不都合な現実の正体


三泊四日の催眠療法宿泊セミナーで、心身たっぷり浄化され、戻って来た。さてさて、私の現実はどのように変化するのだろうか?

帰宅した二日後、アルバイトで図書館へ出かけた。私の主な仕事は、書架の整理をしたり、返却された本を元に戻したりすることだ。

前日の遅番のアルバイトが、どのあたりまで整理したかメモを残してくれるので、翌日にシフトの入っているアルバイトは、その続きから整理を進めて行く。このようにして、メモを介して連携し、効率的に作業ができるようにしている。蔵書は10万冊くらいあるので、毎日乱れた本をきちんとした状態に戻すのには、かなり時間がかかる。私は、この作業が好きだ。

さて、メモによると、昨晩は、1から16番までの棚の整理をしたと記録されている。それであれば、今朝の私は17番以降を整理すればよい・・・はずだったのだが、様子がおかしい。

どう見ても整理されていないのだ。乱れ切っている。仕方ないので、もう一人の相棒と二人でせっせと一から整理をしていった。そのため半日作業が押してしまった。

私の中で疑問が湧いてくる。確か昨晩は、ベテランと新人の二名がペアで作業をしていたはずだ。ベテランは、経験が長いのでこのようになるはずはない。となると、新人の方が原因だろう。もしかして、やり方をきちんと習っていないのだろうか?一回習った後は、分からないことがあれば、周りに聞きながら覚えて行くことになるのだが、もしかしたらよく分からないままに、誰にも聞けずに、勤務時間を無為に過ごしたのだろうか。

ここで、私は、いつもの癖で、マインド(自我、エゴ)が暴走を始めた。

マインドの声「これじゃあ、仕事をしたことにならない。お金もらってるんだから、きちんとやるべきことはやらないと。やり方を知らないのか?周りに聞けない性格なのか?ベテランと気が合わないのか?他の理由があるのか?ああ、その新人を指導したい。やり方を教えてやりたい。もしチームワークが悪いのが原因なら、解決してやりたい。どうしたものか。私に何が出来るのか。」

一見すると、このマインドの働きは正しいように思える。私が正職員として働いてきた30年間は、ずっとこうやって仕事に取り組んできていた。私の脳内は興奮状態となり、まるで条件反射のように、〇〇すべき!という思いにかられていく。

そこで、客観視するよう気持ちを敢えて切り替える。静かな自分に意識を向けてみる。本音はマインドのささやきのままに脳内の暴走に従って行く方が楽なのだが、あえて、そこから意識を離してみる。

そのマインドの働きをただ、静かに眺めるようにする。

客観視する声「私は、整理されていない棚を見て、犯人捜しをしようとしている。そして、その原因となった人物を指導したいという思いにかられている。どうしてそのような気持ちを感じているのかな?その気持ちの背後には何があるのかな?その思いは本当だろうか?私は本当は何を求めているのかな?」

私の心の内側をゆっくり感じていく。

マインドの声「気持ちいいから。誰かを教えたり、指導したりすると、嬉しい気持ちになる。でも、表面的で一時的な嬉しさだ。これは、満たされることの無い、切りがない欲望だ。指導すればするほど、自分の欠けを強く感じる何かが起きる。そして、また、指導しなければならない不都合な現実を創り続けるループに飲み込まれていく。」

客観視する声「どうして指導すると気持ちいいのか?」

マインドの声「少しでも差を作って、優位に立ちたい。私とあなたはこの点で違うんだって、はっきりとさせたい。私は役に立つ側の人間なのだと。そうすると、自意識が刺激されて、脳内に気持ちの良い何かが発せられる気がする。一時的快楽ホルモンみたいなもの。セロトニンやオキシトシンみたいな、幸せホルモンではなくて、どちらかと言うと、エゴを満たす何か。自分が欠けていたり、自信が無い時に、相手を下げることで、一時的に自分が上に立ったような気持ちになっていく。正義だと勘違いしてやっているから、始末が悪い。」

