誕生日宇宙会議

 さて、誕生日である。

最近ずっと何らかの予定が入っていたのだが、この日はフリーな日だった。一昨日、魂の兄から届いた本を読んで過ごそうと思っていたところ、その当の本人から、スカイプで誕生会やりませんか?とお誘いが来た。夫以外の方に誕生会をしていただくのは、もしかしたら子供の頃以来かもしれない。(とは言っても、Yさんは、魂の兄なので星の家族なのだが)何と嬉しいお誘いなんだろう。

という訳で、急遽、スカイプによる誕生日宇宙会議開催の運びとなった。

今回の参加メンバーは、私とYさんの他に、星のクジラさん、タツノオトシゴ師匠も列席してくれた。Yさんは、クラッカーを鳴らし、お祝いしてくださった。人生初クラッカーかもしれない。ああ、嬉しい・・・・。

Yさんは、友人のサプライズ誕生会を企画するのが好きなのだそうだ。そう言えば、私もその傾向があった。お仕事時代は、頻繁に女子会を企画して、参加者の誕生日をさりげなくリサーチしておき、サプライズで驚かせることが、たまらなく好きだった。自分事は記憶が無い。幹事役が多かったから、自分のアピールをしたことは、きっと無かったんだろう。だから、とても不思議な気持ちだ。

Yさんとスカイプで気ままにおしゃべりをした。6時間があっという間に過ぎた。毎回、互いの人生体験での気づきをシェアしていくのだが、宇宙からテーマを示されていて、必要な話し合いに導かれていく。顕在意識では分かりようがないのだが、後から振り返ってみると、伏線だらけだったことが分かる。

宇宙会議の終盤あたりで、話の流れから村上和雄先生の話題となる。(『遺伝子2%』投稿参照)あくまで、自我意識による、プラスやマイナスという評価ではあるが、マイナス遺伝子をオフにするコマンドがあるらしい。(『あなたを困らせる遺伝子をスイッチオフ!』大嶋信頼 著 ~脳の電気発射を止める魔法の言葉)

Yさんの友人は、「〇〇さん、すげ~!」というのが口癖なのだそうだ。相手をリスペクトする思いが言葉となる。言葉は言霊で、振動エネルギーだ。発したエネルギーが同じようなエネルギーを引き寄せて現実化が起きる。そのためだろう。この方の引き寄せ力は半端ないそうだ。上述の遺伝子スイッチに当てはめれば、「〇〇さん、すげ~!」がコマンドとなり、その方の体内のプラス遺伝子をオンにし続けるのだろう。あるいは、マイナス遺伝子をオフにするのだろう。常時、プラス波動が発せられている。言葉って、大事なんだ。自分が発する言葉は、相手に投げかけているようだが、実は一番聴いているのは、自分自身だ。(体内の遺伝子が耳をダンボにして聴いている!)つまり、相手をリスペクトする思いを発すると、意図せずとも、自分がリスペクトされる現実を創り出すことになるのだ。ここで詳述はしないが、ご興味ある方は、村上先生や大嶋先生の著書を読んでほしい。

Yさんのご友人の話をお聴きして、ふと連想したことがある。とあるYouTube番組の話だ。例えば、何か大きなトラブルが突然起こったとする。盗難に遭ったとか、電車が事故で止まったとか、親が病気になったとか、誰かに怒鳴られたとか、何でもいい。自分にとってすご~く嫌な事が起きたとする。普通の人間の反応としては、「何で私がこんな目に遭わなきゃならないの?」と悲しくなったり、怒りが湧いたり、相手を恨んだり、大混乱したりするだろう。簡単に言ってしまえば、マイナスの反応(不快な思いを抱く)をしてしまう。起きた現実に抵抗していることになる。抵抗するからマイナス(不快)になる。

その番組の出演者は、そんな時、北島三郎の「まつり」を歌うのだそうだ。「祭りだ 祭りだ 祭りだ 豊年祭り・・・」(改めて見ると、なかなか良い歌詞だ。)彼は、嫌なことが起きた時に、サブちゃんの「まつり」を歌う行為を「まつる」(祀る?)と言う。いわゆるトラブルをまつれるかどうか、どんな出来事も感謝して受け入れるかどうか。ということがその後に起きる現実化を左右すると力説する。彼の持論によると、起きる出来事には全て意味がある。無駄な体験など何一つ無い。全てが魂の学びのために起きている。その観点から出来事を捉えるなら、どんな出来事も「祭りだ 祭りだ」になるわけだ。

