イーハトーヴを目指す旅
明け方にかけて、意味深い夢を見た。
たいていの夢は忘れてしまうのだけど、今回の夢は、まだよく覚えているので、忘れないうちに書いておく。
夢の中では、登場人物になりきっている。
夢の前半は、結構長かったはずだが、忘れた。一人でずっと旅をしていたようだ。今回の夢のテーマは、旅のようだ。
後半あたりからは、よく覚えている。
【夢の話】
北海道を一人で旅している。
夜のローカル線に乗っている。○○という駅で電車を乗り換える予定だ。○○駅では、乗り換える電車が、ホームで斜めに停められているので、すぐに分かると言う。そのビジョンを先にイメージとして見せられる。ああ、これなら、間違いようもないし、乗り換えも簡単だなあと、ホッとする。○○駅で電車を乗り換えれば、それは目的地への直通なので、旅もいよいよ終わりだ。長い旅をしてきたが、ようやく到着できそうだ。
ふと、気がつくと、電車の座席に横になって眠っていた。(夢の中でも眠っている夢を見る!)目を覚ますと、電車内は結構混んでいて、隣には知らないオジサンが座っている。しっかり横になりスヤスヤ寝入っていた自分がちょっと恥ずかしい。
いつの間にか、旅の道連れが傍にいる。小柄な若い女性。夢の中では、以前から知っていてとても親しい。
私は、彼女に恥ずかしそうに言う。
「もう、○○駅、通り過ぎちゃったよね。眠っちゃったから。」
○○駅ホームに斜めに止まっているはずの、目的地直通の電車を思い出す。あれに乗れば、楽に早く旅を終えられたのになあと、少しだけ後悔する。でも、すご~~~く、眠かったのだ。爆睡せずにいられなかったほど····うん。疲れていたんだ。仕方なかった。
ここで、前半の夢を少し思い出す。一人旅の道中で、私は何回か、乗り物の中で同じように寝入ってしまい、乗り換える予定の場所で降りられず、旅の行程を何度か修正してきたようだ。
危なっかしいので、旅の最終段階には、ナビゲーターが駆けつけてくれたのだろう。
大型客船が港に入る時には、現地の水先案内人がタグボートでお迎えに来てくれて、サポートしてくれる。それと同じ感覚か。
道連れの彼女を△ちゃんと呼ぶことにする。
△ちゃんは、意に介さず、ケロリとしている。全然いいんじゃな~い?という感じ。とても旅慣れている、頼りになる感じ。
△ちゃんによると、このローカル線で、♢♢駅で降りようと言う。目的地まで行くのに、別のルートがあるらしく、△ちゃんに任せていれば大丈夫みたいだ。
♢♢駅で降りる。舞台は北海道なので、雪国だ。雪の白さが目に眩しい。
私たちは、雪原にあるバス停で、港行きのバスを待つ。△ちゃんのアイディアでは、船で目的地を目指すらしい。わぁ、それも素敵!△ちゃんと旅ができて、いろいろ教えてもらえて良かったと嬉しくなる。
そう、自由な旅だから、目的地までは、いろんなルートでアクセスできる。好きなように進めばいい。私は、今まで一人旅だったから、電車に乗って進むことしか選択しなかった。いろんな乗り物で、別のルートもあると、知ろうとしなかった。頑なに、電車に乗り続けていた。そして、何度か、眠りこけて、乗り換えを失敗してきた。まあ、急ぐ旅ではないのだけど、この度重なる乗り換えミスにより、当初の予定より、だいぶ遠回りしてきたみたいだ。
何度目かの乗り換えミスをしても、やり方を変えられない私。(学習しない。ひとつのやり方に固執してしまう不器用さ。視野の狭さ。)
そこに、風穴を開けてくれるために、登場したのが△ちゃんだったように思う。
乗り換えに失敗したっていいんだよ。それをきっかけに、別のルートを選んだっていい。何なら他の乗り物にも乗ってみない?それも旅の醍醐味だよ。もっと楽しんでいいんだよ。もっと自由になっていい。今までのパターンを手放せば、きっと違う景色も見えてくる。
△ちゃんが言葉にしてアドバイスしてくれたわけではないけれど、△ちゃんの登場は、私にこんなことを教えてくれたんだなあと、目が覚めた今なら思う。
さて、夢の中で、△ちゃんとバス停で並んでいた時に、そこで数人の知り合いに会う。(現実世界では、10年ほど前に図書館の同僚だった人。当時はあまり親しいわけではなかったのだけど。私を激怒させたエピソードがある人物。)
ああ、あなたたちも、このルートなの?みたいな、和やかな雰囲気で、再会の挨拶を軽くする。例えれば、町歩きイベントに参加していて、チェックポイントでバッタリ知り合いに会うくらいの感覚。町歩きイベントの舞台が、この夢の中では、日本全国に置き換わっているに過ぎない。だから、まあ、知り合いと顔を合わせても、不思議は無いのだ。みんな、目的地を目指して旅をしてきたのだから。ルートはそれぞれだし、一人旅でも、三人連れの女子旅でも構わない。旅の終盤ともなれば、知り合いに会う確率は高くなる。みんな、続々とゴール付近に集結しつつある。
さて、バスで港に向かう。
車窓から素晴らしい景色が眺められる。広大な海原に帆船が一艘浮かんでいる。朝の太陽の光に反射して、全体が金色にキラキラ輝いている。例の知り合いが、うっとりとしながらしゃべっている声が聞こえる。
「もう、このあたりは高次元化しているから。景色も輝きも違うよね。」
私は、その会話を耳にして、一人納得している。そうか、これが高次元の景色なのか。金色の光の粒子が全体を彩っている。三次元の自然の景色に光を振り撒いたよう。これがアセンション後の世界の見え方なんだ。あまりに美しくて、言葉にならない感動を味わう。
