空の曼荼羅ふたたび
3月21日春分の日
宇宙のエネルギーが切り替わる、宇宙元旦とも言われている。
ふと、思い立って、東京随一のパワースポットと称される皇居前広場まで散策した。
そして、空に、でっかい丸が描かれているのを発見。
日暈(ハロ)である。
そう言えば、一年くらい前もここでハロを見たな~とブログを見返してみたところ
2022年4月2日、「宇宙のはじまりを体感するワーク」を書き上げた日に皇居でハロを見上げていた。そして、その翌日ハロから連想した「曼荼羅」について感じたことを投稿していた。
その前日の4月1日には「実存的変容」について書いていて、忘れていたのでびっくりした。
「人の意識には成長サイクルがある。」と言う書き出して始まっている投稿だった。一年前の私はこんなことを考えていたのかと、まるで他人事のように新鮮な気持ちで読んだ。
そんなことをすっかり忘れてしまい、約一年後(2023年3月)無意識に、「実存的変容」をテーマに投稿し、またまた、偶然皇居前広場に赴き、気象現象であるハロを見るという・・・・タイムループか?
宇宙元旦に、空にでっかい丸を見せられたことで、宇宙から渾身のOKをいただいたような、有難い気持ちになった。これは、私だけに合図されたものではなく、地上の全ての存在へ向けての「オールOK」サインである。「そのままでいいよ。順調に進んでいるよ。」との愛と受容のメッセージである。
人の意識の成長サイクルは、螺旋状の上昇サイクルとイメージしているが、分かりやすい現象を見せてくれることで、ようやく螺旋を一周したのだな~と実感が湧いたのだった。
宇宙からでっかい丸を出されているので、この投稿をご覧になられている皆様も、どうか安心して、人生を満喫していっていただけたらと思う。指標は、昨日の投稿に書いた。
より自由に軽やかに、「静けさ・穏やかさ・美しさ」を指標に、本質に還って行く道のりを楽しみながら歩んで行こう。
3月21日、東京は曇りの一日だった。朝、ふと靖国神社へ行ってみようと思いついた。開花発表のため3月は東京で一番注目される桜がある(東京管区気象台の標本木ソメイヨシノ)。花見客で混雑する前に境内の桜園を眺めておこうと思ったのだ。
朝、根拠もなく、ふと思い立ったので、直感に動かされていたことになるのだろう。私は、思考を働かせる前のふと湧き上がる思いを出来るだけ実行するようにしている。それは潜在意識の奥につながる本質の望みを知るための方法だ。「良く分からないけど、ここに行ってみたい気がするので、行ってみよう。」という感じ。
思考を働かせると、本音が分からなくなってしまう。コップの水をイメージしていただいきたい。底に溜まっている沈殿物がかき回されて濁ってしまう感じだ。沈殿物はエゴだと思ってほしい。私は本当はどうしたいのかを心に問うなら、コップの中で漂う沈殿物を底に沈め、上澄みの綺麗な水の部分を飲むようにしたらよいと思う。いろんな方法があるかと思うが、私の場合は、直観に従うという簡単な選択スタイルだ。即実行。これがポイント。もちろん失敗した~!ということも起きるが、魂の学びに失敗は無い。全てが貴重な体験だ。近道ばかりが成功なわけでもない。本当の自分とつながる練習は、日々このように行っている。
靖国神社へは、地下鉄の九段下という駅で降りる。階段を昇り地上を目指していた時に、妙に身体が重くなっていることに気が付いていた。いつから重くなっていたのかはっきりしないが、普通ではない。気分は悪くないので、悪霊に憑依されたとか、そんな感じではない。しかし、やたら重い。
その重さは、地球に引っ張られる感覚。強力なグラウンディングエネルギー。足を上げるのすらしんどい。私自身のエネルギーは、宇宙に近いので、日常的に上空にあがっていく感覚で、フワフワ(ふらふら?)しがちだ。だから、このどっしりずっしりした、地球的エネルギーは違和感がありすぎた。
私の身体に依り付いた何らかの意識体が居るならば、ハッキリさせておいた方がいいかな?と思ったので、心の中で高らかに宣言した。
「この身体は、私の魂の学びのために、私の体験に大切なものです。どうか速やかに私の身体から離れてください。あなたの身体ではありません!出て行ってください!」
