人生は、グリーン車

 誰とでもすぐに仲良くなってしまう達人の話を聞いた。Nさんと呼ぶ。

人は、自分と似たような人と友達になり、毎回代わり映えのしないメンバーと集まり、似たような世界観の話題に終始してる。その方が安心するし、何より心地よい。感性が似ているから、楽なのだろうと、Nさんは指摘する。ドキッとさせられた。私は、まさにそうだ。そうしたいと思って生きてきたし、今もそれは変わらない。

Nさんは、自分の人生では決して出会わないであろう人物と積極的に交流してきた。似たような人と交流していても世界が広がらないからだと言う。もっと色んな世界を知りたいという思いから、面白い交流方法を実践されていた。

Nさんは、18歳の時から、新幹線のグリーン車に乗っていた。目的は、隣り合った人物とおしゃべりをするためだ。今日はどんな人と知り合うのだろうと、毎回、まだ見ぬ恋人を思うようなワクワクする気持ちで、新幹線に乗った。

いきなり「こんにちは。」と声をかけると警戒されてしまうので、Nさんは一工夫する。例えば、網棚に荷物を上げる振りをしながら、Nさんのジャケットがパタパタと、隣の人の顔に当たるようにする。相手は、きっと嫌な顔をする。そこでNさんは、「ああ!ごめんなさい!ジャケットがパタパタしちゃって!」と声をかける。こうすると、話の切っ掛けになりやすいそうだ。こうしてさりげなく、相手と会話を始めるそうだ。

Nさんは、ひたすら相手の話を聞く。一時間は、決して自分のことを話さない。もし、ためになるような体験談など聞き出せたら、「すごい!」を連発する。時にはメモを取る。相手は、人生で、すごいと褒められる経験が少ないだろうから、気分を良くして、ノッてくる。一時間も経過すると、「何だ、俺ばかりしゃべっちゃって。君の話を聞かせてくれよ。」と言ってくる。これは、相手が心を開いた瞬間だと言う。

Nさんは、このテクニックで、普段は交流することのあり得ない方々と親しくなってきた。グリーン車に乗るような人物は、大抵、人生の成功者が多いとか。隣り合う数時間で、その貴重な人生体験をお聞きし、珠玉の成功法を学ばせてもらう。

Nさんは、現在、講演で全国を飛び回るようになっている。

Nさんは、自ら積極的に、自分とは違う感性を持った人物と交流して、自身を縛る信念から自由になっていった。人の数だけ人生があり、学びがある。そこに目をつけたNさんは、なんて柔軟なんだろう。あまりに発想がユニークだ。

翻って自分を省みると、私は、感性の違う方々の中に積極的に入ることが苦手だった。もちろん、素晴らしい出会いや学びもあるのは分かるが、エネルギーが違いすぎると疲れてしまう。また、なぜか私は、孤独を感じやすかった。大勢の中にいるほど、独りを痛感し辛くなる。自分が取るに足らない、駄目な人間であるという、やるせない思いに苛まれていく。

基本的に、私は、価値の無い人間だから、出来るだけ息を潜め、目立たないように、邪魔にならないように生きていくことが、せめてもの周りの方々への配慮であろうと、そんな信念に縛られていた。だからだろうか、友達は少ない。作らないというか、欲しいけど作れなかった。ベースには、そもそも、人は怖いという思いがあった。

Nさんとの徹底的な違いは、Nさんは、人が大好きな点であろう。わざわざ高いお金を注ぎ込んでまでも、知らない誰かに会いに行く。その唯一無二の貴重な人生から、何かを学び取らせてもらうために。すべての人生には価値があると、どんな相手も尊重する思いがあるから、一期一会の相手も胸襟を開きやすいのだろう。

私は、30年間、公務員として働いてきた。四年に一回は部署が変わり、大抵は窓口で対応する仕事に従事した。

私は、生まれつきスポンジ体質で、人や場のエネルギーに左右されやすかった。仕事自体は楽しくても、しばらくするとエネルギーが枯渇して、鬱を発症させてきた。綱渡りのような30年だったが、よく続いたものだ。

この仕事をやって良かったと思うのは、色んな人々に接する機会に恵まれていたことだろう。仕事柄、ありとあらゆる人生の困難を解決するために面談するわけだから、私が窓口に座ることが、Nさんのグリーン車と同じ意味合いになっていたわけだ。私は、お給料をいただきながら、実は来庁者から人生を学ばせてもらっていたことになる。

鬱病で苦しみながら仕事をしていた時期に、仕事を辞めようかどうしようかと、とある霊能力者に相談したことがある。彼女は「あなたにとって、その仕事は魔法の杖なのだ。いかようにも活かせる。」と、アドバイスをしてくれた。その言葉を励みに、危なっかしい足取りながら、何とか勧奨退職の年齢まで続けられた。