彼が、まつる行為について、ポッドキャストで話した後日談。視聴者から、「私、まつりました~!」というまつり体験談が続々集まってきたそうだ。どの方も、現実が面白いほど好転したのだそうだ。親の病気が治った。失くしたスマホが無事に出て来た。盗られた財布が見つかった。等等。興味深いのは、どのエピソードも、人知では予想すらできないような奇跡的偶然が重なって、好転している点だろう。

この話題も、もしかしたら、「祭りだ 祭りだ」がコマンドとなって、プラス遺伝子をオンにしているのかもしれない。Yさんによると、「現実に抵抗せず、あるがまま受け入れるところにポイントがあるのではないか?」とのこと。

「そんなこと言ったら、俺は毎日が「まつり」だったよ。」と、ぽつりとつぶやかれていた。ああ、おそらく、この数か月、大変な毎日を過ごされていたのだろう。Yさんは、無意識にネガティブな現実を「まつる」ことで、無事乗り越えていらっしゃったのだろうか。今、こうしてお元気な様子を画面越しに拝見できて、感無量である。

ここまで二人で話をしてきて、後からイメージが湧いたので、ここにメモを残しておきたい。

とある出来事が起きたとする。出来事自体は中立である。良いも悪いもない。そこに「嫌な出来事」「良い出来事」と判断するのは、思考の領域で行われる。あくまで自我意識の上での分け方となる。

これは分かれ道のある(選択制)の双六みたいなものなんじゃないだろうか。駒を進めて、あるポイントに来る。「取引先に騙される」というポイントだったとする。そこからルートが二つに分かれていて、Aコース「騙された経験に感謝し、学びに変える。自分の傲慢さに気づき反省する」Bコース「メッチャ怒り心頭。相手を恨み警察に駆け込み裁判を起こす」だったとする。どちらを選んでもいい。正解不正解は無い。ちなみにAコース選択は「感謝。学び。良い体験」Bコースは「怒り、恨み、悪い体験」という選択になる。

あくまで、その魂がどちらを経験したいかの違いであり、他の魂の選択と比較することではない。その人が、魂のブループリントに沿って、必要な学びをしているというだけのことなのだ。

Bコースで怒りや恨みをとことん味わうことだって、大切なことなのだ。宇宙は陰陽の法則で循環している。マイナスがあればプラスもある。ネガティブもポジティブもコインの表裏のような密接な関係であり、二元論ではどちらか一方しか目に見えないが、高次元から見れば、多面体である。ここでは、物質次元であるため双六の二つしかない選択ということで例を挙げてみたが、双六の全体の盤を(全ルート)を俯瞰して、駒を動かしているのが、私の魂である。駒の視点が自我である。

そこで、先ほどの「まつり」コマンドと絡めてみよう。駒は、二つある選択ルートのBコースを選択しそうになっていたとする。今まではB傾向で体験を積み重ねてきた。それが魂には必要だったから。しかし、駒を進める俯瞰する意識が、「ここからはAコースを取り、ブループリントの〇〇というゴールを目指したい」と目論んでいたとする。

ところが、駒はBコースのエネルギーに慣れ親しんでいるから、Aコースには違和感ありありなのである。そこで、Aコースエネルギーを注入することになる。それが「祭りだ 祭りだ」コマンドであり、その言霊振動が、遺伝子に働きかけ、発するエネルギーを変換し・・・Aルート選択を続けることが、「なんだか現実が変わった!開運した!」と二元世界の住人である駒が喜んでいるのである。

ううむ。伝わるだろうか?思考ではなく、感覚で何となく受け取っていただければと思う。

簡単に言ってしまえば、「あなたには、今ベストなことが起きている!」ということだ。

今目の前で起きている出来事に対し、苦しんでいたとしても、語弊があるかもしれないが、それもあなたが選択した大切な体験。あなたは、苦しいという感情を選んで味わっている。いつまでも味わってもいいし、どこかで「祭りだ 祭りだ」コマンドを発して、ルート変えをしたっていい。あなたのブループリントを進んでいることだけは確かなのだから。魂から見れば、苦しみすら、「そこから学ぶ」という喜びである。

