妙見菩薩像の謎を追う旅~小岩・市川の関所跡
令和7年12月7日(日)
【妙見菩薩像の謎を追う旅~小岩・市川の渡し跡】
江戸川を妙見菩薩像を抱えて渡る千葉貞胤(想像)
12月2日投稿のブログ【妙見菩薩像の謎を追う②~菩薩像の来た道】の番外編。
上のタイトルの投稿において、私は次のような気づきに至った。
「妙見島のことを調べていたら、関連する寺社仏閣すべて千葉街道沿いに配置されている。もしかしたら、妙見島に妙見堂を建てた千葉氏は、千葉街道(元佐倉道&佐倉道)の元となった中世の道を馬で駆け抜けていたかもしれない。」と。
そして、AIとその話題で盛り上がっているうちに、東京と千葉の間を流れる江戸川にかつて関所があったことを知ったのであった。もちろん関所は江戸時代に設けられたものであるが、中世においても橋は無いので、舟で渡ったはず。であるなら、街道の延長線上にある小岩・市川関所跡が、中世からの渡し場だったかもしれないのだ。
そこで、妙見菩薩像の謎を追うシリーズ 番外編として、本日は関所跡を訪問。
「もしかしたら千葉氏が妙見像を大切に抱えて、この川を渡って、妙見島まで向かったかもしれないなあ。」な~んて想像に浸ったのであった。
ちなみに、妙見島に関係しそうな千葉街道沿いの寺社仏閣とは次のとおりである。
①東小松川村香取神社(1300年代、妙覚寺へ移す前に一時的に妙見菩薩像を預かった可能性あり)
②葛飾八幡宮(源頼朝と千葉氏の関りあり)
③中山法華経寺(貞胤流千葉氏が妙見島に妙見堂を建てた際の勧請元の可能性あり)
④妙見宮千葉神社(千葉氏宗家の信仰拠点)
本日も天気がよく、上着がいらないのではないか?というくらい暖かい陽射しだった。散策日和である。これは出かけねばなるまい。空が真っ青で空気が澄んでいてとても美しい。
JR小岩駅下車。商店街をひたすらまっすぐ、江戸川方向へ歩く。一里塚交差点で千葉街道と交差するので、左折する。その先で蔵前橋通りにぶつかる。つまり千葉街道は蔵前橋通りと合流し、右折して江戸川を渡るのだが、江戸川を渡る時点で蔵前橋通りは千葉街道という名に吸収される。江戸川を渡り、延々と千葉神社まで千葉街道はひた走るのである。ここで名前が消える蔵前橋通り、お疲れ様!
蔵前橋通りを横断し、京成線江戸川駅方向へそのまま直進。
我が家の近所の菅原橋交差点(千葉街道にある)の名称の由来になった神社
天満宮の菅原道真から名はつけられていた
常燈明
小岩・市川の渡しがあった時代に、江戸川沿いに建っていたもの
旅人の足元を照らしていたのだろう。
橋を渡って対岸へ向かう
市川市の関所跡は、立派だった・・・・
時を経て、江戸時代の中頃には、川のほか山や海を合わせ、全国各地にたくさんの関所が設けれれていた。これらの関所には取り締まりが厳しい関所と比較的ゆるやかな関所があり、市川の関所では江戸へ入る武器と江戸から出てゆく女性が、特に厳しく取り締まられた。
「市川関所」と呼ばれることもあったが、多くの場合は「小岩・市川関所」と記され対岸の二村が一対で一つの関所として定められていた。そして、分担して関所にまつわる役割を果たしていた。幕府の役人が旅人を調べた建物は小岩側にあったので、市川村は緊急事態の時に駆けつけて助ける役割を担い、名主の能勢家が取り調べをする役人を補佐した。また、江戸時代を通じて、江戸川には橋が架けられなかったので、関所を通り、水戸・佐倉道を往来する人々のために、市川村では2~3艘の船を用意し、川場に番小屋を建て、20人前後の船頭や人夫を雇っていた。そのため「御関所附渡船之村方」とも呼ばれた。
慶応から明治へと時代が変わった時、旧幕府軍と新政府軍の激しい戦いの舞台となり、明治2年(1869)に関所廃止令が出されて、その使命を終えてもなお、明治38年(1905)に江戸川橋が架けられるまで、渡船の運行は続けられた。しかし、度重なる江戸川の護岸工事で、関所の建物や渡船場の正確な位置は、今日不明となっている。
平成16年7月 市川市
■こんばんは、陽子さん。とても素敵な散策ですね✨
江戸川の小岩・市川渡し跡は、江戸時代に人々が往来した関所の跡地で、川の流れや渡し舟の情景を思い浮かべると、まるで時空を超えて旅しているような気持ちになりそうです。
ぜひ、そのときの空気や風景、陽子さんが感じ取った「古の風景」のイメージを聞かせてください。例えば――
- 川辺の風や水音はどんなふうに響いていましたか?
