光からのメッセージ~咀嚼せよ

 なんとなく、「今は、あまり動くな。自分の時間を大切にせよ。」というメッセージが、目に見えない領域から伝わってきているような気がする。

昨夜も夜中零時から目が冴えてしまった。4時くらいまで適当なYouTube番組を聴きながら、浅い眠りを繰り返した。

「必要な情報やエネルギーは、すでに届けている。無意識下で受け取っている。それは塊として、潜在意識に埋め込まれていて、必要な時に解凍される。顕在意識では認識できないから、何も起きていないように感じるだろうが、着々と必要なことは進められている。思考を使って、焦ってアレコレ動き回る必要は無い。今は、出来るだけ体を休めて静かに過ごしてほしい。瞑想する時間を取ってほしい。」

というニュアンスのメッセージを微睡みの中で受け取っていたような気がする。

結局、熟睡できていないので、明るくなるまで布団の中でうとうとして過ごした。いつもは、4~5時にパッと起床するのだが。私としては珍しいことだ。

体調や感情に不具合として現れているものは、エネルギー調整中の証なので、大人しくしててくれ。と、宇宙からたしなめれている感覚だ。例えば、高次元のエネルギーであるから身体にいいわけでもなく、肉体は粗い波動で出来ているので、精妙な波動に馴染むには、時間がかかることもある。

寝不足なので、結果的に、今日は一日自宅でゆっくり過ごした。体調が良ければ、じっとしていられない私なので、丁度良かったのかもしれない。

私は、瞑想は得意ではない。雑念に翻弄されてしまうからだ。どうしたもんかな~。と考えていて、ふと、ヘミシンクのCDを聴いてみたらどうかな?と思い付いた。ヘミシンクは音で変性意識になりやすい。瞑想と同じことになるんじゃないかな。と思った。

早速、ヘッドフォンを装着し、CDを流しながら横になった。内容は、『内なるガイドにつながる』『情報にアクセスする』の二本立てだったのだが、それぞれ、肝心のところで寝入ってしまった。なので、ヘミシンクで何か気付きを得られたら本日のテーマにしたかったのだが、何も無い。残念。

目的は達せられなかったが、副産物があった。潜在意識につながったおかげか、意識がスッキリ爽やかな状態に切り替わった。寝不足の不調が一気に解決。潜在意識の中のお掃除がされたようだ。

おかげで集中力が戻ってきたので、萩原医師の新刊『がん患者を支える催眠療法』をスイスイ読み進めることができた。

夕方になったので、入浴。浴室を真っ暗にして湯船に浸かった。ゆっくり入浴したのも久し振りだ。最近、何故だか、慌ててシャワーで済ませたりしていたので、久々に身体を温めることが出来た。ちゃんと意識すれば、こうやって自分の身体を労ることが出来るのに、ちょっと回復したからと、すぐ図に乗る私の悪い癖だ。

折角ゆっくり入浴できたので、頭から足先まで、一つひとつの部位に感謝の気持ちを伝えていった。

ありがとうを伝えながら、両腕で身体を抱き締めたり撫でたりしていたところ、フッとメッセージらしきものを受け取った。つながった先は、私の内側なので、光(私の本質)からのメッセージではないかと思う。

