アロマでアプローチ
アロマタッチという施術を受けてきた。
アメリカのドテラ社のアロマオイルを使ったマッサージで、背中と足の裏をマッサージしていただいた。
アロマオイルには何段階かグレードがあり、こちらは世界最高品質。飲むことも可能。エネルギーに敏感な方は、肉体やオーラの波動が一気に高まるのを実感するだろう。
電車で一時間のK駅へ。さすが12月だ。気温がだいぶ下がってきた。冷え性なので、足先が冷たい。
バスを待ちながら、ふと思っていたことを書いておく。(後でこれが伏線になるので。)
あの大震災で、たくさんの方々が亡くなった。私は、3.11を境に、生き方を変えた。価値観がグルッと転換するほどのインパクトを受けた。学んだことはあまりに多く、ここに書き切れないが、ひとつ挙げるなら、「我(エゴ)よし。の生き方から、自分に何が出来るのか。という視点に切り替えた。」大袈裟に言えば、利他の心のことで、根源的な求めである。魂の道を模索する切っ掛けとなった。
震災で亡くなった方々の魂は、亡くなることを了承して生まれてきていると言う。魂にブループリントという計画書がついている。彼らは、亡くなることで、人々の目覚めに貢献した。魂の学びを促したと言える。彼らの魂は、勇敢だ。魂は永遠の存在であるから、どんな亡くなり方をしても、その方のエネルギーが消えることはない。形を変え、存在し続ける。このように魂同士、役割を担い、影響し合いながら、成長していく。時には過酷な役割を担い、目に見えない領域で大切な貢献をしていることを忘れてはならないだろう。
小さなお子さんが、虐待や不慮の事故で亡くなるのも、私たちに大切なことを伝えるために、その役を担ってくれている。命の尊さを学ばせてもらうのである。誰かを責めたり攻撃することに終始するのではなく、この視点も忘れないようにしたい。何に気付き、学び、どう活かしていくのか。
そんな困難な役割を担ってくださった、勇敢で崇高な魂たちを思うと、涙があふれてくる。あれから10年以上経った。彼らに恥ずかしくないように、私はちゃんと生きているだろうか。学べているだろうか。そんな背筋の伸びる思いになった。
さて、Kさんは、ヒプノセラピスト友である。いつもは、Zoomで交換セッションを行い練習している。彼女は、催眠だけでなく、アロマやホメオパシーも本格的に学んだ多才なセラピストだ。彼女とは、丁度、私の癌が発覚した時期に引き合うようにして出会った。宇宙の采配を感じる縁結びだった。
彼女からは、現代医療ではアプローチできない領域から病を癒していくことを教えてもらっている。ホリスティックなアプローチである。その中で、今回は香りと、植物の高い波動を利用して癒す、アロマタッチを施術していただいた。
彼女とはヒプノ繋がりなので話題が尽きない。施術前に二時間もおしゃべりで盛り上がった。彼女が前日に学んだという、エリクソンの流れを汲む現代催眠のストーリーを語る手法について、互いに知っていることをシェアする。彼女は、「結局は、潜在意識でつながり、チャネリングしているのではないか?」と言ったのだが、私もそんな気がしている。
人間は誰もが潜在意識に繋がれば、その時に必要なことを無意識に語ったりするものだ。宇宙に言わされるような感覚。催眠療法を何度も体験していると、この感覚はよく分かるようになる。超能力がある特別な人に限られるわけではなく、誰もが潜在能力として持っている。
そして、先ほどの私のバス停での回想につながる話題にもなる。私たちは、自由意思により生きていると思われるが、ブループリントに沿っているならば、決められた道をなぞるように生かされているということなんだろうか。全部決まっているなら、何のために生きているのか分からなくなる。例えば震災や虐待で亡くなると決まっているとして、本当にその選択しか無いんだろうか。私たちは、お釈迦様の手のひらの上で遊ぶしかない存在なんだろうか。
私たちは、話し合い、パラレルワールドの考え方に救いを見いだそうとした。何かの出来事があり、気付きを得れば、先にある○○をパスできるとか、気付きが無ければ、○○への道に進むとか。魂の学び度合いで、人生が枝分かれして行く。そんな選択なら出来るのではないだろうか。自分の学びだけでなく、誰かに影響を与える尊い役割もあるから、避けられない運命もあるだろうが、最初からすべて決まっていると考えるのはあまりに辛く、受け止め切れないとも感じた。
例えば、私は今、癌と別の腫瘍と、二回の手術を予定している身の上だ。病から魂の学びをするのだということは理解している。病のお陰で結ばされた数々のご縁に感謝もしているが、こうやって、現代医療以外の療法も模索し続けてもいる。心のどこかで、「癌が消え、手術を受けなくても良くなる現実化」を期待している。
