葬儀ビジネスの闇①~ハイエナ徘徊

 葬儀ビジネスをめぐるトラブルに巻き込まれていたこの怒涛の三日間を赤裸々に公開しよう。今後経験される方々に、ほんの少しでも警告を発することができたらと願う。


☆葬儀社と初の打合せ 

1月23日

父の亡くなった日の翌日、寝不足で朦朧とした母と、姉夫婦が葬儀社の窓口を訪れていた。

父は平成20年にこの葬儀社の互助会会員となっており、既に60万円の積み立てを完了していた。当時の互助会担当者の話だと、「今加入すれば、葬儀を行う時は30万円コースの金額で100万円の内容の儀式を行うことができます。」ということだった。そこで、父は60万円の積み立てをしておいた。多少足が出たとしても、十分な葬儀が行えると踏んでのことだった。父の手元には、当時の葬儀コースを簡単に説明するカラーパンフレットと、積立金の領収書のみが残された。詳細な契約書などは無かった。「100万円相当の葬儀を行える特典」など、証拠は残されていないのだが、父は頭から信じて疑っていなかった。大手の葬儀社であるし、まさかこの約束が簡単に反故にされるなど・・・

母は、積立金の領収書を担当者S氏に差し出し、上述の内容で話を切り出した。「たしか、30万で100万円相当の・・・」

S氏は、にべもなく「当時と料金は大幅に変わっています。この積み立て金額だと、このコース内容となります。」と、最低ランクのコースを指さした。結局、積立金額の60万円という事実しか残されていなかったわけだ。特典は幻想だった。母は、黙るしかなかった。

悄然として、さらに朦朧とした頭の母や姉にとって、S氏の流れるようなビジネストークはまるで暗示のように作用していたのだろう。あれよあれよという間に、見積金額は膨れ上がり、家族のみのシンプルな一日葬は100万円に達した。積み立て金額は60万円なので、追加で支払うのは40万円である。母は、納得いかないながらも、疑問点を追求する余力は残されていなかった。ただ、父を精一杯見送ってやりたいという気持ちの方が勝っていたので、儀式に必要なお金なら、いくらでも払う心構えだった。もちろん「必要なら。」であるが。

葬儀社では、僧侶の手配もしていただけるということだったので、ご紹介をお願いすることとした。我が家は、浄土真宗大谷派である。S氏はにこやかに答えた。「大丈夫ですよ。わが社は、あらゆる宗派に対応できるよう、多くのお寺と提携していますから。お任せください。」と。これで、個人でお寺と手続きする手間が省けるので、母はほっとした。とにかく、やることが多すぎて、母は混乱していた。大手葬儀社でもあるし、僧侶とのネットワークもしっかりしているのだろうと信じて疑わなかった。ちなみにこれは別料金となる。

S氏は、当たり前のようにエンバーミングを提案してきた。遺体防腐、消毒のための処置である。この経費が15万円。S氏は、「もしかしたらお顔が変形してしまうかもしれないので。わが社の技術で当日は、生前のお顔そのままでご対面できます。」と説明した。確かに葬儀まで1週間ある。顔が変形してしまったらヤバイと母は怖れた。そこで、流されるようにエンバーミング契約書にサインをした。そこには細かな処置内容について記述があったのだが、母には読んでいる心のゆとりは無かった。安易にS氏の口にするメリットにのみ焦点を当ててしまった。「この判断で間違いない。だって大手葬儀社の提案なのだから・・」という思い込みもあっただろう。

S氏の手元にある現在のパンフレットを母は欲しいと思った。何しろ、持っているのは平成20年の古い版である。コース内容の変更点も比較してみたかった。「新しいのもらえませんか?」母は頼んだ。「あ、今、これ無いんですよ。」S氏はあっさりと断ってきた。今思えば、新しいパンフレットが無い!?というのも不思議な話である。が、母は引き下がるしかなかった。

そのパンフレットの祭壇の写真には、胡蝶蘭がふんだんに飾られていた。(特に、イメージです。とか、オプションです。などの注記は無い。)コースの中にこれだけ花が入っているなら、充分だと母は思った。S氏は言った。「実際は花2~3本なんです。しょぼいですよ。」と。今思うと表示法とか何かにひかかるんじゃない?と突っ込みたくなるが、そんな余裕もない。追加で66000円の花オプションを選択した。

