青い鳥

 本日は、セラピスト仲間と催眠療法の練習会を開催した。

プロになったとは言え、まだまだ未熟なヒヨッコなので、兎に角、経験値を上げて度胸をつける事が第一だ。また、クライアントは千差万別なので、同じセッションは起こりえない。方法の引き出しを増やし続ける必要がある。ヒプノセラピストにゴールは無い。果てしなく学びが続く。

現代催眠の父、ミルトン・エリクソンは、何十年と催眠療法に携わったが、心底納得の行くセッションが出来たのは、晩年の数年間だけだったそうだ。

また、私の催眠の先生がアメリカへ講習会に出かけた時、催眠誘導がとっても上手な受講生が居たそうだ。プロが集まっている会の中でも上手いと感じたのだから、かなりの腕前だったのだろう。先生は、その方に質問したのだそうだ。どうしてそんなに上手なの?と。彼は答えた。「毎晩、練習していますから。」と。

それを聞いて、穴があったら入りたくなった。毎晩練習してなかった・・・・。これでは、いつまでも下手くそで、いつまでも自信がつかないのは当たり前ではないか。プロと言う立場に胡坐をかくことなく、日々研鑽を重ね、努力する。いつか出会うクライアントさんの、一期一会のセッションのために。何だか、意識がぐわ~っと引き上げられた。いつまでも甘ちゃん意識だった自分を振り返り、反省した。どこかに逃げのための言い訳を用意していた自分の弱さを自覚した。そうだ。毎晩スクリプトを読み上げて、誘導練習をしよう。そう決意した。

一週間ほど前に、やはりセッション練習をした際に、大きな反省点にブチ当たってもいた。

私の中のセラピストエゴについて。

クライアントを助けたい。役に立ちたい。問題をクリアにしたい。ネガティブエネルギーを解放してほしい。楽になってほしい。身体の不調があるなら改善してほしい。気付きがあってほしい。喜んでほしい・・・etc.

クライアントの潜在意識の中には、ベストな答えがある。クライアントは自分の力で問題解決することが出来る。気付きのタイミングも、クライアントのペースがある。問題は、人生の課題でもあり、解決することだけがベストなわけではない。悩んだり苦しんだり、痛みを感じることで、その魂は何かを学んでいる。他人が勝手な判断で、ズカズカとその領域に踏み込んで学びの機会を奪ってしまうことは慎まなくてはならない。そっと手を貸すところと、見守るところを見極めなくてはならない。これはきっと子育てでも同じことが言えるのだろう。

催眠療法のすごいところは、問題だと捉えていた出来事を、潜在意識に入ることで、客観視できるところだろう。違う側面から光を当てることになるため、問題は、チャンスに変化する。生き方を変える切っ掛けになっていく。

しかし、この気付きは、あくまでクライアント本人の中で起こる必要がある。実感として落とし込まなくては、変化に至らない。いくら他人から良いアドバイスをいただいたとしても、素直に実生活を変化させる人は稀だろう。なぜなら、自我(エゴ)は変化を嫌うからだ。現状維持で進もうとするので、いくらでも言い訳が出てくる。私もそうだ。有難い本を山ほど読んでいるが、知識としてあるのと、実際に行動を変化させるかどうかは別問題だ。

だから、潜在意識の奥深くにアクセスし、ほんとうの自分とつながる体験が大事になってくる。自我と真我は、物事を観る視点が全く違うのだが、真我からの気付きは、特徴がある。ストンと腑に落ちるところだ。一気に目が覚める感覚。「あ、そうか!」という瞬時の理解だ。その内容は、とてもシンプルで分かりやすい。子どもでも理解できる言葉で表現できる。その内容は時として普遍的なメッセージとなる。

「ああ、このままで良かったんだ。起きるべくして起きていたんだ。すべてがベストだった。おかげで私は学ぶことが出来たんだ。私は、既に満たされていたんだ。」

この気付きに至ると、クライアントの問題は消えて行く。実際に現実として目の前に現れなくなっていくのだ。これを実存的変容と言うらしい。

何度セッションを重ねても、現実が変化しないのは、もしかしたらクライアント自身が変容していないことが原因かもしれない。しかし、そこに、良い悪いの判断は不要だ。先に書いた通り、クライアントの魂は、まだその現実を実体験することを選択しているかもしれないからだ。学びや変容のタイミングは、早いからいいわけでもない。その進み具合は、各々の魂が選択する。つまり、セッションの結果は、全てがベストなのだ。としか言いようがない。

