秋分のエネルギーに導かれて
9月に入っても、相変わらずの暑さだった。夏バテだったのか、珍しく数日グッタリしていた。
ただし、体調が悪いと、自身がより純粋になれることも理解できたので、必要なことだった。
体がうごけば、やらなくていいことも(魂の本音は求めていないこと。思考で外側を気にしてやろうとしていること)出来てしまうからだ。思考は相変わらずの心配性だ。
それが、もう本音でしか生きられない体になってしまった(笑)
ハイヤーセルフと一体となり、魂の求めに応じてやりたいことをやっていく。
(魂が)やりたくないことはやらない。
無理にやろうとすると、天気や体調が悪化したり、相手側とタイミングが合わなくなり、結果的に、予定そのものが消えてしまう。現実は分かりやすくメッセージを伝えてくる。現実は内面の鏡ということがよく分かる。
魂と思考が分離していた時は、エゴがやりたくないことも、魂には必要な学びであれば、どんなに苦しくても、体験する羽目になっていた。地の時代は、外側からいかに認められるか、個性を消して周りに貢献できるかが求められていた。エゴは魂の目的を知らないので、ひたすら苦しかった。エゴは私そのものだという勘違い。これも必要な学びだった。
風の時代に入り、個性は個性のままに、活かせるようになった。次なる学びのステージへ移行した。
足りない自分、出来ない自分を責めたり、過去を悔やみ未来の輝かしい姿を追い求め、欠乏感に苛まれ、自我を肥大化させるループから自由になっていく人々が増えてきた。
さて、
荒天から一転、23日には空気がすっかり入れ替わった。秋分の日から、本当に涼しくなった!地球の仕組みはうまくできている。宇宙エネルギーにより陰陽のバランスが整えられていく。私たちは、やはり、自然(宇宙波動)に生かされている。本来は波動そのものの存在、つまりエネルギー体であるという本質を思い出すことになる。
陰陽を整えられる過程では、例えば陰のエネルギーに偏っていた場合、多くの手放しが否応なしに行われていたはずだ。不快な感情が湧き上がってきたり、病や事故として無理やり自己の内面と向き合わされる現実を体験した方もいるだろう。
最近、嫌なことばかり起きた。運が悪いとこぼしていたとしても、おそらく秋分を過ぎて、不思議と渦中を抜け出せたようなスッキリ感を味わっていると思われる。
私たちは、無意識に大きな宇宙の流れに沿って、進まされている。逆らって抵抗していたとしても(現実を受け入れないのでメチャクチャ苦しい)宇宙から見れば、ホンの一瞬の引っ掛かりでしかない。いずれ大局から人生を眺めれば、すべてが収まるべきところにスッキリ収まって、ああ、これで良かったんだなあと、腑に落ちる。そういう風になっている。だって、私たちは、永遠に循環するエネルギーそのものなのだから。今、一瞬の夢から目覚めれば、分離などそもそも無かったことに気づく。
気づきと気づきの狭間にいる「私」という意識を、味わえばいい。大いなる宇宙の挑戦を魂の役割として、純粋に楽しめばいい。
魂の役割を天命と表現する人もいる。
秋分の日に、友人Sさんのリアル講座が開催され、私もお手伝い参加させていただいた。Sさんは子どもたちの未来創造のために、参加されたママさんたちに新時代のあり方を提案されたのだった。
Sさんは、個性をジクソーパズルの1ピースと表現していた。
私たち一人ひとりは、個性ある存在。凹凸があり、得意不得意がある。今までの価値観では、凹凸を均し、丸くなるよう求められた。出来ないことは出来るように。出来すぎるところは出過ぎないように。凹凸は許されなかった。平均的で無難である姿こそが安全な生き方と教えられた。皆我慢して生きているから、自由な人を見ると批判して凸を削り取ろうと傷つけ合った。それを正義であると信じて。
Sさんは言う。
