言葉に出して表現できなくなったインナーチャイルド

退行催眠セミナー最終日の体験を記録する。

☆テーマ

「心の内を言葉に出して表現することが今世の課題となっている。表現できなくなってしまった最初の場面を確認したい。」

このテーマは先日、アカシックレコードリーディングで知ったもの。確かに自分には心の内を誰かに伝えることが不得意だと思う。文章に書くことは出来るのだが、お話をするのは苦手意識がある。いろいろ考えてしまって、躊躇してしまうことが多い。TPOだとか、迷惑になるんじゃないかとか、こんなこと言って馬鹿にされるんじゃないかとか。ゴチャゴチャ考えてしまい、不安を募らせてしまう。結果、話すことを諦めてしまう傾向があると思っている。小さい頃に何かあって傷ついたインナーチャイルドがいるなら癒やしたい。 


☆幼少期の楽しい場面へ

三歳。自宅にあった木製の滑り台を眺めている。

小さい私「この滑り台とても好き。これでおうちごっこしたりするの。いろんなやり方で遊べるの。」

想像力豊かに、滑り台をいろんなものに想定して遊んでいた頃を思い出す。


☆問題の場面へ

海にいる。三歳の私は砂浜で、丸い形の貝を見ている。そばに父と母と姉がいる。家族でドライブに来た時のようだ。

皆、それぞれのところに散らばっていて、気ままに好きなことをしている。ちょっと距離があるのを感じている。

小さい私「不思議な感じ。家にいる時は、いつもそばに誰かいるのにいるんだけど、(今日みたいに)離れているのは初めて。ちょっと怖いような・・・さびしいのかな。だって私が何か言っても届かないでしょ。何をしているかも見えないでしょ。だからかな。でも悪い感じでもないけど・・・初めてで、あれ?っていう感じ。」

セラピストから、どうしたいかと質問され、貝殻とお話をしたいと答える。白くて真ん中が桜の模様になっているこの貝殻を可愛いと感じている。私は、貝殻と「何でここにいるの?」と、そういうことを話したいと思っている。お話するとは言っても、言葉で話すわけではなく、こんな感じと感覚で伝わってくるものをキャッチしている。それを幼い私は「お話する」と表現していた。

小さな私は、「言葉で話したわけじゃないよ。こんな感じというのだよ。」と生真面目にセラピストに説明する。

どんなことお話したの?とセラピストから質問される。

小さな私「世界は広いんだよ~。とか。後はね。小さいお家にいるように感じるけど、でもみんないつかはそうやって離れてく。いろんなところに行くんだよ。だから今みたいな感じになるんだよ。これからはね。でも悪い感じじゃなく、皆それぞれそうやって、好きなことやって、好きなところ行って、離れているけど一緒にいる。それでいいんだよ。っていう感じ。広いんだよと言われて、広いって良く分からないけど。でも、海見てたら少しそうなのかなって。」

そのことを誰かに伝えたいかどうかセラピストから質問される。姉に教えてあげることにする。姉は長いワカメみたいのを持って立っている。

小さい私「何いってんの?みたいな感じ。全然伝わらないよ?貝殻さんとお話したのに・・・。」

姉に意識を交代する。

姉「ええっ?だって貝が話すわけない。変じゃん。変なこと言う。それよりワカメで遊ぼう!」

小さい私「だって・・(貝殻さんと)話したもん・・・。」(泣く)

セラピストから、どうしたいか質問される。

小さい私「貝殻さんにごめんなさいって言う。(貝殻に話しかけている様子)お話しなくなっちゃった!(泣く)お姉さんがあんなこと言うから!もう話さなくなっちゃった。ううう・・・(泣く)さっきまでお話したのに。ううう・・・。」

セラピストからどうしたいか質問される。

小さい私「どうしたら・・・どうしようか。いちおうママに言ってみる。」

(ママに話している様子)

小さい私「何か聞いてくれない。何言ってるの?って感じ。それでお姉さんとワカメ持って向こうへ走っていっちゃった。ワカメと遊ぶ方がいいみたい。」少しムッとしている。

セラピストを介して母とやり取り(直接母とやり取りしているのではなく、セラピストに対して話していて、セラピストが仲介してくれている)

母「まあ、子どもってそういう事言うので、ハイハイという感じで聞きました。一緒に何かやりたかったらやればいいと思いますけど・・・。でも声かけてもじっとしているから、傍で様子は見ているし、そこに一人でいたいんだなあと思って。姉の方がワカメで遊ぼうって言っているので今相手をしています。」

