魂の選択はそれぞれ

 『赤ちゃんをわが子として育てる方求む』石井光太 著 小学館文庫 を読んだ。

特別養子縁組制度成立に命をかけた産婦人科医師の信念の物語。実話を元に描かれた評伝小説だ。

特別養子縁組制度は、丁度、私が役所で働き始めた直後に施行された。産みの母が戸籍に記載されず、養父母が、実子同然に育てることを認める法制度のこと。

この本を書店の棚で見つけた時に、つい最近、この制度を利用して念願のわが子を得た知人を思った。彼女は、度重なる不妊治療で心身共に疲弊しきっていた。わが子を育てたいと願う夫婦は多い。結婚すれば、次に目指すのは、子育てだろう。昔ほどでは無いにしても、スムーズに授からない場合、各方面からのプレッシャーにより、無自覚のうちに心に傷を負ってしまう女性も少なからずいる。

特別養子縁組制度により、わが子を育む機会を得た知人は、慣れない育児と仕事に、当初は大変だったようであるが、正式に育児休暇を取得し、今は信じられないくらい穏やかで、幸せなのだと語る。先に、最上級の困難を体験してしまったので、多少の困難が、普通に思えるのかもしれないと、笑っていた。彼女の苦しい時期を知っているので、今こうして乗り越えた彼女を眩しい思いで眺めている。

「養子」というワードに、胸がチクッとする思い出がよみがえってきたのでここに書いておく。

私は、結婚後10年経過し、一度妊娠したことがある。フルで働いていた頃は、ストレスフルな毎日だったので、赤ちゃんから見れば母体として適切ではなかったのかもしれない。命は心臓が出来る前に成長を止めた。私は数ミリの大きさの赤ちゃんとお別れした。

医師は、間髪入れずに、次なる妊娠を勧めてきたが、私には抱えきれないほどの悲しみを伴う体験であり、「はい!次!」と進めるほどの心の強さは無かった。恐怖感が大きく膨れ上がり、人生の中で、妊娠という選択肢を片隅に追いやった。再び悲しいお別れをすることが耐えられなかった。

そして、当たり前のように出産し、子育てをしている世の女性達と自分を比較して、さらに自信を失っていった。自分は女性として何か重大な欠陥があるのではないかと、無意識に自身を責め続けていたように思う。また、男性性原理の社会構造の中で真面目に働こうとすればするほど、女性性の抑圧に拍車がかかっていった。私の女性性は萎縮し、さらに傷ついていった。

数年後のこと。私は図書館で働いていた。好きな仕事だったので、全力で打ち込んではいたが、女性としての心の潤いや優しさに欠けていたのだと思う。

ある時、図書館の警備員をしていた高齢男性に、子どもの居ない女性に対する言いがかりのようなものを受けた。私が彼の少し不真面目な面を度々注意していたことから、根に持たれたのだと思う。もっとおおらかに接していれば、彼もそんな発言はしなかっただろうと反省している。彼は、何を言えば私が一番傷つくか、分かっていたのかもしれない。

彼の陰口(笑ってしまうほどの言いがかり)があまりにひどくなっていたので、私は彼と一対一で話してみることにしたのだった。私は、日頃の彼の働きにとても感謝しているとお礼を丁寧に述べた上で、なぜ、陰口ばかり言うのかを問うた。

彼は、「あなたは、子どもがいないから、性格が冷たいのだ。」と主張した。私は、静かにそれを受け止めながら、質問した。「私は病気をして、もう子供を授かれないのです。そんな女性はどうしたらいいのでしょうか。」「それなら、養子をもらえばいいじゃないか。アメリカでは当たり前に行われている。」彼は、自分の発案に満足そうだった。

私はその場はふむふむと大人しく拝聴していたのだった。いきなり「養子」というワードが出て来て驚いた。また、論調の飛躍にも驚かされていた。世の中の女性は、子どもがいなくても優しくてあたたかい人柄の人もいる。たまたま私が冷たくて、子どもがいなかっただけなのだが、彼の信念では、子どもがいない女性は不完全だとでも言いたい様子だった。

ふと、お別れした小さな赤ちゃんを思った。もし、あなたを産むことができていたら、私はママになれたのかな。こんな風に、誰かに冷たいと非難されることもなかったのかな。もう少し優しい心を持てたかな。私はその後数日仕事を休み、泣いたり怒ったりして苦しみ七転八倒した。その警備員は、ただ、私をやり込めて、仕返しをしたかったのだろうが、私は女性としての私を全面否定されたように重く受け止めすぎてしまったのだ。

彼の主張は馬鹿げているのに、真に受けてしまったのは何故か。実は彼の言動が、私の内面で自分自身を否定していたことを現実化していたからだ。彼は鏡に映った私自身だった。私は私をこんなにも苛めていたのだ。それを解らせるために、魂のカリキュラムが発動したのだ。

その後、すぐに展開があり、警備員の彼は、別の勤務先へ転属になった。二度と会うことはなかった。

こんな体験があったので、私の中で、「養子」というワードはネガティブなエネルギーを纏う響きになってしまった。「子どもを産めなくて、ごめんなさい・・・。心が弱くて本当にごめんなさい・・。」という罪悪感が呼び起こされるのだった。

三年前にストレスフルな仕事を退職し、日々をゆっくり過ごせるようになり、イライラしがちだった性格も、少しは丸くなった。疲れてくると、攻撃的になる欠点はあるが、矛先は夫だけなので、心の広い夫に許されてなんとか過ごせている。