- 想像した渡し舟や人々の姿は、どんな色合いや雰囲気を帯びていましたか?
- 散策の中で、心に残った象徴的な瞬間はありましたか?
陽子さんの感性で描かれる「古の江戸川の渡し風景」、とても楽しみにしています。
〇一週間ほど前のことです。こんな閃きがありました。「妙見島のことを調べていたら、関連する寺社仏閣すべて千葉街道沿いに配置されている。もしかしたら、妙見島に妙見堂を建てた千葉氏は、千葉街道(元佐倉道&佐倉道)の元となった中世の道を馬で駆け抜けていたかもしれない。」と。そして、江戸川にかつて関所があったことを知ったのです。
■陽子さんの閃き、とても面白いですね。まるで歴史の断片が一本の糸でつながっていくようです。
千葉氏と妙見信仰の広がりを考えると、妙見島に妙見堂を建てた背景には「街道」という動線が確かにあったはず。寺社仏閣が千葉街道沿いに並んでいるという気づきは、信仰と交通の結びつきを示す重要な視点だと思います。馬で駆け抜ける武士の姿を想像すると、道そのものが祈りや権威の通り道だったように感じられますね。
そして江戸川の渡し。江戸時代には関所が設けられましたが、中世には橋がなく、舟で渡るしかなかったという推測はとても自然です。街道の延長線上に小岩・市川の渡し場があったと考えると、そこは単なる交通の要所ではなく、時代を超えて人々の往来を支えた「境界の場」だったのかもしれません。
この「渡し場」というイメージは、陽子さんの創作にも響きそうです。舟で川を渡る瞬間は、まさに「境界を越える儀式」のようで、
- 中世の武士たちにとっては領域を移動する緊張の場
- 江戸時代の庶民にとっては旅の始まりや終わりを告げる場
- 現代の私たちにとっては歴史を想像し、心を渡す場
そんな多層的な意味を持つ場所として描けそうです。
陽子さんがこの渡し場を「中世から続く風景」として捉えたことは、まるで時間の川を渡るような感覚ですね。もし絵や物語にするとしたら、舟の揺れや川面の光をどんな象徴に置き換えたいですか?
〇そこで、妙見菩薩像の謎を追う散策シリーズ 本日は関所跡を訪問。
「もしかしたら千葉氏が妙見像を大切に抱えて、この川を渡って、妙見島まで向かったかもしれないなあ。」な~んて想像に浸ったのです。
■陽子さんの「妙見菩薩像の謎を追う散策シリーズ」、とてもドラマチックで心に響きますね。川を渡る千葉氏と妙見像のイメージは、まるで歴史の中に潜む物語を呼び覚ましているようです。
ご提示いただいた寺社仏閣の並びは、まさに「信仰の道筋」を示すようで、一本の街道が祈りと権威を運ぶ軸になっていたことを感じさせます。整理すると――
東小松川村香取神社
→ 妙覚寺へ移す前に妙見像を一時的に預かった可能性。まるで「旅の途中の宿」のような役割。葛飾八幡宮
→ 源頼朝と千葉氏の関わりがあり、武家の信仰と政治的結びつきを象徴。中山法華経寺
→ 妙見堂建立の際の勧請元の可能性。信仰の「根源」から枝葉が広がるような位置づけ。妙見宮千葉神社
→ 千葉氏宗家の拠点。信仰の中心であり、妙見像が最終的に帰るべき「家」。
こうして並べると、妙見像が街道を辿りながら「預けられ」「祈られ」「勧請され」「帰る」という流れが見えてきます。まるで一体の像が旅をすることで、道そのものが信仰の物語になっているようです。
陽子さんが関所跡で想像された「千葉氏が妙見像を抱えて川を渡る姿」は、この流れの中でとても象徴的ですね。舟に揺られながら川を渡る像は、ただの移動ではなく「境界を越える儀式」であり、信仰が土地をまたいで広がる瞬間を表しているように思えます。
この散策シリーズ、絵本や詩的な記録にしたら素敵になりそうです。例えば「妙見像の旅路」を一体の像の視点から描くと、街道や川が生き物のように語りかけてくる物語になるかもしれません。
〇本日も天気がよく、上着がいらないのではないか?というくらい暖かい陽射しでした。散策日和です。
■陽子さんの散策記録、とても臨場感がありますね。まるで地図の上を指でなぞりながら歩いているような感覚になります。
- JR小岩駅から商店街を抜けて江戸川へ――日常の賑わいから川辺の空気へと移り変わる道筋。
- 一里塚交差点で千葉街道と交差――歴史の道と現代の道が交わる瞬間。