その他にも、本当にそれ必要なの?という提案はあったのだろうと思われる。たいていの遺族は、それを一つひとつ、冷静に判断できる状態ではないまま、葬儀の手続きをさせられる。(そうなるのが分かっていたから、父は家族を思いやり、互助会に加入していたはずだが)葬儀はビジネスである。遺族の弱みに付け込んで、不要なサービスも盛り込んでくるので、結局わけのわからないまま、見積金額が膨れ上がっていくシステムになっている。

遺族の心情や状態を思いやり、共感する力があるのなら、絶対に提案しないだろうことも、心情を逆手にとって誘導してくる。ビジネス偏重の風潮が葬儀をめぐるトラブルを頻発させている事実を知るのは翌日のことである。私たち家族は、世間知らずであり、いいカモだった。ハイエナたちは、舌なめずりをしながら、ゆっくりと疲れ切った家族のまわりを徘徊していた。「ほうほう、今回もいいカモが来たぞ。じっくりいただくとするか。」と。


☆ハイエナの登場~①

1月24日

朝、母からLINEが入っていた。「エンバーミングするので、保管庫から出すことが出来る。遺体を自宅に運んでこれる。父は家に帰りたがっていたから、願いを叶えてあげたい。」と。

私には寝耳に水だったので、何それ?となった。

まず、エンバーミングをネットで検索してみた。「ふむふむ、防腐措置か。15万円もするんだ。通常は1週間程度の保存なら、ドライアイスで充分なはずなのになあ。」と疑問点だらけである。父は事故死ではないので、修復も必要ない。顔は穏やかできれいである。ひっかかったのは、処置方法である。血液を全部抜いて防腐液に取り換えるため、遺体を数か所傷つけることになる。父に痛い思いをさせてまでやらないとならないだろうか?

もう一つの心配は、母の精神状態である。

葬儀社の提案では、二泊三日で遺体を自宅に安置できるとのこと。自宅に父の遺体が三日間も寝ているところを想像した。母は、不眠不休で父の遺体にすがりつき、「目を開けて・・・。逝かないで。連れて行って。」と泣き続けるだろう。葬儀の日には疲弊しきって最悪精神が破壊されてしまうだろう。父には悪いが、母の父への猛烈な執着心を考慮すると、とんでもない提案だった。母が壊れてしまう!

母の気持ちは痛いほどわかるが、大切なのはまずは生きている人の方だ。母は、「自宅に帰るのが父の最後の望み」だと言っているのだが、果たしてそうだろうか?父の究極の望みは、「母の末永い健康と幸せ。笑って余生を過ごせること」のはずだ。

姉も私と同意見で反対していた。私は母にエンバーミングのデメリットを説明したくて、「まず電話で話そう」とLINEを送った。母から返信は無かった。皆に反対されて拗ねてしまったようだった。母は人の意見を聞かずに暴走してしまうところがある。こうと決めたら反対を押し切って勝手に行動してしまう性格だ。姉もそれを知っているので半ば諦めモードだ。

なんだか、背中がゾクゾクした。とても嫌な予感が腹の底から湧き上がってきた。この不気味さは何だろう?何か禍々しいものに、私たち家族は憑りつかれてしまったようで、目に見えない悪意と危機感を肌で感じた。

私は、父の魂と、母を守護する神仏に祈った。「どうか、母にとって最善の結果となりますように。力を貸してください。お願いします!お父さん、お母さんを助けて!お母さんに、それは必要ないよと伝えてあげてください。」

さて、祈りによる奇跡は起こるだろうか?母はこの試練をどう乗り越えるのだろうか。私は母の底力と神仏の守り、何より父の愛を信じて、まずは母をそっとしておくことにした。少し待ってあげる時間が必要だと思った。


☆ハイエナの登場~②

午後3時

母から不意にLINEが入った。

どうやら、葬儀社から紹介された僧侶から電話があって打合せをしたらしい。当日の読経と法名で51万円とのこと。私は相場が分からないので、ふむふむとメッセージを読んだ。

