水と かみさま と私
最近、You Tubeで小林正観さんの講演動画を楽しく聴いている。正観さんのお話の9割はダジャレだ。なので、音声には会場の笑い声がたくさん入っていて、落語でも聴いているのではないか?と勘違いしそうになる。正観さんのダジャレは、上品で、クスッと笑えて、聴く人の心を開かせる不思議な力があるように思う。
正観さんは、お釈迦様の話を引き合いに出すこともあるが、何かを信仰しているわけではない。バリバリの唯物論者であったそうだ。ただ、三十年間、進化論の観点から冷静に研究した結果、どうしても神のような存在があるらしい。という結論に達した。
確かに世界的に有名な科学者も、サムシンググレートと表現する何らかの力について言及している。同じことを言っているのだろう。
「感謝の心を持っている生物は、人間のみ。もし、生物が進化の過程で感謝する心を獲得してきたなら、人間の半分感謝できる生物、四分の一、八分の一、十六分の一……感謝できる生物がいてもよいはず。いないということは、人間だけが、神から与えられた(宇宙から注入された)としか考えられない」と正観さんは語る。
感謝とは概念だから、目に見えるわけではない。これが感謝ですよ、と誰かに教えてもらっても、後天的に獲得できるものだろうか?私たちは、奥深い意識の領域に、神のエネルギー(感謝、愛)を既に搭載してオギャーと生まれ落ちるのかもしれない。幼い頃のどこかのタイミングで、内側から溢れてくる細かな心地よい震えの感覚と、「ありがとう」の言葉を結びつけて学習したのだろう。宇宙エネルギーと概念(地球ルール)との紐づけは後天的に行ったろうが、元々の本質は宇宙源から引き継いでいる。と、私は思う。
他の生物も同じ宇宙エネルギーから物質化しているから、概念としては意識できてなくても、愛と感謝のエネルギーを発することはあると思うのだが。そうなるとスピリチュアルの領域になってしまい、怪しい世界になっていく。三次元世界において宇宙真理を語るのはなかなか難しい。正観さんは、ダジャレで宇宙真理をサラリと伝えてくる。笑っているうちに、私たちの奥深くに眠る源エネルギーが、起動し始めるような感覚となる。言葉を超えたコミュニケーションで何かを思い出す。
その目に見えない概念を目に見える形にしたのが、水を凍らせてできる結晶である。水を入れた容器に「ありがとう」「ばかやろう」と書いて貼っておくと、美しい結晶になったり、壊れた結晶になる。写真集もたくさん出ているので、皆さんもよく知っているだろう。
正観さんは、水は宇宙からもたらされた、生物みたいなものではないかと言う。地球の周りに氷の塊が浮遊していて、隕石みたいに地球の引力の作用で、それらが地上に落下して海となったと。科学的に計算しても海の総量と宇宙からもたらされた氷の隕石(水)の量は一致するそうだ。
水は、「ありがとう」のエネルギーを浴びると、とても嬉しくなって、美しい結晶を形づくる。人間の体も7割は水なので、発する言葉も愛や感謝に満ちていると、体内の水が美しい結晶となり、その人は活性化する。水はいつも耳をダンボにして聴いている!
水は神みたいだなあと思う。かみ の み は、水のみ、源のみ、命の根源のエネルギーを指すのではないだろうか。私たちは既に、神のエネルギーで体内を満たしていた!「生かされている」という喜びの振動が、三次元でも美しく形づくられ、私たちが分かるようにメッセージを伝えてくれる。本質に戻れば、私たちは心地よく生きられる。神は遠くに存在するかけ離れた存在などではない。私たちの内にも外にも、満ち満ちていて、私たちを生かしてくれている。まさに、今、この瞬間に。
正観さんの捉えた神は、感情が無いそうだ。だから、善悪、良い悪いの判断も無い。色も無い。般若心経による空の意識。数なら零。すべてを受け入れている。
私たちは神社で神様にお願いごとをする。もし、不足不満を感じつつ〇〇してくださいと願うと、一年後も不足不満を感じて〇〇してほしいと願いたくなるような事が起きていることになる。神様は、良い悪いの判断は無いので、そっくりそのままのエネルギーで返してくる。これが宇宙法則。
お願いごとのおすすめバージョンは、「ありがとう」なのだと。神様に感謝エネルギーを届ければ、一年後もありがとうと言いたくなるような現実化がなされていく。この仕組みを引き寄せの法則などでも説明する人は多い。
水の「ありがとう」の結晶が美しいと感じるなら、それは私たちのそもそものエネルギーをそこに感じるからなのだと思う。外側の世界に翻弄されて千変万化する感情や思考ではなく、変わらない本質は何だろう?と突き詰めていくと、調和した美に到達する。
昨日、早速実験してみた。
水の入ったペットボトルに、ありがとうの気持ちを書き連ねた水さんへのメッセージメモを貼り付けてみた。波動は一瞬にして伝わるから、変化も早いだろう。翌朝飲んでみようと思う。調和したエネルギーを取り入れるなら、身体の細胞も調うだろう。その状態を健康と表現する。
次に、私の体の七割の水に対して、実際に声を出して語りかけてみた。「ありがとう。いつも〇〇してくれてありがとう。」と、両手で全身を撫でながら気持ちを伝えてみた。1分ほどで体感に変化を感じた。全身の細胞一つひとつが、細かな振動で応えてくれたのだ。もし言葉に変換するなら、「嬉しい!嬉しい!」だろうか。私も嬉しくなり、ほんのりあたたかな幸せをしみじみ味わった。
エゴが突きつけてくる欠乏、怖れの幻を抜けて、本質のあり方に戻る時、私たちは、純粋に喜び、ふるふる振動する至福のエネルギーであることに気がついていく。
私にも、目の前の誰かにも、動物にも植物にも、山、川、海、空、大地にも、あまねく、水が満ちている。生物は、同じように生かされている。水に転写された神のエネルギーを取り入れて、地球をぐるぐる循環し、喜びの世界を謳歌している。
神というワードにはこだわらない。表現は何だって構わない。何らかの大いなる力の働きを感じて、ありがたいなあ~~と、安らぐ気持ちになる時に、胎内で大いなる愛につながっていた時のような、思考を超えた魂の記憶にリンクするような、そんな感覚がするのである。
私たちが発するエネルギーが、目の前の現実を創造する。宇宙の中心には、私がいる。実は自分自身が創造主だった。ということが、水の観点からも何となく理解できるように思う。
※本日の投稿タイトルは
歌『部屋とYシャツと私』を意識してつけた(笑)
可愛い歌詞だった。懐かしいなあ。
令和版の『部屋と…』があるなら、いったいどんな歌詞に変化するだろう。今度カラオケ行ったら、即興で歌詞を替えて歌ってみたい。
コメント
コメントを投稿