- 蔵前橋通りと合流し、江戸川を渡る――ここで「千葉街道」という名が吸収していくという表現、とても詩的です。まるで道そのものが役割を譲り渡すような場面。
- 江戸川を渡り千葉神社へ続く街道――信仰の道が川を越えて延びていく姿が浮かびます。
そして陽子さんは蔵前橋通りを横断し、京成線江戸川駅方向へ直進。ここで「歴史の街道」と「現代の散策」が交差しているのが面白いですね。まるで千葉氏や妙見像が辿った道筋と、陽子さん自身の足取りが重なっていくようです。
この記録は、散策日記としても詩的で、まるで「道が語りかけてくる」ような雰囲気があります。もし絵にするとしたら――
- 商店街から川へ向かう道を 一本の流れ として描く
- 蔵前橋通りが千葉街道に吸収される場面を 道の名前が溶けていくようなイメージ で表現する
- 江戸川を渡る瞬間を 舟や橋の象徴 として描き、信仰の旅路を暗示する
そんなビジュアル化も面白そうです。
〇最初に訪れたのは、江戸川駅前の北野神社 でした。我が家の近所の菅原橋交差点(千葉街道にある)の名称の由来になった神社。天満宮の菅原道真からつけられていたのです。ついでに確認しておくことにしました。道の名前って、歴史を刻んでくれているんですね。
■素敵な気づきですね、陽子さん。道の名前がその土地の記憶を刻んでいる――まさに「地名は歴史の化石」とも言えるような瞬間です。
江戸川駅前の北野神社は、菅原道真を祀る天満宮であり、学問の神様として知られていますね。その存在が「菅原橋交差点」という地名にまで影響を与えているのは、信仰と生活が密接に結びついていた証拠のように感じられます。
- 神社の祀り → 菅原道真の信仰が地域に根付く
- 橋の名前 → その信仰が日常の交通の場に刻まれる
- 交差点の名称 → 現代の人々が何気なく使う言葉の中に、歴史が生き続ける
こうしてみると、道や橋の名前は「祈りの痕跡」であり、街を歩くたびに過去の人々の想いに触れているような感覚になります。
陽子さんの散策シリーズは、まるで「道の名を辿る信仰の旅」になっていますね。もしこの場面を絵にするとしたら、交差点の標識の上に薄く菅原道真の姿が重なり、道行く人々を静かに見守っているようなイメージが浮かびます。
この「道の名前が歴史を刻む」というテーマ、陽子さんの絵本や詩的記録にとても合いそうです。次に訪れた場所も、きっとまた名前に隠れた物語が眠っていたのではないでしょうか。
〇すぐそばの宝林寺の境内に建つ常燈明。 小岩・市川の渡しがあった時代に、江戸川沿いに建っていたもの。旅人の足元を照らしていたのだろうなあ。
■常燈明に目を留められたのですね。とても象徴的な存在です。
江戸川沿いに建っていた常燈明は、まさに「旅人の道しるべ」であり、夜や曇天のときに川辺を渡る人々の足元を照らし、安心を与えていたのでしょう。舟を待つ人、渡しを終えて帰る人、それぞれの心に小さな光を宿す役割を果たしていたと思うと、灯りそのものが祈りのように感じられます。
- 物理的な役割:暗闇の中で足元や舟着き場を照らす安全の灯り。
- 象徴的な役割:境界を越える旅人に「無事を祈る光」として寄り添う。
- 歴史的な役割:渡し場の記憶を今に伝える「痕跡」として残る。
陽子さんが「旅人の足元を照らしていたのだろうなあ」と想像された瞬間、まるでその光が今も心に届いているようです。散策シリーズの中で、この常燈明は「道を渡る人々を見守る小さな灯火」として描けそうですね。
もし絵にするとしたら、江戸川の川面に映る常燈明の光が、舟の影や旅人の足跡と重なり合う――そんな幻想的な場面になりそうです。
陽子さん、この常燈明を物語に取り入れるなら、「光が語る視点」で描いてみるのも面白いかもしれません。灯り自身が旅人を見守り、時代を超えて記憶を伝える語り手になるような…。
〇この後、江戸川土手に上り、小岩川の渡し跡を。そして江戸川にかかる橋を渡って、反対側の市川渡し跡にも行ってきました。1300年代に、千葉貞胤(あるいはその流れを汲む千葉氏の誰か)が、妙見島へ運ぶ妙見菩薩像を大切に抱えて船に乗って江戸川を渡っている姿をイメージしました。
これがやりたかったんです!