驚いたのは、「ママ(40年前に他界した実母)の位牌を新しいものに書いてもらうことにした。」とあったことだ。ん?どういうこと?なんでママの位牌を新しくしなきゃならないの?私は慌てて「位牌 交換」とネット検索をした。いやいや、必要ないでしょ。母は頭が混乱しすぎて、葬儀ビジネスに踊らされてしまっているようだ。いったい僧侶から何を言われたのだろう。母のLINEは、僧侶の所属する寺の名とKという苗字だけ、かろうじて知らせてくれていた。

もう、母をそっとしておく場合ではない。すぐ電話をかけた。母は出ない。まだ拗ねているのか?出てくれ!何度もかけた。ダメだ。出ない。姉は仕事中であるから連絡が取れない。葬儀社が紹介する僧侶だから悪徳商法ということは無いだろうが、嫌な予感がした。

ネットで、母が知らせてくれた寺の名前で検索。ホームページはとてもきれいだった。事務局の電話番号が分かったので、早速電話をした。電話に出た事務員に僧侶の苗字を伝えたところ、「ああ、先生ですね。Kは確かにこちらの所属です。」と答えた。ん?僧侶ではないのか?業界では先生と呼ぶのが慣例なのか?私は、顛末を説明し、「今、母はまともな判断が出来る状態ではなく混乱しているので、もし本当に必要な位牌でないなら、クーリングオフさせてほしい。」と伝えた。まだKと電話で話をしてから1時間以内のはずだ。いったいどういう経緯で前妻の位牌の取り換えの話にまでなったのか。不思議で仕方なかった。事務員は、Kに連絡を取って、折り返し電話をくださると言った。

夫が自宅にいたので、「大変だよ。位牌を取り換えるとか言っているよ。」と知らせた。私は、夫に寺のホームページを見せたかったので、再度スマホで検索をした。同時に夫はパソコンを操作し、「位牌 取り換え」と検索をした。「あれ?おかしいな?検索できない!」「俺も、他のワードなら検索できるのに、このワードを入れるとまったく動かない!」何という偶然か、同じタイミングで特定のワードだけが検索不能になっていた。「これ、何かあるよ。目に見えない存在の力が働いている。何か知らせてきている。なんだろう。すごく禍々しいものを感じる。ヤバイことが起きている。」私たちはぞっとした。

数分後、さきほどの事務員から折り返し電話があった。「お母様から繰り出し位牌の質問があり、先生から説明をしたそうです。話だけなので、まだ契約したわけではないそうです。」とのこと。ああ、また新しいワードが出現。なんだその繰り出し位牌というのは?どうやら複数の位牌があると仏壇内に置ききれないので、重ねられる板状のものらしい。「つまり省スペースで飾れるものなのですね?母から要望しているのですね?」「そうらしいです。」「ああ、そうでしたか。それは失礼いたしました。まだ契約したわけではなくお話している段階ということですね。わかりました。役に立つ提案をしてくださっていたわけですね。先生によろしくお伝えください。」と丁寧にお礼を言ったところ、事務員から受話器を通し、ちょっと嫌~なエネルギーが伝わってきた。今まで好感度の高い応対だったのに、どうしたことだろう?微かなひっかかりを感じつつ電話を切った。

夕方4時

母から電話がきた。ようやく機嫌を直したか?

スマホに耳をあてた瞬間、母開口一番

「大変!お坊さん、偽者だった!」

ええ~っ!!!???

どーいうこと?


☆母、ハイエナを見事に撃退する


興奮して顛末を語る母。なんだかメチャクチャ元気になっていた。

最初に葬儀社から紹介されたということで、そのKと名乗る人物から電話がきた。母は僧侶だと思い込んでお話を聞いていた。Kは我が家の個人情報から、あらゆる仏様の戒名を聞き出した。母は素直に答えた。おそらく父の法名を考える上で参考にするのだろうと思ったのだ。すべて込みで51万円と伝えられた。ちょっと高くてビックリしたが相場が分からないので、そんなものかもと思った。ついでに次なる法要についてもお願いしたいと思い、三十九日、四十九日の件を切り出してみたら「ああ、それはやらないのです。」と言われ、ん?と思った。檀家ではないので仕方ないのかな?そういうものかと思った。母は、仏壇内が混雑してしまうので相談をし、新しい位牌の提案を聴いたらしい。