「癌になり手術する」ことが変更不可な運命ならば、何をやっても変わらない。もちろん結果ではなく、プロセスが大事なのは分かっている。しかし、人は「変えられるかも?」という期待があるから原動力を得るわけである。手術の現実化を避けられないとすると、必要な学びに至らなかったと理解すれば良いのだろうか。それとも手放した方がよい観念にまだ執着心があるということなんだろうか。
正直に言うと、もちろん手術は避けたい。肉体的に負担はかかるし、麻酔のデメリットも怖い。いろいろ努力をして、違うパラレルに進みたい。腫瘍が消えたらとても嬉しい。私は、そんなに物分かりが良いわけではない。達観し、すべてをありのまま受け入れて生きることに、抵抗がある。何とかなるんじゃないか?と思いたくなる。じたばたするわけではなく、ひっそりと望みは抱きたい。そうでないと、ヒプノセラピストをやる意味すら見いだせない。クライアントが笑顔になることが喜びだからだ。
このままおしゃべりしていると、いつまでも話せてしまうため、いい加減施術をやりましょうと言うことになり、私は施術ベッドにうつ伏せになった。Kさんは、アロマオイルを使い、背骨を中心に優しく丁寧にマッサージをしてくださった。時間は45分。リラックスして心地好く夢心地となった。足の裏もとても良かった。
アロマオイルの高波動の力もあるだろうし、K さんのレイキも相乗効果があっただろうが、私の受け取った感覚を書いておく。
背中と足裏の施術なのだが、一番エネルギーの変化を感じていたのは、眉間(第三の目。第六チャクラ)。何度か、段階的にパチパチと切り替わるような、ブラックアウトして、瞬時に明かりがバッと点くような意識変容があった。眉間の裏側に、何も無い空っぽの空間が広がる。かろうじて言えるのは、ああ、空っぽだ~。という感覚だけ。それまで目まぐるしく働いていた思考が、一気に鳴りを潜めた感じか。
あれ?本当は何も無かったんじゃない?始めから、空っぽだったんじゃない?本質は、こんなに軽くてシンプルなんじゃない?という不思議な感覚を半覚醒状態で味わう。
Kさんも施術中は思考が無になるそうだ。無になるのはなかなか難しいと思われるが、きっと波動が高いアロマオイルの力もあるだろう。純粋性ゆえ、生物の本来の姿へチューニングする働きがとても高い。どんどんピュアに戻っていく。ピュアな私たちの有り様は、健康でエネルギーに満ちた愛の存在そのものである。忘れていたものを取り戻していくアプローチであろう。植物にはこんな力があるのだ。
施術後、背中があまりに軽くて驚いた。不要な重いエネルギーがゴッソリ取り外せたようだ。なぜ、このようなことが可能になるのだろう。高波動になると、低い波動はくっつくことができなくなる。だから、無意識に、どんどん重いもの(苦しみ、悲しみなどのエネルギー)が離れていくんじゃないだろうか。
この点についてKさんは次のように答えてくれた。
「高いエネルギーに低いエネルギーはくっつかない、確かに‼️
高いエネルギーのものを身にまとっていると、浄化が加速されるように思います。その分、浮き上がってくるものもありますが、それを都度手放して行けば、高いエネルギーの方向に進んでいけるのかと思います。」
また、Kさんは、リーディング能力もあるので、私の背中を撫でながら受け取ったことを話してくれた。
「前半では、
『身体を大切に』でした。これまでよく頑張ってきたねーって施術しながら感じました😊
後半は、
『これから出会う方に癒しを広げていくことで、どんどん良い循環が広がっていく。病気も意味がある。痛みがわかり共感できることは強み。良い循環を広げて行くことにより、どんどん身体も心も整っていく。』」
そうか~。やっぱり、この病に意味があるんだなあ。地球体験が、二極から中庸(統合)を学ぶ点にあるとすれば、健康だけでも、病だけでも完全な学びにはならない。両方知り、あらためて真ん中が分かる。
いい塩梅というのか、丁度よいというか、適当というのか。癒しとは、両極に片寄った状態を、本来の位置に(真ん中)戻す行為ではないだろうか。癒されると、いろいろ削ぎ落とされ、軽くなっていく。両極を知ったからこそ本質の純粋な光はより輝きを深めるのではないだろうか。
例えば、慈悲の心は、人の営みの中で、苦しみや悲しみを味わうからこそ理解できるそうだ。人間への転生経験の無い高次元存在は、慈悲や慈愛というものを持ち合わせていないと言う。愛は愛でも、バリエーションがあるのだ。
その中で、私の魂は、痛みからも何かを学ぼうとしているのだろう。もし、将来、癒しに関わる役割を全うするなら、慈悲や慈愛を持ち合わせ取り組みたいのかもしれない。
患部を消してしまいたいという願いは、確かに顕在意識の思考、エゴである。魂の願いはひとえに学びである。私にできることは、魂の望みを邪魔しないよう、宇宙の流れに全面的に委ねることかもしれない。