自分にピッタリ合う仕事ではないけど、「ちゃんと意味はあるのだから、置かれた場所で咲きなさい。」と、私の奥深いところから諭されたように感じてもいた。

Nさんのお話をお聞きして、あらためて、何だか納得してしまった。

私は、性格上、自ら積極的に色んな人に会って交流を深めることを絶対に選択しない。それでも魂は、色んな立場の色んな価値観の人生に触れて、自縛する信念から自由になりたいと願っていたのだと思う。色んな人に出会わせるために、魂は、私を公務員という職業に導いたのだろう。私の学びのために必要な体験だったのだ。

人生に無駄は無い。必ず後から、その意味に気づくタイミングがやってくる。どんなに辛くても、後から振り返れば、そこに燦然と輝く光が注がれていたことに気づくのだ。

30年の公務員生活で面談した方々は何万人にも昇るだろう。同じ人生は一つも無い。それぞれの人生の節目に立ち合ってきたことの意味は、私が経験することの無い、未知の世界を、間接的に知り、人間性の幅を広げていくことだった。私が相手を助けていたんじゃない。反対に、私が学ばせてもらっていたのだ。

ここに詳しくは書けないが、今思い出しても、数々の印象深い人生の一場面を甦らせることが出来る。私は、窓口にいながら、貧困や難病、誕生、死、老い、等々、人の四苦八苦にとどまらず、生き甲斐や喜びの場面にも立ち合った。

もちろん、怒鳴られたり怖い思いをする時もあったが、30年を振り替えれば「人間て、いいな。私は、人間が好きだなあ。」と前よりは思えるようになっていた。この境地に達するために、魂は私にこの体験をさせたのだろうと、有り難く思う。

最近の気付きとしては

私の魂は、どうやら旅人気質らしい。ということが分かってきた。

一つのことを一つの場所でじっくり体験する長期滞在型(職人型?)と言うよりは、あっちこっち観光して、つまみ食いして歩くツーリスト型のようなのだ。

残りの人生をどう生きていきたいのか?

「いろんな体験をしたい!」と、奥深くに居る魂は伝えてくる。

魂にとっては、がんの闘病も、入院や手術も、ワクワクの体験だった。故郷の星へ帰れば、病(四苦八苦)は存在しないので、地球でしか味わえない貴重なオプショナルツアーであったわけだ。「いい学びになったな~。」と、本質の私は、ホクホク顔である。

「何者かになろうとか、誰かを助けようとか、役に立とうとか、思わなくていい。やりたいことをやればいいんだよ。」と。

何者かになろうと意気込む時、自我が働くのが分かる。だんだん軽やかさが減り、何かに縛られていく。

一昨日、読書会で私は、一つの問いを投げ掛けた。「人事を尽くして天命を待つ」と、「宇宙にお委せする。」とは、どう違うのでしょうか?と。

とある一人は、「それは、頑張らないということだと思う。」と発言してくれた。

もう一人(僧侶)は、大変分かりやすく説いてくださった。

「目の前に右手を開いて置いてみる。普段私たちは、意識せずとも右手の指を動かして、何かをやっている。

もし、親指が

「私は、立派な親指になりたい!」とか、

小指が

「私は、役に立つ小指になりたい!」と

勝手に動き出したらどうなるか?

この指の思いが自我である。

指を動かしているのは、あなたの脳であるが、それを宇宙(魂、真なる我)となぞらえてみてはどうか。

自我が強いと、うまく動かなくなる。

自我を減らし、宇宙に委ねるとはこんな感覚だと思えばよいのでは。」

なるほど!超分かりやすい!

私は、包丁で大根を刻みたいのに、親指や小指が勝手な思惑で、(思いは高尚だったにしても)バラバラに動き始めたら、何一つ料理という統合された行為が成り立たなくなる。

自我を減らすと本質が現れる。本質の求めは、魂のブループリントである。何を体験し何を学びたいかは、自我の領域ではなく、魂の領域で分かることだ。自我は肉体に付随するので、やりたいことは、単なる欠乏感を埋めるための一時的な欲でしかないこともある。

何者かになりたい。助けたい。役に立ちたい。この思いはどこから来ているのか。

親指が「立派な親指になりたい!」と、勝手な動きをするようなものかどうか。それが自我の思いかどうかは、背後に欠乏や不安があるのかが、見極めのポイントになると思う。

もう一つの見極めポイントは、誰かと自分に差を作り出す点だ。私の方が上だと得意になったりとか、私なんかと卑屈になったりとか。何かをやることで、周りから褒められて、自意識過剰になっていくようであれば、(もっと褒められたい、認められたい、相手を導いてやらねば。などなど)この意識の働きこそが、「立派な親指になりたい!」と同じなのだ。

人事を尽くして天命を待つ

この言葉は素晴らしい響きだけれど、頑張るエネルギーは、自我の領域だ。

これからの時代は、頑張らなくてもいい。宇宙に委ね、流れるように、やりたい体験を実現していけばいい。意図すれば、その現実を創れる時代に既に突入している。

私は、どうしたいのか。本質と繋がって、どんどん新しい現実を創って、流のままに楽しんでいけばいい。本質は一つに繋がるエネルギーだから、意図せずともいい具合に周りと調和していく。

そんなことに気づかされた数日間だった。



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