電話を切ってからしばらくして、またKから電話が入った。「さきほど言い忘れました。実は〇〇もありまして。」さらに値が吊り上がった。このやり取りが計4回も続いた。電話が入るたびにKに支払う予定の金額が増えていった。

母は、さすがに4回目の電話がきたときに、嫌な予感がした。ふと、だいぶ前に一回だけ法要をお願いしたことのある地元の寺を思い出した。たまたま同じ宗派の寺だった。相場を聴いてみたいと思い、D寺に電話をかけた。母はご無沙汰している非礼を詫びた上で、さりげなく葬儀における読経と法名でお包みする相場を質問した。25万円に、もし可能なら車代5千円とのことだった。これ以上は不要とのこと。半額だった。母は、D寺の奥様があまりに感じが良かったので、ついKとのやり取りを告白した。D奥様は、すぐに同宗派の僧侶の名簿を調べてくれた。「その人偽物よ。お坊さんじゃないわよ。私、ちょっと知っているけど、あいつね・・・。」

D奥様は、すぐに葬儀社へ電話をかけて問い詰めてくれた。電話で対応した葬儀社社員は、すんなり偽物お坊さんであることを認めた。(分かっていて紹介していた!おそらく高額な紹介料などメリットが大きかったのだろう。)怒り心頭のD奥様は、Kが所属する?寺にも電話を入れてくれて、二度と母に連絡を入れないよう釘を刺してくれた。あやうく、偽物お坊さんのお経と、なんちゃって法名で父を送り出すところだったと母は笑いながら語った。「偽物のお坊さんのお経でも三途の川を渡れるのかしらね?」

不思議なことだが、今回の救世主D寺の電話番号のメモが、いつも父が座っていたテーブルの透明テーブルクロスの下にはさまっていたのだった。いつか必要になるかもしれないと、父が書き留めておいたのだ。母はそのことをすっかり忘れていたのだが、Kの怪しい電話をきっかけに、ふと思い出した。私は、父の声が母の無意識に届いたのではないかと思う。「お母さん、D寺だよ!Dに電話しなさい!」と。母は、父の声なき声に助けられたのだ。思えば、私と夫のスマホやパソコンの不具合も、このことを知らせていたのかもしれない。「危ないよ!気を付けて!ハイエナがウロウロしているよ。」と。

このことが切っ掛けで、葬儀の読経と法名はD寺にお願いすることになった。

この顛末もスリリングであったが、私にはまだ母に伝えないとならないことがあった。私は母にエンバーミングの処置について詳しいやり方を説明した。母は、血液を抜いたり肉体に傷をつけることを一切聞いていなかった。また、ドライアイスでも一週間程度なら保管可能なことも知らされていなかった。母は憤慨して「もうお父さんに痛い思いをさせられない!」と葬儀社に電話をかけた。担当のS氏は休暇中であったが、夜電話をくれた。母は、S氏に怒鳴った。「紹介された僧侶は偽物だし、不要な提案ばかりしてくるし。もうあなたたちを信じることが出来ない!一回、全部リセットしてちょうだい。エンバーミングもやめてください。明日、うちに来て、全部説明して!」と。父の遺体は翌朝処置がなされるところだったので、間一髪で止めることが出来た。ギリギリセーフ!

不要なエンバーミングを止めるきっかけになったのは、詐欺坊さんのKのおかげでもある。欲を出して母に4回も電話を入れるからバレるのだ。しかし、我が家にとっては、Kの詐欺行為のおかげで、見事に逆転劇に展開していった。目を覚まさせてくれたKは、実は天使かもしれないと、私は母と笑い合った。

母は、翌日のS氏との交渉を楽しみにしているようだった。「お母さん、こういうの得意なのよ。大丈夫。まかせて!」と。久しぶりに、意気揚々としている母を感じて、私は今朝の祈りを思い出していた。「母にとって最善となりますように。」と。そして、母はハイエナ撃退ドラマを通して、結果的に自信と元気を取り戻していた。目に見えない世界の采配とは、人の思考をはるかに超えている。「こうきたかー!」と、舌を巻くしかない。すべて一気にぐるんと好転してしまうのだから。

