440ヘルツの音楽?!
今朝読んでいた本に、シュタイナーの言葉が書かれていた。
音楽について。
「音楽は、432ヘルツを基調とした周波数のものが、宇宙と調和するのです。440ヘルツを基調とした音楽が世界に広まったら、その周波数は、人と人の間に争いを起こし、人体の免疫や調和を損ない、不調和と破壊が起こります。440ヘルツの音楽は、人の精神を内に向かわせないで、ひたすら外に向かわせようとします。したがって、人は精神を満たすことができず、ひたすら外に物質的な満足を求め、他人をコントロールして自分自身を満たそうとするでしょう。440ヘルツの音楽が世界に広まりはじめたら、それはまさに、悪魔の勝利の手助けなのです。」
すでに国際規格として、すべての音楽は440ヘルツを基調として作られるようになっている。テレビ、ラジオ、CD、ネット。がむしゃらに活動し、激しく消費しながら、睡眠不足のまま仕事して、つねにお金や未来の不安にかられながらイライラして、体が老化して死んでいくのです。まあ、心が乱れ、争いが起こるのは当然······
(あらゆる人生に奇跡を起こす 不思議な物語 超常戦士ケルマデック )より
周波数は、目に見えないけど、大事。何で、世の中は、440ヘルツを国際規格にしてしまったんだろう?おそらく、一部の世の中のリーダー達が、戦争のできる世界を作り上げ、富を吸収したかったのだろう。戦争のカラクリを見れば、どこに富が集まっているかは一目瞭然だ。
一説によると、ビートルズサウンドが440ヘルツの走りで、ジョンレノンは、432ヘルツで曲を作ったから、その影響力を怖れた誰かが、彼を消した?とか。何かで読んだことがある。(陰謀論を語るつもりはないので、さらっと流してほしい。)
そういえば、義理の母は、私が中学生の頃だが、イライラすると、アメリカのロックをステレオで大音量で流して聴いていたなあ。ストレス解消に繋がっていたなら良いが、母のイライラは悪化の一途だったと思う。一時的に気持ちが高揚してハイになるのだろうが、麻薬と同じで、根本的に癒される効果がないから、時間が経つと、前より気持ちが落ちて、さらに不安定になり、悪循環だったろう。
私が、小さい頃から、440ヘルツまみれだったのかどうかはわからないけど、現実的に、私は、いつも意識が外側に向いて、物質的な豊かさが幸せだと思い込み、自分のことが大嫌いな人間として、半世紀生きてきた。日本という、恵まれて平和な国に生きているにも関わらずだ。幸せか?と問われたら、素直に頷けない。いつも何かが足りなくて、不安で、物質で満たそうともがき、お金を得るために働いて、心身が弱っていき、遂に、発病してしまった。シュタイナーが語っていた世界の典型的な住人になっていやしないか?
この一年、いつの間にか、ほとんどテレビを観なくなった。CDも、癒されサウンドしか聴いていない。YouTubeは毎日視聴しているけど、お話ばかりなので、440ヘルツを耳にする機会は激減しているとは思う。大病してからなので、身体は無意識に分かっていて、テレビなどの公的メディアを遠ざけるようになったのかもしれない。
そのせいか、ハッキリはしないが、今、私は、自分の内側にフォーカスする学びに時間を費やしている。五感を使い、身体感覚を味わうことや、思考を休ませ、本来の自分を取り戻すことに喜びを感じている。本当にたまになのだが、意識が拡大し、すべてが愛に満たされるような至福を味わう体験もした。瞑想時や、人が死ぬ間際に分泌される脳内物質が関係するようだが、まだよく理解していないので、詳しく書けない。
もし、世界中の人々がこの至福状態で暮らしたら、戦争が起こることはないと断言できる。だって、すべて満たされているし、すべての存在が繋がっている一体感があるから、戦いの概念が存在しないのだ。
ちょっとした実験をしてみる
440ヘルツの世界で抱いてきた不安について、もしも432ヘルツの世界になったら、どんな風に捉え方が変わるか?
まだまだ私は432ヘルツ世界の住人になりきれていないが、テレビ断ちしてきたので、思考の癖は少し変化していると思う。
以下、起きている現象は変わらないけど、どう考えるかを実験。
地震や津波など、大災害が起きたらどうしよう。何もかも失ってしまったら、どう生きていけばいいの?
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命がある。それで充分。
将来、無職、貧乏になり、ご飯が食べられなくなったら、怖い。餓死したくない。
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人には生まれる時に決めてきた寿命がある。お金があり、バリバリ働き盛りでも寿命がくれば死ぬ。反対に、寿命がきていなければ死にたくても死なない。餓死しそうなっても、あなたがこの世でやるべきことがあれば、自然と生かされる。命あるかぎり生きる。それだけのこと。
夫に先立たれたくない。一人で生きていく自信がない。
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今さら、何をおっしゃいますやら。あなたたち夫婦は、過去世で30回も共に生きてきた。親子、兄弟、友、同じ部族、単なる知り合いもあった。いろいろ関係を変えて、学び合ってきた。これからもそうでしょう。何度も先立たれ、飽きるほど死に別れを経験している。また一緒に生きるか、出会わないかは、各々の魂の課題によるので、次はわからないけど、時間の存在しないあちらの世界から見れば人の一生など、瞬きほどの短さ。魂は、ひとりでこの世に生まれ、ひとりで死んでいく。しかし、皆、宇宙の源に帰る仲間だ。ひとりであって、ひとりではないのだから。あなたは、あなたの魂の課題に取り組み、命の限り生きるだけだ。魂は自立している。何があろうと人は生きられる。
何でかわからないけど、いつも根拠のない不安にかられる。孤独を感じる
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この世界は美しい。私たちは、力強く輝く命だ。夢を実現して、この世を思い切り楽しもう。世界は可能性に満ち溢れている。私は自分を愛し、地球上すべての存在を愛し、愛され、生きていく。ただ、今、ここに在る。それがすべてだ。
以上、実験でした。皆さんも、メディアから離れて、もし心境の変化を感じていたら、過去の不安を並べてみて、自分がどう考えを変えたか比較してみてはいかがでしょうか。
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