前世療法~明治編
セミナー二日目、前半の記録
☆事前面談
何をテーマにセッションするかを話し合った。急に、ふと、思い出したこと。
ふと、思い付くこと。これは直感からのお知らせなので、とても大切。今、必要なものがサインとして表れる。
「小さい頃から留守番が苦手。母が出掛けてしまうと、帰宅するまで心配で、気が狂ったように号泣していた。出掛けた先で死んでしまい、もう会えないんじゃないか?という恐怖心があった。」ということ。ずっと原因が分からず子ども心に不思議だった。
実の母とは10歳で死別しているので、母との前世が分かればいいなと意図をした。
以下、催眠状態で見たストーリー
☆最初の場面
木製の階段を降りる。古い木製の床に立つ。木目が見える。磨かれて光っている。何となく古いお寺をイメージする。
裸足、華奢な足首、赤い襦袢、薄い黄色に紫、白の花模様の絹らしき着物、おかっぱ、丸顔、頭のてっぺんに赤い飾りで結んでいる。4~5歳の少女
時代は明治か大正
白い土壁、田舎の豪商みたいな立派な門構えの大きな日本家屋。家の内部は広い。大きな窓はあるが、座敷に光りは届かず暗い。飾り戸棚、床の間、掛け軸、猫が見える。少女は一人。誰かが帰ってくるのを待っていて、胸が痛くなるほど心配している。何も手につかず、ソワソワしている。孤独を感じている。心を開ける人がほとんどいないようだ。
☆次の場面
座敷に20人ほどの大人が集まって、宴会。御膳が、並ぶ。ほっそりした若い女性。白い花嫁の姿をしている。結婚式か。花嫁は、少女の実の姉
少女の名前は「フク」
姉の名前は「ユキ」
フクは、「もう大好きなお姉さんに会えない。寂しい。」と感じている。唯一、心から信頼し愛した人。
ユキは、「フクは、可愛い。大人しくて、自分を出さないけど、私には自分を見せてくれる。私はしきたり(決められた結婚のことか?)に従って生きるしか道はないけど、フクには、自由に生きてほしい。」と思っている。
☆次の場面
木製の壁。洋館風の学校。14歳くらいか?楽器のことを考えている。音楽室に入り、ピアノの前に立っている。「ピアノ大好き。弾けるようになりたいな。」と思っているフク。同級生たちは、廊下にいてワイワイ騒いでいるが、フクは一人がいい。あまり友達がいない。心を開けない。家庭環境により緊張を強いられている。いつも強張った心でいる。音楽を聴く時が唯一リラックスできた。(ピアノがあるから、昭和初期かも)
☆次の場面
日本庭園。池と松が見える。フクは一人佇んで、とても辛い気持ちになっている。姉のユキが、ここで自死したと聞いたらしい。事件は目にしていないが、ユキを思い、苦しんでいる。ユキは、結婚生活やしきたりなどの束縛にがんじからめになり、自分を生きられなかった。絶望するようなことがあったのか。
セラピストから、見たい場面はあるか確認される。フクが結婚したかどうか知りたいと伝える。
☆フクの結婚
豪華な洋館。ドレスを着て、螺旋階段途中に立ち、写真撮影されている。フロアーには、大勢の黒い洋服を着た男性ばかり。細身の髭をはやした男性が夫。どうやら、結婚後、初めてのフクの御披露目らしい。二人の関係は冷ややか。決められたことだから仕方ない。諦めている感じ。フクは、ユキに会えるなら会いたいと、涙をこぼす。
*ここで、セラピストは、亡くなったユキに会わせてくれようとしたが、講師からストップがかかる。前世療法は、実際に起こった出来事を変えることはできない。ストーリーに混乱が生じる。どう感じるかは聞いてもよいが、亡くなった人をストーリー途中で登場させてはならない。あくまで、映画を観るように進める。(亡くなった人の魂とは、後で誘導される中間世か、お花畑で会える。)
☆臨終
尼寺。晩年に、出家した。自分を圧し殺し、しきたりに従い生きるしか術が無い人生だったが唯一、出家できて仏門に入れたのが救いだった。と満足して亡くなる。
☆中間世(魂が行く場所)
ユキは、私の実の母の前世だった。
フクから私へのメッセージ
「時代が許すのであれば、誰かに決められた人生ではなく、自分の人生を自由に生きてほしい。」
中間世では、亡くなった人の魂と会うことができる。母の魂と対面。笑顔の母が見える。
人格交代で、母の中に入り、母の意識を味わう。真っ先に「可愛い。」という感情。私を慈しみ、心から愛してくれた気持ちが伝わってきた。
母からのメッセージ
「肩の荷を下ろして、もう楽になりなさい。自由になりなさい。」
☆セッション終了後の感想
感動で、涙が止まらず15分くらい泣いていた。浄化されていくのが分かった。心の重石が消えていった。
幼い頃、何故、母の留守があんなに怖かったのか腑に落ちた。「また、私の知らない所で死んでいるんじゃないか?」という思いを無意識に閉じ込めていた。前世の強烈な喪失感が今世に影響していたのだ。
何の因果か、母は、前世のユキと似たような状況で37歳で亡くなった。自分をしっかり生きられなかった。「女性は、母は、妻は○○すべき」という世間の常識にがんじからめになり、自由に羽ばたけなかった。明治時代ほどではないが、昭和生まれも、世間の常識に強固に束縛された時代だった。時代の要請に忠実に従い、善き妻、善き母であろうともがいていた女性たちの悲劇を目の当たりにした。
令和という今の時代に生きる私たちには、新しい風が吹いている。どんな時代にしていくのか。子どもたちに、どんな未来を用意していくのか。幸せの本質を問われているように感じた。
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