子どもは宇宙とつながっている
人間は、だいたい10歳くらいまでは、顕在意識と潜在意識の境目がはっきりしていないらしい。
子どもが、想像力豊かで、独特な世界観を持っていることは、皆さん体験済みであろう。妖精を見たり、この世の存在ではないお友達と話ができたり。
もしかしたら、集合的無意識や、超意識(宇宙)に自然にアクセスしていたのかもしれない。なぜなら、どう考えても、生まれて数年の人生経験で、その知識や技術を身に付けられるわけないでしょ?誰にも習ってないのに。どうして?ということが起きるからだ。
3歳で、プロ顔負けのハープの演奏をする少女や、11歳なのに大学院で研究している少年など、テレビで見たことがある。彼らは少数派だとしても、やはり子どもは神秘的な生き物だ。胎内記憶や前世を語る子もいる。3歳くらいまでに質問すると、結構、産まれる前のことを語る子が多いらしいから、面白い。輪廻転生を前提としないと、辻褄が合わないことにもなる。
私は、特に、霊感や超能力があるわけでもない、普通の平凡な子どもだった。しかし、今、思い返すと、説明つかないことが起きていた。
幼稚園生だから、4、5歳だったろうか?覚えたての平仮名で、物語を書いていた。当時、物覚えの良い方ではなかったし、小学校に入学する直前まで、五十音をなかなか覚えられず苦労していた記憶があるが、なぜだろう。お話を書いて、絵本にして、製本までしていた。「雨のつくった川」というタイトルだった。川の水がどこからやってくるのが、誰にも習わないのに、物語で水の循環の仕組みを説明していた。両親はビックリして、当時、購読していた「ようちえん」という雑誌の編集部に私の原稿を送った。掲載は叶わなかったので、生まれて始めての挫折体験になるかもしれない。地球上での水の循環については、雨が降り、地面を流れるのを見ていて、自然に理解していた。既に分かっていた、としか説明できない。
8歳、「一千万人兄弟」というタイトルの物語をシリーズ化して作っていた。数えきれないくらいの大勢の兄弟が一軒の家で仲良く暮らす日常を淡々と描いた作品だった。今、思えば、宇宙記憶としか言いようがない。人間は、宇宙根源から分離した存在であるから、皆、大元は同じ。つまり血縁の兄弟のようなものである。だから、人間は皆、仲良く力を合わせて生きていくことが可能という考えだったと思う。
また、同じ頃、私だけの神様を絵に描いて、天井近くに飾り、時々、手を合わせていた。この行為も、母と祖母がビックリして、絶句していた場面を覚えている。我が家は、仏壇もなく、お寺や神社に行く習慣も無かった。すごく小さい頃、成田山新勝寺の本堂で、私が恐ろしさのあまり、ギャン泣きした記憶が唯一の参拝体験だった。七五三もあったかな?覚えていない。宗教については、誰も教えてくれる人がいなかったはずなので、不思議だ。私が描いた神様は、日本の宗教では説明がつかない、私のオリジナルの存在だった。お願いをする対象ではなく、ただ、手を合わせるとなぜか心が休まるので、そうしていただけだった。宇宙の絶対根源の存在か、あるいは、超自我に、当時は繋がっていたのかもしれない。あまりに当たり前すぎて、違和感がなかった。私だけの神様とは、普通に会話していたはずだが、母が亡くなって以降、繋がりが切れてしまった。もう、神様と何を話していたのか、思い出せない。
最後の不思議は、10歳である。母がある日、突然亡くなった。私が、第一発見者だった。近所に助けを求め、大人達が大騒ぎしている間、私は一人、知り合いの家に置いておかれた。人の死を目にしたのは初めてだった。私は、母の魂が戸惑っているように感じ取っていた。母を成仏させなければならないと、真っ先に思った。「私は一人でもしっかり生きていくので、心配しないで、あちらの世界に旅立ってください。」と、熱心に祈った。魂を説得し、天に上げるという僧侶のような祈りを誰に教わった訳でもないのに、自然に行っていた。もちろん、その後、我に返った私は、年齢相応に激しく悲しんだが、母を天に上げるまでの冷静さや、心のシンと澄み渡った感覚は、今もありありと思い出せる。その後、祖母に、「ママは、身体を取り替えるために天に帰った。」と説明。輪廻転生について、語っていた。仏教について、一切知らないはずの10歳であった。
母の通夜から葬儀まで担当してくれたお坊さんから、お経の書かれた本をプレゼントされた。漢字にフリガナがふってあったおかげもあるが、私は毎日、夢中でお経を唱えていた。暗記できるまで繰り返した。お経を唱えている時間だけが、心が安らかになり、癒された。何故だろう。お経を自分の声で唱えていると、自分自身の奥深くが喜びに満たされてくる。懐かしいような、そんな感覚だった。
この時、私に何が起きていたのだろう。前世の記憶が関係していたのか。人類の集合的無意識から非常事態を乗り切る知恵を取り込んだのか。私だけの神様がサポートしてくれたのか。常識で考えたら説明のつかないことが私に起きていたことは確かである。
子どもは、神秘的な生き物である。もし、みんなが宇宙に繋がっていたのだとしたら?きっと、大人の私たちも、宇宙に繋がり直すことが出来る。昔、やっていたのだから、思い出すだけである。
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