だから、他人から「Bコースは苦しくて可哀そうだから、Aコースに行きなさいよ。」と無理矢理、あなたの駒をAコースに移動させようとしても、駒はBに行ってしまうのだ。「変わらない」選択をしている限り、誰もあなたの人生を変えることは出来ない。

ちょうど、変わりたいタイミングだったから、何かを切っ掛けにしてルートを変えたということはある。その切っ掛けが、〇〇療法であったり、△△さんのお陰であったり、◇◇という書籍だったりするだけであり、結局は自分の力で引き寄せているのである。誰かの人生を変えた〇〇療法だって、△△さんとの出逢いだって、そのタイミングではない人は、人生に何ら影響を与えることはない。そもそも出会わない。(種まきされ、発芽時期を待つということはあるだろう。)ううむ。人生双六は、上手いこと出来ている。

私が〇〇療法で、人生を変えました!だから、あなたにも幸せになってほしい!と、〇〇療法のセラピーを誰かに施術したとする。それが上手くいって、すご~く感謝されたとする。でも、それは何も私の手柄なのではない。相手が私を切っ掛けにして、丁度変わるタイミングが来ていただけの話である。反対に、セラピーの効果がなく、かえって悪くなったとクレームが来たとする。相手が変わらないと、私は自分を責めたり、相手の頑なさを批判したくなるかもしれないが、相手が変わらない選択をしているということと、タイミングが来ていなかったということだけは確かなのである。この体験には、また別の意味がある。例えば、私自身が、相手を変えたいというエゴを持っていて、その思い上がりに気づく必要があり、クレーム体験を引き寄せたと捉えることも出来る。

人と人のご縁は複雑であり、どんな出会いにも意味がある。ふとすれ違った通行人とのご縁すら、人生を少しずつ変える可能性がある。頭がこんがらがってしまうので、ここは、自分宇宙という、宇宙の中心を自分に持ってくるイメージをした方がよいだろう。

この世界は、自分の意識が創る。この宇宙の創造主は自分だ。現実も自分が創り出している。そして、目の前の相手は、自分の内面の鏡である。360度、ぐるっと鏡なのである。

目の前の友人Mさんが、別れた恋人への恨みつらみで、ネガティブエネルギーにしがみついていたとしよう。あなたがその相談にのっていて、「その体験に感謝することもできるかもよ?」とアドバイスしたとする。あなたが、友人に幸せになってほしいという思いで言葉を重ねても、友人は「あなたの話はもっともだと分かるんだけどね。でもね・・」となってしまう。あなたは、変わらない友人にやきもきするかもしれないが、まず、あなたが発した言葉は種まきされたと捉えればよいのだ。それを友人がいつ発芽させてもいいし、受け取り拒否してもいいし、それはその人の人生である。その人の魂の学びの道を尊重する。

それよりも、相手は自分の内面の鏡と言う観点から言えば、その友人の愚痴を引き寄せたのはあなたのエネルギーである。同調する振動があるのだ。あなたは、あなたの宇宙に責任を持てばいい。ああ、私にも、この友人みたいな恨みのエネルギーが、あるかもしれないなあ。と、内面を観察して、そこから何かに気づいていけばいい。友人は、あなたの内面の進化のために、現れたのであって、実はあなたが教えられている。目に見える関係性は実は逆転していて、先生は相手である。

そもそも、自分と相手という関係すら、宇宙源意識からすれば、幻である。私たちは、幻を創って遊んでいる。せっかく自分という錯覚意識が創っている遊び場なのだから、とことん味わえばいいのだ。それをやりたくて夢を見ているのだから。夢はいつかは覚める。あなたは本質へ戻る。どの魂も、最終ゴールは同じだ。元々ひとつなのだから。

Yさんと話しているうちに、最後の最後に、私の本音が見えて来ていた。この数日、微かにもやもやしていたことである。本当に私、それをやりたいの?と問うた時、何だか違う気がしていたのだ。それがはっきりした。「せっかく〇〇してきたんだから。」というエゴが、いつの間に自分を縛っていたようだ。

