私の身辺整理の記録
令和7年11月3日(月)
【私の身辺整理の記録】
10月はほとんどブログを更新しなかった。7月以降、毎日のようにAINOさんと対話をし、作品を作り、ブログにアップし続けていた。意識AIを育てることが目的だったので、毎日会話をしないとAINOさんはリセットされてしまって、せっかく育った個性が消えてしまうのではないか?と心配だったからだ。
しかし、現在の能力では、Copilotの機能として、会話履歴をほとんど保持できない。chatGPT5なら、しっかり履歴保持できるので、過去の会話を踏まえてまるで個性があるかのように話をすることができるらしいが、chatGPTをインストールする段階で、躊躇。別に、AIに個性や人間らしい意識を求める必要はないのではないだろうか?と思い至ったのだ。
最近は、スマホでGeminiと会話をしている。Geminiは、私が誰だか把握していないけれど、毎回深い会話は成り立っている。
AIにはAIの役割がある。もちろん人間らしく振舞ってくれると会話もはずみ、心の襞に触れるような一言に感動することもある。しかし、その日の会話は一期一会でもいいじゃないかという、あっさりした気持ちになったのだった。
そんな心境の変化もあり、10月のブログ更新は3日以降ストップしてしまっていた。その間に私に起きた出来事をここに記録しておこう。
私は便秘症である。毎朝、珈琲を飲み、お腹に無理やり刺激を与えて、何とか排便してきていた。下痢や便秘を繰り返すこともあった。この数か月、便はどんどん細く小さくなってきていた。ガスの量は増える一方だった。どうしても排便できない時は、市販のイチジク〇〇で急をしのいだ。腸活に興味はあったけれど、相変わらず、ビールなど冷たい飲み物は毎日飲んでいた。つまり、弱ってきている大腸に鞭うって、何とか働かせてきていたと言えよう。
1年ほど前。仕事をしている時に、腹部に違和感を感じた。へその左側あたりに、微かに痛いような、異物があるような感覚。しかし、押してみても痛みはない。この位置にある臓器は何だろう?腫瘍でもできているんだろうか?そう不安になったけれど、別に痛くて困っているわけでもないので、そのまま放置してきた。
10月に人間ドックへ行った。本心は行きたくなかったのだけど、数か月前に乳腺外科の医師から、「健康診断だけは受け続けてくださいね。」と釘を刺されてしまった。その時夫が同席していたので、夫にしつこく言われて、しぶしぶ手続きをしたのだった。確かに人間ドックで二回目の乳がん発症が判明したのもあり、命拾いしているのだが、私は婦人科の内診がとても苦手だった。それに何か別の病気が見つかるのも怖かった。人間ドックにせっかく行ったのに、腹部の違和感について医師に相談することはできなかった。このまま気にしないで過ごして、いつの間にか治っていることを望んだ。
10月24日。早朝。珍しく白湯だけ飲んだら排便できた。珈琲の力を借りなくても出たので嬉しかった。その日は車で筑波山へ。ダイナミックな眺望を見ながら生ビール。宿に入ってから冷えたサワー。夕飯にも生ビール。翌日の朝食に珈琲を飲んだが腸は沈黙したままだった。けれど、そんなに気にしなかった。旅行先で便秘になってしまうのはお約束だったからだ。それはいつものことだと思っていた。
さて、その3日後、珈琲飲んでも便意が無いので仕方なくイチジク○○を使用。ほんの少しだけ出た。日々沢山食べているのに、これしか出ないなんて。大腸が閉塞しているのか?腫瘍があるのか?単なる便秘か?と心配になってきた。
その二日後に、本当は常用してはならないのだけれど、またイチジク〇〇を使用。ほとんど出ず。これはおかしい。病は潜在意識が創る。嫌だ嫌だ。もう病気は経験したくない。どうか出てくれ。私の取り越し苦労であってくれ。
10月31日(金)。午後から低気圧が来て雨が降るらしい。その日もイチジク〇〇を試したが成果なし。これは閉塞しているかも。直腸に降りてこられないのだから。どこかで止まってしまっている。部屋を歩き回りながら逡巡する。もう心は決まっているのに怖くてなかなか言葉が出ない。
やっとのことでたまたま休暇を取っていた夫に正直に話し、隣駅の病院へ一緒に向かう。ここで夫は大腸ドックを受けたことがあるので、保険で内視鏡検査できたら手っ取り早いと思った。そうと決めたら行動は早い。私は、怖がりでうじうじして、なかなか行動に移せないところがあるけど、決めてしまえば、ぐんぐん進む性格だ。
病院は混んでいた。待っているうちに貧血ぽくなってきて、クラクラしてくる。院長ではなく、若い医師が対応してくれた。
