神の計らい

 『日本の目覚めは世界の夜明け』長堀優 著 でくのぼう出版

育成会横浜病院院長である長堀医師の本を今朝から読んでいる。どの章も魂に響き、涙しながら読み進めているところだ。

長堀医師のことは、催眠の先生である萩原優医師のClubhouseで初めて知った。西洋医学だけでなく、ホリスティック医療も実践され、主にがん患者の治療と看とりに専念されている。

私もがん闘病経験があり、今はまったく元気だが、再発の怖れは頭のどこかに絶えずある。私のこの経験を活かし、催眠療法でがん患者たちのお役に立てないか。そんなことも考え始めていた。

そんな中、長堀医師の存在を知り、今回初めて著作を手にしたが、あまりに深く魂に浸透するような内容に、感動しきりである。本書は、がんにはあまり触れていないが、死を意識することで、より命を輝かせ、最期の瞬間まで生き切るという積極的生き方に誘われる素晴らしい内容だ。

気になる方は、ぜひ本書を読んでいただくとし、第二章にある、神の計らいを読んで、思い出した私の体験を記しておきたい。

神は目には見えないし、科学的に証明もされない。なのに、なぜだか、神を感じる。根拠もないのに、奇跡的偶然の重なりで、誰かに采配されたとしか思えない体験をする。誰もが人生で一つは「そう言えば。」と思い出語りを始めるのではないだろうか。神ではなくとも、ご先祖様でも、お天道様でも、亡くなったポチでもよいのだが、目には見えずとも自分を守り、良い方向へ導いてくれる存在のことと捉えてほしい。

五年ほど前に遡る。当時、安定した組織で中堅として働いていた私は、何故か分からないがエネルギー不足に陥っていた。兎に角仕事に行くのが辛い。業務も人間関係も悪くないのに、辛い。そして、自分のことも嫌いだった。

とある切っ掛けで、知り合った方の影響で、今まで避けてきたスピリチュアルな世界にはまり込むようになる。生まれて初めて自我が癒され、自己肯定を学んだ。癒しを求め、都度お金が羽をはやし飛んでいく。その時は癒されるのだが、生き方が変わらないので根本解決はしないわけだが、当時はそれが精一杯。

私の依存心が、相応の人を呼び寄せたのだろう。最初は天使かと輝いて見えた人物の悪魔的裏側を見てしまったり、スピリチュアル世界の危うさも身をもって体験した。私は、無知な鴨ネギだった。

しかし、一度、精神世界を覗いてしまうと、もっと知りたくなる。ある日、大金を叩き、アカシックレコードの第一人者に見てもらった。言われたことは、たいした成果は無かったのだが、ここから神の采配が始まる。

アカシックレコードでは、過去30回ほど、ネィティブアメリカンのホピとして転生している。ボランティアで、ネィティブの支援などしたら良いのではとアドバイスされた。

ホピと言われ、思い付くのは、知人が経営しているホピショップしか無かったので、翌日すぐに出掛けた。昔からの知り合いであるスタッフに、寄付を申し出ると、厳しく叱られた。私は当時、鬱気味であり、髪はボサボサ、ひどい身なりで「前世が!」と泣きながら訴える頭のイカれたそれは奇妙な様子だったろう。「ネィティブアメリカンは、ちゃんと自分たちで生きている。あなたのお金は必要ない。それより、ちゃんと美容院行って、お化粧して、綺麗にしなさい。しっかりしなさい。」ハッと目が覚めた。憑き物が落ちる第一段階だった。

その翌日、その店の関係から誘われ、ちょうどキャンセルが出たばかりという九州福岡旅行へ誘われた。宗像神社の大祭参加である。不思議な流れに乗せられていく。本当に必要なことは、全てがスムーズで、奇跡的にパズルのピースが埋まっていく。これだけの名プランナーは、神様クラスの力が無ければあり得ない。

現地で、様々なご神事に参列し、宗像三女神の聖地を巡り、目に見えない部分で祓われていたのだろう。

クライマックスは、志賀海神社で起きた。

ちなみに、神社HPはこちら。

http://www.shikaumi-jinja.jp/

海沿いの高台に建つ、たいへん美しく潮風が吹き抜ける気持ち良い神社だ。

境内の摂社末社のひとつ。確か大山祇神ではなかったかと記憶しているが、あやふやだ。そこは、財布を置き、祈ると縁起が良いと言い伝えがあり、私たちは嬉々として各々財布を供え合掌していた。

