地球鬼ごっこ

 およそ二週間ぶりに仕事に行った。

最近、目に映る空は各段と透明度を増している。昼休みに職場の外を散歩しながら、太陽の光に彩られる雲の繊細なつくりを眺め、「あ~きれいだな~。」とため息をついた。私たち人間も、空の雲も、宇宙の創造物である。物理的な組成から、つい別ものとして分けて捉えてしまうが、大元はひとつである。そうであるなら、空の雲が美しいように、目に映るすべてにも同じ美が宿っているということだ。ありのままを見るなら、すべては途方もなく美しい。

そんなことを取り留めもなく感じつつ空を眺めていたところ、ふと降りてきたメッセージがあった。空の雲を眺めている時に何らかの情報を受け取ることは多い。


☆雲から受け取ったメッセージ

言葉にしてしまうと、単純に「地球で鬼ごっこしているようなもの。」という何とも短いメッセージだ。

え?だから何?

まあまあ。意外と意味深いので補足しておきたい。

メッセージは多面体で重層的情報エネルギーなので、変換する際は思考で捉えた解釈が入ってしまう。出来るだけ伝わってきたエッセンスを生かしたい。エネルギーを言葉に置き換える翻訳作業であり、私の脳内の語彙力に頼るしかない。0.2秒くらいで受け取った内容を言葉に置き換えると、つい長くなってしまうが、忘れてしまう前に記録しておこう。

鬼ごっこというのは、子どもにとって楽しい遊びである。単純なルールなのに、メチャクチャ面白い。友達が数人集まれば、日が暮れるまで夢中で追いかけっこをしたものだ。

ルールは、一人は鬼役。その他は逃げる役。鬼につかまったら、鬼役を交代し、捕まえた子は逃げる役になる。1時間くらい遊んでいれば、たいてい全員が両方の役を体験することになる。どちらをやっても面白い。鬼を一回やったからといって、仲間から見下げられたり、いじめられたりするわけでもない。遊びのルールだと誰もが同意している。遊んでいる仲間に上下優劣も無い。遊びを成立させるための役割分担であり、誰もが同等である。どちらの役が巡ってきても、楽しいだけだ。この点が遊びの肝であることを見失わないようにしたい。

もし、集まった友達全員が、「私は鬼(悪役)をやりたくない!逃げる役(善い役)をやりたい!」と言い張ったらどうなるだろう?遊びが成立しない。誰もつかまらないのが分かっている鬼ごっこなどつまらない。何のドラマも展開しようがない。ただフラフラとそのあたりを漂っているなら、それは別な遊び(道草みたいな?)になってしまう。「仕方ないな~。鬼ごっこやりたいなら、誰かが鬼になるしかないじゃん。じゃあ僕がまず鬼になるよ。」と申し出る兄貴分が出現し、ようやく遊びが成立する。

地球を楽しむには、地球ルールがある。源意識からわざわざ分離して地球を味わっている意識を魂(=記録媒体)と表現してみてもいいだろう。魂は体験を通して学んでいく。ここで言う学びとは「私を知る」ということだ。地球ルールについて書くと長くなってしまうので、ここでは単純に「鬼ごっこで遊ぶための星」と比喩的に書いておく。鬼がいないと遊べない。つまり善悪という二極の比較が無いと学べ(知れ)ないのだ。

宇宙から見ると善も悪も無い。すべての体験は喜びである。とはよく言われていることだが、地球で繰り広げられている様々なドラマを「鬼ごっこで遊んでいる魂」視点で眺めてみるなら、我が人生遍歴を腑に落とせる人も出てくることだろう。そして、催眠療法等で、前世体験したことがあるなら、善人ばかりの人生ではないことが潜在意識を通し理解できるだろう。

遊び疲れれば、「ばいばい~。また明日ね。」と手を振り、それぞれの家へ帰って行く。魂も同じだ。沢山の経験をして感情を味わって、魂の故郷(源)へ戻っていく。肉体の死は「ばいばい~。また明日ね。」のことである。明日も地球で鬼ごっこをするかもしれないし、別の星(次元)で別の遊びをするかもしれない。魂は死なないので、体験している意識は配役を変えながらも、ずっと続いていく。

それにしても、なぜ、こんなメッセージが今の私に降りてきたのだろう?

