想像力は生きる力

 親が子に残してあげられるものは何だろう?お金か、地位か、名誉か?そんなもの、時代の変化で揺らいでしまう、不確かなものだ。親が残せる確かなものは、ズバリ!生きる力だ。

未来どうなるのか、誰にもわからない。親は、大抵は年老いて先立つことになる。どんな事態になったとしても、生き抜く力を授けることが、親としての役割である。

生きる力は、子を甘やかすことでは、授けることは出来ない。危機察知能力は、実際に痛い目に合うから磨かれるように、時には、親は子を突き放す必要がある。親からすれば、子が苦しんでいる姿を見るのは、どれだけ辛いことだろう。母親は、命がけで出産するのだから、我が子は自分の命そのものだ。いや、それ以上に大切だから、子の人生を見守ることが出来るのかもしれない。自分が居なくなったとしても、我が子が逞しく生きていけるように。親は、子育てのある段階から、子に試練を与え始める。

私の母の話をしたい。

母は、私が10歳の時に失くなった。母が、短い一生をかけて、私に残してくれた財産は、想像力だ。

母は、姉と私が小さい頃から、寝る前に、布団に三人で川の字となり、図書館で借りてきた本を読んでくれた。毎晩の習慣だった。そのおかげか、今でも、本を読むと、情景を容易に脳裏に描くことができる。ちなみに、母に読んでもらった本で、一番好きだったのは、古事記だった。

また、母は、話を創作するのも得意で、姉や私が登場するワクワクする物語をよく語ってくれた。三人の共同作業で、物語を紡いでいく過程は、まさに至福だった。後に、母亡き後、姉の寝物語で私は命を救われるのだが、この経験が未来の自分たちを救う能力を磨いていたとは、当時は知る由もなかった。

母の想像力は、物語に終始せず、ごっこ遊びにも活かされた。押し入れから布団を引っ張り出し、押し入れを馬車に見立てて、三人で、よく旅に出た。当時、テレビで、大草原の小さな家 とか、ペリーヌ物語 が流行っていたので、その影響もあったかもしれない。

雪が積もった翌朝は、雪を踏みかため、好きなように部屋を作り、ごっこ遊びを満喫した。一面真っ白の雪なので、いくらでも豊かな世界を想像できた。夕方、暗くなるまで夢中で遊んだものだ。

登山道は、私たちにとっては、そびえ立つ外国のお城だった。お姫様を救出に行く王子にも、何にでもなれた。道ですれ違う登山客たちは、現実離れした台詞を口にする私たち親子を見て、驚いていたことだろう。どんなに厳しい山道も、楽しく登るのであっという間だった。想像力ついでに、体力も鍛えられていた。姉も私も、持久力には自信がある。学校の長距離走だけは、いつも上位だった。

私は、何時間でも想像に浸ることができた。姉も私も、何もなくても、頭さえあれば、いくらでも楽しく過ごせたのだ。想像の世界は、イコール幸せな世界だった。

大人になって、その想像力は、別な側面で活用されるようになった。大人になると、小さい頃には考えも及ばないような、大変な事態が起きる。兎に角、辛くて厳しくて、時には逃げ出したくなるようなこともある。しかし、もう、親は守ってくれない。自分でなんとかするしかない。

皆さんは、命を断ってしまいたいと思い詰めた経験はあるだろうか?お恥ずかしいが、私は、数回ある。渦中にある時は、八方塞がりで、絶望しかないのだが、何年も経過した今、当時を振り返ると、何でその程度のことで?馬鹿馬鹿しいなあ。そんなことで死ななくて良かった!と笑ってしまうのだ。人間、本当に、生きていれば何とでもなるのだ。最高に辛い時に、踏ん張る力。それさえあれば、未来のあなたは、確実に笑っているのだ。

最高に辛い時に、踏ん張る力を、母は私に授けてくれていた。それが、想像力である。

生きるエネルギーが枯渇して、あと一歩で、自分を何とかしてしまいそうな魔の瞬間。私を思い止まらせたのは、毎回、想像力だ。自分が居なくなった後、家族の悲しむ様子を、脳裏にありありと描くことができ、それはまるで映画のように味わえた。相手の心境は、実際に我が身に引き寄せ、胸の痛みとなった。あまりにリアルなので、自分が死んだ後の後悔まで想像で味わえて、ふと我に返った。魔の瞬間さえ回避できれば、人は生きていける。私は、母に育まれた想像力のおかげで、何度か救われ、今に命を繋いでいる。少なくとも私の場合は、想像力を健全な方向で使うことができたので、良かったのだと思う。

今、生きていることが、奇跡のように感じる。危ない橋を渡ってきたものだ。大人になってから経験した絶望は、今、振り返ると、料理に振りかけるスパイスみたいなものだ。より、味わい深くなって、美味しかったね!と笑顔で言える。

母と共に生きた時間は、10年と短かったが、とても豊かだった。世界を100周旅行したくらい、楽しく幸せだった。 そして、母が亡くなることで、幼い頃からネガティブ体験を重ねることになるが、それが私たちを逞しく成長させるための、母の愛情だったのかもしれないと今なら思える。ネガティブな状況で、想像力を生きる力に変えるための実地訓練を経て、私たちは、大人の世界へデビューしていった。母の子育ては、大成功だった。我が子に託した想像力という種は、がっしり根を張り、命の花を咲かせ続けているのだから。

親の愛情は、宇宙のように果てしなく、深いものだなあと、しみじみ思った。

あなたが今、辛い状況にあったとしても、今、この瞬間に息をしているのなら、大丈夫!あなたが今までしっかり生き抜いてきた証拠だ。親に授けられた何らかの力が、どんな時も命の炎を燃やしてくれている。あなたは、ちゃんと授けられた力に守られている。親は、あなたにネガティブな感情ばかり感じさせてきたかもしれない。でも、それは結果的に命の訓練になっていたかもしれない。授け方は様々だから、優しさばかりが親の愛情ではない。今、生きている。それがすべてだ。

あなたは、親から、命のバトンを受け取って走っている。親は、そのまた親から。遡れば、地球創世から、奇跡の道のりを走り繋いできた。あなたの心臓の鼓動を感じてほしい。生きて、生きて、生き抜いてほしい。

今、感じていることが、ギフトなのだから。

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