凹凸のままでいい。出来ないことは誰か得意な人が補う。反対に自分が得意なことで誰かの凹を補う。皆がこんな気持ちで凹凸を繋げていけば、一枚の美しい絵が創造されていく。
例えば、会場にはお子様連れで参加された女性がいらっしゃったのだが、お子様の一人が発育の遅れがあるとのことだった。母親は、その子の個性を「心がとても優しい」と表現されていた。
発育の違いにより、難しい数式も言葉も記憶できないかもしれないが、誰よりも優しい心の持ち主だとすれば、その子の存在はどれだけ周りを癒やすだろう。
一人ひとりに対して、そのような眼差しで個性を捉え、存在を認めていくことの大切さを、Sさんは四魂(荒魂、幸魂、奇魂、和魂)で説明されていた。ちょうど私も出口光氏の四魂についての本を読んでいたので、シンクロに驚いた。
言葉にエネルギーがあるということも、炊き立てのお米に「ありがとう」「バカヤロー」と書いた紙を貼り付けた実験を写真で紹介されたり、脳は否定形を理解できないという説明も興味深かった。
あらためて、私も家族に「そんなことすると、◯◯になっちゃうよ!」と、恐怖心を煽る言葉がけを頻繁にしていたことを反省した。反射的に口にしてしまう言葉に気をつけたいと思った。
会場に来ていた10歳の女の子は、アンケートに答えて「もっと優しい心を持ちたいと思った。」と書いてくれていた。大人だけでなく、子どもたちの心にも響く、あたたかな講座となった。Sさんの大きな愛が会場全体を包んでいた。
講座中に、今日一番のギフトをいただいていた。
参加者同士ペアを組み、互いに目を見つめながら、「あいしてる」「ありがとう」を10回言い合うというプチワークでの出来事。
途中から、涙がボロボロこぼれてきて、ハートが震えて、我ながら驚いてしまった。いったい私に何が起きた?!
とても言葉に変換できない領域の気づきなので、上手く書けないが、敢えて言葉にしてみる。
「あいしてる」は、日頃使うことはないが、仮に言葉にするなら、相手は家族や大好きな人に限定されていただろう。また、「ありがとう」も、◯◯してくれたという、条件付きの感情から発せられていたように思う。
ところがこの日、初対面の女性から目を見つめられて「あいしている」と10回言葉がけされた時に、ハートがいきなりパッカーンと開いてしまったのだ。崇高なエネルギーが滝のように流れこんできて、私の心身は、ただ、涙を流すという反応しか取れなかった。言葉を超えた崇高さに触れた時に、人は涙を流すことしかできなくなる。根源の宇宙エネルギー(愛)を思い出すからだろうか。
そこに条件は一切無かった。知っている人とか、知らない人とかも関係無い。ただ、ただ、ありがとう。存在してくれて、今日出会ってくれて、今生きていてくれて、愛を伝えてくれて、ありがとうという、ものすごく広がった気持ちになったのだ。今まで設定していた境界線が、何倍も外側に広がり、私という世界があらゆる存在に溶けていくような、そんな感覚になった。
感謝で私のハートがいっぱいになって、膨らみ過ぎて、パーンと弾けたら、すべてが愛のエネルギーに満たされていたことに気がついた。ぜんぶ、ぜんぶ。今までも、今も、これからも、ずっと。
講座が終了し、Sさんを囲んで、仲間たちで打ち上げをした。皆、自分の得意な分野を活かして、互いの魂を輝かせたり、子どもたちの美しい未来を創り出すお役目に邁進されている方々ばかりだ。
時代の過渡期に、魂の個性を活かすチャンスを得て、なんと面白い時代に私たちは生かされているのだろう。
この素晴らしい出会いに感化され、喜びに満たされ、軽々と宇宙の流れに乗っていきたいものだ。
さあ、次なるステージへ。
Sさんと、魂の再会をしたおかげで、私も遅ればせながらも天命に生きる流れに合流できたような気がする。
目を覚まさせてくれた、素晴らしい仲間たちに心から感謝している。
コメント
コメントを投稿