ケイシーのカルマ解消法~腹が立った時に
昨夜、何気なく聴いていたYouTubeに、日本エドガーケイシーセンター会長の光田秀先生が出演されていた。
光田先生のお話は、ユーモアがあって、光とエネルギーに満ち溢れ、とても好きだ。最近、いろんなYouTube番組に引っ張りだこなご様子。時代がケイシーの教えを求めているのだろうか。
今日、ここにご紹介するのは、きれい・ねっと『驚きのカルマ解消法 光田秀先生が明かすエドガー・ケイシーの教え』(8月19日公開)の内容だ。
最近起きた不快な出来事について、数日悶々としていたのだが、意味がストンと腑に落ちた。同じような悩みを抱えている方もいると思うので、この投稿が何らかのきっかけになってくれたら嬉しい。きっと、この仕組みを知っておくと、ずっと楽に生きられるようになると思う。以下、概要を記すので、気になる方はぜひ、YouTubeで視聴ください。
【人から嫌な事をされた時にこそ!】
親切、忍耐、寛容、愛情、思いやりが大切なのは、頭ではよく分かっている。
しかし、人から嫌なことをされた時、なかなか相手に優しくできるものではない。つい、怒りや悲しみなどの感情に負けて、態度や言葉に現れてしまうものだ。
エドガー・ケイシーは、なぜ、忍耐や寛容の大切さを説いたのだろうか?
その理由が分かれば、今後、嫌な事が起きた時に、感情に翻弄されることは減るだろう。
腑に落ちれば、実践は容易になるに違いない。
【魂の欲求とは】
魂は、何度も生まれ変わってくるたびに、いくらかでも霊的成長を遂げたいと思って来る。
いくらかでも霊性を鍛錬したいのだ。
霊性さえ鍛錬できていれば病弱でも、お金が無くても関係ない。
魂は余裕で病気や貧困に苦しむ人生を選ぶ。
自分の霊性が鍛錬されると思えば、そういう環境を選ぶ。
魂の欲求は少しでも自らの霊性を高めること。
そのために生まれてきている。
では、どう鍛錬すればよいのか。
自らを高めるために様々な仕組みが出来上がっている。
【霊性を高めるための仕組み】
『ヨハネの黙示録』を参考にしたもの。
私たちがどのように地上に生まれて来て、霊性を高めようとしているかの仕組みの図を番組内で提示される。
~顕在意識、潜在意識、超意識の三層構造~
・顕在意識の反応(怒り、憎しみ、愛情)
・潜在意識(クラスタ:想念、感情のかたまり)=あまり思いだしたくない思い
・超意識(個々の前世の記憶)
人と人は、互いに刺激し引き合う(反発)
*ぜひYouTubeでご覧ください。とても分かりやすい図でした。
【前世は未だに意識活動中!?】
前世は単なる記憶ではない。未だに意識活動をしている。
前世の意識と、コミュニケーションを取ることができるし、話もできる。ある意味人生に憑依することがある。
光田先生のケース
講演をしていると、寺子屋の先生だった時の前世が出てくる。また、ツアーをすると、民族大移動時代のサブリーダーだった前世が出てきて、頑張れるのだとか。
【魂は、前世のエネルギーにどう対処しているのか】
人に対する恨み・怒り・悲しみを 未だにくっつけている前世もいる。
これがやっかい。
では、魂はこの状態を見て、どうするのか?
