いちばんしあわせなおくりもの
ねぇ、くまくんに しあわせな きもちに なってもらいたいんだ! どうすれば、きみは うれしくなるの? なにを したら、しあわせなの?
絵本『いちばんしあわせなおくりもの』より
先日、絵本セラピーを初体験
子どもに対する絵本読みは、私も経験がある。図書館時代は、お話し会で、子どもたち相手に読んできた。子ども相手の絵本読みでは、終わった後に、大人が解釈をしたりしてはならず、それぞれの子どもの心に起こった情動を大切にするため、そっとしておく。
絵本セラピーは、大人が大人に向けて絵本を読む。一冊読み終わる度に、セラピストの提案で、テーマに添って数人の参加者が発言をする。これが、予想以上に癒しの時間となった。自分で同じ絵本を読んでも、こんなにハートは揺さぶられないと思う。これは、やはり、絵本セラピストの安心安全な場づくり、全面的な受容力の賜物だろうと思う。
なぜ、このような癒しの場が形成されるのか。催眠療法との共通点を垣間見ることができる。セラピストは、一切の判断をせず、その場が、安心安全であることを保証する。判断せず、一人ひとりを受容する心は、「ありのままを受け入れる」「いまにある」意識。潜在意識に入る。集団の中で、一人、この状態にある人物が居ると、まわりに伝染する。分かりやすく言えば、潜在意識につながる=宇宙に繋がる=本来の自分=魂=至福、癒しの感覚
つまり、参加者一人ひとり、本来の自分につながり、心の内を吐露すると、癒しが起こる。場自体が癒しのエネルギーに満ち溢れるので、参加者全員が潜在意識の奥底でつながり、意識を共有する。言葉にせずとも、分かり合える実感があり、絶対的安心感に包まれる。魂に繋がるので、大いなる気づきに誘われていく。
絵本セラピーでの気づきは、意識変容をもたらすので、翌日以降の日常に影響を及ぼす。現実は個々の意識が創りだしているので、意識が変われば目の前の現実も変わる。
絵本から、何を感じるかは、人それぞれ。正解も不正解もない。自由に語ることができる。周りの参加者は静かに耳を傾け、拍手をする。
私は、絵本セラピーの途中から、胸のあたりが、盛んに振動しているのを体感していた。魂が反応しているのだと分かった。日常生活で、魂が反応する機会はなかなか無い。これはすごいことだと、ビックリした。
今回はショートバージョンで、三冊の絵本を読んでいただいた。私は、冒頭の絵本で、忘れていた記憶をよみがえらせていた。
中学生の時の記憶だ。
父が再婚し、新しい母と暮らし始めていた頃。楽しかったのは最初だけで、母は殆どの日々を怒りの感情にまみれて過ごしていた。毎日が言い争いばかりで、とても苦しかった。
私も、姉も、本心は母と仲良くしたかった。ただ、何をやっても、母の怒りに繋がっていく。怒られたことを改善すると、またその行為を怒られる。蟻地獄のようで、何が何だか訳が分からなかった。
母の日に、私と姉は心を込めて、花と花器を買った。喜んでもらいたい。純粋にそんな気持ちだった。これを渡したら、母は笑顔になってくれるかも、そう思うと、しあわせな予感にドキドキした。
なぜか、その日にかぎり、私たちは失敗したのだ。門限を10分か20分か過ぎて帰宅したのだ。おそらくプレゼントを探すのに、時間を忘れるくらい一生懸命だったのだと思う。
母は、門限を守れなかった私たちを許すことが出来なかった。謝ってもダメだった。頑として、母の日のプレゼントを受けとらなかった。
花を渡す時の母の笑顔は、幻と消えた。仕方なく、私たちは、自分の机の上に花を飾った。
花を飾って、こんなに悲しくて、涙を流したのは、この日くらいだろう。
母は、一回、怒りの導火線に火がつくと、1ヶ月2ヶ月は、ずっと怒っているので、母の日の後もしばらくは口をきいてもらえなかったと思う。
この時からだろうか。私は贈り物が苦手になった。特にカーネーションを見ると、悲しくなり、胸が重苦しくなる。