例えば、私の場合は、半年前にがんが判明した。自我で判断すると、可能なら手術せずに、がん細胞に消えてもらいたかった。いろんな療法にチャレンジし、現実を変えようとしてきた。喜んで手術したいと思う人は少ないだろう。痛いし、身体に負担もかかるし、経済的事情もある。不安も大きい。

しかし、たまたま催眠療法を習っていたため、自己催眠で深い自分の領域と何度か対話した。その領域を本当の自分、魂、真我、ハイアーセルフと表現できるかもしれない。そこから伝えられたことは、純粋に喜びだった。「痛みを経験したい。どんな体験もベスト。いい体験ができる。よかったね~。」みたいな感じ。魂は、いよいよ本格的人生カリキュラムに進めるため、ワクワクしていた。

そして現実は、手術に向かってスムーズに進んだ。必ず手助けしてくれて、愛を送ってくれる方々が要所要所で現れた。自我では試練と思うような出来事も、誰かの愛に支えられて守られていた実感がある。おかげで、私は宇宙の流れに乗せられて、楽チン気分でゴールまで一気に運ばれてしまった。自我で抵抗すると、すごく苦しかったと思う。催眠療法に出会えていたことはラッキーだった。つまり、魂の決めて来た脚本に自我で勝手に手を加えないということが肝要かと思う。私にはこの病体験が必須だった。病=敗北=不幸 ではない。病=チャンス=魂の成長=喜び という脚本を用意して生まれて来た私のような人もいるということだ。

だから、私が自我に翻弄され、がん細胞を消そうと躍起になり、いろんな療法を渡り歩いたとする。(それも魂の学びの過程であり脚本通りなのだろう)。たまたま、霊能力のある人が神業で私のがん細胞を消してくれたとする。しかし、私の実存的変容(魂の学びに則した気づき)が起きてはいないため、きっと、同じ病を繰り返す結果になっただろう。いたちごっこだ。ネガティブな出来事は、消えてしまえばいいわけではない。必要があってそれは起きている。

起こることはすべてベスト。すべては掛け替えのない素晴らしい体験になる。どの体験も魂の喜びとなる。

この気付きは、人は死を迎えたら終わりでなく、永遠の光の存在であることに気づいている前提が必要だ。前の投稿でデス・リハーサルについて書いたが、いろいろ繋がってくる。

この一週間、2回のセッション練習をさせていただき、セラピスト仲間の協力をいただきながら、ようやくセッションの真髄に気づくことが出来たように思う。魂のカリキュラムは手厚くて、抜かりなく、必要なご縁が結ばされて、行くべき所へ誘われていく。人生は本当に上手くできている。人知を超えていて、圧巻だ。語弊があるかもしれないが、やっぱり人生は面白い。いい人生、悪い人生などない。そんな比較を飛び越している。私たちは誰もが平等に、こんな素晴らしい機会を与えられている。どうか、自分の人生に光を当てていただきたい。いろんな側面から、堪能していただけたらと願う。そして、自分のタイミングだと感じられたら、ぜひ催眠療法にトライしていただけたらと思う。

さて、話題は変わるが

本日、練習相手をしてくれたセラピストは、リーディングも学んでいる方だった。

セッション終了後の雑談タイムで、彼女にオラクルカードリーディングをお願いした。彼女は、以前のリーディングでも私の夫を「審神者役」と的確に表現してくださり、彼女は本当に高い光の領域からメッセージを降ろしているのだなあと、その能力を信頼している。