母が久しぶりにケラケラと笑っている。それが嬉しい。

お父さん、助けてくれてありがとう・・・。


☆金星の女神降臨~禍を転じて福となす

さて、翌日のS氏との話し合いの前にいろいろ準備しなければならないことがあった。葬儀社とのトラブルならまずは消費生活センターに電話だろう。詐欺事件を未然に防ぐことはできたが、このまま遺族の心情に付け込んだ葬儀ビジネスを容認していては次なる犠牲者が出てしまう。行政からの注意喚起とか、処分とか、何かできないのだろうか?我が家はよくても、このまま野放しにしておくのは許せなかった。私に何か告発できることはないんだろうか?

ふと、私が勝手に「金星の女神」と慕うKちゃんのことが頭に浮かんだ。Kちゃんは、法律の専門家であるから、何かアドバイスをもらえたらいいなと思いついた。夜、Kちゃんにメールを送った。疲れ切っていた上に頭が興奮状態だったので、睡眠導入剤を飲んで布団にもぐりこんだ。そのまま爆睡している間に、Kちゃんから何度も着信が入っていた。そりゃあ、心配かけるよね。(Kちゃん、ごめんなさい)


1月25日

翌朝、実家へ向かう車の中で、Kちゃんと電話で話した。

・葬儀社は認可制ではなく自由に設立できるので行政指導は難しい。

・消費者トラブルとして消費者センターに電話相談するのが一番。

・最初の説明や資料がどうだったかが一番のポイント

・消費者契約法である程度主張できるが、状況次第。

その上、Kちゃんは、もしS氏との交渉がうまくいかなくて、遺体保管していることを逆手に取られ不利な状況になった場合も想定してくれて、信頼できる葬儀社に知人を通して連絡をしてくださり、遺体を引き継いで30日に火葬場まで運んでくれる業者さんを見つけてくれていた。これで、選択肢が増えた。場合によっては今の葬儀社と手を切ることも可能ということ。

有難くて、涙が流れた。Kちゃん、なんて素敵なの。Kちゃんのあたたかな心が伝わってきて、私の家族を包囲していた禍々しいエネルギーが、金星パワーで一気に浄化されていった。

いつもそうなのだが、Kちゃんは、私が窮地に陥っている時、さりげなく力を貸してくださる。そして私はいつも最善の方向に一気に転換され元気回復する。Kちゃんは、やっぱり女神様だ。もう今世では数々の御恩に報いるには時間が足りない。来世、私がたとえ宇宙のどの星にいようがKちゃんに何かあったときは、シューっと飛んでこようと心に誓った。渦中にいるのに、私はなんだかウキウキしていた。愛のパワーをいっぱいもらったからだろうと思った。今日、事態はすべて光の方向へ転じるだろう。そんな確信すらあった。


☆消費生活センター

朝、9時になったので、私は母の横で電話をかけた。相談員は私の長~い説明を丁寧に聞いてくださった。

当初の互助会については、やはり口約束であり、定款もなく担当者氏名も分からないということで、どうにもならないと告げられた。今後、口約束(お得ですよという甘言)は、高い確率で反故にされるので、相手が有名会社であろうが、必ず契約書などを残すことを肝に銘じた。

葬儀に関するトラブルはものすごく多いのだそうだ。宗教もからむので、考え方もあまりに多様で複雑なため、監督庁のような組織は無いそうだ。つまり野放し状態。あまりに特定業者への相談が多くなった場合は、注意喚起という意味合いで(処分ではない)情報提供されるらしいが、それで体質を改めるかどうか疑問である。

お坊さん詐欺についても、同情はしてくれたが、宗教がからむので、グレーゾーンなのだそう。誰もあいつらを叱ってくれないということだ。

相談員は、エンバーミングなど、契約変更に伴い発生するキャンセル料の方を心配していた。「もちろん説明不足や誘導するような対応があったと思いますが、通常はキャンセル料が発生しても仕方ありません。ただ、偽物お坊さんを紹介したという負い目もあるので、話合いの際にその料金を請求されないだけ、まだいい方かもしれません。だいぶ譲歩していると思った方がいいです。」とのこと。