それから20年以上経過し、私も結婚し、母も少し丸くなった頃
父の日だ、母の日だ、誕生日だ、敬老の日だ、バレンタインデーだと、最初は必死に贈り物をしていた。しかし、だんだん辛くなった。
「この人たちは、物でしか愛を表現できないのか。」そんな、見下すような苛立ちを感じ始めた。私は、そんな感情を正直に言葉にした。「贈り物を止めたい。物は何もいらない。」と。母はショックを受けて、しばらく元気がなかった。
それから10年経過し、私も丸くなった(笑)。
父母の世代は、贈り物で愛を表現するのが好きだ。それを否定しては可哀想だ。ある時から、父母からいただくものは、感謝して受けとるようにした。これが親孝行になるんだと、切り替えた。
今は、父母に対しても、他の誰かに対しても、私はあまり贈り物はしない。○○の日だからプレゼントしなきゃ、と自分に強制する思考から自由になっている。その代わり、たまにだが、誰かに贈り物したいと感じたら心を込めて選ぶ。ルーティーンではなくなったので、贈る喜びを感じる。選んでいる時間がとても幸せだ。
この絵本を読んでいただいた直後の感想
「小さな頃は、あれが欲しい。これが欲しいと、物欲が旺盛だった。贈り物が嬉しかった。
大人になって、物でしか愛を表現できないのかと感じた。
大震災の時、あなたの存在だけでいい。あなたの命があるならば、例え会えなくてもいい。存在が、すべての幸せだと理解した。
また、平穏な日常に戻り、幸せの本質が分からなくなった。小さなことで、感情を荒げたりしていた。
今回、この絵本を読んでもらい、
あなたが存在するだけで、私はとてもしあわせなのだ。あなたそのものが、最高の贈り物なのだ。ということを思い出せた。」
私は、このように語っていた。
大震災のあの日
やっと携帯メールで
大切な方々から「無事です。」と連絡がきた時に、私は天を仰いだのだった。
「ああ、神様、私は何もいりません。ただ、その人の命がある。ただ、存在する。これだけで、私は幸せです。ありがとうございます。」と、手を合わせた。
いちばんしあわせなおくりものは
あなたがいること。
何の条件も必要ない
あなたの存在、それだけでいい。
なんて素晴らしいことなのだろう。
私は、すでに、最高にしあわせなのだ。
そんな大きな気付きをいただいた。
絵本セラピーをしてくださいましたHさん、ありがとうございました。
☆追記
書こうかどうしようか?と逡巡したが、やはり記録しておく。絵本セラピーの効果を残しておきたい。
絵本を読んでいただいていた時に、古い記憶とともに、当時の感情がわき上がってくる。
一つは、前述の母の日のエピソードだが、実はもう一つ、わき上がった感情があった。
当時、何をやっても母を苛立たせることにしかならず、私の自己否定感はマックスだった。私は、存在する意味が無い。こんなに怒りや憎しみをぶつけられるほど、私は価値の無い人間なんだ。消えてしまいたい。と。
母に長期に渡り無視される度に、私の脳裏には、自死という選択がよぎった。
その都度、思い止まれたのは、実母の死の記憶だった。実母の死後、私たち家族は、壮絶な悲しみを味わった。あの感情を誰かに味わわせるのかと思うと、絶望のどん底でも、ギリギリ踏みとどまれた。実母の死が、私の命を救ってきたわけだ。皮肉なストッパーだが、壮絶な悲しみが生きる力になっていたのは否めない。生きる力は、私の場合、想像力と言える。私の死後の父や姉の心情をリアルに想像できたから、発作的な行動を回避できた。
これから私が歩むであろう人生の試練に際し、母の死の記憶は、命の贈り物になっていた。何があっても生きることから逃げないという力に。
どんな人生体験も、俯瞰してみれば、贈り物なんだなあ。この経験ができたから、今の私があるんだなあ。
そんなことにも気付かされたのだった。
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