夢からのメッセージ
久々に夢を見た。
いつもは、見ているのだろうけれど、目が覚めると忘れてしまう。今朝は目が覚めてもよく覚えていた。おそらく潜在意識からのメッセージかと思うので、記録しておく。
舞台は、○○区役所。私が30年所属していた組織だ。場所は区役所なのだが、なぜか図書館の仕事をしている。
ふと、手元のスケジュール表を確認したら、何と、一般サービス委員会(様々ある図書館のサービスのうちの一つ)の会議が始まっていることに気づいた。行かなくては。
会議は、この大きな建物のどこかの会議室で行われているはずなのだ。私は、当てずっぽうに探し回るつもりのようだ。
階段を昇ったり降りたりする。踊り場に温泉の湯船があったりして、さすが夢っぽい。
以前使われたあの会議室だろうか?今回も同じとは限らないのに。ずらっと並んだ扉をいちいち開けて、確認するの?いやいや、非効率すぎる。何で探しに出る前に、どこかに電話して、確認しなかったんだろう?と後悔。
私は、巨大な建物の中を彷徨い続けている。延々と、会議の場所を探しているのだが、この探しかたでは、辿り着けそうにないと、薄々分かっている。分かっているのに、当てずっぽうに探すことを止めようとはしない。
会議室を見つけたら、まずは遅れたことを謝って、どう言い訳しようかな。そうだ。手術して入院することになっているから、しばらく不在にすることも伝えなきゃ。
そんなことを考えながら、歩き回っている。そのうち目が覚めた。
何でこんな夢を見たのだろう。
スッキリしない夢だ。みぞおちあたりが、モヤモヤして重い。
先の見えない不安を抱えながら、当てずっぽうに歩き回っている私。これが今の私の姿なんだろうか。
行くべき場所、今やるべき役割は分かっているのに、非効率に探しているだけで、延々辿り着けそうにない。無駄に時は過ぎていく。
ああ、そうか。
私は、不安なんだ。
明後日、入院する。
その翌日は9時には手術開始だ。
まだまだ、先のことだと思って、悠長に構えていた。
入院したら、きっと時間がたくさんできるから、あれもこれも、普段集中して出来なかったことをやりたいと、ワクワク計画していた。
本を数冊、ぬり絵、かぎ針編み、催眠スクリプトの暗記、アロマオイルも持って行こう。オーガニックティーも楽しもう。上膳据膳だし、天国だなあ~。と。遠足気分だったけど、見ないようにしていた影の部分もあった。
私の内にはもう一人のワタシが居る。
気持ちが追い付かないワタシが、「表に出たら悪いから···」と遠慮して、奥に引っ込んでいるが、確かに存在する。
ついつい、突っ走る性質の私は、その子をいつも置き去りにしてしまう。
光と影は対だから、どうしても両方出来てしまう。物質次元で二極を体験するカリキュラム中だから、仕方ないのだが、キラキラ光る私も、どんより暗いワタシも、どちらも大切に味わいたい。大切にしたい。
いいんだよ。不安になって当たり前なんだよ。そりゃそうだ。何度やったって、手術は怖いよね。悲しいよね。どうしてまた、こんな体験しなきゃならないの?と文句一つも言いたいよね。
魂視点では、道は俯瞰して見えているだろうから、「そうそう、その方向で順調!」と、ニコニコ楽しんでいるだろうが。
ワタシは、肉体に閉じ込められているから、先が見えていないのだ。つまり、巨大な建物の中で会議の場所をうろうろ探し回っている状態。
魂は、モニターで建物全体を常時把握している管理人みたいな存在だから、ワタシが彷徨っていたとしても、「迷うことも、遠回りも、不安に思う気持ちも、みんな素晴らしい体験よね。」と、安心して眺めているわけだ。
いずれゴールに辿り着くのは知っている。効率的に素早くゴールしてしまったらおもしろくないから、魂的には、ワタシにうろちょろして欲しいわけだ。迷い道には、ドラマが生まれ、様々な感情を味わえる。その体験をしたいから、ワタシは、狭い視点だけを与えられている。
その方が面白いから。なんだよね~。
不安を感じてうろうろしているワタシを顕在意識·自我·エゴ と表現してもよいだろうし
俯瞰して楽しんでいる私を魂·本質·潜在意識につながる意識(真我)と表現してもよいかもしれない。
この二者の関係は、台風に例えられる。
台風の目の周りは暴風雨で荒れ狂っていたとしても、中心はいつも穏やかで晴れている。
私という意識は、このポジションを行ったり来たりしている。時には両方同時に感じる。
台風が人間の意識構造のフラクタルだとするならば、嵐も静けさも、両方あって当たり前なのだ。一方だけが善くて素晴らしいと捉えることが出来ようか?
台風は被害ももたらすけれど、恵みももたらす。
暴風雨があるから、晴れ渡る空が美しく輝く。浄化が起きる。両方セットだから、意味がある。
だから、感じていいんだよ。嵐の中の自分だって、大切な一部なんだから。
今回の夢から、そんなメッセージを受け取った。
☆日の出に向かう
お正月三が日。
今朝も太陽が昇るタイミングで、祝詞を唱えることが出来た。
早朝の空気は濃い。植物は日の出の45分位前から、酸素を放出し始めるらしい。それを感知して、鳥が目覚めてさえずり出す。
鳥が日の出前から美しい声で歌い始めるのは、新鮮な酸素を吸って、喜んでいたわけだ。
「おはよう!今日も生かされていることに感謝!地球の恵みにありがとう!」
鳥たちは、そう歌っているのだろう。
日の出のタイミングで新鮮な酸素を呼吸し、生まれたての太陽の光を浴びると、当たり前すぎて意識していなかったことに気づく。
こうやって、私は生かされていることを。
どんな存在にも、分け隔てなく、太陽も地球も恵みを与えてくれている。これが宇宙の本質である「愛」の働きだ。この働きを私たちは「神」と表現するのだろう。
「愛」に条件など、そもそも無いのだ。
呼吸をする瞬間、瞬間に
私は「愛」で満たされる。
日の出に手を合わせる時、そのことを思い出す。「ありがとう」もう、その言葉しか無いことを思い出す。
「大津邊に居る大船を
舳解き放ち
艫解き放ちて
大海原に押し放つ事の如く
(中略)
遺る罪は在らじと
祓い給ひ清め給ふ事を」
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