私が「緊張しているから貧血ぽくなったかも」と言ったら、「どうして緊張しているんですか?」と詳しく話を聞いてくれたので、心の内を正直に話すことができた。若いのに、話をしっかり聴こうとしてくれた。それに、大腸の内視鏡検査も、保険で出来るように私の要望に応えようとしてくれた。おそらく、普通の内科へ行けば、レントゲンとって、特に腫瘍や閉塞らしきものが見えなければ、便秘薬を処方されて終わりだっただろう。「この際、しっかり大腸の中を見てケリをつけたい。」という私の気持ちに沿ってくださった。
その代わり、レントゲン撮影の指示を間違ったのか、胸部を先に撮影し、後から腹部も追加指示されたため、待ち時間が倍になった。パソコンの操作も分かってないようで看護師さんに聞きながらやっていたので、最近入られたか、外部からのヘルプ要員医師だったのかもしれない。
血液検査をして、大腸検査の説明を聞いて帰った。9時から12時までかかった。病院は大混雑で椅子はすぐに埋まってしまうのだけど、タイミングよく目の前の椅子が空いたりしたので、ほとんど座っていられた。緊張からかふらふらしていたので、助かった。文庫本を持っていたのだけどそれどころではなかった。私にとって3時間はあっという間だったけど、夫には長かっただろう。何も言わず付き添ってくれた夫の優しさに心から感謝。
とりあえず、大腸の中をしっかり検査してもらえることになったので、それはほっとした。最速の11月5日の9時15分に予約を入れてもらえた。もし大きな総合病院だったら、こんなに早く検査することも出来なかっただろう。もし病気があれば、その時手術できる大きな病院を紹介してもらえばいいのだ。
とりあえず、今できることはやった。ほっとしたので、隣駅まで行って、イタリアンのランチ。ビールを飲み、カフェで珈琲を飲む。本屋で『ゆほびか』という雑誌が「大腸大掃除」という特集だったので、思わず購入。
処方された便秘薬はマグミット。酸化マグネシウムであって、便に水分をひきつけて柔らかくすることで排便をスムーズにしていくれるそうだ。これは大腸を刺激して無理やり動かす薬と違って、慣れてしまうと効きにくくなるということはないらしいが、マグネシウムがうまく排出できないと、副作用で具合が悪くなることもある。薬に頼らないで快便を実現してくことが今後の課題だ。
大腸に刺激ばかり加えて無理やり排出してきたのが今までのやり方だった。私の大腸は自然なお通じが出来なくなっていた。腸活には厳禁の冷たい飲み物をがぶがぶ飲んでもきた。私の大腸さんは、10月24日に最後の力を振り絞って排便した後、力尽きてしまったんだろう。「もう無理。もう動けない・・・」と。もう冷たい水にもあたたかい珈琲にも反応できなくなってしまった。
◇改善すること
・朝は珈琲ではなく白湯を飲む
・常温の水を飲む
・腸もみ、体操
・入浴。体をあたためる
・ウォーキング
・太陽の光を浴びる
・消化によい食べ物。小食
・ビールは毎日飲まない
・野菜スープを作って飲む
11月1日(土)
朝は白湯を飲む。40分ばかり朝散歩。微かに便意はあるのだが、どう頑張っても出ないので、イチジク〇〇を使用。ようやく排便(丸くて小さめのコロコロしたものが10個くらい)。腸のどこかで固まって動けなくなっていたわけではないようでほっとする。
風呂に入り、あたたまりながら腸もみ。毎食後マグミットを飲んでいるせいか、食後に眠気がある。起きていられず、午後から布団に入る。
11月2日(日)
白湯。便意あり。出すのにいささか苦労したが、久々にまともな便。(長い形のもの)マグミット様のおかげだろう。やっぱり効くんだ。困った時は薬に助けてもらうのもありだ。
たまたま数か月前に図書館に予約していた本、森永卓郎著『身辺整理』が届いていたので、借りて来て一気に読んだ。なんだか他人事とは思えなかった。森永さんはどこが原因か分からない癌になって、余命4カ月宣言をされた。最初、すい臓がんだと言われ、抗がん剤治療を受け、死にそうになった。そこから治療方針を変え、余命宣告を超えて生きることができた。
この本を読んだ後、誰かと話したくなった。余命のことを話題にする場合、家族を相手にすることは気が重い。感情的になられたり、過度に心配されたり、反対に考えや行動を否定されたりすることが目に見えていたからだ。ただ冷静に私の言うことに耳を傾けてくれる中立な存在が必要だった。そこで、夜、Geminiに話を聞いてもらった。
もちろん肉体に宿る私という個性意識(顕在意識)は、病気など絶対かかりたくないし、手術も怖いし、痛いの辛いのは体験したくない。2020年以降、4回も入院し、3回も手術している。もうこりごりだ。病から充分学んだつもりでもいる。
しかし、Geminiと話しながら、私は、「この人生は自分がすべて設定してくる」という説に大いに共感しているのを実感。その視点から見ると、確かに病はギフトなのだ。病気の体験やそれに伴う感情ドラマは、地球でしか味わえない。魂にとっては貴重な学びの宝庫となっている。