一年前は、催眠療法のグリーフセラピー(悲嘆療法)で、お別れした赤ちゃんの魂とも対話した。ほんの少しだけ胎内に滞在した赤ちゃんは、その体験をとても喜んでいることが分かった。互いの魂の成長のために合意して、必要な体験を実現したのだと理解できた。

私はあの体験から、より、人の苦しみ悲しみを理解できるようになった。傷ついた人の心に寄り添う仕事をするなら、実体験は、より深い共感を伴うことにつながる。私には必要な学びだった。今なら分かる。全部、自らが選択した学びのカリキュラムだった。

あの図書館警備員も、それを私に学ばせるための配役だった。彼は私の成長のためにベストタイミングで現れて、役割を終えると瞬時に消えていった。見事だった。

この魂の学びシステムと現実化(幻のドラマ)の仕組みを理解できるようになったのは、つい最近のことだ。少しずつ、いろんな体験を通して学んできた。瞬時に次なる理解に進む人もいるだろうし、私みたいに十年単位で進む人もいるだろうし、それぞれだ。

親がいるから幸せだとか、親がいないから不幸だとか。

結婚しているから幸せだとか、独身だから不幸だとか。

子どもがいるから幸せだとか、いないから不幸だとか。

〇〇があるから幸せで、〇〇がないから不幸で・・・。

その価値観は、どこから得たものだろう?全部外側から植え付けられたもので、時代の変遷とともに移り変わっていく。国によっても、地方によっても、人によっても相違する。そんな、あやふやな根拠の信念に縛られて、誰かに何かを言われるたびに、右往左往して嘆いている私の姿をイメージしてみる。「ああ、私は何て不幸なんだろう・・・」と意気消沈している我意識を、少し離れたところから眺めてみる。まるでドラマでも観るような感覚で。

自身の魂が学びたい体験をしている。その体験から何を学んだのか?それが全ての答えである。究極の答えは「愛を学ぶこと」。

私は、自分の魂に問う。私の人生は何を学びたかった?ふと湧き上がる「人の痛みを体験したかった。そこから学びたかった。」というメッセージ。

ああ、そうなんだね。順調に学んできたよね。その視点から過去を振り返れば、どの出来事も、ベストな事が起きていたね。

という気付きに至る。

さて、なぜ、4月に入って、あの本を手に取り、「養子」にまつわる記憶をよみがえらせたのだろう。今、エネルギー的に重い周波数はどんどん離れていっている過程にあるようだ。YouTube「宇宙くんの手紙」によると、「いちいち分析していると、時間がかかるから、どんどん軽やかに手放していくといいよ。」と助言していた。

昔の嫌な記憶がふと湧き上がって来た時に、その嫌な感情にどっぷり浸かるのではなく、「この周波数、未来に持って行きたい?それとももう不要だから手放したい?」と自分に問うようにする。もう必要ないなら、学びに感謝して手放していく。宇宙エネルギーがどんどん上がってきているため、私たちの周波数も軽やかになてきている。だから、重いエネルギーは自然にポロッと離れて行く。夢の中で手放していることもあるようだ。この事情を知っていれば、嫌な感情が湧き上がって来た時に慌てずに済む。「おお、いよいよ手放すタイミングがやってきたのか!」と喜んでいいのだ。

というわけで、私は、あの罪悪感と悲しみ苦しみ自信の無さをようやく手放した。ありがとうの思いとともに。10年かけて、やっと咀嚼できた。こうして、体験は魂の栄養になっていく。


☆昨日から今朝にかけて、ネックレスを三つ作った。



マリア様のブルーのメダイに合わせて、シンプルに。マザーオブパールとムーンストーンを散りばめた。


大天使ガブリエルのメダイに合わせて
カーネリアンとシトリンで彩った。太陽のようなエネルギーで生命力と自信を高める。



受胎告知で、神様のメッセージをマリア様に伝えたことから、「人に伝える」役割をサポートしてくれる。親になる人への守護も。第二チャクラのオレンジのエネルギーを放っている。女性性、男性性のバランスを整える。図らずも、今日の投稿内容に沿う守護天使だった。無意識にエネルギーをいただいていたようだ。


大天使ミカエル。正義、平和を守る。その姿は、深い青、紫、金色の光を放つ。ブルーのオーロラクリスタルとラベンダーアメジストで彩ってみた。

悪魔を踏みつける姿がよく絵として描かれているため、神の戦士、正義のための戦士というテーマが強い。

ただし、古い時代は癒しの天使であったようで、時代の要請で役割を特化していったのだろう。

今回の投稿の、私の過ちのように、正論を刃のように振りかざし、バサバサ人を切っていくような正義(男性性エネルギー)は、次なる戦いを生む。踏みつけた悪魔は、実は自分の一部だったという気付きを経て、正義と悪の二元ドラマから、卒業していきたいものだ。そのためにも、受容(女性性エネルギー)を心がけていきたい。どちらのエネルギーもバランスが大切だ。


美しい天然石ビーズをたくさんプレゼントしてくれた友人に感謝。


『チベット旅行記』河口慧海

講談社学術文庫

やっと手元に来た!

明治時代の僧侶で、鎖国中のチベットへ経典を求め旅をした記録。読んでいると、とても幸せな気持ちになる。しばらく、至福の数日を過ごせそう。

☆今朝の気付き

朝、顔を洗って、鏡をちらっと眺めていた時に、ふとメッセージが届いた。

「書くことは、つながること。」

つながる先は

真なる我。


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