いのちのいちにち

 


写真∶1月18日に偶然撮影した彩雲(この日、結果的に生きた父との最後の面会日となった。)


☆1月22日 

午前3時過ぎ

父の病院から、母の携帯電話へ連絡が入った。「呼吸がおかしくなっている。間に合わないかもしれないけど、これからこちらに来られますか?」とのこと。

千葉に住む母と姉が車で向かうことに。私は母から「〇〇ちゃんは、あぶないから家にいなさい。後で連絡するから。」と言われ東京の自宅で待機。

母と姉が病室に到着した時、既に父の呼吸は止まっていた。まだ体はあたたかかった。看護師から、「酸素を送るチューブを外しますか?」と聞かれた。母は、(一旦亡くなった人が、また蘇生することもある。)と思い、「一番弱くていいので、そのまま酸素を送ってほしい。」と看護師にお願いをした。明け方なので、宿直の医師が病室に到着するまで、しばらく待たされた。ようやく医師が来て、4時37分に死亡が確認された。

すぐに、父が生前積み立てをしていた葬儀会社へ電話連絡。地元の葬儀場は安置所が満床だったので、急遽、車で1時間ほど離れた支店の方へ移送されることに。二人はバタバタと病院を後にした。病室で死を悼むゆとりなど無かった。

母は一旦自宅へ。姉は、役所へ必要書類を取りに行ったり、写真店に寄って、遺影を注文した。このように母と姉が走り回っている間、私は東京の自宅でぼんやりとしていた。何も手につかないので、日の出の写真を撮影したりしていた。「なんで今朝の空はこんなに美しいのだろう」と思った。「そうだ・・・とにかくお腹に何か入れておこう」と思い立ち、しっかり朝食をとった。夫が仕事を休んでくれることになった。

前触れもなく、胸部に鋭い痛みが走った。心臓のちょっと上あたりか。なんの痛みだかまったく見当もつかなかった。一瞬、心筋梗塞?というワードが頭をよぎったが、すぐに打ち消した。とんでもない・・・こんな時に倒れている場合ではない。父のことが大変な状況で、私も便乗してどうする。しっかりしろ私!自分に喝を入れたら、痛みは少しだけ和らいだ。心と体の連動がうまくいっていないのかもしれないと思った。心の痛みを感情でうまく表現できないので、体に現れるということもあるのかもしれなかった。

自分の感情がよくわからなかった。涙が出るわけでもなく、感情で反応するというスイッチが壊れてしまったかのようだった。これはどうしたことだろう。内面は、凪であった。こういうものなのだろうか。思考はお休み状態となり、潜在意識優位の脳波になっていたようだ。大きな出来事が起こった時、人間は本能的に潜在能力を発揮できるよう、自然に脳波をコントロールするものなのかもしれない。


☆お昼過ぎ

葬儀会社の一時安置所へ出かけた。既に母、姉、姪が面会室に到着していて、母は目を泣き腫らしていた。横たえられた父は、母が用意した新品の浴衣を着せられ、薄化粧を施されていた。口をパカッと開けたままであったが、穏やかな表情だった。苦しまずに逝ったようでほっとした。顔を見ていると、ただ眠っているだけのような気がした。母は、「お願いだからもう一回目を開けて。逝かないで。」と父に話しかけながら、頭や顔を撫でていた。

私は、相変わらず思考は働いていなかったため、何の言葉も出てこなかったが、静かに涙が流れた。どんな感情なのか、よくわからないままであった。父のゴワゴワした白髪頭をそっと撫でた。89年頑張ってきた父に「お疲れ様。頑張ったね。」と心の中でねぎらった。額にそっと触れてみたらひんやりとしていた。先日病院に面会に行った時の肉体のあたたかさが思い出された。父はあの時、意思の疎通はできなかったけど、しっかり生きていたのだ。生きているって、あたたかいんだなあと思った。


☆午後から夕方

母、姉、姪、夫、私の5人で実家近くのファミレスへランチを食べに行くことにした。母は、「頑張ろう!」と私の肩に手を置いて、力づけてくれた。母はおそらく食欲もなかっただろうが、しっかり食べていた。母が穏やかだったので、安心した。もっと取り乱した状態になるかと思っていたが、母は意外にもしっかりしていた。

父の急な入院から一か月。その間に心の準備をしてきたからであろう。もしかしたら、父は、母が大丈夫になるのを見計らって、もう自分の死を受け入れられると判断できたから、この日旅立ったのではないかと思った。父の母への思いやりを感じた。魂の計画に無駄は無いのだ。

このファミレスは、父が大好きな店で、何十年間に渡り、何度も家族で通った。「お父さんも、今、一緒にここにいて、きっと笑っているよね。」と誰かが言った。私もそんな気がしていた。店長さんは父を昔から知っているので、今朝亡くなったことを知らせると涙ぐんでくれた。「父は、この店が大好きだったので。遺影の写真もここで撮影したものを使うんです。」と姉が店長さんに話していた。言葉無く頭を下げてくださった店長さんの真心が伝わってきた。