目の前の出来事を、「ああ、そうか。」と受け入れていくような、白隠のような生き方なのかな。
アロマタッチの施術後、6つのアロマから直感で選び、感情を解放するワークもしていただいた。
私が選んだのは赤いボトルだった。「無関心」というワードに反応したのだが、香りを嗅ぎつつ、催眠誘導に身を委ねていたところ、胸腺腫の意味が潜在意識からもたらされた。
胸腺は、悲しみに反応する。これはKさんから聞かされた事実であるが、親から虐待の上で殺された子の胸腺は、小さく縮こまっていたそうだ。胸腺の働きは、現代医学ではほとんど解明されていない。私は、もっとスピリチュアルな役割があると感じている。
私は、思春期から経済的に自立するまでの数年間を、かなりの精神的苦痛の中で過ごした。身近な存在の発する荒いエネルギーに翻弄され、怒り、苦しみ、恨み、悲しみ、孤独、あらゆるネガティブを味わった。二極の片方を集中的に体験できたわけで、魂に必要な学びであったろうが、肉体的にダメージを受けていた。悲しみを集中的に請け負ってくれていた部位が胸腺である。人生のどこかで、そのエネルギーを浄化してあげられたら、腫瘍という現実化は起きなかっただろう。エネルギーのうちに取り去るか、病の患部として取り去るか。どちらも大切な体験であり、優劣は無い。私は、胸腺にすべてを任せ、いつか忘れてしまった。それが「無関心」につながる。
あの過酷な数年間で溜め込んだ悲しみのエネルギーが結晶化し、「そろそろわたしを手放してくださいね。」と意思表示してきたのが、今回の胸腺腫という病である。いつか、このように浮き彫りとなり、対面させられることになる。悲しみも、私の一部であり、目を逸らしたまま、無かったことにして済ませることは出来ない。分離した一部は、元に戻りたい。本人が向き合える段階に成長すると、このような現実化を起こし、取り組まされることになる。人生はうまく出来ている。撒いた種を刈り取るのは自分自身。見ないようにした感情に向き合うのも自分自身。真の意味で私を救えるのは自分しか居ないということ。
私は、胸腺に溜め込んだ悲しみのエネルギーを本来の光に戻してあげたいと思う。その手段が、今は手術で取り去ることなのだが、波動で癒せるのではないかとも感じている。手術まで2ヶ月あるので、諦めず学びを続けようと思う。Kさんに出会えたのも、ホリスティックな道を示されているのも、きっと意味があるのだと思う。
ちなみに、写真後方の丸い物はフラーレン。
神聖幾何学の立体化。こちらは水晶で出来ている。手をかざすと、頭頂から滝のように鮮烈なエネルギーが入ってきて、背骨を通り抜けていくのを感じた。フラーレン自体が、エネルギーのトーラスを起こすそうなので、生命体に影響を与えるのだろう。
そして、この写真を撮影する時、スマホが333と時間表示されていた。きっとエンジェルナンバーだねと、笑いながらスクリーンショットを撮っておいた。
あらためて、エンジェルナンバーの意味を調べた
「アセンデッドマスターからのサポートとあなたの才能・スキル・魅力を活かし、周りへ貢献していくことを示しています。」
おぉ·····Kさんのリーディングにも通じる。私のバス停での回想にも通じる。いわゆる「癒しで貢献」エゴを満たす生き方から、自分を活かし、他者を輝かせるお手伝いをしていく生き方へのシフト。格好良くカチッと表現するなら、そう、「貢献」。分かりやすく言えば、「好きなことをして、私も周りも幸せになっていく循環をつくる」。みんなが笑顔で暮らしている地球を創る。そんなイメージだ。
具体的な手段は、今は催眠療法だが、世界を狭めず、幅広く学んでいきたいと思う。来年は魂の兄から整体を学べることにもなっているし、ワクワクが止まらない。
Kさんからも、「333きっと意味がありますね。ワクワク楽しんでいきましょう!」とメッセージをいただいた。
この2ヶ月、癌と向き合いながら、blogに様々な見解を投稿してきた。前向きになったり、落ち込んだり、受け入れたり抵抗したり。人間の私は、ひたすら真っ直ぐに、一本線をブレずに進んできたわけではないことは、毎回読んでくださる方々には理解いただけるだろう。病と向き合うということは、様々な道のりを味わえるということだ。道草、寄り道、後戻り、近道、正解不正解など無い。その時ベストと信じ選択したなら、それでいい。
どのような入り組んだ道であろうと、王道ではなく、地図にないような路地であろうと、私が歩んだということ、それだけがすべて。どんな道も光の道になるのだと、今は確信している。
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