前世から激しい憎しみを持ってきたとする。
魂は炎症状態だ。浄化しなきゃならないが、自分では浄化しきれない。
そこで、同じような怒りを抱えている人を呼び込む。前世で関りのあった人と引き合うことが多い。
前世で仲たがいした夫婦のケース。
魂は前世の諍いを今世でクリアにしたい。顕在意識には自由意思がある。魂は深い所でつながっている。魂は、驚くべきことをする。電車の中で偶然会うなど、魂はやろうとすればいろんなことをしてくる。仲たがいした相手など、見た瞬間に嫌うはずなのに、魂は解消しようとするので、何と!惚れるホルモンを出させる。(内分泌系と星の深い関り)結婚した時に正気にかえる(ホルモンが止まる)。魂はこうやって道場を作り、弱点を克服させる場面を作る。
もう、受け入れるしかない。怒りを持った人と(怒りを発散させる場面に)次々出会うことになる。「なんで自分ばかりこんな目に遭うのか。」と嘆きたくなるだろうが、それを実現するにふさわしいパートナーに出逢う。クリアにするとその現象が出なくなり自由になる。
【怒りたくなる現象ばかりに遭遇する理由】
怒りの前世をたくさん持っている人は怒りの場面に遭遇するようになっている。
潜在意識の中に怒りの塊を作る。これが時々エネルギーがいっぱいになると、魂は自己表現したがって、発散するために仲の悪い人とわざわざ遭遇するように仕向ける。魂から見れば嬉しい事だが、頭からすれば苦しいことだ。魂は自分の中にある弱点部分を解消しようとする意欲にあふれているのでそういうことしてくる。
これを頭で了解するといろんなことが説明つくようになる。
【自由意思との関係】
重要なのは、仏陀の修行法にしろ、ケイシーの教えにしろ、私たちは、自分の自由意思を使っているという点だ。
腹立たしい現象が起きた時、(自由意思により)ムカッと腹を立てていたならば、この前世がいつまでたっても浄化されない。腹立たしい現象が起きた時「これは自分の中に浄化しなければならないものがあるんだ!」と発想し、それを解かすような努力をし始めるとカルマが解けてくる。
【カルマを解かすために何をすればいいのか】
具体的には、仏陀の言う三毒(貪瞋痴)を外していく。
ケイシー流に言うなら、邪悪の果実(三毒)のこと。
そして、霊の果実(親切・忍耐・寛容・愛情・思いやり)を自分の中に取り入れる。
【カルマの応酬とは】
今までは、悪口を言われたら言い返していた。
それだとカルマの応酬で、浄化がいつまでも終わらない。
仏陀は「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みを捨ててこそ息む。」と言っている。
怨みに対し、思いやりを返せば、それによりカルマが解消される。忍耐をして思いやりを返すと、その意識が超意識に入り、自分を今まで苦しめていた前世の憎しみが解けていく。
【無意識の反撃】
この時、何が起きるか。
顕在意識+潜在意識+超意識により、ひとつの意識体を作っているので、自分が破壊されると言う恐怖を感じる。
自分の心を浄化しようと始めると、
「あら?なんか私、邪魔者みたいに消されようとしている?」とそれに反撃を始める。それをあらかじめこちらで知っておかなければならない。
自分の浄化を目指し始めたなら、絶対に無意識は反撃する。
ケイシーは、この反撃を「カルマの洗い出し現象」「カルマの加速現象」と呼ぶ。
一時にバーッとカルマが出るので、「私は瞑想して心を落ち着けようとしているのに、浄化しようとしているのに、何で私の人生こんな嫌なこと起きるの?」となる。
それはあくまでも仮の現象なので、私たちの人生を根底から破壊する力は無い。
でも、私たちは焦ると、また元の木阿弥に戻ってしまう。
【反撃への対処とは】
こここそ!辛抱のしどころと了解して、思いやりをさらに出し続ける。
悪口を言われて、思いやりを返す。
主イエスは、十字架にかけられる時に、自分の手首に杭を打っている人に対して、神に祈った。
「父よ、この人たちは自分が何をしているのか知らないのです。どうぞこの人たちに罪が及びませんように。」
ケイシーはこのキリストに倣いなさいと言っている。
