父と娘~魂のご縁から見えてきたもの

 12月21日

父入院

食事をしなくなり、ひたすら眠っている。担当医師は、父が入院して以来、一度もお話をしていないと語った。以前からの父の希望通り、延命治療(胃ろう含む)はお断りしている。現在は点滴による栄養補給のみ。家族全員、父の死をリアルに覚悟する。


12月29日

入院後初めて母と姉が面会に訪れる。コロナ濃厚接触者としての入院でもあったため隔離期間が明けてようやく面談が叶う。父は、イビキをかいていて、昏々と眠り続けている。意思の疎通が一切出来ず。母はショックを受け「最後にもう一度だけでも話をしたい。」と泣く。翌日は私が面会に行く予定だったが、予約が取れず断念。


1月1日

姉と姪が面会に訪れる。面会は2名まで15分間(要予約)のため、母は部屋に入れず外で待つ。姉は父の様子を動画で撮影。相変わらず眠ったままでありコミュニケーション出来ず。痰がつまっていて呼吸が苦しそう。目ヤニがたくさんついていたので、拭いてきたとのこと。


1月2日

母と姉が面会。母が話しかけると、父は初めて薄目を開けてくれる。「痛い・・・」と3回くらい声を出す。

後から担当看護師さんに動画を見てもらったところ、「目を開けたり声を出しているところを初めて見た!」と驚かれる。「やはり、ご家族の声が分かるんですね~。」と。

後から母に「声を出してくれて、目も開けてくれて良かったじゃない。」と言ったら、「そんなんじゃ足りないわよ。もっと話したい。」とご不満な様子。


1月4日

母からLINE

撮りためてきた父の動画を二日間、飽きずに眺めていたそうだ。1月2日の動画の中で、母が「家に帰ろうね。一緒に暮らそう。」と父に話しかけた瞬間、父が目をそらして、顔を少し横に向けてしまったシーンに気が付き、罪悪感が一気に噴出してしまったらしい。

母「施設に入れたこと悔しいんですね。申し訳なくて、どうしたらいいか頭真っ白です。お父さんの面会つらいです。消えてしまいたいです。あわせる顔ないです。何度も動画見てもうどうしようもないですね。お父さんの心を傷つけてしまいまい。今までお父さんのこといろいろ頑張って自分なりにお世話してきたこと何もならなかったです。取り返しのつかないことをしてしまいました。」

母は、一晩激しく泣き続け、疲れ切ったおかげで、今までになくぐっすり眠れたそうだ。

どうやら、母に必要な浄化(ネガティブエネルギーの手放し)のために感情の爆発が起こっていた様子。

後から母は自らを振り返り、

「(泣く)きっかけは何でもよかったのだと思う。自分の中にずっと罪悪感があったから、何を見たとしても気になっているところにつながってしまったんだと思う。それを出したかったんだと思う。疲れたおかげで久々にぐっすり眠れたわ。」と晴れ晴れした表情で語っていた。

辛く悲しい感情の噴出を体験した母は、自己否定の嵐に翻弄され、渦中はどれだけ苦しかったことだろう。しかし、母のすごいところは、翌日に自らを省みて、客観的に体験の意味を見出しているところだろう。

心理学や精神世界をある程度学んできたと自負する私。しかし、母のように専門知識が無い人であっても、無意識に必要な体験を通して自力で成長していくものなのだと、一人ひとりの回復力をあらためて信頼する気持ちになった。母は、父のことを通して、感情のジェットコースターを味わいながら、魂を磨いている(気づきを得ている)。私の方が、そんな母から学びをいただいている。どんな人生も、尊いのだと、あらためて感動した。


1月5日

母と私で面会に出かける。

昨日の大泣き事件を笑いながら語る母を、あらためて、眩しい思いで眺める。

父は、昏々と眠っており、母がどんなに「目を開けて、元気な顔を見せて。」と声掛けをしても、眠り続けていた。

私は気が付いていた。父は眠りながらも、私たちの声に反応していることを。通常は、ス~ス~とした静かな寝息なのに、私たちが何か話しかけるたびに、イビキが大きくなるのだ。声で表現できない父は、何とかイビキで「は~い。聞こえているよ。うんうん。そうなんだね。」と私たちに一生懸命合図していたのではないかと思う。

例えば、植物状態の患者であっても、実は耳は聞こえており、瞬きや指のかすかな動きでコミュニケーションを取れるようになった話を聞いたことがある。父にとってのコミュニケーション手段は、イビキだったのではないかと思うのだ。後から動画を見て確信を得たのだが、話しかけるたびに、それに呼応するかのようにイビキが大きくなっていた。

父がいつ旅立つことになるのかわからないので、父に伝えておきたいことを今回、きちんと言葉にすることにした。父の耳元で、声をかける。

「お父さん、久しぶり。私、〇〇だよ。また面会に来るけどね。お父さん、ありがとう。育ててくれてありがとう。お父さん、大好き。お父さん、大好き。」

本当は、病院に到着するまでに、電車の中で父にかける言葉を考えていて、「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」をベースに、伝えたいことを整理していたのだが、実際に言葉に出来たのは、とてもシンプルだった。父という存在を前にして、父そのものを全身で感じながら私が発した言葉は、「ありがとう。大好き。」これだけだった。これが真なる私の想いであり、装飾は何も必要無かった。今世、魂の約束の元にご縁を結ばされた父と娘という配役を通し、父は立派に私に対する役割を果たしてくれた。私はそこからたくさんのことを学んで魂を磨いてきた。