小さい私「ワカメなんかいい・・・」

母「好きなように遊べばいいと思いますよ。」

小さな私「別にワカメで遊びたくはないけど、そう言われるとなんかチクンとくる。」

母「なんか、へ~って感じ。ちょっとびっくり。そんな考えなくていい。やりたかったらやればいいし。やりたくなかったら好きな事すればいいし、何か扱いにくいなあって。そばにいるし、近くで遊んでいるし、みんな好きなことして海で遊んでいるので。そこで不貞腐れたければ不貞腐れていればいいですよ。」

小さな私「不貞腐れたくて不貞腐れたわけじゃないのに。どうしたらいいの?どういうふうに・・・。こういう時ってこうなるんじゃないかなあ。でも伝えれば伝えるほどこんなふうになっていっちゃう。もうやだ!伝えない!もういい。」


☆大人の私の登場

小さい私から、大人の私に言いたい事を伝えてもらう。

小さい私「苦しい。だって伝える時は大きい声を出さないといけないから。静かにお話しできないから疲れるし苦しい。」

大人の私からセラピストに説明をする。

大人の私「さっき普通に言って伝わらなかったから、たぶん力込めて言わないと伝わらないと思い込んで。今大きい声で泣きながら怒鳴ってました。「貝殻さんがお話してくれたんだよ!」って。3回くらい。それで疲れちゃったみたいです。」

今どんな気持ちかをセラピストから質問される。

小さい私「もういい・・・もう言わない・・・誰にも言わない。」(明らかにエネルギーが落ちている)

大人の私がどう思うか質問される。

大人の私「今の時代は難しいですよね~。こういうこと言っても、ちゃんと受け止めてくれる人って少ない。自分の心を守るには、そうするしかなかったんだろうなって。だから自分で物語書いたりするようになっていった。雨を主人公にした物語。そうしたら親が喜んでくれた。今そういうの思い出しました。ストーリーだったら「すごいね」って読んでくれる。自分の体験として話すと馬鹿にされる?と言うか聞いてくれないけど。ストーリーにすると作文みたいな感じになるから「良く書けたね」って。だから言葉で話せなくなっちゃったんだなって。今つながりました。だから雨とか水たまりとか雲とか、本当は豊かに話していたのに、だんだん誰かに否定されると、それらがしゃべらなくなっていくので、水たまりさんも、雲さんも、みんなしゃべらなくなっていっちゃうので、それが嫌で、もう誰にもしゃべらないって決めたみたいです。」

大人の私から小さな私に話しかける。

どう思ったのかセラピストから質問される。

小さい私「大人のこの人も、大人になっても空とお話しているって言ってた。良かった。」

まわりに理解してくれる人がいなかったので、同じような人が現れたから安心したのだろう。小さな私は、静かな表情になって、目を細めている(疲れて眠くなっちゃったのかな?)。

小さい私「話聞いてもらえたから。同じだよって言われたから、良かった。」


☆大人の私と小さい私が一緒に遊ぶ

貝殻と一緒におしゃべりする。

小さい私「あのね!貝殻さんはね、恥ずかしくなって黙っちゃったんだって。でもね、優しい人だったらお話できるよって。教えてもらった。」

と、セラピストに喜々として報告をする。


☆安全地帯へ戻る

ハートがあたたかい。


☆ハイアーセルフ

ハイアーセルフからメッセージをもらう。

私「まず、いろいろ、いつもインスピレーションとかで教えてくれて、いろんな体験をさせてくれてありがとうって、感謝の気持ちを伝えました。

今の私へのメッセージは・・・なぜか、「も」という音だけ降りてきました。

例えば〇〇[も] とか、接続詞?を心がけるといいってことなのかな?まだ上手く把握できていないけど。プラスアルファみたいなことかな。表現していくということを 文章だけでなく、こういう形で[も]やってみようとか?ひとつではなく、いろいろチャレンジしてみたら、他の形で[も]表現できるか[も]よみたいな、そういう[も]の音だけでも、色々解釈できて面白い。これからいろいろ温めてみようと思う。[も]って、何かと何かをつなげる役割の音ですよね。増やすとか、相乗効果っていうニュアンスもあるし。解釈するほど深い味わいがありそう。」


☆感想

ああ・・・セラピストを手こずらせた。

とても素敵な受講生さんだったので、すっかり甘えてしまった。

微かに残った顕在意識では、セッション中「この子、何なの?」とハラハラした。

小さな私の意識は、すっかり心許してしまったみたいで、本当にお世話になった。とても言いやすかったのだ。どっぷり真性退行してしまい、そうそう、こんな子だったな~。と思い出していた。