今朝、このブログを書いていて、あ~そういうことか!と気が付いたことがあった。思考を通した理解(顕在意識)はじわじわと後から整理されてくる。だから、自分と向き合う静かな時間を取ることはとても大切だと思う。


☆義父倒れる

5月23日に遠方の施設に入っていた義父が意識不明となり、救急病院に搬送された。

誤嚥性肺炎による低酸素脳症が原因で、もう意識が戻ることは無いと医師から説明された。夫、弟と私は病院を訪問し、様々なことを決めなくてはならなかった。2~3週間以内には療養病院へ転院させなければならず、肉体をどう生かしていくのか。3つの選択肢の中から、一番ベストと思われる処置を医師にお願いした。

ナースステーションの一番近い位置にある個室に義父は寝かされていた。呼びかけに反応することはなく、イビキをかいて気持ちよさそうに眠っていた。脳症の影響で、たえず右腕が痙攣していた。看護師さんから、「耳は聞こえていますから、たくさん話しかけてあげてくださいね。」と言われた。

夫と弟は、父親の体を軽く叩きながら、「ようっ、おやじ、どうしたどうした。仕方ね~な~。」と軽口をたたいた。普段どおりの接し方だった。私は、近況を義父の耳元で報告した。

過去にこのブログには義父との関係について何度か書いてきた。

理由も無いのに、私は義父が怖かった。義父に会うためには、たくさん勇気と気力を集めなくてはならなかった。あまりの恐怖心から泣いたこともあった。なぜこんなに怖いのだろう?と不思議だった。催眠療法やヘミシンクで得た情報では、確かに前世の関わりは無いわけではなかった。火が象徴するカルマがあり、私が無意識に仕返しをしたようなちょっとした火事未遂事件も起きた。以前は無理やり前世や自分のインナーチャイルドに原因を求めようとしていた。それなりに納得できる情報を得てはいたが、私の恐怖心を克服することは出来なかった。そのため、距離を置きながら義父と接し、きちんと向き合うことから逃げてきた。

今、目の前の義父から感じ取れるエネルギーは、とても穏やかなものだった。赤ちゃんや、子犬や亀の傍で感じるような、ずっとそばにいることも出来るな~と思える癒しのエネルギーだ。おそらく義父は、地球で纏ってしまった着ぐるみ(怒りのエネルギー)を脱ぎ捨て、ありのままでそこに存在していたのだろう。私は初めて義父の手を握った。その手はとても温かかった。私は、「おとうさん、ありがとう。ありがとう。」と何度も声をかけた。看護師さんの言う通り、もし耳が聞こえているのなら、感謝の気持ちを伝えておきたいと心から思った。義父が愛おしかった。


これが私の魂の課題だったんだとあらためて思う。

「存在そのものを見る」ということだ。

前の投稿に、母との課題克服の流れを記してあるが、まったく同様のことが義父との間にも起こっていた。私が怖れを手放さない限り、義父は私のために「恐怖の大魔王」の役割を演じ続けるしかなかったのだ。

すべてのしがらみから解き放たれた義父は、まるで母親に抱かれた赤子のようであり、すっかり安心しきって呼吸をしているのであった。死に至る段階で、人はどんどん純粋さに戻っていくのかもしれない。