配役上の「ごめんなさい。」はいらない。例えば、嫌な父としてアレコレの出来事があり、そこに対する恨みつらみがあったとしても、互いの魂は了解済みだった。その配役を演じることで、必要な気づきに至れたのなら、魂の目的は果たされた。素直に「ありがとう。大好き」でいいのだという、まっすぐな気持ちになっていた。

電車の中でのシミュレーションでは、シリアスな気持ちとなりボロボロ泣いていたのだが、今、実際に心からのメッセージを伝えている本番で、私は妙に優しく温かい気持ちになっていて、予想していた涙は流れなかった。本心から、魂の想いを込めて、素直な「ありがとう。大好き。」を伝え、おおらかで、深く幸せな瞬間を味わった。

すべての着ぐるみや装飾を捨て去った時、何が残るのだろう。無理やり言葉にすれば、私そのものとは、至福、歓喜、感謝のエネルギーだ。と言えるかもしれない。私は55年間の父との関係を通し、最終的にこの気づきに至れたのだった。

私の声に応じて、父は頭を微かに動かして、高らかなイビキで反応を返してくれた。父の明確な言葉を知ることは叶わなかったが、父からの愛の応答であるイビキと、体温の感触は私の今後の人生のお守りになるだろうと思った。

私は父から愛された。そして私も父を愛した。理屈を超えての確信だった。存在そのもののエネルギーがそのことを圧倒的な力で伝えてきていた。私は頭ではなく、全身の細胞でそのことを理解した。そういえば、私の細胞は父からもらった遺伝子でできているんだった。父は私の中に生きていて、父だけでなく、人類創成から連綿とつながる愛が、私の中に宿っているんだなあと、そんな壮大なことをぼんやりと想った。

病院を後にした母と私は、何だか晴れ晴れとした気持ちとなっていた。不思議なのだが、神社でお祓いをしてもらった後のようにスッキリと軽くなっていた。

眠っているだけの父であったが、私たちは確かに父から目に見えないけれど愛を伝えられ、癒されたのだろうと思う。

まだまだ、外側の世界からの誘惑に、ついつい翻弄されてしまう私たちであるが、父の旅立ちへのプロセスにご一緒させてもらうという貴重な経験を通して、本質の片鱗に触れることが出来ているのかもしれない。

1月1日には能登半島の大地震が。1月2日には航空機事故が立て続けに起こった。2024年は大波乱の幕開けとなり、うっかりすると嵐が嵐を引き寄せていく連鎖につながりそうでもある。

外側の出来事を鏡として、自分の内面に何を見つけていくのか。自分の中の戦いをいかに終わらせていくのか。このような意識をもって、一つひとつの体験とご縁に感謝しながら、2024年も魂を磨いていきたいと願っている。


ただし、これだけは言えるかもしれない。

例え、どんなことが起きて、肉体を離れることになったとしても、私はその瞬間にこう叫ぶだろうな。

「あ~楽しかった!ありがとう!」と。


☆8のシンクロ

先ほど、母にLINEメッセージを打っていて、誤変換されたのか

8888888

と8の数字の羅列が不意に表示された。

12月26日のブログ投稿、催眠状態で父と対話を試みた際も

「8」 という数字のメッセージを受け取っていた。

8は、スピリチュアル的には無限やループ、永遠を表す数字でもあり

日本でも末広がりの意味から幸運を表すと言われている。

度重なる「8」を宇宙メッセージと捉えるなら何を意味しているのだろうか。

後から答え合わせが出来ると思うので、ここにメモを残しておく。


☆追記

1月6日

夫の母のお墓参りへ出かけた。いよいよ夫の父の認知症が進み、遠方の施設に入ることとなる。義父にとって最善に事が運びますよう、義母に見守りをお願いした。

夫は、墓前で手を合わせ、「大丈夫。ちゃんと(義父に)言い聞かせておくから。」とメッセージを受け取ったとのこと。

以前、義父はショートステイで施設に滞在した際に、大変取り乱し、知り合いに電話をかけまくり、ちょっとした騒動になった。ハンガーストライキも起こしたらしい。施設の職員さんからは、「普段甘やかしているからこうなるんだ」と叱られた。義父は義母が亡くなった後20年ほど、同居人の女性がいて、長年に渡り、全てのお世話をしてもらっていた。いつも、この女性には苦労をかけている。

「言い聞かせておく」という義母メッセージに、おもわず笑ってしまった。義父が取り乱した時には「あんた、我が儘言わず、大人しくしてなさい!」と、天から一喝してくれそうで、心強い。

墓前で撮影した写真にも、不思議な光が写っていたので、「全て、最善に事は運ぶから安心しなさい。」と伝えられたような気持ちになった。

気持ちが楽になったので、足立区北千住で電車を降りて、荒川沿いに河川敷を7キロ散歩しながら、徒歩で帰った。電車で1時間半かかるところだが、川沿いに真っ直ぐに歩いたら2時間くらいだった。空は真っ青で、水面も美しく、鳥の声や広大な景色に心身癒やされた。




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