ちょっと冷たいかな~とも思ったが、何しろ体が重いのだ。エネルギーの事を知らなければ、この怠さは、風邪でも引いたのか疲労がたまっているのか?と勘違いしただろう。この重さを抱えたまま、もうひとつの意識体のための体験を叶えるほどの力量は無い。共倒れになってしまうので、冷たいがハッキリさせたわけだ。
しかし、この重たさは、靖国神社で桜を楽しんでいるうちに消えていたので、ひょっとしたら?とある可能性に気が付いた。第二次世界大戦中、国家のために人生を捧げられたとある人物の意識エネルギーでは?と感じたのだ。私の勘違いかもしれないので、あくまで可能性のことだ。私の身体を依り代にして、靖国神社まで連れてきたのではないだろうか。電車みたいな役割をしたということだ。
その意識エネルギーは、英霊たちが集うこの場に来ることで、自身の中の戦争に折り合いをつけたのではないかと勝手に想像したのだった。懐かしい仲間たちにも再会したかもしれない。思い残しをクリアにして、光の世界へ戻って行かれたのではないかと思うと、それはそれで良かった。
兎に角、軽くなったので、離れて行ったことは確かだ。ほっとした。やっぱり身体ひとつには魂ひとつが、一番動きやすい。積載量オーバーは事故の元なので、気を付けていきたい。
毎年、桜を観るためにこちらを訪れているが、混雑するため、拝殿参拝はパスしてきた。しかし今回は時期が早かったため、スムーズに参拝をすることが出来た。御祭神もよく分からないまま、手を合わせ平和を祈った。
おみくじを引いてみた。
今年は、4回おみくじを引く機会があり、凶が続いていたため、恐る恐るという感じだった。
結果は大吉。
正直、ほっとした。
思わず大きな歓声をあげてしまった。
「このみくじにあう人は
草木の春にあい
花咲き
やがてみのるようで
世に出る喜びがある
神仏を信じ
自らかえりみて
謙虚なれば
幸せ来る」
ああ、ようやく、私にも春到来だ。
なぜ、立て続けに凶を引いてきたかを考えてみる。神に言わせると
「もし、大吉を見せれば、おまえはすぐ慢心してしまう。お調子者のところがあるからね。しばらく凶ばかり見せられて、自分の欠点に気づけた様子だから、たまには大吉を出してあげよう。」
というところだろう。
「自らかえり見て、謙虚なれば!」と、強調されつつ、春らしい美しきメッセージをいただけた。心の中が春色に柔らかくほどけていった。
人生の巡る季節も、春を迎えたようだ。長い冬だった。40年くらい、ずっと冬だった。よく雪の下で発芽を待って腐らずに耐えたものだ。さて、私の種はどんな花(愛)を咲かせるのだろうか。楽しみだ。
靖国神社で桜を満喫してから、千鳥ヶ淵を経て、皇居のお堀沿いをブラブラ歩きながら皇居前広場へ到着したところで、冒頭の日暈を仰ぎ見たわけである。
帰宅してから、靖国神社の参拝のしおりを読んでいた夫が、驚きの声を発した。
「御祭神は軍人ばかりではないんだって。坂本龍馬とか、吉田松陰も祀られていたみたいだよ!」
前日に、松陰先生の墓参りをしてきていただけに、その偶然に鳥肌が立った。知らなかった。
目に見えない領域で、何が起きていたのか知る由も無いのだが、物質次元の動きとエネルギー次元の動きが連動して、私の肉体は何らかのメッセンジャーの役割をさせてもらったのかもしれない。あの大吉は、無事役割を果たしたことへの目に見えない存在からのお礼だったのかもしれない。偶然にしては出来すぎている出来事の符号に、開いた口が塞がらない私であった。
~みおしへ~
心とは不可思議なものだ。
これがあるが故によろこび、
これがあるが故に苦しみ悲しむ。
自分のものであって、
自分の思うとおりになるものでもない。
しかし、心の持ちようで、
また清め、鍛え、みがくことによって、
心は天よりもさらに高く、
地よりもさらに深いところに行くことができる。
石田梅岩
靖国神社おみくじ 第十二番 大吉
☆追記
長野県八ヶ岳でも、青空をバックに美しいハロ現象が現れていたらしい。ハロは、気象的には、天候が下り坂である予兆とされているが、虹色(または白)に輝く輪は、目に見えない存在からの祝福メッセージであると私は解釈している。
それと、今日気がついたのだが、わたしの地声が低くなった。人と話していて、いつもより音が低い。無理に高くすることも無いので、自然に出るままにしているが。春分を堺に声変わりとは·····。私から発せられるエネルギーが変わったんだろうか。謎。
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