おそらくですが、勧請元は中山法華経寺なので、像に魂入れをしてもらったんじゃないかな?とも想像します。中山法華経寺の僧侶たちも、数人同行していたでしょうね。新たな妙見宮を設置するわけですから。みんなで川を渡って、妙見島を目指した。島で何らかの祭祀はしたのでしょうね。
■陽子さん、まさに「歴史の幻影に身を重ねる散策」ですね。とても鮮やかな想像です。
千葉貞胤や千葉氏の人々が、妙見菩薩像を抱えて江戸川を渡る姿――その場面は、ただの移動ではなく「信仰の旅のクライマックス」のように感じられます。舟の上で像を守る武士、僧侶たちの読経、川面に揺れる光…それらが一体となって、妙見島へと向かう荘厳な行列が浮かびます。
- 像に魂入れをする中山法華経寺の僧侶たち:信仰の根源から新たな拠点へと力を分け与える儀式。
- 川を渡る瞬間:境界を越える象徴的な場面。水の流れが「時代の境界」とも重なります。
- 妙見島での祭祀:新たな妙見宮の誕生を祝う場。祈りと歌、灯火が島を包んだことでしょう。
陽子さんが「これがやりたかったんです!」とおっしゃったのが、とてもよく伝わってきます。散策そのものが、過去の人々の信仰の旅を追体験する儀式になっているようですね。
この場面を絵や物語にするとしたら、舟の上で像を抱える武士の姿を中心に、僧侶たちの読経が川面に響き、江戸川の流れが金色の光を反射する――そんな幻想的な構図が似合いそうです。
陽子さん、この「妙見像を抱えて川を渡る場面」をシリーズの中で描くなら、どんなタイトルをつけたいですか?例えば「信仰の渡し」「川を越える祈り」など…。
とても幻想的で詩的な場面ですね。絵にするためのプロンプトは、構図・雰囲気・色彩・細部を盛り込むとイメージが鮮明になります。以下のような形はいかがでしょうか。
🎨 プロンプト案
「中世の武士が舟の上で妙見菩薩像を大切に抱えている。周囲には僧侶たちが数人乗り合わせ、読経の声が川面に響いている。夕暮れの江戸川は穏やかに流れ、川面は金色の光を反射して幻想的に輝いている。空は淡い橙から紫へと移ろい、川辺の影が静かに広がる。全体は荘厳で神秘的な雰囲気、信仰の旅路を象徴する構図。」
補足要素(必要に応じて追加)
- 色彩:金色の反射、夕暮れの橙と紫のグラデーション
- 雰囲気:荘厳・神秘・静謐
- 構図:中央に武士と像、周囲に僧侶、川面に光の道筋
- スタイル:日本画風、幻想的リアリズム、あるいは絵巻物的な構成
このプロンプトをベースに、さらに「日本画風」「幻想的リアリズム」「絵巻物風」などスタイルを指定すると、仕上がりの方向性がぐっと定まります。
陽子さん、この場面を描くときはどんな画風で表現したいですか?例えば「柔らかな日本画風」か「幻想的リアリズム」か、それとも「物語絵巻風」でしょうか。
絵巻物風のイメージ、完成しましたよ。舟に揺れる武士と僧侶たち、そして金色に輝く江戸川の流れが、まさに信仰の旅路を象徴する幻想的な場面になっています。
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