その直後である。身も心もスッと軽くなったのである。暗雲立ち込め不安に満ち満ちていた心は一瞬で晴れ渡り、台風一過の、スコンと抜けたような清々しい青空が広がった。身体は地球の重力が変化したかのようで、まるで月面にでも来てしまったかのようだ。今まで、どれだけの重石を載せられ生きてきたか。重石を取り除かれた後のあまりの違いに、ただ驚くしかない。「軽い!軽い!」を、何百回と連呼した。

この旅行から帰り、不思議と人間関係が整理された。強固な依存心ですがりついていた、スピリチュアル関係の方々とは、この旅行を境に二度と会わなくなった。あんなに深い関係だったのに、スッパリ縁が切れたのだ。見事なものだった。彼らが悪いわけではない。彼らはスピリチュアルで生計を立てている。当時私が纏っていた重い波動と同調したエネルギーの人物や出来事を引き寄せていたのだと分かる。依存心で繋がっているだけだから、どんなにお金をかけても幸せになることはなかった。刹那的な癒しでしかなかった。

負の連鎖で、どんどん波動を落とし、心身荒んでいく私を引き上げるためには、強力なお祓いが必要だった。それが、流れるように導かれた福岡神社巡りの旅だった。

神は、人間修行になるなら、どんなに過酷な状況であろうと手出しはしないはずだ。だから、私の場合は、手を出さざるを得ない深刻な状況だったろうと思われる。スピリチュアルの闇の方向へ引っ張られていったのは、私の弱さ所以だ。自分の癒しばかりを追い求め、つまりは、エゴを満たす方向へ堕ちていった。魂は、求める道と違うと知らせるために、病としてメッセージを発していたのだろう。「違うよ。足を止めて、よく周りを見て。」と。

私は、一年に一度の大祭と、浄化力溢れる神社の神々により、押し潰さんばかりに絡み付いていた重石を取り除かれ、一旦リセットされた。幸運だったと思う。これは、目に見えない世界の采配だけでなく、いつも側に居てくれる夫の愛情や、離れていても私の幸せを願ってくれる人物たちの力もあったろう。闇は愛で光となり、重さを失うのだ。魂はようやく、息をつくことができたろう。

この後は、癌発病、退職を経て、精神世界を学び直し(痛い目を見ているので、スピリチュアルの真偽が少し分かるようになった。失敗は成功の母。よい経験をしたと実感している。)いまは、催眠療法を楽しく学んでいる。五年前との大きな違いは、人を輝かせるためのお役に立ちたいという気持ちになれたこと。エゴを浄化しながら、全体の流れの中で、どのように生きていくかを主眼に置き始めたことだろう。この五年間で、少しずつ波動を軽くできたのか、昨年あたりから、出会う人々はことごとく素晴らしく、私の魂が喜びに震える心美しい方ばかりだ。私の波動が引き寄せているとしたら、やはり転機は、福岡でのあの浄化体験であったとしか思えないのだ。

私は、神様からチャンスをもらったのかもしれない。

魂の進む方向を見失うなよ。

清く、美しく、時には柔らかく、時には強く、しっかり歩めよ。

そう言われたような気がする。

以上が、私の神の計らい体験である。

人は時に、不思議な流れに乗せられ、導かれることがある。目に見えない世界からの応援であるなら、私たちは、弱さを克服し、その声に応えて逞しく生きていきたいものだ。

今、書き終えて、ふと内なる神に問いかけてみた。神様、生きる上で私に大切なものは何ですか?

「元気!」

一言だけ、シンプルに伝わってきた。

ふふっと、笑ってしまった。肩の力が抜けた。そうだよね。何事もまずは元気がなくっちゃね。

そう言えば、元気は、元の気と書くが

あ!これは、宇宙根源エネルギーのことにもつながる深い意味のことばだなと気づいた。

私たちは、この宇宙源のエネルギーが無いと生きていないわけで、今、呼吸をしているのは、源の力で生かされている証なのである。そして、そのエネルギーは、人として美しく調和された心になっている時に、どんどん注ぎ込まれるそうだ。

元気をテーマに宇宙エネルギーについては、またの機会に書いてみたいと思う。

もうひとつ、質問してみた。

「母から連絡があり、父の容態があまりよくないようです。万が一の時に、もしも父が亡くなったら、やはり私は取り乱すと思う。感情の嵐に翻弄されてしまうと思う。人の死など、大きな出来事が起きた際に私はどんな心構えでいたらよいでしょう。」

しばらくして、漢字のイメージがやってきた。

丁寧、安寧など。キーワードは「寧」

漢字の形から、エネルギーを読み解く。

屋根の下、テーブルに特別な儀式で神聖な何かを載せる三方みたいな台があって、そこに心が置かれている図?