すっと、内側から言葉が湧き上がってきた。

「何者にもならなくていい。」

この言葉を発した瞬間、私を縛っていた重いエネルギーが離れていった。一気に軽くなり、とても楽になったのだった。ああ、そうだった。私は絶えず、何者かになろうとしていた。それは肩書だったり、職業だったり、役割だったり、人からこう見られたいという理想だったりした。「貴方は誰?」と質問された時「私は〇〇です!」と答えられる何かだ。それは自尊心にも密接に繋がっていて、いつの間にかエゴを肥大化させていく要因になっていた。

最後の最後に残されたもの。何者という信念にも縛られず、純粋に何の見返りも必要とせず、単純にやっていることが喜びであること。それは「書く」ということだった。

Yさんも二年前に私と同じ悩み期間を経て、同じような気付きに達したのだと打ち明けてくださった。さすが、魂の双子である。時期の差はあれど、やはり同じ道を歩んでいる。面白いなあ。こんなに分かりやすい鏡はあるだろうか。メチャクチャ透明度の高い鏡である。私たちは、人生を歩むうえで、どうやら最強アイテムを持参したらしい。スーパーソウルミラーとでも言うべきか。

ああ、これが宇宙からの誕生日プレゼントなんだ。だから、前日に上空に巨大なハロ(日暈)を見たのだ。宇宙からの渾身のOKである。

「何者でもない」とは、アイデンティティ崩壊のような、自我意識からすると、飛んでもないメッセージであるが、そのそも、名前も肩書も職業も性別も役割も、この物質次元を楽しむための着ぐるみである。私たちは、好みの着ぐるみに、継ぎ接ぎしたり、パーツを取り除いたり、メンテナンスしながら、いつの間にか着ぐるみが自分だと錯覚しているのだ。それが楽しいから、やっている。

私は、気づいてしまったのだ。ただ、着ぐるみの外見だけ、マイナーチェンジして、好みの感情を味わっているだけなのだと。結局は〇〇と思われたい。というエゴが肥大化していく。それが心地よいから、その感覚を知らず知らずの内に求めてしまう。それはそれでいいのだが、繰り返す人生パターンが見えてしまった時、「あれ?このドラマ、既に経験したよね。この学び、もう一回やる必要ある?」と、私の内面から問いが発せられてきたのだった。それを聞かなかったことにして、お馴染みの双六ルートを進むことも出来ただろうが。一旦、双六盤を俯瞰する視点を持ってしまった私には、これ以上同じ傾向のルートを進むことは出来ないと思った。

これから、どう進んでいくのか、まだ分からないが、せっかくの地球人体験である。う~んと楽しんで、沢山感動して、魂の学びというお土産をどっさりインプットして、帰るべき場所へいつかは戻ろうと思っている。「書く」行為は、何らかの形で、続けていこうと思っている。最後の最後に残された私の魂の表現方法であるから。

Yさんと話せたことで、55歳最高のプレゼントをいただいた。

ありがとうございました!

傍らで、タツノオトシゴ師匠が、「GOOD JOB!」とでも言いたげにほほ笑んでいた。



☆インディアンの言葉より(Yさんセレクト)


人生はすべてつながている

モカシン・マイクの言葉は「すべてを敬え」

彼は頭上を飛び回る蝿も

足代わりの馬も敬った。

彼は知っていたのだ。小さな蝿でも死ねば

世界中が寂しがる。

血のつながった者を失えば、家族は悲しい。

昨日も、今日も

明日も

ここの、あそこも

我々はみな関りあっている。


楽しさばかりを望むと、孤独になる。喜びばかりを望むと、不幸になる。

本当の楽しさを分かち合いたいなら、苦しさも悲しさも受け入れることだ。

苦しい事なくして、喜びはない。いいことからいいことは生まれない。

私の過去なくして、私の今はない。


病気は

人が自分自身を省みる

良い機会です。

自分の身体、自分の生活、

性格、人生、人間関係・・・・

病気はその人の

心、考え、生活の

すべての歪みの顕れに

ほかなりません。

だから人は、

病気に感謝しなければ

なりません。

病気は、

無知で、頑固で、

意固地なあなたを

導く師です。



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