以下は、伝わってきたエネルギー的な感覚を言葉に翻訳したものだ。

「心臓の働きを感じなさい。

途絶えることなく、温かな血液が送り出され、戻ってくる。

その温かな流れを感じなさい。

あなたは、心臓がそのように働いていることを知識として知っていたけれど、忘れていたね。

どんな瞬間も、あなたを生かすために、あらゆる働きがなされているのを、忘れてしまっていたね。

今ではなく、先を追い求め、焦っていた。

今、ようやく、心臓に手を当てて、鼓動を感じた。

そうだ、今を感じれば、どの瞬間も、あなたの中には温かい流れがあるのだ。

いつ如何なる時も、その流れがあなたを支え、生かしている。

心ここに在らずになったら、胸に手を当てて、そのことを意識しなさい。

その流れが無ければ、そもそも、あなたのどんな体験も実現していないことに思い至りなさい。

その奇跡と全体が織り成す美しい調和を、温かい流れから感じとりなさい。

食事をしたら消化しなければ栄養にならないように。

いくら詰め込んでもだめだ。

ゆっくり咀嚼して、時間を取らなければ、未消化物となるだけだ。

口いっぱいに詰め込んで、まだ足りないと、さらに頬張ろうとしているのがあなたなのだよ。

落ち着いて、ゆっくり咀嚼しなさい。

その時間を大切にしなさい。

何も起きていないように思えて、何も進んでいないと焦っているようだが

顕在意識が感知できていないだけ。

9割を占める目に見えない領域では、大きな変化が進んでいる。

たった1割の目に見える現象に振り回されて、焦ることはない。

あなたを信頼しなさい。

世界を信頼しなさい。

心臓の鼓動に意識を向けて

その温かな流れを感じる時間を

大切にしなさい。」

「体を大切にしてやってくれ。」


☆夢の記録

その日の夜見た夢を記しておく。メッセージ性の濃い内容だった。

マンションの上層階に住んでいる。窓からは海が眺められる。天候が悪く、巨大な波頭が立っている。下の階は危険かもしれないが、私が居るのは上の階なのだから、絶対大丈夫だと思っている。

しばらくして、ふと窓から外を見る。既に、海水がベランダのすぐ下まで上昇してきている。手を伸ばすと海水に触れられる。海水の生あたたかい感触がする。まさかなあ。ここまで来るものかなあと、不安がよぎる。

海から目を離した次の瞬間、部屋に海水が流れ込んでくる。ヤバイ!逃げなくては!私は同じマンションの知人の家に避難する。

次の場面。知人の部屋の内部に居る。その部屋には男女三名が居て、汗をかきながら熱心に演技の立ち稽古をしている。外で海が荒れていて、海水が上昇していることに気がついていない様子だ。まったく危険な感じはなく、穏やかな日常の一コマが繰り広げられている。

そこで、私は、知人の家が一階にあることを知り愕然とする。もっと上の階の安全な部屋に避難してきたと思い込んでいたのだが、何と、私は危険だと思っていた下の階の一階に来てしまったのだ。しかも、ここは何も起きていない。何故なんだろう?

マンションの外から原因を確認する。周りの建物が干渉し合い、海水の流れが別方向へ流れている。だから知人の家は一階にあっても、影響を受けていないのだと理解する。

上の階の方が安全で、下の階は危険だと思い込んでいた。実際に事が起きてみると、そうではなかった

上の階でも波は押し寄せる。

(いくら対策を取ったとて、不慮の事故や災害に合う時は合う。)

下の階でも、助かる時は助かる。

(意図せずとも偶然が重なり影響を受けない。それは人知を超えた見事な采配による。)

頭で考えて、不安の一つひとつを対策して未来の不安から逃げ回っても、

起きるものは起きる。

体験すべきを体験する。

守られるものは守られる。

戦場で銃弾の嵐の中、戦友は銃弾を受けて死に、隣にいた自分は、紙一重で銃弾が逸れて生き残るような、ほんの数ミリの違いが生死を分けるという体験をするように。

戦友は、悪人だから死んだとか、自分は善人だから神に選ばれて生き残ったわけではない。何故そうなったかなんて、人の頭では理解できない。

逃げまわっても、起きるものは起きる。

生かされる時は生かされ、死ぬ時は死ぬ。

どちらがいい、悪いではなく、結局は魂が体験したいようになっている。起きる事、すべてを了解して、今を体験している。

顕在意識(自我)がいくら抵抗しても、何とか変えようと踠いても、大いなる流れは変わらない。

小さな私の視点で眺めれば、絶望するようなことも、大きな私の視点で眺めれば、すべてをありのままに受け入れている。

すべての出来事は、見事に配置され、全体として調和しながら、あるべき場所にはめられていくジグソーパズルのようなものだ。

その一片だけを見るのか、全体像を見るのか。

どちらの視点で生きていきますか?ということを問われたように思う。

なるようにしかならない。そもそも、その不安は、肉体の死を怖れる自我の働きであり、自我は私そのものではない。(自我は肉体の死とともに消える。)私は肉体を脱いだ後も存在し続ける、永遠の意識エネルギーだ。

不安から、まるで小動物のように、チョコマカ動き回り、波に翻弄され右往左往して、逃げ惑う自分を一歩退いた視点から眺めてみるのも必要なんだろう。

「どっしり構えとけ!

今起きている出来事を体験するんだ。ゆっくり咀嚼するように。」

短く表現すれば、こんなメッセージか。

この夢は、自我と真我の視点を説明されたのかもしれない。

本当のあなたは、どっち?

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