ゴミから宇宙を学ぶ

 


「絶対界に立つ

真の安定は、他者との関係を超えた絶対界にあります。

すべての命は、絶対界に立つべく命。何かに依存することなく、一人で立つことのできる精神の強さを養うことが、そのために必要な能力です。

根本の絶対界から離れると、相対界の存在になり対立的になってしまいますが、それは不幸なこと。相対的な関係を超え、宇宙生命界のすべてと一体の存在になれば、本当の答えが自ずと見つかります。

自然農は、耕さないことを重視します。それは、亡骸の層である過去の命が、いまを生きる命と一体になっているからです。害虫も益虫も、その命に別なく、すべてが一体です。

足るを知るなかで生きれば、本当の幸せを感じ満ち足ります。本当は足りているのです。自然界の妙なる美しさ、大切さが見えます。私たちは皆、真の誠、真に美しいもの、平和と幸せを好み、愛し、求め、悟り知ることのできる存在なのです。」

自然農創始者  川口由一

anemone10月号 64~67ページより一部抜粋

昨日、川口氏の記事を読み、因果関係は分からないが、プチ·ゴミ拾いを始めた。何故かは上手く説明できない。

記事と直接関連するわけではないが、私なりに、絶対界へ戻るための学びを始めたのだろう。そんな気がする。きっと何らかの直接行動が必要だったのだろう。

ゴミハンター二日目を以下にレポートする。

昨日は、人目が気になったため、今朝は日の出直前の、やや薄明かるい時間帯に出掛けた。5時過ぎくらい。

昨日、大まかに拾ったので、今日は少ないかも?と思ったが、そんなことはなかった。

ゴミを気にするようになったから、もっと見えるようになったのか。

それとも、毎日ポイ捨てする人が一定数いるからなのか。

どちらも要因なのだろう。

昨日、100均で、小さめゴミ袋とトングを購入。

袋を一番小さくした理由は、キリがないから。

欲張って拾いすぎれば、私ならすぐ嫌になってしまうだろう。長く続けるには、ほどほどがよい。ウォーキングのついでに、目についたものだけ、気まぐれ程度に拾う。間違っても、「私が町を綺麗にするんだ!」などと使命感は抱かない。ゆるく楽しんでやる。だから、無理しないために、小さな袋。これがいっぱいになったら、その日のゴミハンターは、終了。

今日は、やたらとタバコの吸殻が目に入った。タバコって、吸いながら歩いて、道に捨てるものなのかな?喫煙者のルールがよく分からなくなる。葉っぱと紙だから、いずれは自然に戻るのだろうけれど。もしかしたら、私は余計なことをしているのだろうか。ただ、見た目、道路がきれいな方が気持ちいいから、一応拾っておく。

他は、昨日と同じ。お菓子の袋、ペットボトル、コーヒーや酎ハイの缶、ビニール、紙切れ。そして、マスクは7枚くらい拾った。ペットボトルと缶を3つ袋に入れたら、もういっぱいになったため、後は割りきり、主にタバコの吸殻に専念。やっぱり、袋を小さくして良かった。

そして、トングは素晴らしい!なんて使いやすい道具!ゴミの拾いやすさが格段上がった。トング発明者は、どなたか知らないが、感謝だ。あなたは、天才だ。ありがとう。

散歩道の終盤に差し掛かった辺りで、太陽が登ってきた。上空を見上げたら、飛行機雲が真っ直ぐに白線を描いていた。なんて清々しいのだろう。

日の出を眺めると、「ありがとうございます。」という気持ちが自然に湧いてきた。なんだかもう、すべてが有難い。地球に肉体を持って立っていて、まさに今、リアルに体験しているありとあらゆる事が、とても貴重だ。すべてが学びにつながる。どんなことも面白い。やっぱり、地球学校は、楽しいよなあとしみじみ思う。

私たちを見守ってくれている高次元存在は、肉体が無いから、トングを使ってゴミを拾う楽しさも体験できないし、常時清々しいから、清々しさをしみじみ味わうこともできない。(不快など、比較するものがあるから、味わえる)きっと、天界から羨ましそうに人間たちを眺めているに違いない。「存分に、体験を楽しんでね!」と、微笑んでいるだろう。

もし、現実はホログラムであり、私が体験したい映像を選んでいるなら

ゴミがたくさん落ちている現実は、私がわざわざ創っていることになる。

確かに、昨日ゴミを拾い始めるまでは(道にたくさん落ちていたのかもしれないが)、フォーカスしていなかった。ゴミは意識にのぼらなかった。だから、私の現実に、ゴミは見えていなかった。有るけど、無かった。ああ、これが色即是空か(笑)。

そして、空即是色へ。

フォーカスすると、どんどん見えてくる。

このゴミ拾いをしながら、ポイ捨てする人々に腹をたてたり、正義感を燃やすのは、お門違いだ。

私がゴミを拾いたいから、ゴミが落ちている。私が引き寄せている現実に過ぎない。

では、なぜ、この現実を創っているのか。

私が見ている外側の世界は、私の内面世界の現れだ。

部屋の片付けや、断捨離すると、心がスッキリして、現実がどんどん変化していくように、私は、内面の不要なものを道に落ちているゴミに投影しているのだ。イメージワークと同じことをしているのではないか。

現実世界では、いろんな事が起こる。人はそれを個人の思い込みで、問題と捉えたりする。それは、ただ、起こっているにすぎない、移り行く幻なのだが。幸も不幸も、捉え方次第であり、本来は中立だ。

思い込みは、心の中のゴミだ。ゴミは、以前は必要で持っていたけど、もう不要になったものと言える。人は変化している。昨日と今日の私は、既に違う。変化に応じ、不要な思い込み、観念も手放していかなければ、内面がゴミ屋敷になってしまう。

心の内を見つめ、思い込み、観念を発見し、受け入れ、充分味わったと思うなら、感謝して手放す。こうして浄化していくと、心のゴミは消え、どんどん自由に軽くなっていく。

神社の神職や、寺の修行僧は、一にも二にも、まずは掃除が基本だと言う。身の回りを綺麗にしていくことで、心の垢も削ぎ落とされていく。波立つ感情は鎮まり、穏やかな清々しい心境になっていく。それは、神や仏(私たちの本質の意識エネルギー)に近づいていくことになる。

いろいろ書いたが

ゴミを拾い始めたのは、シンプルに

散歩道の植物たちに、とても感謝しているので、「いつもありがとう。」と言うつもりで、せめて気持ちよくいて欲しいから。本当はそれだけ。

植物たちは、宇宙意識につながっている。何億年という壮大な時空感覚から人間を眺めているはずなので、小さな人間どもが、狭い世界の自意識で、調和を乱していようが、あまり気にしてないかもしれない。

人間も、現象界に、ほんの一時的に創造され、やがて消えていく存在だから。

戦争しようが、環境破壊をしようが、タバコのポイ捨てをしようが、ど~しようもない事をしようが

それらは、宇宙源による、一瞬の微睡み、夢なのだろう。

あ~面白かった。(by 宇宙)

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