私なりに、一連の病体験の意味を理解してはいたが、リーディングだとどんなメッセージが降ろされるのか興味があり、早速お願いしてみた。

彼女は、天使の絵のオラクルカードを使って、3枚引いてくれた。解釈は、解説本からではなく、彼女がカードのエネルギーを感じて伝えてくれたもの。


手術の意味について

自分の心を強くする。

手術を経験することによって、自分を強くすることがひとつ。

カルマの精算の意味もある。

経験値を上げていくことで、経験が自分の強み、財産、宝になり、それを活かして次に繋げることが出来る。

病気は自分の弱いところに出る。それは、弱みを強みにすることにもなる。

今の時点で、あなたには色んな可能性がある。

この経験を通して色んな人に元気づけたり、後押しをしてあげられるようなセッションだったり、今出来る事を通じて、助けることが出来る。

そこで大事なのが、やっぱり、自分に対する自信。信頼。自分を信頼することが大事。

その信頼はもちろん経験の積み重ねから出てくるが、自分自身が一番使う言葉とか、自信の無い言葉だったりとか、「~かもしれません。」ではなく、言い切ること。自信があるように、振る舞っていれば自信も出てくる。経験からくるものと両方あるのだけど。自分への言葉がけに気を付ける。それによって自信ができると、周りを助けることが出来る。

天と繋がることが出来る。沢山のものが天から降り注いでいる。叡智、恵み、光、色んなインスピレーションが天から降り注いでいる。そこからメッセージを受け取り行動に移すことが出来る。受け取る自分の器を広げることがすごく大事、沢山受け取れば受け取るほど、沢山与えることが出来る。受け取るのも、自分の意識、自己認識がすごく大事。

最後に、男性の天使が微笑んでいるカードを見せられる

「アイ アム エンジェル」と言っているカードだ。

これらメッセージを受け取って、いい切っ掛けに繋げていってくれたら嬉しい。と彼女はリーディングを結んだ。


たまたま、その前日に、大天使の翼に見えるような巨大な雲を発見し、撮影していたことを思い出した。うわ~。でっかい翼だなあ~。と驚きながらシャッターを押した。

今日、不思議な流れで、天使からのメッセージを受け取ることになった。このシンクロにも驚かされた。確かに大天使がその存在を雲の姿でアピールしてきていた。

今回のカードリーディングでは、「カルマの清算」というワードに、魂がけっこう反応していた。私はカルマの清算をネガティブな意味で解釈していない。悪い事をしたから病気になるとか、不幸になるとか。そういう見方はしていない。どっちかと言うと、未完了の体験や感情をしっかり味わって完了させること。と言う意味合いで捉えている。

彼女に伝えられて、ああ、やっぱり、カルマの大清算があの手術だったんだな~。とスッキリ腑に落ちた。

手術に向かう半年の間に、私は凄まじいスピードで学びを深めていた。そして、前世を含め今世私の中に閉じ込めてしまった重いエネルギーを、手術という手段で、一気に手放したのだ。「カルマの清算」は、不要なエネルギーを手放し魂の解放を行うことだ。それは、地球での輪廻転生システムからの卒業を目指すものでもある。何百回とある転生での二極の体験をそれぞれ対にして体験し、感情を味わい、魂の学びとして刻み付ける。そして、中庸に戻す。その総仕上げを今世の私は行ったのだ。

この意味でも、私の人生では、手術体験は必須であった。魂のカリキュラムでは、今世でこの類の学びを終了させなければ、次の転生スケジュールに支障が出る。もし、がんという病を体験せずに、あの半年の深い学びを実現させるには、後3回は地球に転生しなければならなかっただろう。つまり、健康で長寿で孫に囲まれて幸せにピンピンコロリで人生を全うするような、「おしゃれ着コース」では、魂の目的にそぐわないということだ。私は、「お急ぎコース」を選択していたようだ。まるでクリーニング屋のメニューのようだが(笑)

カルマという視点で見れば、がん闘病の対になる未完了の前世体験は、どこかの時代で、傲慢な医者の人生かもしれないし、健康でピンピンして恵まれているから人の痛みが理解できない傍若無人な人生だったかもしれない。また、臓器は感情とつながりがあるため、「女性性の否定」「大きな悲しみ」をため込んでいた可能性もある。それら一つひとつ、催眠療法で取り上げて癒していく方法もあるだろう。そうする人もいるだろう。ただ、私には、癒しだけでなく、病の実体験が必須だった。プラスアルファで、心を鍛えることも、人間性の器を広げるために、肉体の痛みを体感として味わうことが何より大事だった。これは私の魂の選択であり、私にとってのベストな体験と言う意味である。

前世までに、カルマ清算が終了している人は、「おしゃれ着コース」で地球を存分に楽しんでから魂の故郷に帰る場合もあるだろう。私みたいに、バタバタと、最終列車に駆け込むような慌てん坊もいるだろう。あれもこれもと人生に詰め込みすぎて、「お急ぎコース」じゃないと間に合わないのだ。