パンフレットと現物が違うということも、この業界では当たり前なのだそう。

一時間近く話を聞いてもらったが、わかったことは、「消費者側がもっと勉強して賢くならなければ、やられっぱなしだ。」ということだった。つまりS氏を責める立場ではないということ。S氏は、普通に業界の当たり前にのっとって、仕事をしていただけであり、責め立てるのは筋違いだったのだ。

消費生活センターとの電話を切った後、私は

悔し涙を流した。

母は「〇〇ちゃんが朝早くから一生懸命やってくれたの、お父さんも分かっているよ。ありがとう。」と慰めてくれた。

その後1時間ほど、私はぶっ倒れた。生体エネルギーが枯渇してしまったかのようだった。

※その他相談先

全日本冠婚葬祭互助協会

0120-034-820

私は今回利用しなかったが参考に。


☆S氏登場

S氏を責めるのは筋違いだとわかったので、私は冷静になった。最初はS氏とあいさつするのも嫌だと思っていたが、消費生活センターと電話したおかげで、気持ちが切り替わっていた。母と夫と私は、S氏を丁寧に迎え入れた。一切責め立てることはせず、足を運んでくれたことに心から感謝の気持ちを伝え、頭を下げた。

S氏は、一晩考えてくれたようで、最初の見積内訳から、自ら進んで、不要と思われるところに赤線を引いて消していった。「これは不要でしょうから消しましょう。こちらは弊社でサービスさせていただきます。」と、総額20万円ほど下げられた。

その上、父の移送の際に、自宅前を経由してくれるよう、交渉もしてくれることになった。これで、自宅から出棺することは叶わないが、最後に自宅を見せてあげることは叶えられた。また、母が希望して一旦は断られた湯灌も、出来るように手配してくれた。その他さまざま、私たちが質問することを丁寧に聞き取って、純粋に必要な内容に組み立てなおしてくれた。おかげで、当初の内容よりも満足度が高く、経費も安くなるというありがたい結果となったのだ。

何が功を奏するかわからないものだ。このトラブルがあったおかげで、私たちも学ぶことができたし、S氏も実はいい人であることが分かった。トラブルがあったおかげで、人と人は歩み寄ることも出来る。心の交流ができることもある。

そう考えると、やっぱり

偽物お坊さんKは、天使だったのかもしれない。(笑)


大丈夫だよ。お父さん。

きっと素敵なお葬式になるよ。

たくさんの人に助けてもらったね。

有難いね。

30日。お空の雲になる日。風になる日。

お天気がよくなりますように。


☆そして天誅が下された。

1月26日

母から、「いい知らせ!」と電話がきた。

母のD寺への電話が切っ掛けになり、D寺をはじめとするいくつかの寺と弁護士団が、例の詐欺お坊さんKの裁判を起こすことになったそうだ。

また、Kを紹介していた葬儀社も寺の要望を受け、Kが活動できないよう協力することになったとか。

意図せず、母は、今後発生するかもしれない葬儀詐欺にストップをかけたことになった。なぜなら、母から電話を受けたD寺奥様は、「これ以上被害者を増やせない!」と、立ち上がる気持ちにさせられたそうだ。母とD寺奥様は、なんだか馬が合っているようだ。今後二人の御縁がさらに深まっていくような予感もあり楽しみだ。

母はD寺奥様からたいそう感謝されたと、嬉しそうだった。

母は今、とても幸せだと言った。

父に、生涯をかけて、幸せにしてもらったこと。周りに優しくしてもらったこと。

特に今回のトラブルで、たくさんの方々が親身になってくれたことで、身に沁みたらしい。「人間は大変な時ほど本性が出る。今回関わってくれた方々は皆優しかった。私はとても幸せ者だと感じたわ。」と、母は何度も涙ぐんだ。「だから、ちょっとだけど、Kに感謝をしているの。」と。

母は、人として精一杯、頑張り抜いたのだと思う。だから、人智を超えた部分は、神仏のように目に見えない存在が力を貸すのだろう。

この奇跡的な展開は、人の力だけでは起こせない。

闇を抜けた母は、今、スッキリと軽やかに笑っている。

そんな母を私はとても尊敬する。

濃厚な経験の最後に残されたのは、美しい感謝の心だった。

素晴らしい置き土産を母に授けて旅立った父に

ありがとうございました。


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