さて、世帯主が死亡すると、役所や公共料金など、さまざまな手続きが必要となる。この一週間いろいろ手続きのお手伝いをしようと申し出たら、「ほとんど前もってできることは終わっているから大丈夫」とのこと。生前、父は自分が亡くなった後に家族が困らないよう、やるべき手続きをすべて手書きでメモに残してくれていたそうだ。母と姉は、この一か月の間、そのメモを片手に、少しずつ準備をしてきていた。既にお棺に入れるものも用意済だとか。さすが、父は書類のプロである(父は銀行員だった)。父の旅立ちは、なんてスマートなのだろうとあらためて感嘆した。

葬儀は1週間後に決まった。

後、残っているのは、年金と相続、土地の名義の手続きくらいのようだ。それはそんなに急がないので、ゆっくりやろう。


☆医師の押印が無い!?

私「それはそうと、死亡届はもう出したの?」

姉「え?葬儀会社がやってくれるんじゃないの?」

私「病院から何か書類もらってない?」

母「原本は私が持っているわ。コピーを5枚とったの。テレビでやっていたのよね。こういうの、コピーが必要だって。」

コピーを取った母はえらいと思ったが、大変な行き違いが発生しているようだ。どうやら病院側は何の説明もなく母に死亡届の書類を渡したらしい。あやうく、埋葬許可証が無いまま火葬場へ行くことになったかも。(その前に葬儀会社の担当が確認してきたと思うが・・・)

早速、母がとっておいてくれたコピーに、死亡届記入の練習をすることにした。そこで、気が付いた。医師の押印が無い!病院側もよほど慌てていたのだろうか。これで役所で通用するものなのかどうか、明日葬儀会社に確認することとした。

ファミレスのテーブルで、笑い合いながら、死亡届を記入する私たちの姿を客観的に眺めると、シュールで何だか面白いな~と思ったので、つい記念写真を撮った。父もニコニコ笑って見ていてくれているような気がした。「まあ、まかせるから、うまいことやってくれ。」と・・・。

ファミレス駐車場で母と別れた。夫と私は、母をハグした。「がんばろう」と背中を軽くたたき合った。母を姉に任せて、私たちは一路東京へ戻った。


☆1月23日朝

母とLINEのやりとり

私「今、△くん(夫のこと)が起きてきて、夢にうちのお父さんが出てきたそうです。みんなでどこかに出かけている場面で、お父さん、楽しそうにしていたとか。いろいろ旅行行ったり、お出かけしたりしたこと。お父さんにとって、とても嬉しくて幸せだったよと知らせてくれたのかもしれませんね。

△くんは、たまにですが、昔から故人を夢に見る体質で、きっとあちらの世界とつながりやすいのだと思います。お父さん、笑っているようなので安心してくださいね。」

母「嬉しいね。〇〇ちゃんをよろしくとの思いで夢で知らせてきたのね。いろいろな意味で心強いです。いつも上から見ていてくれるので心配かけないように生活していかなければと思います。触ることできないのはどうしようもなく寂しいです。こうして打っていると涙が出ます。」

私「私は夢も見ないで熟睡してました。お父さんは、お母さんやお姉さんにも「こちらは大丈夫だよ。いろいろありがとう」と伝えたいのではないかと感じました。いつもそばにいるので大丈夫ですよ。今日も一日そばにお父さんを感じながら安心してお過ごしくださいね。」


☆夫の携帯電話の不思議な現象

さて、夫は、自分の携帯電話を触っていて、しきりに首をかしげていた。急に充電ができなくなり、84%から数字が上がらなくなったと言う。もしかしたら、充電コードの不具合かもしれないので、私の携帯電話もコードにつないでみたら、夫と同じ84%で止まっていた。まったく別々の機器であり、昨夜からの充電のタイミングも、使用状況も違うのに、この偶然は何なのだろう?と鳥肌が立った。

私の携帯の充電は結果的に大丈夫だったが、夫の携帯は何をやっても不調なままだったので、電車に乗って修理を受け付けてくれるショップへ慌てて出かけた。この時期、携帯電話が使えないのは不自由すぎる。夫は、仕事のやり取りもあるので、気が気でないようだった。

私はふと思ったのだ。電子機器に急に異常が生じる場合、原因は二つ考えられる。

ひとつは、本人の波動が急激に上がった時。もうひとつは、目に見えない存在が何らかのメッセージを伝えてきている時だ。

私「これ、お父さんが何か合図してきてくれたんじゃない?皆をよろしくね。とか言いたいんじゃない?ショップに持っていったら、何事もなく直っていたりしてね。」

そして、それは本当になった。ショップで充電してみたら、何の問題もなかった。半信半疑で帰宅し、充電コードにつないでみたところ、今度はしっかり100%まで充電できた。

夫の夢のこともあり、直後の不思議な現象が続いたのもあり。

父なりの、おちゃめなメッセージだったのではないかなと、今は信じている。




コメント

このブログの人気の投稿

ヘミシンク体験~炎のビジョン

ジオバランサー(波動調整装置)体験記①

誕生日宇宙会議