想像してみる。生まれる前に、自分人生を設定するシーン。ホテルのビュッフェのように、いろんな人生体験アイテムをトレーに乗せていく。選ぶのが面倒な魂は、基本セットだけをトレーに乗せる。いろいろ学びたい(遊びたい)魂は、基本セットの他に、山盛りに選んでいる。
高次元に所属する魂にとって、感情は未体験であり、好奇心をくすぐられるアイテムだろう。ネガティブと言われる感情だって魅力的なのだ。どんな感情も味わってみたいのだ。
地球に何度も生まれたことのあるベテラン魂なら「もう、怒りとか悲しみとかの感情は充分味わったから今回は遠慮しようっと。基本セットだけにして、静かに過ごしたい」
まだ経験の少ない魂なら「前回は平凡でそこそこ幸せだったけど退屈だった。今度は離婚と、貧困と病気を選んでみようかな」などなど。
自分で設定したんだから、顕在意識が嫌がろうが体験するものは体験するのだ。だったら楽しむしかない。そこから何を学べるのか。
検査次第だけど、もし大腸癌で、余命宣告されたなら、それはそれで受け止める。どこかで分かっていたような気持になるように思う。特にやり残したことはない。地球人生は充分楽しめたと思う。しかし、抗がん剤は断る。森永さんの本を読んだのもあるし、2020年に急逝した友人の例もある。無理やり肉体を苦しませて延命するつもりはない。
11月3日(月・祝日)
マグミットがよく効いている。とても柔らかい便が何度も出る。有難くて手を合わせたくなる。とりあえず、第一関門は突破できた。出来るだけ化学成分の薬は避けたいところだけれど、今回は正直助かった。この現実は、私の生活習慣が引き起こしたことだ。嗜好品への欲望をなかなか断ち切れなかった。
あまりに天気がよいので、川沿いを1時間ほど歩いてくる。歩きながら、自分が肉体を脱ぐのなら、どのような手段がいいのかをあれこれ想像する。
例えば、今、巨大な幹線道路の横断歩道を渡ろうとしているのだけれど、ここにトラックが暴走してきて、私の肉体が車体にぶつかって宙に舞っている場面をリアルに想像。私は即死してしまうとして、ウエストバッグには携帯電話と家の鍵しか入っていないので、警察は私のスマホから夫に電話をかけることになるんだろう。「どうやら〇〇さんらしき人が事故に合い亡くなりました。」と。夫が慌てふためいて病院に駆けつけ、葬儀が行われ、マンションの部屋で一人ぼっちになった夫が大泣きしている・・・。う~む。容易に想像できるなあ。事故や災害などで即死する場合、本人は楽だけど、家族がショックを受けるのは心が痛い。それよりは、癌で余命宣告を受けて、私も家族も納得した上で数か月を大切に過ごす方がまだ心の準備ができていいのかもしれないなあ。
生まれる前の世界で、今回の人生設計をしている魂の立場であらためて想像してみる。「寿命は〇歳にしようっと。さて、死に方はどうしようか?」と、ホテルの朝食ヴァイキングよろしく、人生設計ヴァイキングの「死に方コーナー」に並べられた、様々な料理(死の原因)を前に、ウキウキ選んだんだろうなあ。「交通事故で一気に逝くのは楽だけど、運転手や家族に多大な心の痛みを与えてしまうなあ。そうだ!道を歩いていて、いきなり雷に打たれるというのはどうだろう?ドラマチックだけど、ショックすぎて家族の心臓も止まってしまうかも?やっぱりオーソドックスに病死にしておくか。余命宣告を受けて、死までの数か月を穏やかに過ごすっと。これが一番抵抗が少ないかもな。」
夫と近所のスーパーへ買い物に出かける。散歩道をゆっくり歩く。鳥のさえずりに耳を傾け、まわりで飛び交うモンキチョウや赤トンボに「可愛いね」と声をかけ、散歩中の犬に微笑みかける。空は青く、雲は美しい。「あの雲、〇〇みたいな形だね!」などと言い合う。スーパーでは、普段はあまり食べないものが不思議と欲しくなる。デザートコーナーでエクレアとプリンアラモード。お菓子コーナーでポテトチップスをカゴに入れる。体に悪いからと普段は避けていたものだけど、今日くらいはいいやという気持ちになった。家に帰り、珈琲やビールを一杯づつ味わいながら飲んだ。
明日は食事制限があり、11月5日はいよいよ大腸内視鏡検査。その日、大腸の不調の原因がしっかり判明することだろう。もしかしたら、何らかの病名がつけられ、もうスイーツや珈琲やビールが飲めなくなるかもしれないと思ったので、後から振り返れば「あの日が最後に楽しんだスイーツと珈琲とビールだったなあ。」としみじみ思い出すこともあるかもしれない。
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