私は、このように自分の内側との対話を試みた。自分を二者に分け意見交換させるとやりやすい。手は仕事をしながら、意識は対話をし続けていた。その間5分くらいだろうか。

目の前に展開されている出来事に自動反応しているのはエゴの領域だ。エゴの特徴は、自分と相手の違いを明らかにして、責めようとする。優位に立とうとする。感覚としては、ギュッと圧迫されて狭まる感じ。体が緊張する。脳はどんどん慣れ親しんだ思考の流れを辿ろうとする。これは正しいのだと。この快感は依存性もある。

ほぉぉ~

これがエゴか。エゴは、本来の私ではない。幻想の意識だ。

この目に見える世界は、私の内面の反映である。私の心が映し出されている。そろそろ手放してもいいんじゃない?という信念を分かりやすく示してくれる。魂の学びのための映像にすぎない。

そもそも、私が指導しなければならない対象など存在しない。すべて私が創り上げているのだから。本質はすべて完璧に満たされたエネルギーである。欠けは幻にすぎない。

鏡の働きを利用して、現実という名の幻を創り、感情を味わい、楽しんでいる。(学んでいる。)私は55年間、こうやって幻と戯れてきた。

今回、現実から浮かび上がってきた信念は何だろう。「指導すべき」を手放すことにする。

前日にシフトに入っていたであろう新人アルバイトが、周りとコミュニケーションを取りながら心満たされて穏やかに作業をしている姿をイメージをする。周りは気持ちよくやり方を示し、新人は「ありがとう」と笑顔になる場面を。

私の心は軽くなる。スウッと未来が明るく開けていく感覚になる。体の緊張がゆるんでいく。

その上で、中立のエネルギーのままに、書架整理の際に気をつける点をメモした紙を新人アルバイトに手渡すよう常勤職員に託すことに。メモに記すことで、自分の頭も整理された。その日のアルバイト相棒にも見てもらい、意見交換もした。些細な作業だが、心を込めると気持ちよく作業できるなあと、あらためてスッキリした気持ちになった。

これは、自分のために起きた現実化なのだと思い至った。まだ見ぬその新人に、感謝の気持ちが湧き上がった。人と人は目に見えない領域でも影響し合い、学び合っていく。どんな関係も本質は感謝でしかない。教えてくれて、気づかせてくれて、有難う。と。

おそらく、不都合な自動反応を何とかしようと、満たされない部分をテーマに年齢退行や前世退行のセッションを受けたとすれば、過去のネガティブな記憶や感情はいくらでも掘り起こされるだろう。やってもやっても、切りがないのだ。

私が今回、ささやかであるが、不都合な現実に向き合った流れについて、書いてみたのには訳がある。

丁度、偶然目にした宮崎ますみさんのFB投稿に、まるっきり同じテーマを扱った記事があったので、以下に紹介させていただく。


「ヒプノセラピーを受けて、陥りやすい心理として、

「過去に遡って問題の原因を解除したはずなんだけど、時々同じ苦しさがよみがえってくるのは、まだ過去に原因が残ってるのかな?」

そして、再び過去へと遡る。

2個3個と過去を見てゆき、その都度潜在意識の中に植え込まれたネガティブな観念をポジティブに書き換えていく事はもちろんより効果的なことではある、けれど…

いつまでも過去にしがみつき、今の自分がなかなか拭い去れないネガティブな観念を、過去のせいにばかりし続けていてはいけない。

過去を確認する作業は、無意識の意識化なのだから。

過去の原因なんぞ掘ればいっくらでも出てくる。

過去を掘りたがる方に限って気休めの書き換えにとどまる。

一度の退行療法で、自分の無意識層に抑圧されていた問題の根っこを突き止め、イメージを動かしながらポジティブに書き換える事ができたのなら、

次にする事は、日常の中で繰り返し訪れる自分の反応パターンにその都度気がついて(無意識の意識化)、

「これは自分の思い込み、これは本当の自分ではない」と観念を祓いながら、

自己のセンター

魂が住まうハート

愛の中心軸

そこへと戻り、その愛の視点で、物事を客観的に見つめる癖をつけていくことが大切。

外界は私たちの潜在意識の鏡でしかない。

外へ期待する事なく、自己の内側を見つめて、

自分を整えていく事でしか、苦しみからは解放されない。


結局、過去も自分の魂に付着したカルマが起こしている事であり、

あなたを苦しめる正体は、あなたの観念でしかないのだから。


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everything is illusion」



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