安全な場所で、神聖な捧げ物のように心を置いて、丁寧に観察するということか。

例えが上手く無いが、台風で吹き荒れる嵐の中で風に実際に翻弄されるのではなく、自宅の茶の間で、テレビで台風中継を眺めている感じだろうか。ああ、風強いなあ。とか。客観視するイメージ。

心は感情で動く。その動きをただ、眺める。丁寧に。

「感情は、過去の記憶から紐付けされて出てくる。過去世も集合意識も含め。似たようなシチュエーションで、過去のように悲しんだり怒ったりしている。もしも、魂が永遠であり、死は始まりであり、魂とは肉体を介さなくとも通信できると人類が知っていたら、死をそんなに怖れただろうか。死は今世の輝かしい卒業であるから、大喝采で祝福されながら見送られることだろう。感情を伴う記憶は記録にすぎない。心の動きのままに翻弄されないためには、ただ、観察するのだ。感情の嵐はやがて静まる。」

少し気持ちが落ち着いた。

「今、父が大変な状況なのに、何もできません。なぜだが動く気持ちにならないんです。大抵の時間は、自分を見つめて過ごしています。外に出て行動するのではなく、自分の内面を探っている感じです。無理やり動く方がよいのでしょうか。」

「例を出そう。義理の母が亡くなった時、どうであったか。なきがらを囲み、皆で一晩過ごした。おまえは、一睡もせず、義母を見守って過ごした。心が静かで、鏡の湖面のようであったな。雑魚寝していた家族親族たちが起きた時に、おまえは無意識にタイミングを計り、味噌汁とおむすびを作ってふるまった。その時、おまえは、こうするべき。など、思考しながら動いていたか?料理の苦手なおまえは、まるで義母の魂が導いてくれたのではないかと、不思議に感じながら、淡々と動いていた。そこに、何も無理は無かった。その時その時で、自分が取るべき行動が分かる。全体の中で、皆が悲しみを共有し、いたわり支え合いながら心ひとつにしている時、人は自然に必要な役割をこなすものだ。無意識に分かり合う。心が動かないのであれば、そのタイミングではないのだ。今はジッとして内面を見つめる。それで良いではないか。外部の価値観に振り回され、慌てふためいていても、それが真に役に立つことはない。見守るのも大切な役割だ。」

「思考を静め、真ん中に戻ることですね。」

「現象世界はヒントをくれる。目に映るものを見て、心の内を知る。穏やかであれ。」

では、今日はこのあたりで。

☆追記

昨夜、母から連絡あり

父の容態が良くなった様子だ。

相変わらず、コロナの影響で、母ですら病室には入れないが、お医者様と話すことは出来た。

せん妄は一時的だったらしく、今日は受け答えもハッキリしていて、リハビリも楽しそうにやっていたそうだ。

ああ、神様。

父も、すごい。このまま、萎れていってしまうのではと心配だったが、父の魂は「どっこい、そうは行くか!」と気を持ち直したようだ。リハビリ頑張って、1日も早く自宅に帰り、母に会いたい。話をしたい。その一心であろう。もし、コロナによる制限がなくて、母が毎日面会に来ていたら、きっと甘えが出て、父は根性を出せなかっただろう。根が甘えん坊だ。

中村天風は、「積極的」という言葉を大切に教えていたが、それを思い出した。幼子が初めて補助輪なしの自転車で、一人遠出をしたとする。転んでしまい、泣き出すが、今までのように周りの誰かが助けに来てはくれない。幼子は、自分の力で自転車を起こし、歩き出す。その瞬間を「積極的」と表現する。何とも分かりやすい説明をしてくれる。

絶対積極とは、尊い心、清い心、強い心、明るい心のことだそうだ。

会えず話せず、病院で孤軍奮闘している父を感じるしかないが、父と共に、私も魂の学びの道を歩んでいる気がする。

父への感謝で、胸がいっぱいになった。
















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