ああ、自分の中に克服すべき何かがあるんだと、それを克服する道はカルマの応酬ではなくて、こここそ思いやり・愛を相手に返し続ける。そうすると必ず解ける。
【なかなか解消できないとしても】
時間がかかるものもあるかもしれない。
数か月かかるかもしれない。一年かも。
でも必ず解けることになっている。
なぜなら解けると踏んでいるから魂は出してきた。今回の人生でそれを解消しうると踏んでから試練を与える。
試練を解消できないと踏んだなら、魂は無理難題を出さない。
【魂は自分に期待をかけている!】
無理難題を出してきているということは、魂は自分に期待をかけているということ。
なのでここぞと踏ん張る。
自分の人生に嫌なことが次々起きたように思えても、その時こそ、「今自分の無意識や超意識の世界にあるネガティブなエネルギーが解けようとしているのだ!」と。
そしてひたすら霊の果実で、うまく解かし続ける。
邪悪の果実を蒔かないようにする。もし邪悪の果実を蒔いたなら、過去世の憎しみがさらに強められてしまう。
これはもったいない。
【ヨハネの黙示録】
しばらくは反撃してくるが。そのプロセスを書いている本が『ヨハネの黙示録』第十二章「女とドラゴン」
天:超意識 海:潜在意識 陸:顕在意識 竜:反撃 七つの冠:人間の内分泌腺(霊的中枢の象徴) を象徴している。
必ずこのドラゴンと対面しなければならないことになっている。
ドラゴンを退治するには、貪瞋痴を消していく。怒りたくなった時に忍耐する。高い次元で解消する。腹を立てる=カルマの応酬=同じ次元で動くこと。それを超えた次元で動く。
そうすれば、天のドラゴンがついに地上に投げ出され住む場所が無くなる。ドラゴンの影響力はまだ海と陸に残っているのでまた出てくる。これと私たちは対していく。霊的成長のプロセスをきわめて細かく指導する指南書。
【プロセスを楽しむ】
「楽しいよ~。」と光田先生は笑う。
そのいかにも楽し気な笑顔を見て、私もそんな気がしてきた。
相手は自分を苛めようと思ってやってくる。明らかに相手の意図が悪意だとする。こちらは最大の思いやりの眼差しで返す。
光田先生「楽しいよ。相手は、絶対気持ち悪がる。どういう風に意地悪をしても、優しい言葉で返してきやがる!というところまでやらないと。意地悪されてもお茶を出す!」
☆
実は、先週、仕事先で嫌な事が起きていた。
尊敬する優しい人物だったのだが、私の対応に感情を露わにしてきた。もちろん私にも反省すべき点はあるが、そのような感情をぶつけられる謂れもないと、悲しい気持ちにもなった。
彼女が露わにした感情は、「自分がないがしろにされている・・・」という自己否定感や自己憐憫、分かりやすく言えば、幼子が拗ねるような気持ちだろうか。「私だって○○なのに!(何であなたは私の指示を素直に聞かないの?)」
尊敬する相手だったが、息苦しさも感じた。
私は、矛盾点を感じたから、そこを明らかにしたかった。それぞれの主張の中から、ベストな選択をしたかった。
相手を責めたり、自分を責めたり、グルグルと思考はめまぐるしく変化し、なかなかネガティブなエネルギーを手放せなかった。
きっと、彼女が露わにした重いエネルギーと同じものが、まだ私の中に潜んでいるんだ。彼女は鏡になってくれて私の浄化を助けてくれているのだ。私の中のこのネガティブエネルギーを味わって感謝して手放そう。
そう認めて、数日格闘した。その重いエネルギーはなかなか私から離れていかなかった。自分の中にあると認めて、味わう渦中は、とても苦しい。逃げ出したくなる。早く楽になりたいと焦る。短絡的な行動に出たくもなってしまう。それでは元の木阿弥だから、耐えるしかないのだが・・・
格闘を始めて四日目にこの番組を観た。
魂は、私に助け船を出してくれたようだ。
ああ、この格闘は「反撃(ドラゴン)」の働きだったのか。
なるほどなあ~。
ジタバタしていたわけだ。
今日、これから仕事に行く。
彼女と顔を合わせたら、愛を持って接しようと思う。
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