初めて心の内を話して、馬鹿にされたようなことがあって、母に話しても分かってもらえなくて、不貞腐れたいわけではないのに悪意に取られ・・・。「では放っておきましょう」となって、どんどん悲しくなって。「不貞腐れたくて不貞腐れているんじゃないよ~。言わなきゃよかったの?誰にも言わなきゃいいんだ!」となっていく心の動きが、手に取るように感じ取れた。ボタンの掛け違いがあって、何かやればやるほど悪化していく。ああこういうことがあったのね~。と、納得できた。すごく丁寧に言葉がけしてもらったので、小さな子の心の変遷がよく理解できた。それにしても安心して本音を声に出せていたなあ。

セッションが終わった後、この優しい受講生さんは、エネルギーを使い果たし、グッタリされていた。全力で、最後まで諦めずに小さい私に付き添ってくださった。感謝しか無い。

幼い頃、貝殻とお話していたようだが、別に霊能力があり、リーディングしていたわけではない。想像力が豊かすぎて、現実と想像の境目がよく分からなくなっていたのだろう。

また、母と姉がガチガチの唯物論者なわけでもない。幼い頃は、姉と頻繁にごっこ遊びをしていて、想像の世界を満喫していた。時に母も参加して、押入れを馬車に仕立てて、社宅にいながらアメリカの高原を旅したこともある。(大草原の小さな家ごっこ)

この場面は、たまたま話がかみ合わなかっただけであり、その時の姉と母の興味が、ワカメの方に強く惹かれていただけのことである。本当に微妙なボタンの掛け違いにすぎない。

幼い子というのは、他愛のないことで簡単に傷ついてしまうものだ。繊細で壊れやすいハートであるからこそ、思い込みというアイテムを増やしつつ、魂の成長を果たしていくのだろうと思う。こういう複雑な心の仕組みが無いと、豊かなドラマは生まれないわけだから、この世界は神が創ったとしか思えないほど本当に上手くできている。

あの時の母や姉の態度が悪かったから、インナーチャイルドが出来上がっちゃったじゃないか!と責めたいわけではない。結局は、私の魂が課題(心の内を言葉に出して表現する)に取り組むために、家族の魂たちの協力を得て、その配役をやってもらったにすぎない。

ちなみに、夫は、私に輪をかけて繊細で、心優しい人物だ。生き物も、家電も、植物も、お水にさえも、丁寧に話しかけている。

とあるバーベキュー会場で、食材に対してまで「イカさん、タコさん、お魚さん。」と、さんづけして呼んでいる夫のことを、参加者の一人が馬鹿にするような発言をしているのを耳にして、少し腹が立ったことがある。夫にとっては、どの存在も大切なお友達であり、いつも感謝して接しているからこそ、食材にも、さんをつけて呼びたくなるのだと思う。

そんな夫だから、私のぶっ飛び発言も、いつも否定せずニコニコ聞いてくれる。私たちは、よく空の雲を見ながら、「何て言っていると思う?」と自分たちが受け取ったメッセージをシェアし合っている。

どの存在にも意識があるという前提で丁寧に接していると、何か伝わってくるものがある。それは想像なのかもしれないが、そうとも言えないところもある。夫が優しく声をかけた三つ葉が、一晩で大きく成長したこともある。また、私が入院で不在になった期間だけ、鉢植えの梅の花が満開になって、一人で過ごす夫の心をなぐさめてくれたこともある。夫の優しさは言葉を発しない存在にも確かに伝わっているのだと思う。

現実と想像(イメージ)は別物という唯物論的考え方が主流だった時代は過ぎ去った。イメージできるということは存在するということ。逆に存在しないものはイメージできない。現実は想念が創っている。量子論などが少しずつ、その仕組みを紐解いてくれている。この現実も何層にも分かれて存在している。それぞれが密接につながり合いながら、ちょっとずつ違う。それらを体験しているのは、たったひとつの意識でしかない。

貝殻さんがお話してくれた世界。「みんな離れて見えるけど、一緒にいる(つながっている)んだよ。大丈夫だよ。」というメッセージはとても深いことを言っていたのだと思う。分離という幻想を楽しんでいるひとつの意識(宇宙)。きっとそんなことを幼い私に伝えたかったんじゃないかな。私はそのことを母や姉に伝えたかったのだと思う。でも言葉がうまく使えなくて、(そもそも宇宙の真実を表現できる言葉は無い。)受け取った感覚をどう表現したらいいのか分からなくて、それでも、幼い頭脳と心をせいいっぱい働かせながら、この制限だらけの現実の中で格闘していたのだなあと思う。





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