だから、病は、失敗ではないし、死は敗北ではないし、困難な出来事は、あっていいのである。それがベストであることを、私たちは深いところで知っている。答えはいつも私たちの中に存在する。

それを私たちは「幸せの青い鳥」と表現することもある。

般若心経も、同じ気付きを伝えてくれている。

ノヴァーリスの「青い花」もそうなんだろう。


そう言えば、数日前に友人がメールをくれた。「青い鳥」というタイトルだった。

「自然な流れに任せるだけでいいんじゃないのかしら?そう、青い鳥はあなたのところにもう居ます、みたいな感じかな!?」

という素敵なメッセージで、何だか心に沁み込んで、何度も読み返していた。


こうやって人と人は潜在意識でつながって、必要なメッセージを送り合ったり、出来事を起こして、必要な気付きを促し合ったりしているんだなあ。繋がっているんだなあ。

「青い鳥はあなたのところにもう居ます」

この気付きのために、今日もいろんな人に出会い、いろんな出来事を体験するだろう。

すごいなあ。人生って、本当に!



マリア様の不思議のメダイ

2週間前に、インスピレーションを得た。

いきなり、メダイを使い、何かを手作りし、ご縁の深いと感じた方々にお渡ししたいという強い思いが湧き上がってきた。

私の闘病中、たくさんの愛を送ってくださった方々に、何らかの形で、恩返しをしたかったのもある。

私の不器用すぎる技術の問題もあり、単純な形のバッグチャーム(ストラップ?キーホルダー?)なのだが、天然石とチェコガラスを使い、一人ひとりを思い浮かべながら、マリア様の愛のエネルギーをふんわりと込めさせていただいた。

ひとつひとつ、即興で石とお話をしながら繋いだので、同じものは存在しない。

それぞれの方の健康と幸福を祈り、お守り替わりになりますようにと、聖イグナチオ教会でイエス様とマリア様にお願いをした。そこで感じたマリア様からのエネルギーは、「愛の心で行動すること」を伝えてきたように思う。

私は、潜在意識からインスピレーションを受けていたが、それが本当に相手に迷惑にならないか、自信が無かった。下手な素人作りであり、マリア様のメダイを使うことは失礼なんじゃないかとか、もし相手がマリア様が好みでなかったらとか、顕在意識は心配事ばかりを挙げてきたからだ。やらない方が無難なんじゃないの?と。

私の行動にエゴが入れば、心配した通りになるだろう。純粋に相手を思い行動に移すなら、愛は愛のエネルギーを生み循環して広がっていくだろう。何をするにも、どんな思いで行動したのかが、大切になってくる。

贈った結果、喜ぶ人も、喜ばない人もいるだろうが、それは相手の自由なので、そうなんだな~。と受け入れればいい。喜ばない人は、次に配慮して差し上げればいい。これも学びだ。いろんな価値観がある。私はそこからそのままを受け入れることも学ばせてもらう。これも上級者コースの愛の表現につながっていく。

マリア様からは、「やってみなさい。やってみないことにはわかりません。すべては学びにつながります。あなたの心のままに。」と、背中を押していただけたように思う。

それぞれに旅立ったメダイたちは、どうやらお役目があったようだ。受け取られた方々から、メッセージをいただき、思い切って行動に移して良かったなあとしみじみ思った。それぞれから寄せられたエピソードに、心あたたまる思いだ。

もちろん、中には戸惑われた方もいらっしゃるだろう。それにも関わらず、優しく受け入れてくださった皆様に心から感謝している。

私が感じたのは

マリア様が、「あなたをいつも見守っていますよ。応援していますよ。」と、その方に伝えたかったんじゃないかな?ということだ。

私は、今回は、媒介にならせてもらったのかもしれない。私の潜在意識が透明になればなるほど、宇宙の愛は私を通して、表現されていくだろう。私はその純粋なエネルギーをピュアなままに、具現化して誰かにお伝えしていく。産地直送クール便みたいに、新鮮な輝きのままに。

宇宙の循環の中で、愛を受け取り、またその愛を私なりに発信していく。

私なりのプチチャレンジだったが、勇気を出してみて良かった。






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