も自然の一部であり、こうやって生かされているのだと実感する。
目に見えないけど、確かに、何らかの清らかなエネルギーをいただいているようで、心が浮き立ってくる。
一時間ほど、露天風呂で湯に浸かる。
青空がちらちら見え隠れしていて、雲が猛スピードで移動している。
すぐ側に、ウグイスの朗らかな鳴き声
急にわき起こる風に、木々が揺れる。
柔らかな小雨が、雲の分身のように頭に降り注ぐ。頭がひんやり、静まっていく。
昨夜、ちょっと気がかりなことがあった。
「どなたかの役に立てば」という思いで行動してきたことが、もしかしたら、誰かに迷惑になっていたかもしれないという示唆。
物事は、多面体だ。誰かにとって良き面も、他の側面から見れば不都合だったりする。光があれば、必ず闇もある。
今回は、闇までは行かないが、あれ?っと、エネルギーのスムーズな流れが滞るイメージ。やんわりした示唆だが、「誰かのお役に立っていたい私」に直面させられた。有難い機会になった。
露天風呂で、風を感じ、雲の流れを眺め、美しい鳥のさえずりに耳を傾ける。
鳥の鳴き声は、なぜ美しいと感じるのか。
空の、刻々と変化する動きは、なぜこんなに心を打つのか。
風に吹かれ、ハッとする。
鳥は、誰かに褒められたいから鳴いているわけではない。空は称賛されたいから、雲の造形を見せてくれているわけではない。風は、「あなたのために。」と押し付けがましく吹くわけではない。ただ、そのように在るだけだ。
あるがままに、心のままに、自然な流れに逆らわず、在ることが、こんなにも美しい。
結果的に、周りに影響し、他の生命力を輝かせる。
私はどうだっかたかな?
承認欲求が、奥底に潜んでいた。
褒められたい。大切にされたい。特別視されたい。
なぜ、そんな欲望にかられるのか。
私が私を認めていなかったから。
だから、外からの称賛を求め続けた。褒められて、ほっとして、そこに存在理由を見出だした。私は役に立つ人間なのだから、ここに居ても許されるよね?と、絶えず誰かに問い、思うような反応が得られなければ、悲しんだ。ああ、やっぱり。私は価値が無いのかもと。永遠の負のスパイラル。
万人に認められるなど、あり得ないのに。
例えば、大河の氾濫。その土地に住む人々の家や畑を破壊し、命までも奪う凶行だが、長い目で見ると、肥沃な土地を育み、大地の恵みをもたらす。健全な循環、新陳代謝が無いところは荒廃する。変化は、不変の宇宙法則だ。
大河の氾濫は、人々にとり、憎まれ役だが、実は新たな命を育む黒子役でもある。
誰かに褒められる。誰かに必要とされる。を拠り所に生きていると、本質を見誤る。
ただ、在ることの素晴らしさを、私自身に見いだす。
呼吸しているだけでいい。と
私が私を無条件に受け入れ、大切にする。
誰かを助けたい。誰かの役に立ちたい。という思いで行動し、思うような反応を得られず、シュンとする繰り返しは、もう卒業しよう。
やりたいからやる。楽しそうだからやる。魂が喜ぶからやる。
そうして、いつも心地よく、穏やかに、静かに笑っている。
それでいいんだなあと思った。
鳥は鳴きたい時にさえずり
川は、逆らわず身を委ねて流れるから、せせらぎがゆらぎとなり、
それらは、地球上の様々な命を支えるサウンドとなる。
地球が癒されていく。
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