「地球で鬼ごっこをしているようなもの」というメッセージがここに繋がってくる。

私の体験を成立させるために鬼の役をやってくれていた義父は、私の気づきとともにその役を終えることになった。

ああ。そうか。

私たちは、鬼になったり逃げたりして遊んでいたんだ。

そして、遊び疲れて満足したら、「また明日ね~。」と手を振って、母親の待つ家にそれぞれ帰って行く。「ただいま~!楽しかったよ~!お腹空いた!」と。

私たちは純粋さを取り戻し、ありのままの、あるがままの美しい存在になって

元の場所(源)へ還って行く。


☆意識不明でも耳は聞こえている

面会制限時間15分が過ぎた。

夫と弟は、「もう時間だからさ。オレら行くな。」と父親に声をかけ、手を振った。

その瞬間、聞いていたかのように、右手痙攣が激しくなり、まるで手を振ってくれたかのようになった。イビキの音も大きくなった。

おそらく

「遠いところ、悪かったな。ありがとうな。気を付けて帰れよ。」と息子たちに、伝えたかったのだろうと思う。

肉体では認識する力は失われていても、人間は霊的存在でもある。義父の意識エネルギーは、肉体を超え、風のように縦横無尽に地球を駆け回っているのかもしれない。


☆恐怖の大魔王の正体

5月31日早朝

『魂は語る 身體の言語』ジュリア・キャノン著 ナチュラルスピリット発行

を読んでいた。

著者は催眠療法士ドロレス・キャノンの娘で看護師でもある。

今月は、私の中ではドロレス・キャノン祭りであった。たまたま本屋で平置きされていた彼女の本を手にしたところから祭りは始まった。ドロレスは催眠セッションを通し、被験者の前世からイエス・キリストの生き様を聞き出した。被験者の前世はキリストがクムランで学んでいた頃の教師の立場から詳細を語った。なぜ夢中になったかというと、私も催眠体験で自分のローマ兵時代の記憶をよみがえらせ、キリストらしい人物から影響を受けた場面を再体験していたからだ。ドロレスの記述とシンクロする部分があり、スムーズに理解できた。

催眠からは昨年7月以降離れていたが、またまた興味が再燃したのだった。やはり、潜在意識は面白い!夢中になるとのめり込むのが私の性質であり、一気にドロレスの他の本を手に入れて読み漁った。ドロレスは催眠セッションの被験者を通じて、ノストラダムスや宇宙存在と対話をしている。私も催眠で宇宙時代の前世とつながり、直後3日間に渡り膨大な情報をイメージで受け取ったことがあるので、自分の体験の裏付けを得られたようで嬉しかった。

前置きが長くなった…

今朝、娘であるジュリアの本を読み始めて、書かれていることがほとんど、私の2020年以降の怒涛の流れと気づきにリンクしていることが分かり、とても不思議な気持ちになった。

私の気づきは、2021年秋から拙い文章でブログに記録してきてはいるが、それをきちんと整理するなら、この本に書かれていることにもなる。きっと、一年前にこの本を読んだとしても、あまり記憶に残らなかっただろう。様々な体験を通して得た学びだからこそ、「そうそう、そうなのよ。わかるわかる!」と共感しながら読み進めることが叶う。

ジュリアは、癌と恐れについてもきちんと章立てている。ここに、私の魂が取り組んできた「恐怖の大魔王」という、幻の正体についてわかりやすく記述されていた。私はこの気づきを自分の体験から得たのだなあと、感慨深く読み進めたのだった。もしあらかじめジュリアの本を読んでいたら、私は癌にならなかったのだろうか?いやいや、癌になる前の私は催眠に興味は無いし、この類の本を手にすることは無かっただろう。私の魂は、理論よりも実践、実体験から学ぶ方を選択したのだ。

なぜならそのほうが面白いから。

答えを知っているゲームほど、つまらないものはない。

地球を純粋に楽しみたいのか?

何度も地球ゲームクリアしてきたので、次は最短で効率的にクリアすることを目指したいのか?

地球ゲームをやり尽くしたので、新たなゲームを創造したいのか?

あなたの魂の選択はどれかな?



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