次のシーンは、既に△ちゃんと乗船していた。船内のフードコートで、何を食べようかとメニューを眺めている。
△ちゃんは、「ここで食べるなら□□ヨーグルトでしょう。」と、おすすめしてくれる。△ちゃんは、本当に何でも知っている。へぇ、私もそれにしようかな?と思っている。このあたりで、だんだん夢は薄くなり、やがて目が覚めた。
長い長い夢を見ていた感覚がする。ずっと旅の途上だった。そして、優雅に船で目的地に到着するという直前で夢から覚めた。
△ちゃんは、もしかしたら、私のハイアーセルフではなかったか?と、ふと思う。
なぜ、私がとるに足らない夢を詳細に書いてきたか、既に勘のいいあなたなら、気がついているに違いない。
この夢は、魂の旅路そのものを伝えてきていたのだ。
私たちの意識の本体はひとつ。宇宙源と言われる。源意識は、ひとつから無数に意識を分離させ、様々な体験をすることで、自分(宇宙)を知ろうとしている。「私」という、この分離した意識は、本来は幻であり、リアルな夢を見ている状態にある。聖なる催眠と表現する人もいる。覚醒や悟りとは、夢から覚めること。源意識を思い出すことに他ならない。
私たちは、毎朝、夢から目が覚めて現実が連続しているように錯覚しているが、実は現実の方が夢である。とってもリアルで、五感で味わえるので、「私」が捉えたすべてが本物だと思わされてしまう。しかし、五感で感じているのは、脳が一定の周波数を変換しているに過ぎず、捉えている対象物は、振動する(ゆらぐ)粒々である。そして、それらは、「私」意識が想念で創り上げている。「私」が現実の創造主である。
「私」意識は、自分が選んだテーマに沿って、現実という夢を見る。そこでの体験や味わった感情が、この宇宙創造の最たる目的であり、成果物だ。掛け替えの無い宇宙の宝物だ。この無数の体験や感情を集めて、源意識は自分(宇宙)を知る。体験を通して感情を味わい、なにかに気づいていくことを魂の学びと表現する人もいる。宇宙源からすれば、ネガティブもポジティブも善いも悪いも無い。全部が知る喜びである。
現実という夢も、永遠に続くわけではなく、やはり終わりはくる。(覚醒する。)
目覚めのタイミングはそれぞれだから、遅いとか早いとか、誰かと競い合うものでもない。自分の見たい夢を自分のペースで好きなだけ見ればよいのだ。ただ、味わえばいい。楽しめばいい。目的は、「私」を知ること。単純にそれだけなのだから。目が覚めれば、本質に戻る。
「あ~何だ!夢だったのか。面白かったな~。」
どんなに夢に没頭していても、夢はちゃんと覚める。幻は消えるが、体験は記憶に残る。源意識(宇宙)はせっせと記憶を集めて楽しんでいる。ひとつ なんだけど、無数にあるという幻想。その覚醒プチ体験を、私たちは毎朝行っている。宇宙はフラクタルだ。大きな世界で起きていることは小さな世界でも起きている。
私のとるに足らない夢のストーリーではあるが、魂目線で読み直していただけると、目覚め過程の様々な象徴が出てきて、さらに興味深く読めるかと思う。
魂の旅の最終行程は、どうやら、ハイアーセルフ(魂の本質?真我?)と、協力しながら進むらしい。ハイアーセルフも自分だから、自我意識の自分にもしっくりくる。そして、自我より、少し賢くて、頼りになる。
夢の中に出てきた△ちゃんは、昔からずっと知っていたような、傍にいてホッと安心できる、それでいて、空気や水のように当たり前なんだけど大切な存在に感じられた。
誰にでも、このような頼りになる旅の相棒が自分の内面奥深くにスタンバイしていて、今までも、今も、これからも水先案内をしてくれる。
自我意識でいると、一人で頑張ってきたように感じるけれど、実は「私」意識が生まれた瞬間から、この頼もしい相棒は共に歩んでくれている。
相棒からは、直感やインスピレーションを通してメッセージがくる。もし相棒とコミュニケーションを取りたいと思われるなら、思考(顕在意識)を休め、ふと内側から浮かんでくるメッセージに耳を傾けてほしい。本質からのメッセージは、瞬時に分かる。スッキリとして理解しやすく、視野が広がる感覚になる。(さらに混乱したり、不安が増すようなら、それはエゴの声)
今回の夢では、目的地に到着しなかったが、旅の終盤を△ちゃん(ハイアーセルフ)と、めちゃくちゃ楽しんでいた様子なので、きっと今、「旅を満喫して、楽しんで行こうね~。」というメッセージを伝えてきたのかな?と思う。ちなみにハイアーセルフは、ヨーグルトのデザートがお好きだったらしい(笑)熱心に勧められたので。
そして、私の心の故郷のイメージは、雪国なんだなあとあらためて思った。南国ではなく、雪が好きなんだな。
船で着いた先が、私にとってのイーハトーヴなんだろう。
さてさて、現実という夢はまだ、しばらく続きそうだ。
遠足に行った時、先生からこう言われたことがあるかと思う。
「家に帰るまでが遠足ですよ。」と、無事帰宅するまで大切なんですよと伝えられたことをふと思い出す。
イーハトーヴは、もうすぐそこだ。私の故郷。帰るべき懐かしい我が家がある。
夢であろうと、大切な遠足だ。これをやりたくて、私は出掛けた(源から分離した)んだ。
さあ、最後の一歩まで、満喫しよう。掛け替えのない、この夢を。
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